第5話 誓いの口づけ
✻ ✻ ✻
セレスとレオの結婚準備は早急に進められた。とはいえ諸々の手続きや新居の準備などがあるので、早くても夏の終わりになってしまうのだが。そう伝えるとリュシアンは不満げだったらしい。
リュシアンは父の喪が明けたら即位する。だがそこから間を置かず、自身の婚儀と王妃のお披露目も行いたいという考えらしい。
だからその前に「セレスティーヌには片付いて、ほとぼりが冷めていてくれないと困る」のだそう。どこまでも勝手だ。
「俺は気楽な男爵だ。派手な式をして目立つこともあるまい」
レオはそう考えた。男爵――今のレオはそんな地位につけられてしまっている。
騎士団員とはいえレオは爵位を持っていなかった。そんな男に元婚約者を押しつけるのは外聞が悪い、とリュシアンは王領の一部をレオに与えて叙爵したのだ。その裏でもマティアスが暗躍していたようだが。
「だってレオがやらされてるのは殿下の尻ぬぐいだろう。おまえが内心大喜びなのは置いといて、少しくらいの強請りたかりは許されるさ」
リュシアンにしてみれば罪ほろぼしになるのだから、ありがたくもらっておけとマティアスは弟を励ました。
それにこの措置には宰相ラヴォー公爵の危機感も反映されている。
与えられた領地は国境に面していた。隣のビルウェン王国は歴史と格式のある、質実剛健な国だ。
こちら側、マルロワ王国とは何かと対になり比べられてきたビルウェン。国境が動いたことは何度もある。マルロワが弱体化している今、どう出るかわからない相手だ。だからレオを要衝に置いた。
「あと、おまえに下賜された土地の隣にセレスティーヌ嬢の所領がある」
「は?」
「慰謝料だったらしい。頬の傷の――」
実はセレスは個人として領地を持ち、経営しているのだ。王太子をかばって怪我をしたセレスへと、先王から贈られた土地だった。
「現地に代理人を置いてはいるが、ちゃんと管理しているらしいぞ。才女を妻にもらえるなんてレオは果報者だな」
「そ、そうだったのか……」
レオの中でますますセレスへの尊敬の念が高まった。
✻ ✻ ✻
そんなわけで男爵夫妻の誕生となる結婚式は晩夏に挙行された。質素になったのはセレスの希望によるものだ。
「仮面の花嫁など、あまり人の目にさらされたくありません」
そう伏し目がちに訴えられてはレオは何も言えない。セレスがその傷をとても負い目に感じているのは知っているし、本人が受けとめきれないことを急ごしらえの婚約者がどうこう言っても仕方なかった。
だが教会だけは都でいちばん大きな聖堂がリュシアンから指定された。どうやら出席するつもりだったらしいが、マティアスに制止され思いとどまったという。周囲からすれば嫌みにしか見えないということに思い至らないのかとレオはあきれ果てた。
そんなわけで列席者はヴァリエ侯爵家とラヴォー公爵家のみ。内輪の式ということになる。大貴族である両家だが、事情が事情。それでいいのだ。
「――セレスティーヌ。とても綺麗だ」
そっと控え室をのぞきに来た花婿は、白いドレスに身を包んだ愛おしい花嫁をながめて感無量だった。
「レオさま、いけません。のぞき見なんて」
驚きに目を開くセレスは、それでも確かに今日の自分が気に入っていた。
裾を長く引くドレスは総レース。つつましく首もとまでおおい、真珠が散りばめられたぜいたくな作りだ。右頬をおおう仮面もお揃いに新しく作った。
白金の髪を透かすヴェールと相まって白い妖精がそこにいるようだとレオはほめてくれた。だがふと声を低くしささやいたレオの言葉でセレスの胸が詰まる。
「誓いの口づけのことだが――嫌じゃないか?」
レオは心配そうだった。
命令されて婚約し、あれよあれよと結婚に至ったセレスとレオ。会って話してはいるが手を握ったこともない。
それにセレスは――リュシアンに心を傷つけられ男性不信気味なのではとレオは感じていた。「口づけていいのか」という問いは、「レオが嫌ではないか、恐ろしくないか」と同義なのだ。
セレスは即答できなかった。息を吸い直して、やっと答える。
「――嫌なわけはありません。私はレオさまと夫婦になるんですもの」
「そうか。ありがとう」
セレスのためらいには気づかないふりをして、レオはうなずいた。
荘厳な聖堂を祭壇まで歩み、セレスは現実感のなさにふわふわしていた。
高い天井。窓から差し込む清浄な光。列席者も少なくがらんとした広い席にはそっと飾られた百合が香っている。
ここは王家の婚姻にも使われる教会だった。
あのままリュシアンと結婚することになっても、同じようにここを歩いたのだろう。だがその場合、左右の座席はいっぱいになり外側の通路まで人が立つことになっていたに違いない。花の香もきっとむせ返るほどで――。
そんな幻から引き戻されたのは、祭壇の前で待つ人を見た時だ。
レオ。
セレスと二人の時に見せてくれるやわらかな微笑みではなく、引きしまった端正な顔だった。
(なんて頼れる姿なのかしら)
そういえばレオは腕の立つ騎士なのだと思い出す。今も騎士団の白い礼服をピシリと着こなし凛々しいことこの上なかった。差し出されたレオの腕に手を添え、セレスは安堵した。
――もうセレスはリュシアンの妃になどならなくていいのだ。その役目は、家族席に座っているミレイユが担ってくれる。今日のミレイユの目には勝ち誇ったような色が踊っているけれど、それでかまわないと思えた。
「――病める時も健やかなる時も、互いを愛し、うやまい、支え合うことを誓いますか」
お決まりの司祭の言葉にも、セレスは素直に「はい」と言えた。これがリュシアン相手だったらうなずくのに意思の力が必要だったろう。
でもレオとならきっと、ともに歩んでいける――。
「それでは誓いの口づけを」
レオがそっとヴェールを上げる。右頬をおおう仮面も参列者にさらされてしまった。
セレスの翠の瞳が緊張に揺れるのがレオにはわかった。大きな手をそっと妻になる人の頬へ添える。
軽く身をかがめたレオの顔がセレスに近づいた。反射的にセレスは目をつぶる。そしてレオの唇が軽くふれたのは――何故か、仮面の上だった。




