住み込み店員 3
如月が帰ると、店には美紀と結羽の二人だけになった。
(このタイミングしかない!)
「あのっ!」
「なあに?」
ニコニコと振り返った美紀は、ニッコリと微笑んだ。知らず高まった緊張感に結羽の喉がゴクリと喉が音を立てる。
「えっと、美紀さんは菊地さんと暮らしているんですよね? 昨日いなかったようだけど、もしかして気をつかわせてしまいましたか?」
「……いたわ」
「え? ……でも」
三日月みたいな美紀の瞳。
茶色いはずの彼女の瞳が緑色に輝く。
(まるで、猫の瞳みたいだわ。そう、菊地さんの飼い猫のミキの瞳と同じ色)
重なった2つの瞳に、結羽はそんなはずがないとプルプルと首を振った。
けれど結羽は知っている。この世界には不思議な存在がいることを。
(誰も信じてくれないけれど、確かにいる)
そのとき、店の扉が酷く乱暴に開いた。
まるで大風に吹かれたように、いつもなら上品な音を響かせるベルがガラガラと鳴る。
「……」
美紀の瞳孔が縦に細くなった気がしたのは、光の加減だっただろうか。
彼女はしなやかな素早い動きで美紀が結羽をかばうように前に出た。
「いらっしゃいませ……。このお店にいらっしゃるなんて珍しいですね」
「……香りがしたからな」
「何のことでしょう」
「……俊は不在か」
背の高い男性は、ホワイトブリーチをしているのだろうか。
真っ白な髪をしていて、筋骨隆々で、ニヤリと笑うと八重歯が覗く。
そして大股で美紀の前に立つと、その細い肩を乱暴に押しのけた。
「……甘い香りがすると思ったらお前か」
「……」
顎を押さえられて上を向かされた結羽は、震えながらも抗議しようと口を開こうとした。
そのとき、気配もなく後ろから伸ばされた手が男の手首を強く掴んだ。
「……お久しぶりですね」
「……俊」
「僕の領域で、僕のお客さまに乱暴をするつもりですか?」
渋くて低い声は、菊地のものだった。
しかしその声は、結羽が知っているものとは違い震えてしまいそうになるほど低くて冷たい。
「……だが、この女は」
「あなたには借りがありますし、僕も貸しがある。けれど僕の本業を忘れたわけではないですよね?」
「……悪かった。ところでやたら熱いが熱でもあるのか? お前も風邪を引くことがあるんだな」
「今すぐその口を閉じて、彼女に謝罪しろ。さもなくば」
長いため息が聞かれ、降参するように大男が手を軽く上にした。
そして、結羽から距離をとる。
「……乱暴なことをしてすまなかった。その甘ったるい香りのせいで少々興奮してしまったんだ。……しかし、お前よく今まで無事でいられたな?」
「結羽よ! 先ほどから失礼な男ね、犬飼!」
「……なるほど、結羽か。それじゃ美紀。とりあえず、コーヒーを淹れてくれ。普通のだぞ? 星屑やら虹やら、やたら可愛らしい上に原材料不明なこの店の食いもんは俺には理解できん」
大人しく席に座った犬飼。結羽はゆっくりと後ろを振り返った。
先ほどまで寝込んでいたはずの菊地は、赤い顔をして少々息が荒い。
結羽のことが心配で店を覗いたのではないかと思うのは、考えすぎだろうか……
「心配して覗いてみれば……。怖い思いをさせてすまなかったね? 悪い男ではないんだが、本能が騒いでしまったのだろう」
「本能?」
「……いや、天音さんは可愛いからね」
微笑んで首をかしげた菊地は妙に色気があって、結羽の心臓が飛び出してしまいそうなほど高鳴る。
そのまま、安心させるようにポンポンッと結羽の頭を撫でて、菊地は小さくため息をつく。
「美紀、コーヒーを出してあげなさい。最高に濃くてパンチが効いたのを」
「わかったわ! 暗黒コーヒーを最高に濃くして出しておくわね」
「それが良い……」
背中を向けた菊地が店から去って行く。
先ほど頭にのせられた手のひらの感触が消えてくれないことに困惑しながら、収まってくれない心臓の早鐘を持て余しつつ、結羽は菊地の背中を見送ったのだった。
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