とんでもない魔力の公爵令嬢はにゃんこハウスを作りたい
「ねえラリエル」
「はい、何でしょうお嬢様」
侍女のラリエルは午後の授業の準備を整えながら返事をする。教科書を置き、紙とペンを整え、インクの残量を確認。あとは飲み物の準備を整えて……先生が来るまであと三十分はあるし、これで大丈夫そうね。
「……そのう、もし、もしもの話ですわよ」
準備に集中していたため、話しかけられていた事実を、モニカの言いにくそうな声で思い出した。
「あ、はい、何でしょうか」
手を止めて顔を上げた。いつもはこちらが水を向けなくとも、勝手に怒濤のように話し始めるわが主、モニカ・メイベルデン公爵令嬢は、今日ばかりはうつむいて目をうろうろさせながら言葉を探していた。ツインテールにした金色の髪が前に垂れ、八歳のかわいいツムジが見えている。
「もしも……あの、猫ちゃんを飼うとしたら、ど、どんなおうちとお世話が必要ですの?」
肩に落ちた金色の巻き毛を指でくるくるといじりながら、俯いていたモニカは、話しながらラリエルと目を合わさないようにつんと顔を上げ、窓の外に目を向けた。ときおり、ちらっとラリエルを見るが、すぐに目をそらす。口元は尖っている。
「猫ちゃんですか?」
ラリエルは目をすっと細くしながら尋ね返した。モニカの唇が尖っているときは、何かしら、隠し事があるときだ。
「そう、猫ちゃん……。あっ、あの、今ではないですのよ。今ではないのですけれど、飼いたいなあ、パパに頼んでみようかなぁ、なんて、思って、でも、おうちがひつようかな〜って。だから、えっと、準備を整えてから、パパにはお願いしようかなあって……思って……」
声が尻すぼみになる。
ピーーン
ラリエルは察してしまった。
「今どこにいるんですかその猫は」
「えっ、今は寝て……あっ、今はいないの、いないのです!!」
モニカは手を振る。今日の服は淡いピンク色のワンピース。胸元に大きな赤いリボンがついている。そういえば、二つに結んだ髪にもお揃いのリボンがついていたはずだが、片方だけ見当たらない。
「お嬢様」
ラリエルが近づくと、モニカはピッと背筋を伸ばした。
「な、なによ、ここには猫なんていないったら」
「髪のリボンが一つ取れていらっしゃいますが、それはどうなさったんですか?」
はっ、とモニカは右の髪に手を当てた。そして、あげた右手の袖口には、葉っぱと土汚れがついている。
「あらぁ、お袖が、土と葉っぱで汚れていらっしゃいますね。どちらで猫ちゃんと遊んでらしたんですか?」
「あ、あ、あ、遊んでないったら!! リボンはいつの間にか風で飛んで行ってしまったの! し、知りませんでしたわぁ!」
さも今気づいたかのように話すモニカに、ラリエルはため息をついた。
「お嬢様、私は、どちらの髪の、とは申し上げておりませんでしたけれども、お嬢様は右のリボンが取れていたことがどうしておわかりになったんですか? 気づいていらっしゃらなかったんですのよね」
モニカの顔が青ざめる。
「……ラリエルの意地悪ぅ……」
モニカの美しい空色の目に、みるみる涙が溜まってきた。ラリエルは眉を上げる。これくらいにしておきましょうか。
ラリエルはしゃがみ込み、モニカに静かに話した。
「お嬢様、公爵閣下は猫を飼うくらいで怒ったりいたしませんよ。おうちをわざわざお嬢様が作る必要もございませんし、ただ、どこかに放置したり、閉じ込めておいたりするのはいけません。動物はきちんとお世話が必要です。トイレをしつけたりもしなくてはいけませんし、まず清潔にして、病気でないか確認して、食事なども用意しなくてはいけませんから」
こくん、とモニカは頷いた。涙はもう、引っ込んでいる。ラリエルはその髪をそっと撫で、優しく尋ねた。
「で、どちらですか、その猫は」
モニカは頬をぱあっと薔薇色に染めて、早口で答える。
「あのね、ラリエルがお昼ご飯に行っているときに、わたくしはお庭にちょっとお散歩に行ってきたのだけど、あの、裏の森側の柵の向こうにね、カゴに入れられていた猫を見つけたの。とっても可愛いの、子猫でね、銀色なんだけど、灰色の模様がついていてね、あと、耳がピンてしてるの。お母様はいないようだったんだけど、抱っこしたら、わたくしのリボンが気に入ったみたいで、でも爪が取れなくなっちゃって、ほどけちゃったからそれで、リボンはあげることにしましたの。それでええと、リボンで遊んでいる間に寝ちゃって、あの、今は……クローゼットの中……に……」
早口だった声が、だんだん小さくなっていく。ラリエルは目を見開き、ものすごい勢いでクローゼットを振り向いた。
(クローゼットですって!?)
