第14話 地獄へようこそ
「実をいうと わたしは『実体条件型』っていう半々の存在でね」
マンションの前、街灯と夕闇の境界で、別れ際に怪異少女は言った。
「実体を持って普段から街を歩いているけど 条件に合致した人か 霊感がある人にしか視えない」
都市伝説によって規定された彼女の出現条件、それは。
『何かに襲われて危険な状態にあること』。
あの物置場所に偶然いたクロユリさんを深衣が視ることができたのは、彼女がチンピラ女三人組によって恫喝され追い詰められていたからだった。
霊感もなく条件にも合致しない多くの人々は、彼女を視ることも触ることもできない。
ということはつまり、今ここで分かれてしまえばクロユリさんと再会することが難しくなる。霊感のない深衣では、何かに襲われて助けを叫ばないと呼び出せないのだ。
「条件の調査の件 報告はどうする? きみと出会ったあの場所に置手紙とか?」
「置手紙……わかりました。光線女を見つける条件がわかったら、手紙を届けに行くのです!」
「いつもあそこにいるわけじゃないから ちょっとラグは出ちゃうと思うけど お返事も書く 倒したら倒したって教えてあげるね」
「はい! ありがとうございますです!」
そうして、怪異退治の権能を持つ都市伝説怪異【クロユリさん】と別れて。
深衣はその日の夕食後からすぐに調査を始めた。
都市伝説怪異【人生破壊光線女】。
それは人々の語る噂話や怪談によって規定された存在だ。
ならばその伝説を要素ごとに分解して紐解いていけば、その『条件』はきっと見つけることができる……。
深衣はインターネットを漁るのに土曜の夜を費やして。
日曜日にはノートに収集した怪談の要素をあれこれと分析して。
月曜日。
朝、前向きな気持ちで意気揚々と学校に行くと。
深衣の机の上に花瓶が置かれていた。
一輪の菊が差されているばかりの、冷たい花瓶が。
「こ……れ…………」
見覚えがあった。
それが《《最初》》であることを深衣は覚えていた。
今となっては理解もできない、忘れることなど許されないこと。
友達の大宅カルテに行った最初のイタズラだった。
焦りとともに周囲を見回す。
遠巻きに見守るクラスメイトたち。その感情は『無視』『不気味』『排除』、そして『嘲笑』。
最も強いその感情を向けていたのは、かつて友達だった二人だった。
「リコ……エミ……」
「……なに? あたしらの名前呼んだ?」
二人の座る席に近づいて、深衣はその顔を見る。
見て、吐き気を催すほどの嫌悪感を感じ取る。
煮え立つような憎悪が二人の全身から滲みだしていた。
「あ、の、花瓶……二人が……?」
「は? 知らんけど」「いきなり犯人扱い? ウケる」
「どうして……? あたしたち、友達……」
言いかけて、何を馬鹿なことを言っているんだろうと思い至る。
同じ感情はすぐに席にもたれ掛かる二人からも飛んできた。
始業式の日。深衣は今までイジメを行ってきたカルテを突如として庇い立て、二人には謝罪を強要したのだ。
あの日から四日間は『意味がわからなくて怖い』だった二人の感情。
それは時を重ねて、『理不尽に裏切られて憎い』へと変わっていた。
二人による深衣へのイジメが、この日を境に始まった。
「…………馬鹿みたい」
ぽつりと。
顛末を見ていた黒染めの髪の少女が、遠くの席で呟いた。
◇
その日に起きたこと。
菊の差された花瓶が置かれていた。
教室棟4階の女子トイレに入ったとき上から水を掛けられた。
放課後は靴を隠された。
次の日に起きたこと。
机に昨日捨てられたはずの教室のゴミがぶちまけられていた。
机の中にヘビのオモチャが入っていた。
ロッカーに入れていた資料集が何冊か無くなっていた。
