第26話 伏魔の街へ
一週間後。鈴山駅のホーム。16時40分の電車はまだ来ない。
燦宮へ向かうその電車を待つ間、深衣とカルテは待合室に二人きり、座って話をしていた。
「じゃあ、これが最後の確認ね」
「……はいなのです」
結局、深衣があの物置場所に残した手紙にクロユリさんからの返事が返ってくることはなく。
ネット掲示板、まとめサイト、個人ブログ、書籍などで噂の原点を調べていたカルテ。
SNS、動画サイト、配信などで噂の変化を調べていた深衣。
九月も下旬に入るころ、二人はついに都市伝説怪異【人生破壊光線女】の遭遇条件を掴んでいた。
「まとめサイトで編集される過程でそぎ落とされた報告者の記述を見るに、人生破壊光線女が襲うのはおそらく、『燦宮で』、『帰り道に』、『一人で』、『人生の幸福を感じながら』、『歩いている』人」
K高校の陸上部女子が襲われたのは、『良いタイムが出て調子が良くなってきたある日』、部活の仲間と別れたあと『一人で』、『燦宮駅』を降りて『帰り道を』『歩いているとき』だった。
資産家の古老が襲われたのは、『息子が海外での事業で大きな成果を上げた翌日』、日課の散歩で『燦宮』近くの幾多神社に行った『帰り』に、『一人で』、駅前を『歩いているとき』だった。
ピアノ塾に通う小学生男子が襲われたのは、『塾で上達を褒められた』あとの『燦宮駅』へ向かう『帰り道』を、『一人で』『歩いているとき』。
「オカルト好きのサラリーマンの話なんかは『燦宮のセンター街で彼女が買い物を終えるのを外で一人で待ってた時』ってなってるけど、これはサイトに掲載されるときどこからか追加されている情報で、オカ板のスレッドに投稿された原文では単に『燦宮のセンター街で献血コーナーを見てたら』って語り出しだった」
つまり、条件を満たしているかは不明で、少なくとも反証にはならない、といったところ。そういった怪談は他にも多くあった。
「都市伝説怪異が、噂話が盛り上がったその時……今年の二月のバズのとき誕生して更新されないなら、その時まとめサイトの記事や派生怪談は存在せず、多くの人が目にしていたのは2012年版光線女のはず。だから条件はこの五つに絞れる」
それで、そうじゃなかった場合は?
話を振られた深衣が自分の調査結果を振り返る。
「都市伝説怪異が、現在の噂を反映して変化し続ける存在だった場合、ここ最近の遭遇条件は……」
『燦宮周辺地域で』、『人生の幸福を感じている』、『少女』。
2025年2月のバズ以降、人生破壊光線女を初めて知る人はどんどん増えていっていた。そんな新規勢力の一部が、真剣かネタかはさておき、我が身を案じて有識者にする質問がある。
[どういう人が襲われるの?]
2012年の掲示板時代からの先駆者たち、曖昧な記憶に独自の誇張をほんのり混ぜる彼らの答えは十人十色だったが、その中でも共通している事項は『燦宮にいること』、『幸福であること』。
これらはカルテの調査で割り出されている条件であることからもわかる通り、2012年の黎明期から現在へ受け継がれているものだ。
そしてもう一つ、深衣が新たに導き出した条件……『少女であること』。これは今年のブームで形成されたものである。
ショートムービー中心のSNS『teatok』でバズった生成AIによるイメージ動画からくる認識で、そこには2012年当時にはなされなかった、青少年を襲う怪異としての【八尺様】との対比もあるのだとか。
「どっちにも共通してる条件は『燦宮にいること』と『幸福であること』。クロユリさんにこの条件を伝えるところまでがミーコが交わした約束の内容だったけど……」
情報をまとめるカルテは深衣を横目に見る。
傍らに座った少女は俯いて、セミロングの黒髪から物憂げな青みのある黒瞳を地に向けている。唇を噤んで、頬に焦りの雫を浮かべ。スカートの上に置いた両手は懇願するかのように様に指を組んでいる。
その様子に少し機嫌を損ねつつカルテは続けた。
「それじゃクロユリさんは、燦宮で幸せな人が光線女に襲われるのを待ち続けるしかない。正直言って、遭遇して倒せるまでどれだけ時間がかかるやらわからない」
「以外と早く見つかる可能性もあります。光線女を見たっていう目撃情報があるなら、クロユリさんにだって見つけられるはずで……」
「それは流行に便乗しただけの嘘。もしくは、条件に合致してるけどターゲットにならなかった人ってとこでしょ」
「光線女がたくさんの人の前に現れるようになっているのなら、きっと……!」
「ちょっと。思ってもないこと言うのいい加減にしてくれない?」
カルテの刺々しい言葉はズキズキと痛む頭に強く響く。
そう。本心では深衣は「これ以上の被害者が出る前に、一刻も早く、光線女は倒されねばならない」と、そう思っていた。
調査の過程で何度も見かけた、[光線女に呪われた]というネット上のつぶやき。
そのいくつかが、本気で困っている人によって投稿されたものであることを、文面や文脈を基に共感の呪いで見抜いていたためだ。
もうこれ以上、誰も不幸な目に遭ってほしくないのです……。
それなのに、いい子に相応しくない間違った振る舞いと知りながら、頭痛に耐えながら嘘をついていたのだ。
なぜなら。
カルテが囮を申し出たから。
「忘れたの? 人生破壊光線女のビームを浴びたアンタはそのうち最悪な結末になる。呪いに強制されて、犯罪に手を出して捕まったり、体が壊れるまで運動させられたり、お金全部人にあげちゃったり。いい子の呪いの場合は、なんでしょうね……今挙げたの全部ありえるんじゃない? その前に頭痛で脳が死ぬかも」
「っ……でも……」
「時間はない。これが一番良い方法。わかるでしょ?」
きっぱりと言ってのけるカルテ。
リコとエミにいじめられていた一週間ちょっとの間で、深衣も薄々感じていたこと。
これだけ脳に負担が掛かって、自分は大丈夫なのか?
