第33話 エピローグ 霊媒少女の日常
九月二十四日、水曜日。いくつかのグループがまばらに散る昼休みの教室。
カルテは深衣のもとへやってくると机にライトグリーンの弁当箱を広げて向かいの席に座する。
「昨日帰ってから、いろいろと都市伝説を漁ってたの」
「ほうなのです」
撫でると頭が悪くなる三角座りをした牛の像『逆撫で牛』。入った人が体のどこかを必ず悪くする心霊スポット『刈谷邸宅』、いなり寿司以外のお供えをすると狐に憑かれる祠『いなり祠』……。
カルテは調べてきたいくつかの都市伝説を紹介するが、そのどれもが探し求める『悪い子になる呪い』とは趣旨がズレたものであるうえ、『人生破壊光線女』に比べると知名度や話題性に欠けるものだった。
この現実世界が抱える欠陥、呪われた土地標戸が持つ特性。怪奇風聞の現実化……『怪異言現』。
それは『多くの人間によって語られる、長く詳細に語り継がれる、あるいは強烈に信じられることで、その怪異が現実に生まれ出る』というもの。
であればカルテが調べてきたようなマイナーな都市伝説は、都市伝説怪異として誕生することができない可能性が高い。
「……というわけで、アンタを性格最悪クソ女に戻せそうなのは……残念ながらなかった」
「それは残念なのです……」
「病を治す薬って話も、ないではないけど……都市伝説というより民間伝承とかホンモノの伝説って感じなのよね。神秘の霊薬、みたいな」
「なるほど……」
標戸には古代に神功皇后が三韓征伐の帰りに休息した泉があって彼女が新羅から持ち帰った秘薬が畔を貸した泉の神への捧げものとしてその底に沈んでいるっていう伝説なんだけどその伝説を伝える石碑の場所にはもう泉がないし資料によると具体的な場所はわかっていなくて……
と、早口気味に語り出すカルテ。
彼女の好感情を楽しみながらお弁当をおいしそうに頬張る深衣。
真面目に聞いてる? 碧眼をじとりと鋭くしてカルテが質すと、深衣もまたしかめっ面を作る。
真面目に聞いているのです。『共感の呪い』は健在。彼女の感情は周囲の人間の感情に上書きされてしまう。
「ところでカルテちゃん。今週は体育祭があるのです。ここ最近忙しくて疲れがたまっているはずなので、体育祭に向けてしっかり回復しないといけませんね」
「え、アタシ出ないけど」
「ええっ!?」
「金曜日でしょ。わかるのよね、その日アタシは風邪をひいてるはずだって」
「だったらなおさら体調管理をしないといけないのです! 体にいいものを食べて、あったかくして眠って、それから市販薬と、栄養ドリンク、ネギ、はちみつ、肝油ドロップ……!」
「仮病よ仮病。出たくないからサボるって言ってんの!」
「ええっ!?」
それはよくないことなのです! 一学期の深衣なら冗談でも言わないセリフを本気で言い放つ。
『いい子の呪い』。彼女の精神構造はこの呪いによって大幅に改造されていて、その行動原理は『みんなを幸せにできる品行方正な優等生になる』ことに固定されている。
しかし、深衣は人気者の先輩蘆屋小路の助言とカルテの願いから、その抜け穴とでも言うべき理念を身に着けた。
今の深衣にとって『いい子』とは『カルテを幸せにして償いを果たす品行方正な優等生』。カルテのためのいい子こそが今の深衣。
それはこの三週間に及ぶ怪異事件の果てに彼女が手にした、数少ない救いの一つだ。
「体育祭……恵まれた運動神経と一致団結できるコミュニケーション能力をことさらに持ち上げて、そうでない人間にたっぷり一日理不尽な屈辱を味わわせる陰湿なイベント。この令和の世に絶滅していないことが不思議でならないわ」
「ものすごい偏見なのです……。でも、そこまで嫌なら、無理に参加するのはそれこそよくないことですね」
「いいの? サボって」
「カルテちゃんの決定にどうこう言える権利はないのです。ただ……」
「……なに」
「機会が、なくなってしまうなと思ったのです」
「機会?」
「はい。カルテちゃんを応援できる機会がなくなってしまいます」
50m走は12秒47。シャトルランは29回。ハンドボール投げは9.81m。
カルテは運動が苦手だ。
一学期は陰湿だった深衣をはじめエミやリコたちにそれを大いに嘲笑われた。
しかし今の深衣は違う。
「苦手なことを一生懸命頑張るカルテちゃんを、声を上げて盛大に応援することができるのは……体育祭だけだったのです」
「…………………………」
「ごめんなさい、罪悪感を持たせるようなことを言ってしまって。どうか忘れてほしいのです」
「チッ。出る。頑張る。頑張りますわよ。頑張ればいいんでしょ」
「いやそんな、無理して出ても周りに迷惑が掛かるのです」
「応援するんじゃないの!? 周りの迷惑の話しないでよ!」
「はうっ、ごめんなさいです! 精一杯応援するのです!」
ほんとそうしなさいよ! 語気こそ強いが、軽やかに笑うカルテ。
はいなのです! 応える深衣も、明るい笑顔。
……その瞳に、ずっと映り込んでいる影がある。
教室の前方、黒板の前にただ突っ立っている男子生徒。
顔は窓の方を向いているが、体は教室の出口を向いている。
やがて、頭を宙に置き去りにして体だけが出て行った。
言っても怖がらせてしまうだけ。黙っておくのです。
深衣に掛けられた三つ目の呪い。
『霊媒体質』。
彼女にはいま、名もなき霊や穢れ、危険な怪異が見える。
そこに意思があるのかどうか判然としないが、多くの物語においてそうであるように、関りを持たないよう気を付けていればそれらは深衣に影響してくることはなさそうだった。
故に、まるで視えていないかのようにその思考からも遠ざけていたのだが。
つい考えてしまうことがあった。
それにしても……こんなものなのでしょうか。
深衣は何気ない風に教室を見回す。
教室に四十人ほどの生徒がいた。
今は昼休み。昨日までの記憶に照らしてみれば、このうち人間は半分未満だろう。
生徒の霊が異様に多い。
深衣はそれまで幽霊というものを見たことがなかった。
だからその寡少衆多のほどはわからない。
けれど、油断すると間違って霊に話しかけてしまいそうなくらいに、そこかしこに死者が溢れている。
勝手に椅子に座っている者、床に倒れている者、うろうろと歩き回る者、机に頭を突っ込んでいる者、上に浮いて行ったり下に沈んで行ったりを繰り返す者。頭を置いて行ったり、爪を剥がし続けたり、四つん這いで壁を這ったりする者……。
誰も彼もとりとめもない不気味な行動をとっている。
彼らは、一体、どうして……?
「……コ、ミーコ、ちょっと!」
「ん、あ、はいなのです」
「そろそろ食べきりなさいよ。次移動教室よ」
「ああ、そうでした」
頭の隅に疑問を追いやり、母親が作ってくれた弁当を大切に完食する。
カルテはさっさと片付けを終えて、教科書と筆記用具を持って教室の入り口前に立っていた。
深衣もすぐに追いつくと、二人で特別棟へ向かう。
彼女たちの後ろ姿を白い髪の女子生徒が見ていた。
「あれぇ……」
絹のような白髪を三つ編みのおさげにした、学校の人気者の先輩。
特別棟四階の四番目の女子トイレで絶望の底にいた深衣に手を差し伸べた少女。
見えなくなるまで二人の姿を見送ると、彼女は小さな声で独り言を零した。
「使えるかも……かなあ」




