第6話 インターネットで救いを探し
九月一日、二学期始業式の日。
朝からクラスメイトに殴られ気絶したという話になっている冷杯深衣は、迎えに来た母親の車で病院に連れていかれた。
頬の怪我については冷やしていればすぐに回復するだろうと言われたが、深衣が訴えた頭の痛みについては、特に病名が付かなかった。
昼過ぎには帰宅し、母親が作った炒飯と餃子、中華スープとサラダを食べて、「夕方までおやすみになった方がいいですよ」と促されるままベッドに入った。
母親から向けられる心配と不安、哀しみがしばらく深衣の心に残留したが、十分も一人でいると頭痛は嘘のように引いて、思考は澄んでいった。
今日のことを振り返って、二つの呪いを認知して。
それで、これからどうしたらいいのか。自然それを考え始める。
【いい子にならなくてはならない】
それはそうです。これからあたしは『いい子』にならなくてはいけません。何があろうと絶対に。いじめなんて当然やめて、遊びは社会勉強になるものだけに。学業に努め、お父さんが望んだような『いい子』になるのです。
目を閉じると、真っ暗な闇のなかに小さな光がちかちかと瞬いている。
……だけど。だったら。そうであるなら。
「今のままでいいのでしょうか」
思い浮かぶのは、今朝の教室のクラスメイトの顔、友人の顔、そして。
大宅カルテ。
いい子としてイジメをやめさせ、謝罪し、他のいじめっ子にも謝るよう求めた深衣に対する、あの殺意の眼差し。
背筋に感じた凍るような恐怖は、件の怪物【人生破壊光線女】に襲われたあの時に比肩しうるものだった。
「光線女の……呪い……」
みんなの気持ちを感じ取って自動的に共感する『共感の呪い』。
いい子になるように心も体を強制される『いい子の呪い』。
呪いに翻弄される今のままで、あたしはいい子になれるのでしょうか。
その答えはきっと、朝のあの教室の光景。
困惑され、気味悪がられ、怒らせて、最悪の場合……殺される。
呪いの差し向けるまま心を読んでいい子であろうとするなら、きっと誰も幸福にできない。
『いい子』にはなれない。
「そんなの、いやなのです……!」
起き上がり、勉強机に向かう。まっさらなノートを一冊棚から取り出して開き、傍らにスマートフォンを置いてロックを解除、電車で光線女の都市伝説を検索したときのままの画面が出てくる。
「調べられること、そこから考えられることを、とにかく書き出してみましょう。そうすれば、きっと……!」
呪いを解く方法が見つかるはず。
【いい子にならなくてはいけない】
けれど呪いのかかった今の深衣では、『いい子』にはなれない。
『いい子』になるため、冷杯深衣は『共感』と『いい子』の二つの呪縛を解かなければならない。
どこか順序を間違えた思考回路で、呪われた少女はそう決心した。
◇
「……よく、わかったのです……」
橙色の陽が山の端に掛かるころまでネット探索を続けて、深衣は結論を得た。
「ネットに、呪いの解き方は転がっていません……」
びっしりと埋まったノートの上にぷにと頬を横たえる形で机に臥せった。
考えてみれば当たり前だ。
人々が都市伝説に求め見出しているのは『面白さ』『不気味さ・怖さ』そして『ありえそうなリアリティ』。
その主題は『どんなおそろしいことが起こるか』であって、『それをどう切り抜けるか』ではない。【口裂け女】や【かしまさん】といった巨大コンテンツ級の都市伝説でもないかぎり、襲われたときどうすれば助かるのか、など議論されない。
それは噂の怪物を覆う神秘のベールを布切れに貶め解体してしまう、流行の斜陽を象徴する行為だからだ。
22件のサイトを読み通してみても、怪談のバリエーションが知れたくらいで。
SNSの直近のつぶやきを一時間漁っても、出てくるのは光線女を見たというポストや冗談半分の論争、イラストや生成AIによるイメージ画像および動画。そして、怪しげな陰謀論と結びつけようとする人。
「はぁ…………」
光線女に掛けられた呪いの解き方など、どこにも載っていなかった。
スマートフォンを再び手に取るも、再びネットのサイトを漁ろうという気は起きなかった。
惰性で短文投稿SNS『Z』を開いて、最新のポストを確認する。結果は特に変わりない。
ところが。
「……こ、れは」
一件のポストが目についた。
それは検索結果ではなく、検索ワードからアプリのアルゴリズムが推薦した広告のポスト。