大丈夫なわけがない。
深衣は疲労を顕著に感じるようになり、睡眠時間は日に日に長くなっていた。
にも拘らず日中意識の途切れるような眠気に襲われることがあり、勉強中や都市伝説の調査中に何度も思考が繋がらない感覚に悩まされた。
確実に、深衣の破滅の時は迫っている。
「安心して、これ以上の作戦はない。憧れのクロユリさんに会えたらアタシは、間違いなく幸福を感じる。確信できる。今からもうめっちゃくちゃ楽しみだから」
絶対に光線女を誘い出せるはずだ。豪語するカルテ。
彼女が企てた囮作戦。それはこんな内容だ。
カルテと深衣の二人はまず、以前クロユリさんと邂逅した燦宮センター街のビルに赴く。少しでも合流できる確率を上げるためだ。
ここで『助けてクロユリさん』の呪文を叫ぶが、都市伝説『怪異退治のクロユリさん』の性質上、呼ぶ本人が本当に危険な状況でなければ来てくれない可能性が高い。
もし呪文を言っただけで呼び出せなかった場合は、深衣がカルテにかつてのいじめをもう一度行うことで、本気で追い詰められる状況を作る。
こうしてクロユリさんを呼びだすことに成功したなら、文字通り伝説上の存在だと思っていた怪異のヒロインを目にして、カルテは至上の幸福を感じる。本人いわく間違いなく。
これで『幸福』の条件、そして怪異が噂の変化を反映する場合での『少女』という条件も達成する。
【人生破壊光線女】がそれで現れればよし。現れなければ、原点の噂から条件は更新されないと判断して、カルテは『幸福を感じながら』『一人で』『歩いて』『帰る』。
その後ろをクロユリさんが尾行して、きっと現れるだろう光線女を退治する。
以上。
どこにも穴のない完璧な作戦であると、カルテは得意げにしている。
深衣は呪いに抗ってこの作戦に反対しているが、絶対にやると言って聞かないカルテに押されて二人で鈴山駅まで来てしまっていた。
なにもカルテちゃんが危険な目に遭う必要ないはずなのです……。
しかし、痛む頭で考えた儚い反論を並べても彼女の決心は揺らがなかった。
加えて、さらに一押し。
「言っとくけど、アンタのためじゃないからね。アタシが囮になるのはアタシのため」
「……ツンデレさんなのです?」
「マジで違う。ミーコが呪いで死んじゃったら、アタシは誰に復讐すればいいのよ。性格最悪クソ女のアンタを殴れなかったら、アタシはどうやってアンタたちからのいじめの日々にエンドマークを付ければいいわけ?」
「う……」
「だからアタシのためなの。アタシが、この先の人生を気持ちよく生きるため。……そして……フ、そして、よ」
共感の呪いが伝えてくる。
目を細めて視線を逸らし、肩を小さく震わせて、手は腹部を抑え込むように、わざとらしくフフフと笑いつつもそれでは収まらないほど大きな……期待と興奮。
カルテは、ほとんど本気でわくわくしていた。楽しみにしていた。使命感や恐怖心よりもずっと大きな好奇心があった。
要は全てがホンモノのお化け屋敷みたいなものでしょ?
オバケがホンモノ、筋書きがホンモノ、リスクもホンモノで、スリルもホンモノ。
そんなの……最高じゃない!
きっと他の誰も経験しえないようなドキドキハラハラのホラーエンターテインメントに自分は飛びこむことができる、と。
深衣にはとても信じられないことだったが、カルテは、本気で、望んでいたのだ。
怪異に襲われる事態を。
そして、それを怪異に救われるという憧れの物語、その主人公になることを。
目を瞑れば深衣は今も鮮明に思い出すことができる。
人生破壊光線女に極光を浴びせかけられたあの瞬間を。
光の向こうに見たもの。着ぐるみめいた無機質な顔面がひび割れて、張り裂けて、現れた赤白黒のぐちゃぐちゃの貌を。
瞼の裏に焼き付けられている。
アレに襲われてみたいなんて、正気の沙汰じゃないのです……。
だから受け容れ難かった。それで反論していられた。
でも、カルテちゃんがそこまで言うのなら……。
あんなに認められなかったのに。
カルテの高揚が染み込んできてしまえば、もうその好奇心に抗うことはできなかった。
「……あたしも、楽しみになってきてしまったのです」
「フ、でしょ。いいじゃない。楽しんでやりましょうよ。アタシたちとクロユリさんの怪異退治」
「えへへ、それもそうなのです。どうせやらなくてはならないことなら、怖がるより楽しんだ方が得なのです」
「アタシは怖がるのを楽しみに行くんだけどね」
「そこは……共感はできるけど理解はできないのです」
「それ違うものなんだ」
「違うものみたいです」
「なんで他人事なのよ」
「呪いはあたしの意思で制御しているものではないので……」
変なの。カルテがそう言って笑い。深衣もつられて笑う。何がおかしいのやら、奇妙な笑いを二人で交わす。暖かな笑い声が待合室に満ちる。
「カルテちゃん」
「なによ」
久しぶりに見た。カルテのこんな穏やかな笑顔を。
目を瞑る。瞼の裏に、上から強く焼き付けるように。
闇の奥でちかちかとちらつく光にも負けないように。
強く。 強く。
想いを、刻む。
「カルテちゃんは、あたしが守ります」
人生のすべてを掛けて。
脳髄に刻む。誓いの烙印を。
贖罪以上の強い願いを。




