浮気者の婚約者から全てを返して貰い婚約破棄しました。でも恋心って複雑なのよ。
終わった恋とか引きずる事ありません?何年も。
女性だってそういう事ありますよ。
メルデリーナ・ミルデルク伯爵令嬢は冴えない容姿の令嬢だ。バサバサの赤毛に、そばかすだらけの顔、細く枯れ木のような身体。
そしてメルデリーナの婚約者であるレットス・カデル伯爵令息は、金の髪に鍛え抜かれた身体。頭脳明晰で顔立ちも美しく、王立学園での全女子生徒の憧れの的だった。
二人とも18歳。王立学園に通っており、卒業したら結婚をすることになっていた。
レットスにとって、メルデリーナはうっとうしい婚約者でしかなかった。
何故、自分のような何もかも完璧な男に、あんな冴えない女が婚約者なんだ?
昼休み、王立学園の食堂で、にっこりと微笑んで、自分に近づいて来るメルデリーナ。
顔も見たくないとばかり、その場を離れるレットス。
レットスの周りには女子生徒が群がって、
「ご一緒にお昼を食べましょう。レットス様」
「わたくしと一緒にお昼を食べるのよ。貴方なんてっ」
「何を言っているのかしら。わたくしと一緒に」
令嬢達が皆、レットスを取り合って。これは日常光景である。
そんな様子を離れたところから、じっと見つめているメルデリーナ。
なんてうっとうしい。
自分の婚約者なんだから、もっとオシャレをしろよ。もっと勉学に励めよ。
もっともっともっとっ……
レットスはたいして勉強なんてしない。
一度、先生が説明した話は頭に覚えているのだ。
本だってさらっと読んだだけですべてが理解できる。
身体だって、たいして鍛錬とかしていないのに、引き締まって筋肉がついていて。
努力なんてしなくても、何もかも完璧で。
こんなに完璧な自分だったら、メルデリーナなんかよりも、王女様とかと結婚出来るのではないのか?もっと上を目指せるのではないのか?
メルデリーナの家に婿に入る予定のレットス。
それもものすごく不満だった。
伯爵家なんかに婿に行くより、こんな優れた自分だったら、公爵家とかがふさわしいのではないのか?
王女様を娶って公爵位を賜って。
この王国の王女様は16歳。銀の髪のとても美しい王女様だった。
そのエレーヌ王女も、レットスの虜である。
「レットスっ。わたくしとお昼を一緒に取るのです。これは命令ですっ」
「解りました。愛しいエレーヌ様」
「まぁ、愛しいだなんて」
メルデリーナは、いつの間にか姿を消していた。
本当にうっとうしい。あんな女いなくなればいいのに。
異変が起きたのは、次の日だった。
そばかすが、顔に浮き出てきたのだ。
完璧な美しさを誇る自分の顔にそばかすが……
レットスは鏡を見てショックを受けた。
輝くような美しい金の髪も赤みが出てきたように見える。
そんな馬鹿な……
王立学園へ行けば、メルデリーナが声をかけてきた。
「おはようございます。レットス様」
何だかメルデリーナの髪が……赤みが薄くなってきたように見える。
バサバサの髪が今朝は柔らかく見え、顔のそばかすが薄くなったように見える。
「メルデリーナ?君の顔……髪が何だか」
メルデリーナはにっこり笑って、
「髪を柔らかくするように、良い香油を手に入れましたの。顔のそばかすも、いいクリームを頂いたので、試してみたんですの。少しは効果が出ているでしょうか」
「いやその。もしよかったら、その香油とクリーム、私に譲ってくれないか?」
「ええ、よろしくてよ。明日にでも持ってきましょう」
「有難う」
いつもはうっとうしく視界にも入って来てほしくない婚約者。
今日ばかりは感謝した。
授業は先生の話を聞いただけで、頭に入ってくるのに、何だか頭がぼんやりする。
先生が何を言っているのか、いまいち頭に入って来ない。
「レットス、この公式を皆に説明してやってくれ。君なら解るだろう?」
そう、先生に言われたけれども、さっぱり理解できない。
どうしてしまったんだ?私は。
「すみません。ちょっと調子が悪くて」
「そうか。それなら、説明できるものは?」
はいっ。と手を挙げたのは、成績がいつもは中位の、婚約者メルデリーナだ。
レットスは驚いた。
すらすらと公式について説明をするメルデリーナ。
こんなハキハキと説明できる女だったか?いつもはもっとオドオドしていて、暗い感じで。
調子が悪かったのは勉学だけではなく、剣技の授業も、いつもは軽く剣をふるっただけで、クラスメートを負かしていたレットスであったが、今日は身体が重く思うように剣を扱えなかった。
何故?自分はどうしたんだ?風邪でも引いたのか?
