第33話 共感少女
[加洲先生と話をしてみます。陰陽師や標戸の呪いのことは触れません。その後で決めさせてくださいなのです!]
グループチャットにメッセージを残して、鈴山駅からバスを待つ時間を惜しんで登山登校ルートを選び。住宅地と急こう配の坂をできる限りのスピードで駆け抜けて、学校に到着すると教室に寄ることもなく特別棟二階の職員室へ。
案の定、昨日生徒の前で気絶したにも関わらず加洲は出勤していた。それが教師のあるべき姿。生徒の輝かしい未来のため身を粉にして働く「聖職者」の生き方だから。
扉を開け学年とクラスと名前を名乗り、深衣は彼女を呼び出した。
「お話したいことがあるのですが、ここでは少々問題があるので、個室で相談させていただけないでしょうか」
息を切らしながらそう言う深衣に面倒ごとの気配が漂い、危うく黙殺の呪いが発動しそうになる。
「て、テスト範囲のことで質問があるのですが、来週水曜に控えた今更公然と聞くのは恥ずかしく……なのです!」
カルテを思い出しながら苦し紛れの嘘を吐く。いい子の呪いが【嘘をついてはいけない】と頭痛を引き起こすが、これからすることを思えば大した痛みではない、構うものかと深衣は堪える。
怪訝な顔はされつつも、正気の加洲を呼び出すことに成功。
隣の生徒指導室へ案内しようとする彼女の手を、深衣は掴んで制止すると。
深呼吸で息を整えて、覚悟を胸に奮い立つ。
深衣は『共感の呪い』を加洲姫綱に先鋭化させた。
「場所は、選ばせてもらえませんか? お時間は取らせないのです」
「は、はあ……」
掴んだ手を放し、彼女の手のひらを引く形に持ち直す。
掌の震え、預けられた重み、発汗の度合い、肌の乾燥度と血液の動き。呼吸の音、視線の動き、髪の揺れ幅、眉と、引き結んだ口の端の角度。鼓動、衣擦れ、歩調、靴音、抵抗、体温、芳香、そして第六感。
既知と未知全ての感覚で全ての情報を吟味し、加洲の精神状態を我が物のように知悉して寄り添い。
彼女がもっとも「罪深い」と感じる場所を探し歩く。
彼女がもっとも話してしまいたくなる場所へ向かう。
そこはすぐに見つかった。
特別棟二階の職員室前から、指導室を通り過ぎてトイレの前へ。トイレの横の階段を上って、特別棟三階。右に曲がってすぐの女子トイレ。
三番目の個室があるべき場所に不自然な空白を持つその場所は、七不思議の怪異【トイレの花子さん】が発生する場所だ。
「あ、あの、冷杯さん? お手洗いに行きたかったのなら私は外で待つから……」
「いいえ。ここで話をさせてください」
「こ、こんなところで!? せ、先生ちょっと、困っちゃうなあ……」
「居心地が悪いですか?」
「それは、そうでしょう? だって、ここは……」
「『──私の罪が始まった場所だから』」
「…………え?」
「先生、罪が始まった場所というのは、どういう意味なのですか?」
──……今、私、……言って?
心に浮かんだ言葉が目の前の少女から発され困惑する加洲。深衣は構わず彼女に問う。
「罪とは、ひめちゃんに関することですか?」
「っ!!! な、なんで、その、な、名前……!」
「本名は……小さな灯に、芽生えの芽で、『小灯芽』……さん、というのですね」
「どうして……どうやって……?」
「先生はその人を、ここでいじめたのですか?」
「ち、違う、違います……」
「その人を……追い詰めた。七不思議を使って……新聞部だから? 記事を書いて、噂を広めて……居場所を奪った、ですか?」
「なんで、なんで知って、いや、やめて、踏み込まないで……やめてっ!!」
【【【【【他人を傷つけてはいけない】】】】】
【【【【【他人を苦しめてはいけない】】】】】
【【【【【他人をいじめてはいけない】】】】】
共感の呪いを心の声を読むことに振り切っていた深衣。その脳を捩じ切らんばかりの頭痛が走る。まともな神経ならばとっくに意識を失っていただろう。
だが彼女のこの手の痛みへの耐性はすでに鍛え上げられていた。まだギリギリで耐えている。
それになにより、覚悟がある。
果たすべき誓いが胸に燃えている。
「れ、冷杯さん、誰に聞いたのか知らないけど、やめて、その話をしないで」
「『──これは私が一人で背負わなければいけないこと』だからですか?」
「っ……あなた、まさか……「心が読めるの?」」、ですか?」
はい。頷きと共に肯定する深衣。
加洲にとっては知られたくない秘密をいともたやすく暴いてしまうその恐ろしい能力の告白を、しかし深衣もまた、青ざめた表情で打ち明けたのだった。
