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始まりの狼煙

0bitが「教皇が死んだ。」と意味深な言葉を放った。

その言葉の意味とは一体?クロと白賭の行方とは?

機械のノイズが、ひっそりと耳に触れる。三つのモニターのうちの一つは、何かを静かに覗き込む文字列の流れ。また一つは色とりどりな制御文(プログラム)の集合体。そして、最後は──匿名通話ソフトだった。通話に参加する音が鳴った。それを目にし、マウスをクリックした。


「第三ノ皇帝、聞こえてる?」


甲高く加工された声がノイズにぶつかりつつも発された。


「はい、聞こえていますが。なんでしょう?」


そう第三ノ皇帝が返す。窓から刺した月明かりが、付けていた仮面に反射する。思わず月に目を奪われていると、第二ノ皇帝が口を開いた。


「第五ノ皇帝から出動が出されたの。例の計画──第一ノ皇帝が動き始めたみたい。」


「了解です。それではそろそろ、私も例のところに向かいます。」


第三ノ皇帝がため息を一つ吐き、ヘッドセットを外しかけたときだった。


「ねぇ。」


腕の筋肉がぴくりと跳ねた。ヘッドセットを戻し、椅子をデスクに近づけた。


「なんでずっと敬語なの?第四、第五ノ皇帝にはわかるけど、私にまで敬語で話す必要はないでしょ?」


第二ノ皇帝の声が、カーテンから差し込んだ風に溶けた。第三ノ皇帝が顔をうつむかせて瞬きをした。


「いや、癖なんです。昔からの...」


「へぇ、そう。」


回線に乗って、小刻みに震える呼吸音が届く。沈黙を避けるように、第二ノ皇帝が再び口を開いた。


「敬語で思い出したんだけど、第四ノ皇帝...第五ノ皇帝にいつもタメ口よね。」


「確かに...そうですね。」


顔を上げてデスクに腕を置いた。退屈そうに外の景色に目を移す。


「...」


沈黙が再び迫る。第三ノ皇帝は何も気にしなかったが、第二ノ皇帝はそれが嫌いなようだ。気まずそうな唸りを上げて声を入れる。


「...まぁ、だからなんだってわけでもないけど。第四ノ皇帝が敬語で話し始めたらそれはそれで気持ち悪いし。」


「そうですね。」


素っ気ない返事をするとため息が返ってきた。それも大きいため息で、少し怒っているようにも感じた。


汗が額に産まれたのがわかると、恐る恐る口を開いた。


「あなたは─第二ノ皇帝はどうして、第二ノ皇帝として生きていくことを決めたのですか?」














軽い音を弾ませていたのは、取調室に置かれていた時計だった。それも、古く薄汚れている。


目を瞑って手を組んでいた荒井が、うぅん、と喉を唸らせて深く腰を下ろす。


「いやぁ、その、うぅん...」


言葉がまとまらない、というより、どう動くべきかがわからず、瞑った目を開けずにいた。


目の前には、クロが眉を下げて荒井を見つめていた。拳を強く握りしめて、荒井の返答を求めていた。


「...もし、月宵さんの言っていることが本当だとしても、私がどうこう出来る立場では─」


「なら、さっきの人に頼めませんか?」


クロが身を乗り出す。荒井の言葉を遮ってクロがそう言うと、荒井は目を見開いた。


「そもそも、被疑者同士の意思疎通は、たとえ我々を介すにしても違法なんです。」


眉を沈ませて必死に説明を施すも、クロには馬の耳に念仏だった。


クロの言う取引というのは、荒井を介して0bitに対して質問を投げかけるという無茶なものだった。


「でも、荒井さんたちはボクがプラヴォスである証拠がなければ、ボクを捕まえることなんて出来ないはずです。欲しくないんですか、証拠。」


訴えかけるように、荒井を見つめるその目は微かに揺れていた。力の入りすぎで、充血しているのが見えた。


「落ち着いてください。とりあえず、腰を下ろして。」


手を椅子に指すと、はっ、とした様子でクロは静かに腰を下ろした。不満そうに眉を下げて口を開けている様子に、荒井はため息を吐いた。


「それにしても、なぜゼロビットがエンプキラーの一員だと思ったんですか。」


「それは...ボクがゼロビットに嵌められて国防総省をハッキングした時です。」


クロが平机の上で手を組んだ。


「あの時、一瞬だけ四桁の数字が画面に現れました。”1216”という数字です。」


クロの淡々と話していく姿に、少し理解を遅らせながら荒井は息を呑んだ。


「あの数字、最初はわけがわからず、特に気にしていなかったのですが...ふと、あのゼロビットがわけもなく適当な数字を入れるわけがないと思い、少し調べてみたんです。」


