異変の予兆
「や~~~~っと居なくなったわね、あの孤児!」
バーチを追い出した後、ミスティはルイの部屋に居座ったまま、ソファに踏ん反り返っていた。
ミスティは最初からバーチのことが嫌いだった。
どこからともなく連れてこられた凡庸な男。国王直々の指名で集まったパーティの中で、唯一素性の明らかでない卑しい男だ。
そんな卑しい身分の男でも指名されたのだから余程強大な力を持っているのかと思ったら……使えるのは補助魔法だけと来た。戦闘中は物陰に隠れ、逃げ惑い、それだけでも邪魔なのに流れ弾に当たりそうになってジョルジオやルイに助けられる始末……そっちに気を割かれたせいで後衛のミスティが攻撃を受ける羽目になったこともある。完全にお荷物だ。
ルイは、ソファに座ってはいるものの相変わらず目線は窓の外にやっていて、ミスティのほうを見ようともしない。
彼はバーチが絡むと途端に不機嫌になる。余程嫌っているのだろう。ミスティは軽く肩を竦めた。
「ま、これで魔物討伐も随分楽になりそうね。あのお荷物を庇う手間がなくなったわけだし」
「……そうだな」
ルイがようやく口を開き、ミスティに同意する。窓の外は宿の入り口に面した大通りになっている。バーチがすぐに出て行ったとしたら、その姿を確認しようとしていたのだろうか。
「ねえ、ルイ。邪魔者は消えたわけだし、これからはもっと仲良くしましょ? 仲間の結束を深めなきゃ、でしょ?」
ミスティは口元に手をやって妖艶に微笑む。大きく開けた胸元を強調するように身を乗り出して、もう片方の手でルイの手に触れた。外をじっと見ていたルイの視線が重なった手に落ちる。
「……そうだね。けど、今日はお互い英気を養おう。明日は早朝に発つよ」
「あら、つれないのね」
ルイはミスティの手から逃れるように立ち上がった。未練そうな声にちらと顔を向けるが、険しかった表情に少しばかり笑みを浮かべて、さっさと部屋を出て行った。残されたミスティは足を組み替え、またソファに凭れ掛かる。
「つまんない男ね。まあいいわ、ジョルジオは妻子持ち、ヴィヴィの坊やは子供過ぎて対象外……。邪魔な孤児は消えたし、王子はゆっくり落としてやるわ」
これまでの街で数々の男を魅了してきたミスティは、ルイのために用意してあった卓上のワインを手に取った。勝手に開けて、勝手にグラスに注いでそれを呷る。
「いいワイン。この街は酒も男もなかなかだったわね。最後に遊びに行こうかしら。どうせジョルジオも飲んでるだろうし」
ミスティはもう一度ワインを注ぐと、それを持ったままルイの部屋を出た。
廊下に出ると階下でヴィヴィとルイが話している声が聞こえたが、ミスティは我関せずに自分の部屋へと戻っていった。着替えて、外へ遊びに行くために。
翌日早朝、ルイ一行はアルコの街を出た。ギルドには知らせていたためか、早朝だというのに見送りの人間が大勢集まっていた。
彼らに祝福されながら街を出た一行は、北にあるギーカの街を目指した。ギーカは岩山の麓にある街で、そこに棲みついた大型の魔獣にたびたび襲撃を受けているという。
これまで冒険者にも多くの被害が出ていると聞き、その討伐に向かうのだ。
目算では一週間ほどで辿り着く予定だったが、魔竜討伐の疲労が残っているのか、10日ほど掛かってしまっていた。
「ふう、やっと着いたか……」
街の関が見えるようになって、ようやくジョルジオが息を吐いた。ミスティなど足が痛いだの歩けないだのさんざん文句を言って、そのたびにヴィヴィに回復魔法を掛けてもらっていたせいでヴィヴィの消耗も激しい。
「随分掛かってしまったな。いつもよりも疲労具合が酷い」
「高山だからだろう。空気が薄いと、体調にも影響するからな」