レットスはあまりの身体の不調に、ものすごく落ち込んだ。
クラスメート達も、
「どうした?レットス。いつものお前らしくない」
「本当に、いつもなら私達は君に敵わないのに」
「具合が悪いのなら、今日は帰った方がよいのではないのか?」
レットスは心配してくれるクラスメートに、
「そうだな。有難う。今日は帰る事とするよ」
寮で暮らしているレットス。そこへ帰る事となった。
身体が重い。
鏡を見ると、さらに髪に赤みがかかったような気がして。
顔のそばかすも酷くなっている。
自分はどうしてしまったんだ?
寝て起きれば、きっと頭や身体の不調も治るだろう。
そう思って、早くベッドに入って眠る事にした。
翌日、更に髪色は赤くなり、そばかすも増えて、美しかった容姿は酷い有様になっていた。
レットスは手鏡を思いっきり床に叩きつける。
医者に見て貰わないとっ、こんな顔じゃ、学園に行けない。
レットスはカデル伯爵家がよく世話になっている医者、マリーヌの元へ行くことにした。
マリーヌは往診から午後には帰ってくるとのこと。
マリーヌの屋敷の客間で待たせてもらう。
戻って来たマリーヌに、レットスは縋った。
「マリーヌ先生。私は急に赤毛になって、顔にもそばかすが。頭も身体も調子が悪いのですっ。私はどうしてしまったのでしょう」
マリーヌは驚いたような顔をして、
「レットス様?ですね。あまりの様変わりに一瞬解りませんでしたわ。そうですわね。ちょっと診察を」
レットスの身体を診察してくれたマリーヌ。
そして、
「わたくしでは解りません。これは呪いの類かも。わたくしの祖母がそういう事に詳しいので紹介して差し上げますわ」
「有難うございます」
マリーヌの紹介を受けて、レットスはマリーヌの祖母の家、アレアの館に行くことにした。
町中に小さな家を構えて暮らしているアレア。
路地裏にある家には小さな看板が立っていて、その薄暗い家の扉をノックすれば、
「入ればいいさね」
というしわがれた声が聞こえ、レットスは扉を開けて中に入った。
蝋燭の灯りが揺らめく空間に、水晶玉の前にマントを被った白髪の老婆が座っている。
「マリーヌから聞いているよ」
「え?いつの間に。私はマリーヌ先生から聞いてすぐにこちらに来たというのに」
「私に解らない事なんてないさね。自分の姿が、能力が何故変わったか聞きたいという事だね?」
「そうです。私は急に赤毛になって、そばかすも顔に出来て、頭も身体もまるで自分ではないみたいで」
老婆の前の椅子に座り、レットスは真剣に訴える。
老婆はにやりと笑って、
「エレーヌ王女様と木陰でキスをしていた。自分の婚約者なのに。ものすごく愛しているのに。私はレットス様の為に美しい金の髪を失った。だから、返して貰うの。私の綺麗な金の髪。返して貰うの」
「伯爵令嬢達と一緒にお昼を食べていた。私という婚約者がいるというのに、デザートがついているよと、伯爵令嬢の唇に唇を重ねて、キスをしていた。辛い、苦しい。だから返して貰うの。私の美しい顔を。そばかすは貴方に返してあげるわ。今まで私の顔にあったそばかすを全部、その代わり、貴方の白い美しい顔を私に返して頂戴」
「ミレーヌ・ブルテック公爵令嬢の手の甲にキスをしていた。そしてエスコートをし、中庭で踊りながら愛を囁いていたレットス様。私という婚約者がいるのに。だから返して貰うの。努力をしないでも、頭に情報が入って来る頭脳を。それは元々私の頭脳。だから返して頂戴」
老婆が次々と紡ぐ言葉に、レットスは顔を真っ蒼にする。
そして、老婆は更に言葉を続ける。
「私は女性らしい美しい身体になる事が出来なかった。それは貴方に理想的な身体になる為に、剣技で優れた力を発揮できるように、私の力を差し上げていたから。
もう、いいでしょう。返して貰うわ。愛していたわ。レットス様。愛していたわ」
レットスは立ち上がると、
「メルデリーナに謝ってくる。そして再び私に、返して貰うんだ。美しい顔や髪、優れた頭脳や身体をっ」
そう言うと館から飛び出るレットス。
メルデリーナの屋敷へ向かって、駆け出した。
ミルデルク伯爵家の前に着くと、叫ぶ。
「レットス・カデルだ。メルデリーナに会いたい。取り次いでくれ」
門番が中へ知らせに行ったようである。
メルデリーナに謝りさえすれば、全てが戻ってくるのだ。
レットスは屋敷の中に案内されるのを待った。
メルデリーナがゆっくりと扉を開けて出てきた。
鮮やかな金の髪、シミやそばかす一つない美しい顔。
痩せていた身体がなだらかな曲線を描き、女性らしい身体になっているのが、ドレスの上からでも解る。
美しい桃色のドレスをメルデリーナは着ていた。
「レットス様。婚約破棄をしようと思っております」
