第3話 新しい婚約
「――!」
思わず振り向いたレオは、驚きに目をみはっていた。
(冷静沈着な人だと思っていたけど、こんな顔もなさるのね)
どこか他人事のように考えている自分がおかしいのに、セレスの涙はまたあふれる。
――リュシアンを愛してなどいなかった。
だけど捨てられたという事実がたまらなく心をえぐる。これまでの人生を否定されたように感じて死にたくなった。
「――やはりそうだったのか」
レオのつぶやきで死から引き戻された。
やや低まったレオの声は怒っているようにも聞こえる。口調も変わり、馬鹿丁寧さが取れていた。
「妹御まで呼んでどうしたのかと思えば――なんてひどいことを。それは倒れて泣いても仕方ない」
いたわしげにセレスを見る焦げ茶の目には不思議な色があった。あたたかいけど、揺れている。
「殿下は父君が成した約束を反故になさるんだな」
「いいんです。私は」
「何もよくないだろう。あなたの誇りを踏みにじったんだ」
「――でも私、王妃になどなりたくありませんでしたから」
セレスは可能なかぎりきっぱりと言い切った。
本人の意思に関わらず決められた婚約ではあるが、臣下からくつがえすわけにはいかない。だからセレスは唯々諾々と従っていた。リュシアンの視線におびえながら努力した。愛されなくても、妃の立場にだけはふさわしくあろうとして。
だけどもういいのだった。
リュシアンの隣で貴族たちからうやうやしく礼をされることは金輪際ない。異国の使者を迎えるパーティーに出る必要もないし、商人からの陳情書だってリュシアンの代わりに目を通さなくていいのだった。
考えたらホッとして、セレスは微笑んだ。
「もう殿下のために何もしなくて済むのですもの」
「あなたは――」
リュシアンを愛してなどいなかった、と言外に告げるセレスにレオは絶句した。長椅子にもたれるように座るセレスの前に片膝をつく。そんな姿勢を取らないでほしいというセレスの手ぶりにかまわず、レオは貴婦人への礼を尽くした。
「元王太子妃候補へ申し上げる。義務に立ち向かうあなたの姿勢は素晴らしかった。皆、あなたを妃にふさわしいと考えていたはずだ。これからは――心おだやかな時間があるように願う」
真っ直ぐに称賛し、ねぎらう言葉。
レオのまなざしに包まれながら、セレスはもういちど泣いた。
✻ ✻ ✻
先王の葬儀が厳粛に行われ、喪は一年と定められた。
現在は空位の期間にあたるが、実際はリュシアンが王さながらにさまざまな事柄を取り仕切らねばならない。マルロワ王国は華やかな文化を誇るが、国力は低下気味で経済の建て直しが急務なのだ。国政を滞らせてはいられなかった。
国璽を手にし最初は鼻高々だったリュシアンは、しかし二ヶ月もすると飽きたらしい。さまざまな裁可を臣下に丸投げする姿勢を見せ始めた。宰相であるラヴォー公爵――レオの父親は、それを苦々しくながめていた。
執務を放棄したリュシアンが常にそばに置くようになったのはミレイユだ。
父の抑えつけがなくなるなり、婚約者を妹に取り替えた――というリュシアンの行動は、もちろん好意的には迎えられなかった。貴族たちの間でヒソヒソされていると聞き、リュシアンは苛立つ。
「何故だ。愛のない結婚などしても互いに不幸なだけだろう」
不満をもらした相手は、マティアス・ド・ラヴォーという。レオの兄だ。
マティアスはリュシアンの従兄にあたる。ラヴォー公爵家を継ぐ身でもあり、父の補佐官として政務を学んでいた。
そんなマティアスを頼りにして、リュシアンは何かと相談相手に指名する。自分が王たる時に右腕となる男だと思っているのだ。
「まあ、仕方ありませんね」
マティアスは王太子相手でもやや軽いしゃべり方だった。年齢の近い親族で兄がわり――そんな位置をキープしている。だが実はこのマティアス、王位継承権がリュシアンに次いで第二位なのだ。それを他人に意識させないよう、副官的な立ち回りをいつも心掛けていた。
「王族貴族の婚姻なんて普通は政略ですから。殿下だって、見初めたお相手がもっと低い身分なら妃にしないのでは?」
「ふうむ、そうだな……」
二十八歳のマティアスは自身も権門から妻を迎えている。しかしその相手とは結婚後に愛をはぐくみ、うまくやっていた。七つも年下のリュシアンが恋に浮かされるのを生あたたかく見ているのだが、それは表に出さない。
「とはいえ貴族たちに批判的なことを言わせておくわけにもいきませんよ」
「そうなんだ。即位前にこれでは困る」
もっともらしくうなずかれ、マティアスは心のなかでため息をついた。賛同されるわけもないことをやるなら根回しぐらいしておいてほしい。
「批判が噴出するのは、まあつまりセレスティーヌ嬢の立場があまりに不憫だから、というのがありますね」
「そうか?」
そうだ。
これまで数年にわたりセレスが築いてきた王太子婚約者としての実績に不足はなく、いきなり放り出されるような咎もない。
なのにこうなった――ということで、相対的にリュシアンとミレイユの評判は下がっているのだった。どうやらリュシアンはそんなことも認識できていないようでマティアスは頭が痛い。
「だからセレスティーヌ嬢をさっさと縁づけてしまいましょう。彼女が幸せになれば批判は薄れるはずです」
「ほう、なるほど。だが誰と結婚させるんだ」
「――うちの弟、レオが適任だと思います」
マティアスは悪い顔で上品に笑った。
✻ ✻ ✻
「私が、ラヴォー公爵家のご次男さまに?」
父に告げられてセレスはぼう然と立ちすくんだ。
ここはヴァリエ侯爵の屋敷。父の部屋に呼ばれて来たら、次の縁談が決まったと言われたのだった。
相手はレオ・ド・ラヴォーだという。セレスはやや青ざめた。
レオは王宮に伺候するとよく挨拶してくれる騎士だし、誠実そうな人だと思う。だが婚約破棄され倒れた姿を見られた相手でもあるのだ。羞恥心が先に立った。
「それは公爵家からのお申し入れでしょうか」
「殿下のご命令だ」
ヴァリエ侯爵は諦めた顔で言った。だからつべこべ言うな、ということだ。
セレスはまた絶望の淵に落とされた。リュシアンはさんざんセレスを振り回したくせに、まだ指図しようというのか。
「……そっとしておいてはいただけませんの」
「おまえが独り身でいては外聞が悪い、とおっしゃっていた。ミレイユがつつがなく王妃に立つためだ。飲み込んでくれ」
父の言葉もセレスの心を圧しつぶす。
姉の婚約者を奪い取った妹のために、どうしてセレスが犠牲にならなければいけないのか。お払い箱になったうえ、そんな。
だがセレスに拒否権はないのだ。それが貴族の家に生まれた娘のさだめ。
「……承知いたしました」
何も言い返せず、セレスは作法どおりのお辞儀をした。