荒井も落ち着かずに平机にもたれかかる。クロの目が充血しているのが、さっきよりも鮮明に見えた。


「そしたら、一つの記事が目に止まりました。歴史の記事です。そこには、インノケンティウス三世という教皇が死んだ年が書かれていました。──1216年、と。」


「それが一体、ゼロビットがエンプキラーの一員の可能性とどう繋がるんですか...?」


寒い。緊張で身体が冷えて強張っているのがわかった。恐る恐る荒井は訊いた。


「インノケンティウス三世は、『教皇は太陽、皇帝は月』という言葉を残しています。これは、皇帝の存在は、教皇の存在があるからこそだという、圧倒的な権力の宣言を比喩した言葉なんです。」


クロが拳を握りしめるも、荒井はいまいち掴めず、静かに頷くだけだった。


「そして、エンプキラー。これはボクの推測なのですが、名前の一部である”エンプ”、これは皇帝であるエンペラーを略したものなのではないかと。」


「な、なるほど...?」


「そして、さっきの話と合わせると、ゼロビットはエンプキラーという皇帝集団の一人で、だから皇帝を見下すインノケンティウス三世の亡くなった年をボクの前に現した。そこからボクは、ゼロビットがエンプキラーの一員だと見ました。」


「...」


荒井の目はぼうっとしていた。少し強引な考察ではないかと感じたからだ。はたまた、自分が0bitという男をあまりよく知らないからなのだろうか。荒井は自分を改めて見つめた。


