新たな出会い
森を抜け、月夜に照らされる街の姿が見えた時、ダンは安堵で体の力が抜けた。狼男に体を貸したせいで、身も心も限界に達してしまっている。
なんとか、立たなくては―。
そう思っていても、ダンの体は言うことを聞かない。意識も段々遠のいてきた。
「なにしてんの?」
ふいに、頭上から聞こえた透き通る美しい声に、ダンは天を見上げた。
煌びやかな白髪を持つ女性だった。真紅の唇、少し丸みのある瞳、端正な顔立ち、肩までかかった長髪。真っ赤に染まった双眸はダンを不思議そうに、心配そうに見つめている。
「た、助かった…」
その言葉を最後に、ダンは意識を飛ばした。
次に目覚めた時は、病室のベットだった。目を開けると、少し黄ばんだ天井が目に入る。
誰が運んだんだ、それに狼男は一体どこへ―。
「おおっ!目を覚ましましたか!」
その視界に、ひょこっと禿頭の老人が入ってきた。
「ムーラン…さん…?ここは…」
「いかにも、ここはワンダーエリアに一つしかない病院ですぞ」
掠れた声しか出ないダンに、ムーランは簡潔な言葉で状況を説明する。
「昨夜、“ガルー”がそなたをここへ運んできてくれたのですじゃ。今は午前八時。見つかったのは午前一時だから、約七時間寝ていたことになりますな」
そうか、とダンは返事をすると、自分の体に力を入れた。だが、指一つ動かない。というか、筋肉痛で動こうとすると体に亀裂が入ったのかというほどの痛みが走る。
「しばらくはゆっくりしておいた方が身のためですじゃ。何が起きていたのかは、おいおい聞かせてくださいですじゃ」
ムーランは落ち着き払った声でそう言うと、いそいそと部屋を出ていった。一人にさせておいた方が良いと考えたのだろうか。
「しばらくはゆっくり…か―」
ムーランの言った言葉を、反復してみる。
「でもなぁ…」
こうしている場合ではないんだ―。
ここに来て早速、血飲みの会という何か意味ありげなカルト集団と、珍妙で危険な二足歩行の狼や家一軒並みの大きさの豚と出会ったのだ。つまり、怪奇現象が起きるというのは嘘ではない。
はっきり言って、もうあんな目に遭うのは御免だ。
だが、ダンには―。
「ニューヨーク…!高層ビル…!ファストフード…!超有名人…!ランボルギーニィッ!」
絶対に、この仕事を成功させなければならない理由があるのだ。
そのためには、ここから今すぐ起き上がらなければ。
思いが決意に、決意が力に変わる。
ふぅっと息を吐くと、瞬時に息を吸った。瞬間、腹にありったけの力を込める。それだけでも腹に大きな穴が空いたかのような衝撃が走る。だが、ここは根性だ。
「ふぅぅんぬぅっ…!!」
少し、ダンの上半身が上がった。
いける、いけるぞ!!
鼻息を荒くしながら、ダンは最後の力を腹に全て注ぎ込んだ。
「んがぁぁぁぁっ!!」
瞬間、尻から小さな屁が出た。嘘のように、腹にこもっていた力が抜ける。
「あふんっ……」
そんな情けない声と共に、ダンは再びベットに身を委ねた。
やっとのことで起き上がれたダンは、左手首に着けてある腕時計を見た。
「…げっ」
午前九時、中々時間をロスしてしまった。謎の焦燥感に駆られ、患者衣を脱ぎ捨てると、いつもの黒Tシャツの上に紺色の革ジャンを着た。
まだかなり体に痛みが残っているが、先程までではない。病室にあるテレビの真っ暗な画面を鏡代わりに使い、身だしなみを整えるとダンは誰にも気づかれないよう注意して病院を出た。
ワンダーエリアは相変わらず、少し昔の平凡な田舎町といった印象で、近代的な何かがあるわけではない。
山奥の街なために、澄んだ空気を鼻から一気に吸い、堪能する。それだけで体が浄化されたような気がした。
ダンが目指す先は、あのオンボロアパートだ。あの偏屈そうな管理人と顔を合わせないといけないのが苦痛だが、それさえ乗り越えれば自室にパソコンとベットが待っている。
早く、早く記事を作成して送らなければ。
足が勝手に、前へ前へと出てくる。目の前の、こちらを興味深そうに見つめる人達を躱しながら、ダンは足早にアパートへと向かった。
そうして、目的地直前まで来た時だった。
「た…!助けてっ!」
無視して過ぎ去ろうとした裏路地。そこから、三十代程の男性の声が聞こえた。
なんだ、とダンは裏路地をこっそり覗く。そこに映った光景を見て、ダンは目を見開いた。
裏路地に、男性二人、女性が、一人いた。
男性の一人は肩から血を流し、もう一人は片方の男性を心配そうに偶に見やりながら、主に女性の方を見ている。
女性の方は、煌びやかな白色の髪を肩までかけ、真っ黒のジャージを着ていた。その容姿に、ダンは既視感のようなものを覚える。
昨夜、自らを見つけてくれた女性―。
「ガルー!!」
ふいに呼ばれた名前に、女性はハッとしながらコチラに視線を寄越す。
案の定、それは昨夜ダンを助けてくれた女性、ガルーだった。
だが、様子がおかしい。
真紅の唇からは真っ赤な液体が滴っており、時折見える彼女の歯は常人よりも更に尖っていて、恐ろしい。
「あーあ、見つかっちゃった」
ダンに気づいたガルーは、独り言のように呟くと、急に上半身を倒した。
次の瞬間、ガルーの上半身が血管がちぎれるような音を立てて、何かが背中から突き出る。
「…つば…さ?」
信じられない光景だった。ガルーの背中から、二つのコウモリの翼が生えていたのだから。
「じゃあね、有名記者さん」
両翼をばたつかせ、ガルーは言う。いつの間にか、ガルーの体は裏路地を挟むゲームセンターの屋上よりも高く飛んでいた。
「ま、待―」
呼び止める暇も無かった。
ガルーは自らの翼を巧みに扱い、空中を物凄い速さで飛んで消えた。