「何故?私が浮気を続けたからか?」
「貴方が欲しいと言ったから、貴方が好きだったから、幼い頃の私は全てを貴方にあげた。それなのに、それを忘れて貴方は努力もせず、沢山の女性達と浮気をして。私だって貴方を愛していたわ。政略だけでなくて、貴方の事を」
「それならば、謝る。だから、今まで通り、私に全てを返してくれ」
「この美しい髪も顔もそして身体も頭脳も元々は私の物。だから返してくれだなんて変だわ。私は私の物を取り返しただけ。だから、二度と差し上げるつもりはありません。だって貴方と私は婚約者では無くなるのだから」
「許してくれっ。頼むっ―――。今まであった全てをなくしたら私はっ」
「さようなら。レットス様。学園でも声をかけないで下さいませ」
レットスは門の前で崩れ落ちた。
メルデリーナは本当にレットスの事を愛していた。
だから、幼い頃、彼がメルデリーナにかけた言葉が嬉しかったから、
「もっと僕がすぐれた男だったら、メルデリーナの事を守ってあげることが出来るのに」
だから、美しい顔、頭脳、身体、全てをあげたというのに。
人間なんてそんなもの。
差し上げて醜くなったメルデリーナの事をレットスは見向きもしなくなった。
だから返して貰ったの。
もう、二度と差し上げない。恋なんてこりごり。
と思っていたのだけれども。
レットスは心を入れ替えたようだ。
女生徒との付き合いは一切しなくなった。
もっとも、優秀でなくなり、美しくもなくなって、婚約破棄もされた伯爵令息レットス。
そんな男をエリーヌ王女や他の貴族女性達は見向きもしなくなった。
婚約者がいるにもかかわらず、平然とレットスとキスをしたりイチャイチャしていた女生徒達。
メルデリーナは、そんな女生徒達から、美しさをつまみ食いするように、吸い取った。
噂もばらまいた。
貞操観念も何もないエリーヌ王女と貴族令嬢達の噂を。
勿論、もともとエリーヌ王女は素行が悪いと、王家も呆れていた。
エリーヌ王女は何故か、顔に原因不明のシミが出来て、王立学園に来なくなった。
他の令嬢も肌に異常を訴えて、王立学園に来なくなったのである。
メルデリーナは、勉強や剣技に励み、懸命に努力するレットスを見直した。
これ以上、復讐する?
わたくしは貴方のせいで傷ついたのよ。
浮気する人はまた浮気すると言うわ。
いえ、もう婚約破棄をして関係ない人。
メルデリーナはそう思ったのだけれども、沢山来る釣書。
皆、メルデリーナの美しさに、改めて結婚したいと、願う貴族令息達からの釣書だ。
だが、メルデリーナは気が乗らなかった。
王立学園を卒業し、メルデリーナは、伯爵家の領地の方で、兄の手伝いをし領地経営をしながら生きていた。
誰とも結婚する気が起きなかったのだ。
両親も兄も無理して結婚しなくてもいいと言ってくれた。
自分は魔女の部類かもしれない。
そんな自分が結婚してもいいのだろうか?
何よりもあれだけ執着したレットスの事が忘れられなかった。
三年後、久しぶりに王都に用事があってメルデリーナは出向いた。
王宮で領地の税に関する書類を提出しに行ったら、そこの担当事務官がレットスだった。
「久しぶりだな。メルデリーナ」
「まぁ、レットス様。久しぶりですわ」
「元気そうで何より」
「ええ、貴方も」
ああ、わたくしはレットス様を今でも愛しているんだわ。
メルデリーナはそう思ったのだけれども。
レットスは、書類にハンコを押すと、
「あの時の私は、未熟だった。本当にすまない。あれから心を入れ替えて、しっかりとここで働いているよ。ああ、結婚したんだ。相手は平民だけどね。とても温かい人で。ありのままの私を受け入れてくれた。改めて礼を言わせてもらう。有難う。君が私にしてくれていた事はとても有難かった。それに甘んじて私は増長してしまった。すまなかった。どうかお元気で」
書類を渡される。
メルデリーナはレットスに向かって、
「ご結婚おめでとうございます。どうかお幸せに。さようなら。レットス様」
王宮を出た途端、涙がこぼれる。
引きずっていたのはわたくしだけ?レットス様はとっくに前を見て歩いていたんだわ。
でも、これですっきりした。
わたくしも前を見て歩かないと。ええ、そうよ。前を向いて歩くのだわ。
一つの恋に終止符を打った。
しかし、心はふっきれたように、メルデリーナは王都の街に沈む夕焼けを眺めて、微笑むのであった。
2年後、メルデリーナは伯爵家三男のとても真面目な男性と結婚した。
彼は冴えない容姿の男性だったけれども、メルデリーナは不思議な力を使う事は二度としなかった。
ありのままの彼を愛して、彼からの愛情も感じられてメルデリーナは夫と沢山の子に恵まれ幸せに過ごしたと言われている。