教室棟の1階トイレに入ったとき水の入ったバケツを投げ入れられた。
靴の中にヘビのオモチャが入っていた。
三日目に起きたこと。
机に落書きがされていた。
資料集が踏みつけられてボロボロの状態で返ってきた。
机の中にムカデのオモチャが入っていた。
ロッカーにゴミが入れられていた。
廊下で足を掛けられて転んだ。
体育のバレーボールで全員から無視された。
片付けを押し付けられた。
更衣室に戻ると下着が埃だらけのロッカーの上に置かれていた。
靴の中にカエルのオモチャが入れられていた。
四日目に起きたこと。
机が無くなっていた。空き教室に運ばれていた。
机の中に『死ね』という文字を書きなぐられた資料集があった。
教室に戻ると他の生徒の席の場所が変わっていて、一番後ろに机を置くしかなかった。エミの隣の席だ。
授業中、足元に動くヘビのオモチャを落とされた。
授業中、スマートフォンにメッセージが送られてきた。深衣の顔と蝙蝠を使った合成画像だった。
席を離れている隙に鞄を隠された。
校舎裏で見つけた鞄から財布が無くなっていた。
職員室に届けられていた財布は数千円程度入れていた現金が無くなっていた。
靴箱の靴は泥で汚されていて、中にゴキブリのオモチャが入れられていた。
そう思って触ったそれはオモチャではなく本物で、まだ生きていた。
五日目。金曜日。
傷と落書きで汚し切られた机の中からヘビがこぼれ出ていた。
タイヤに轢き潰された頭が、鈴山から教室に吹き込むそよ風に揺さぶられていた。
「おえええっ……うっ、う゛っ、ううっ」
朝のホームルーム前、特別棟四階の女子トイレ。
四番目の個室の便器に吐き出した朝食はまだ何がどれとわかる程度の形を留めていた。
お母さんが……作ってくれた……スープのニンジン、ベーコン、目玉焼きの黄身、それから…………
「うぶっ、うえええ、おええええっ……」
無意識に特定しようとしてしまったことが再びの嘔吐を引き起こした。
口内に不快な酸味が蔓延する。吐き気と頭痛で思考は秩序を失う。
ごめんなさい。ごめんなさい。せっかく作ってくれたのに。元気がないからって、多めに作ってくれたのに。食べられるだけ食べたもの、全部吐いてしまいました。
「お母さん……生産者の方……輸送の方、仲卸の方、お店の方……食材のみなさん……ごめんなさい……ごめんなさいなのです……」
止まらない涙は生理現象か悲しみからかわからない。
心はもういっぱいいっぱいになって、なにひとつまともに考えられない。
そういえば……トイレに来てしまったのに……こない……のです……。
トイレに入れば水を掛けられると学習して避けていた。
けれど今日はなぜか来なかった。
教室から遠く離れた場所であるおかげか、あるいは、教室に置いてきてしまった鞄に何かしているからかもしれない。
何をされるのだろう。
スマートフォンを盗られる? お弁当をぐちゃぐちゃにぶちまけられる? 虫や生き物の死骸を入れられる?
想像した。こみ上げた胃液を、また便器に吐いた。
「よ……よごし……ちゃ…………だめ、なのです……」
便座や蓋の裏に飛び散った吐しゃ物や胃液をトイレットペーパーで拭く。
次に使う人を不快にしてしまう。そうならないよう綺麗にしていると、予鈴の音が響いてきて脳を揺らした。
行かないと。
浮遊感と頭痛、不快感と寒気に乱される体を無理やりに起こして、個室から出る。
「そこ、気に入った?」
「ぁ……、カ、」
女子生徒が個室から出口までの一本道を、隣の個室の扉に背を預けて塞いでいた。
元はブロンドだった黒染めのセミロング。切りそろえた前髪から覗く鋭い碧眼。前よりは色つやの戻った白い肌のハーフの女子。
先代のいじめ被害者。大宅カルテがそこにいた。