「嫌な予感がするんです...あんな鬼才が、簡単に諦めるとは思えない。─もし...もしも、ボクの推測が合っていれば...」


クロが小刻みな呼吸を整えながら、ゆっくりと息を整える。それを見た荒井も、小さく息を吐く。心臓の鼓動すらも聞こえなくなったときだった。


「──仲間が、助けに来る。」


「なっ...!」


息が詰まる。衝撃が脳内に廻ってから全神経に響いた。その時、ようやく荒井はクロの焦りを理解した。すると、スピーカーが微かに鳴いた。


「月宵さん。一つ良いですか?」


二人が一斉に音の方へ目を向けた。スピーカーから音を発したのは、入谷だった。


「申し遅れました。私は入谷郷と申します。」


「はい。...で、どうしたんですか?」


クロが冷や汗を拭いながら聞く。すると、少しの間を開けてから、真剣な声色で入谷が言った。

「もし、ゼロビットが逃げたら、あなたはどうしますか?」


マジックミラーが唐突に上がる。そこに見えたのは、相変わらず入谷の姿だった。


「えっ、どうって─」


「質問を変えます。」


クロが質問に詰まっていると、すかさず入谷が口を刺した。


「もし、ゼロビットが逃げたら、あなたはそれを追いますか?」


入谷が声を張り上げる。するとクロは立ち上がり入谷を強く見つめた。


「はっ...はい!もちろんっ...ヤツの所為で、何もかも全てを奪われました...絶対に、逃がすわけにはいかない...!」


クロのその言葉に、入谷はぱっと微笑んだ。さっきまでの表情が嘘かのように。それに荒井は唖然とする。


入谷が視線を落とすとすぐに荒井に目を向けた。


「今のを聞きましたか?荒井さん。」


「はっ、はい...!」


荒井の肩が思わず強張る。すると入谷は、はっはっは、と大きく笑った。


「月宵さんの取引に応じましょう。」


「えっ...!?」


入谷の言葉に荒井は意表を突かれる。それに対してクロは目を輝かせた。


「どうしてですか?そんなことしたら、上から罰せられますよ!それに、最近できた組織だ。解体される恐れだってあります!」


「落ち着いてください、荒井さん。本当に月宵さんの言葉を聴いていましたか?」


入谷の言葉に、はっとし、クロに目を移した。


両手を重ねてうつむいている姿を目にし、力の入っていた荒井の手が静かに降りた。


「身体は口ほどにものを言います。月宵さんが自身の過去を話している時、ずっと心理的行動は不安や悲しみを表していました。」


開いた口が閉じなかった。荒井が想像していた以上に、入谷は鋭かったからだ。


「それに安心してください。罰せられるときは、私が全責任を負います。」


微かに入谷の顔が下がる。荒井はすかさず口を挟んだ。


「いや、そんな事言わないでください。」


その言葉にクロが口を歪めた。まるで荒井に失望でもするかのように。しかし、その表情はたちまち晴れることとなる。


「僕も、その責任を負いましょう。」


「えぇっ?」


思わずクロが声を漏らす。荒井は静かに二人へ微笑んだ。その笑顔は、クロにとってどこからか懐かしさを覚えた。


そう、いつも父親が仕事に向かう前に玄関で家族に向ける笑顔だった。


頬に涙が伝う感覚が走る。


「あっ、ありがとうございます!」


頭を下げると、伝っていた涙が床に落ちた。それと同時に、はからずも記憶の奥に眠っていた家族との記憶が、脳内で弾ける。


「感謝します。」


遅れて入谷も頭を下げると荒井は手を小さく横に振り、いえいえ、と言った。


「では、私は本庁舎の取調室に向かうので、荒井さんは月宵さんから証拠を掴んでください。」


そう言って入谷がマイクをオフにしかけたときだった。


ガチャンと扉が大きな音を鳴らせ、勢い良く開いた。


「大変です...!」


扉を開けたのは少し肥満体型の男だった。鬼でも見たかのような真っ青な顔で、呼吸を整える。


「どうしましたか?」


スピーカー越しで入谷が冷静に訊く。


「ゼロビットが...!」


0bitという言葉が耳に入った瞬間、三人が一斉に、はっと息を呑んだ。


「ゼロビットが姿を消しました...!!!それに、取調担当の榊原もです...!!!」


「なっ...!!」


恐怖と戦っているかのように、声を裏返しながらもそう言い切ると、再審課内がどよめき始めた。


「どうやら、月宵さんの感が──当たったようですね。」


入谷がクロに目を合わせる。自分でもわかるほど、クロの目はありえないほど震えていた。無意識に息も上がっている。


すると、入谷が取調監視室から出て再審課の全メンバーに告げた。


「とりあえず、現場班は一回に不審な車や人物が居ないか確認に向かってください。技術版は一階にある入口の検問システムログにアクセスして不審なログがないか見てください。」


「はい!!!」


課内に暑い返事が響いた。クロは取調室から出て入谷の方に向かう。


「あの、ボクは...!」


入谷が静かに振り向くと、たった一言を放った。


「戦ってください。」


入谷が指した手の方は司令官の居室だった。デスクの上には、PravosuのUSBが見えた。


入谷に向かって小さく頭を下げた後、居室へ向かって走っていると、再審課内に設置されているスピーカーが大きな声で鳴いた。


反射的にクロが耳を塞いで目を閉じる。一瞬のノイズだったが耳をやられてしまったのか、耳鳴りがクロを襲う。


「皆さん、ご機嫌よう。」


スピーカーから得体のしれない声が響く。入谷たちも知らないのか、全員が静まり返って固まっていた。


「だ...だれだ...?」


クロが微かに片目を開けると、スピーカーからの声は続けた。


「我々は──五人ノ皇帝。」


初めて聞く名前に「誰だ...?」とつぶやく。


「私は、第一ノ皇帝。言い換えるとすれば──ゼロビット。」


「はっ...!」


その掠れた声に、ようやく気づいた。今聞いているこの声は、捕まえなければいけない男の声だと。人類史上最も最悪で災厄な男だと。


「ゼロビット...!」


「やぁ、クロくん。惜しかったねぇ、捕まえてたのに。」


何か含んだような笑いを見せながらクロを挑発する。


「くそっ...捕まえられるのも、計算の内だったのかっ!!!」


怒りを込めて声を張り上げる。どういう原理で0bitに声が届いているかなど、まるで気にしなかった。


「もちろんさ。言っただろう?技術力テストだって。」


「くっ...!」


クロは屋上での0bitとのやり取りを思い出す。強く握りしめた拳すら、0bitの前に立てばそれは無力になる。わかっていても、クロは冷静にはなれなかった。


「本当の戦いは──ここからさ。検討を祈る。」


そう言って0bitは容赦なくスピーカーとの接続を切った。


クロは、うつむいていた顔をもう一度スピーカーに向けて、大きく叫んだ。


「ゼロビットォォォォォ!!!!!」

今までの物語は序章ですら無かった。

ここからが、本当のスクランブル・コードなのだ。

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