「そうかもしれない。ヴィヴィ、ミスティ、もう少しだから頑張ってくれ」
「はい、大丈夫です」
ルイの言葉に、ヴィヴィが無理して笑顔を作る。しかしルイよりも年下の少年に、仲間に回復を掛けながら歩き続けるのはなかなか酷だろう。
「ジョルジオ、ヴィヴィをおぶってやってくれ。ミスティはもう少しだから我慢して」
「チッ……わかったわよ」
座り込んでいたミスティは渋々立ち上がった。さっきヴィヴィに回復魔法を掛けてもらって、一応体力は回復しているし足の痛みもない。それでも歩き詰めで、足はまるで棒のようだった。
何故公爵令嬢の自分がこんな苦労をしなければならないのか。馬車でもなんでも使えばいいのに。心の中ではそんな不満が渦巻いている。
「あら……リリーがあるじゃない」
歩き出したミスティは、道端に咲いていた白い花をぶちりと無遠慮に摘んだ。それを髪飾り代わりに指して、すうと息を吸い込む。花の芳醇な香りが充満し、気分が軽くなったようだった。
「ミスティさん、その花好きですよね」
「ええ。アタシの髪によく映えるでしょ? それに冒険者にとってはお守りじゃないの」
ミスティは得意げにヴィヴィに答える。この花を見つけると、ミスティはいつも先ほどのように摘んで髪に挿すのだ。ヴィヴィは曖昧に「そうですね……」とほほ笑んだだけだった。
確かにそれは冒険者にとってはお守りにもなるが、そうでない人間には、別の意味も含んでいるから。
街の関で冒険者カードを出せば、難なく街に入場出来る。国家指定のパーティなのだから、身分の保証は万全なのだ。
しかし、ミスティが通り過ぎようとしたとき、珍しく門番がざわついた。
ミスティは自身の美貌に兵士たちがざわついたのかと流し目をくれてやってみたのだが、彼女を見る視線はどうもそう言った好意的なものではなかった。
「し、失礼ながら……」
「どうした?」
ミスティに代わってルイが尋ねる。門番はミスティの髪をちらちらと伺いながら、ばつが悪そうに口を開いた。
「そちらの魔術師殿の髪飾り……生花に見えますが」
「……何よ。道に咲いてたのを摘んだだけよ。許可がいるわけ?」
ミスティは自分の行いを咎められるのかと思ったとたんに高圧的な態度になる。門番如きは、彼女の前では価値のないもの同然だった。
「い、いえ! 摘まれることは、問題はありません。ただ、その花は、この街では不吉の花と呼ばれておりまして……」
「はあ?」
ミスティは顔を顰めた。たかが花だ。それをわざわざ呼び止めるなど大仰な。
「不吉の花ぁ? そんな迷信のためにこのアタシを呼び止めたっていうの? 門番風情が? アンタ、何様のつもり?」
「い、いえ! その、ただ、街では嫌う人間が多く……事前にお伝えしておいたほうが……と……」
「はあ? だから何なの? 嫌う人間が多いからって、このアタシにこれを外せっていうわけ?」
「いえ、そう言うわけでは……」
ミスティは険悪な表情で門番に詰め寄る。今にも杖を取り出しそうな雰囲気に、詰所にいた門番たちも緊急事態を想定し始めたころ、ミスティと門番の間にルイが割って入った。
「ミスティ、ただの忠告だ。知らぬまま不自然に街の人間から不審な目を向けられては、いらぬ誤解を招いてしまう。そういう迷信があるとわかったのなら、こちらとしてはそういう態度をとられたとしても、迷信のせいだとわかるだろう」
「チッ……。不吉ですって? アタシが不吉をくれてやるのは魔獣に対してよ! わかったら引っ込んでなさい!」
「は、はいっ……失礼いたしました」
ミスティが渋々ながら引き下がり、門番が深く頭を下げる。ルイが軽く手を挙げ、その場はなんとか収まった。しかし門番が言ったように、街の人間たちはミスティの髪に飾られた白い花を見るたび、怯えたような目線を向けるのだった。