普段は煩わしいものでしかないそれが、今の彼女には一筋の光明となった。
「お祓い……相談無料、鈴山駅、明日……!」
『Rock on 六子の占い屋』という胡乱なアカウントに深衣はダイレクトメッセージを送り、明日の夕方の予約を取った。
◇
翌日、九月二日。
深衣はクラスメイトの誰とも話すことはなかった。
クラス中から向けられる「何があったの?」「何も知らないよ」「話しかけて聞いてもいい?」「やめときなよ危ないって」「不気味」「こわい」「気持ち悪い」。
それらにすぐさま共感して、自分のことを理解不能で、危険で、不気味で、こわくて、気持ち悪いものだと嫌いになる。
ぐらぐらと脳ごと揺れる視界。往来する吐き気。喉を塞ごうとする嗚咽。
それでも『いい子』はテストを休んだりしない。
彼女は五教科の課題テストを全て受けた。結局前日に復習はできなかったこともあり、解答欄の答えには少しも自信が持てなかった。
死にたくなるような学校での一日がようやく終わった。
そう思いながら鞄に筆記用具をしまっていたとき。
「冷杯さん、ちょっといいですか」
「……! はいです」
担任の若い女教師、加州先生に生徒指導室へ呼び出され。
机を挟んだ向こうに担任、学年主任である小太りの壮年男性、石滝先生。そして二人の脇に立つ養護教諭の妙齢の女性、淀野先生の三人と向き合う形で座らされた。
まるで尋問が始まる空気なのです……。
おそるおそる視線を上げる。深衣は三人を観察した。
「……?」
その様子が、なにかおかしい。
浮かぶ違和感。しかしそれを言語化しようとするより早く、養護教諭が口を開いた。
「ええ、やっぱり冷杯さんが問題行動なんて、ありえませんよ」
それに担任教師が続く。
「今日のテストもとてもまじめに受けていましたよ。生徒とのトラブルもありませんでした」
二人の言葉を受けて、学年主任が、まとめる。
「それじゃあ、当人からの聞き取りは以上ということで。親御さんには私から説明ということで」
「えっ、えっ?」
「ごめんなさいね、冷杯さん。もう帰っていいですよ」
「な、なんで……」
三人は深衣を置いて指導室をあとにしようとした。
「せ、先生! ちょっと待ってほしいのです!」
予約の時間が近づいていたが、思わず呼び止めてしまった。
なぜなら、この呼び出しはきっと、昨日のカルテによる暴力事件に端を発すること。彼女が打ち明けただろう長きに渡るイジメの聞き取り調査のためのもののはずだから。
どうして教師たちはこんな勝手に納得して、すぐに引き上げてしまおうとしているのか?
呼び止めて訊かずにいられなかった。
イジメ問題の解決はあたしの望むところ。時間は迫っていますが、せっかく先生方から働きかけてくださったこの機会は逃せません!
「先生! 実は、あたしは友達のリコとエミと一緒になって大宅カルテさんに酷い……こと、を…………っ」
告解を始めようとする深衣の言葉はどんどん勢いを失い、ついには喉を出ていくことができなくなった。
やけに目が白く見えたから。
教師たちはみな顔の筋肉が弛んで死人のような無表情になっていた。
向けられる眼差しに生気が無く、白目を剥いていると一瞬錯覚した。
ぞわぞわとした寒気と共に三人から感情が流れ込んでくる。
視覚、聴覚、嗅覚、そして第六感の四感覚がその感情を具体的な意味の繋がりへと再解釈し、受け取った脳がそれを心中の言葉として再構成する。
三人の心の声が、聞こえてくる。
──なに? やめてよもう、私つかれてるのに。
──めんどうごと? いやだわ。どうせ何もしてやれないもの。
──もうあたまをさげるのはいやだ。もうあたまをさげるのはいやだ。もうあたまをさげるのはいやだもうあたまをさげるのはいやだ
「ひっ」
恐怖した。
彼らの心を渦巻いていたのは鬱々とした不安。トラブルが起こることによって必要になる仕事への重く気怠い恐怖。
『共感の呪い』によって、深衣はその気持ちに共鳴した。
「……ご、ごめんなさい。やっぱり、なんでもありませんです……」
重い口と舌をなんとか動かしてそう撤回すると。
三人の教員はぱあっと顔を明るくして、心底安堵したという吐息交じりの声で応えた。
「そうかそうか。ああ、よかった」
「気を付けて帰ってくださいね」
「明日もまた元気な姿を見せてね、冷杯さん」
そう言って出ていく彼らを、ひどい倦怠感に呼吸を乱した少女が一人、指導室から見送った。