「先生のこれまでの頑張り、全部伝わってきました。そしてその苦しみを、誰かと分かち合ってはならないという決意も。けれど、先生、あたしは例外にしてほしいのです!」
「……だめ、だよ。だってこれは、私への罰だから。届かない償いだから。……心が読めたって、共感なんてできないでしょ?」
「………………」
一歩、二歩、深衣は歩み寄り。
踏み込んだ三歩目、加洲の体を抱き寄せた。
「っ!?」
「……あたしは、カルテちゃんにいじめを行っていました」
できるという予感がいつからかあったこと。
体を強く密着させ、『共感の呪い』をさらに研ぎ澄ます。
ただそのベクトルは……ひっくり返す。
他者から自己ではなく、自己から他者へ。
共感を与える。
「一学期のことです。あたしはリコちゃんやエミちゃんと一緒になって、カルテちゃんの持ち物を壊したり汚したり、金銭的に搾取して、肉体的に暴行して……彼女をひどく追い詰めてしまいました」
「そ……れは」
「今あたしは、その償いのために生きています。カルテちゃんに許してもらうために、ここにこうしているのです。……先生と同じ、ですよね?」
「……っ! ち、ちがう、違うわよ、私と冷杯さんじゃ」
「はい、違います。先生はあたしと違って、小灯芽さんを心から思いやっていた。それにカルテちゃんは小灯芽さんと違って、怒ることができた。だからいなくなっていない。ちゃんと償わせてくれています」
「……私にはもう、ちゃんと償うチャンスなんて、もうないの。……だって、だってひめちゃんは……私のせいで……っ!」
【開かずの教室】に、取り込まれてしまったのだから。
鈴山学園高校の七不思議、その七つ目の怪談。
それは他六つの怪談と、その名前を知った者の前に現れるという「空き教室」の怪異。
一度入ったが最後死んでも出ることができない、究極の孤独が待つ部屋。
その噂を広めたのは当時新聞部の一年だった女子生徒。
加洲姫綱。
一人の少女の安らぎのために七不思議の記事を三本書き上げ、そのすべてで以て彼女を地獄に落とした。
「うっ、ううう、あ、あああああああ!!」
「……先生」
『黙殺の呪い』の負荷が増していた。曝露期間が短かったから、性格的に抵抗力があったから、そんな理由で抑え込めていたが、事件当時の記憶を呼び起こしたことで限界に近づいていた。
狂気へ染まっていこうとする加洲。忌まわしい記憶と現実から目を逸らさせようと呪いが意識を覆っていく。ぐりぐりと眼球が回転して、その目を白で染めようとする。
しかし、深衣はすでに知っていた。
その呪いに打ち克つものを。
それは己の中にあり、今加洲の中にも見つけたもの。
進むべき道を照らす導きの火。
ちかちかと光る希望の種を、燃やして覚悟の灯にする。
「直接会って償う方法があります!! しっかりしてください、加洲先生!!」
「…………っえ……?」
抱擁を解き、加洲と向き合う。
涙が頬を濡らし、鼻水で鼻が詰まり、嗚咽で呼吸が乱れている。低酸素になった頭が熱くて痛くて苦しくて。死んでしまいそうなほどに、悲しい。
けれど確かに、その深い茶褐色の瞳には光が宿っていた。
深衣は微笑む。
よかった。彼女の内に、その火は芽生えた。
「覚えていますか? 月曜の、先生の夜当番のときのこと」
「……私、途中で寝ちゃって……冷杯さんや大宅さん、蘆屋さんが夢に出てきて、お化けを倒してくれた……」
「それは夢ではありません。あたしたちはあの日の晩、七不思議の怪異を全て倒すため学校に来ていました。あっ、不法侵入なのは、本当に申し訳ないと反省しておりますです」
「…………」
「あのとき、あたしたちは『開かずの教室』という怪談を知りませんでした。だから遭遇できず、倒すことができなかった。けれど今は違います。条件を満たしました。
小灯芽さんが待つ開かずの教室に、あたしたちは挑みます」
宣言する深衣。
加洲は茫然と受け止め、固まった表情のまま脳だけを回転させ、やがて、迸る思いのままに言葉を紡ぐ。
「ひめちゃんに、会えるの?」
「はい」
「直接会って、謝ることが、できる……?」
「はい!」
「ちゃんと、ひめちゃんに償うことができる、の?」
「そうです!」
「…………冷杯さん、私、……私も!!」
二人、互いを支えにして立ち上がる。
傷つけた相手に償う。そのために生きている少女と、そのために生きてきた彼女。
同じ心、同じ覚悟。
「私も、ひめちゃんに会いたい!!」
加洲姫綱は、呪いを克服した。




