第16話 式典の日
聖堂は詰め込まれた人でいっぱいだった。
戴冠式には聖職者と高位貴族を中心に商人や職人組合の代表者も立ち会う。大司教の前に重々しく進み出るリュシアンは毛皮で縁取られた白いマントを羽織り、それなりに見えた。
だが、人々の目は厳しい。今年の財政支出が多かった影響で、来年以降に税率が上がるのではと噂が立っているのだ。こうして正式に王となったリュシアンがいかに国を率いるのか、誰もが不安を抱いていた。
いちど王宮に戻ったリュシアンは、テラスに出て民衆へ即位を宣言する。控えめな歓呼の声が響く隙に、女性たちは着替えだ。
王宮の控えの間がいくつも解放され、各家の侍女たちが衣装を持ち込んでいる。セレスはそこでコラリーと合流した。見事にドレスを仕立て直したコラリーはそわそわと嬉しそうだ。
「ああ……腰にいいラインが出せて本望です」
「本当にこういうのが流行なの?」
着せられたセレスはちょっと恥ずかしい。元はふんわり広がるフレアだったスカート部分が、お尻の形に沿うような形に変えられていた。太ももの途中からヒラヒラとドレープが重ねられているので歩くのに支障はないのだが。
「流行ってますよー。今回新しくドレスを仕立てた上流の奥さま方をチェックしてみて下さいね。これになってるかどうかで、割増料金を払えたっていうのがわかりますから」
ドヤ顔のコラリーにセレスは笑いをこらえる。声をあげて笑うなんてはしたないことだ。王宮では誰に聞かれるかわからないから。
そういえば今の館では、笑いたければ気にせず笑えていた。そんなことにもセレスは幸せを感じる。思わず微笑んだセレスにコラリーは真顔で訴えた。
「私は本職のお針子には敵いませんけども、せいいっぱい縫わせていただきました。奥さまの美しさで、ぜひ旦那さまを照れさせてください」
「ちょっとコラリー」
そんな言い方をされてはセレスも慌ててしまう。腰に手を回したこともない、清純な夫婦なのだから。
(そりゃあ……レオさまにちゃんと、女性として見てもらえたらとは思うけど)
トクン。そう考えただけでセレスの鼓動は速くなった。
着替えたセレスを迎えて、レオはきちんと照れた。だって妻が貞淑な気品にあふれていたのだ。
胴から腰へのくびれは見えているが、下品ではない。袖にあしらわれたドレープである程度隠されていて、女らしさだけが伝わった。深い紅のドレスに包まれて肌はほとんど見えず、聖堂に列席するにふさわしい慎ましさもあった。
そして同じ色のトーク帽と、目の下までのチュール。その影が右頬の仮面を美しく際立たせていた。
「……コラリーのセンスは素晴らしいな」
レオがそんな賛辞をもらしたのは、妻に魅了された照れ隠しだった。だがセレスは大まじめにうなずく。仲良しの侍女がほめられてとても嬉しかった。
「そうですね。今日の殊勲者はコラリーではないかと」
「違いない」
うなずき合う二人はどこから見ても円満な夫婦。
これから式を挙げる国王夫妻に負けず劣らず、幸せそうだった。
そしてふたたび聖堂に集い、こんどは婚礼だ。セレスとレオの時とは違い、あふれんばかりの人が詰めかけている。むせかえるような花の香にクラとしながらセレスは長椅子に腰をおろした。
(あの時に考えた幻そのままね。でも私は静かなお式にできてよかった。こんなのは苦しいだけだわ)
セレスが望むのは、ただ愛おしい人との静謐な誓いだけ。
実際の結婚式の頃にはまだ、レオへの気持ちがあやふやだったのが心残りではあるが――。
(今なら心から誓える。私はレオさまのこと……)
隣に座るレオとふれそうな右肩が熱かった。夫にときめくだなんておかしいだろうか。
でもセレスは今、恋をしている。レオに。
だから祭壇の前で勝ち誇ったようなリュシアンの顔も、国王のもとへ静々と歩みつつ姉をチラリと見下したミレイユの視線も、何も目に入らなかった。
✻ ✻ ✻
この日、王都では普段より多くの馬車や馬が走り回っていた。立て続けの式典に出席する貴族たちのものだ。使用人たちも邸と王宮を行ったり来たりするし、道路は忙しない。
だがその喧騒は上流階級だけのもの。都の下層で働く者たちにその恩恵はない。むしろ街路を汚すなと追い立てられ、食べ物は高騰し、普段の仕事が停止した者は日銭を稼ぐすべもなくなった。庶民の困窮はピークに達していた。
「倉庫が襲われただと!?」
舞踏会のために王宮で待機していたレオは、騎士団員からの情報で顔色を変えた。事前の手配と違う警備体制を不審に思って何があったか尋ねてみたらそれだ。
事件があったのは川沿いの倉庫の一角。食料品を扱う商会が狙われたらしい。暴動などではなく小規模な盗みだったのだが、捕縛の際に抵抗されたことで火事が起きたとか。
「セレスティーヌ、すまないがテラスへ」
緑色のドレスに着替えたセレスをうながしたレオは厳しい顔。それでも妻に歩調を合わせてくれる。
大きな窓の外にしつらえられたテラスに出るとレオは街の方向を望んだ。空は赤くなっておらず、火が広がるには至っていないようだ。しかし落ち着かない顔のレオに、セレスは申し出た。
「レオさま、ようすを聞きにいらっしゃってはいかがです?」
「――いや、そろそろ大広間へ呼ばれる頃合いでは」
「でも気になるのでしょう? だいじょうぶです、私たちの祝賀は最後ですから」
セレスは遠慮がちに微笑む。男爵位をたまわったばかりのレオは、貴族の序列としてもっとも低いところにいる。
公侯伯子男の順に陛下の御前へ出てお祝いの言葉を奏上し、その後に音楽とダンス――という流れなのでしばらくレオは呼ばれないはずだ。ちなみにセレスとレオの親族は、すでに国王夫妻のかたわらにいる。宰相のラヴォー公爵と補佐官のマティアス、そして王妃の親であるヴァリエ侯爵だから。
「――すまない。人員を移動したことで宮殿内の配置がどうなったかだけ確認しておきたい」
「どうぞ行っていらっしゃいませ」
レオは大またにカツカツと出ていく。そんな仕事熱心で凛々しい姿にも、セレスは見とれてしまうのだった。
(ああそうだわ、これからレオさまと踊るのね。レオさまはダンスがお上手だとダニエルもアネットも言っていたけど……緊張しちゃう)
結局いちども稽古などできなかった。レオに手をとられ、背を支えられるなんて考えただけでドキドキする。うまくステップが踏めるだろうか。