お嬢様のクローゼットの中に、拾ってきたばかりの猫……!?!?!
すぐに立ち上がってクローゼットの扉を開ける。
ラリエルの目に飛び込んできたのは、昨日ブティックから納品されたばかりの白と黄色のふわふわのドレスに何度もよじのぼったのか、その鋭い爪でいくつもの筋とかぎ裂きを作り、泥だらけの足跡を残し、ハンガーのてっぺんで毛繕いに余念のない子猫の姿だった。
「ああああああああああああああああ」
床に頽れるラリエルに、モニカは後ろからのぞき込んで「わっ」と言った。
「起きてたのね。そのまま死んじゃったらどうしようかと心配していたのだけれど……あら、何か、ちょっと……臭いますわね」
モニカが口ごもる。そうだ、たぶん、この臭いはどこかで粗相もしている。
「メイ、ラウラ、ちょっとこっちにいらっしゃい」
ラリエルは立ち上がると女中を呼んだ。
「あなた達、お昼にお嬢様と一緒に散歩に行ったわね? どうしてこの猫のことを私に報告しなかったのですか?!」
きつめの口調で言うと、二人の女中がびくっと肩をふるわせる。モニカが「叱らないで!」と叫んだ。
「わたくしが黙っておいてって頼んだの! 二人は悪くないの!!」
モニカの声に、ラリエルは額に手を当てた。
ブティックにすぐに連絡をしなくては。このドレスは週末の皇女殿下のご生誕祭で皇宮に着ていく予定のものだったのに、直るかしら。
しかし、今にも泣き出しそうなモニカの顔を見て、ラリエルは息を吐くと肩を落とした。今怒ったところで仕方がない。
「わかりました、とりあえず二人はこのクローゼットの中をすみずみまで掃除してちょうだい、猫はとりあえず、しばらく使う予定のない客間を使用して世話をしましょう。つかまえて、ひとまず躯を拭いてあげて、ミオ。それから鳩の間に連れて行って、浴室にバスタオルを敷いていったんそこで世話をしましょう。水と……そうね、何か食べられそうなものをいくつか厨房にお願いしてみてくれる? あと、トイレも箱で用意してあげて」
ラリエルの指示に、ミオと呼ばれた女中は「はいっ」と言うと、そっと猫に手を伸ばした。猫は近づいてくる手に逃げたそうなそぶりを見せたが、ハンガーの上で身動きが取れなかったのか、思いのほかすんなりとミオの手におさまり、連れられていった。
「ここは掃除しますから、今日の勉強は図書室で行うと、ケリーマン伯爵が到着したらお伝えしてご案内して。あと、ご案内が終わったら、ブティックに連絡をいれておいてちょうだい。大至急、来て欲しいと。さ、お嬢様も図書室に移動しますよ」
ラリエルはテキパキと残りの女中や騎士に指示を行う。モニカはさすがにばつが悪そうにしていた。
「公爵閣下へのお願いは、あとでお嬢様がなさってくださいね」
廊下を歩きながら言うと、モニカは「ええ……」としおらしい様子で言った。元気がない。ラリエルは咳払いをこほん、とわざとらしくして、横を歩くモニカを見た。
「……ご心配なさらずとも、閣下はお許しくださいますよ。あの子は、まず綺麗にしてこのおうちに慣れてもらう必要がありますから、数日は鳩の間でお世話をいたします。でも、その間お嬢様が鳩の間に遊びに行くことはできますし、お嬢様のお部屋の中で飼っても良いと公爵様がお許しになったら、その魔法であの子の寝床をご用意なさいませ。おうちを作って差し上げたかったのでしょう?」
ラリエルの言葉に、モニカはぱあっと明るい顔になった。
「うん!! 私、素敵なベッドとか、遊び場を用意するわ!」
やっと本来の嬉しそうな表情を取り戻したモニカに、ラリエルは微笑んだ。
一週間後、また絶叫する羽目に陥るとは、想像もせず。
☆★☆
「いっった……!!! お、お、お、お嬢様ああああああああ?!?! こ、これはなんですか!!!」
一週間で見違えるように綺麗になり懐いた猫に「ミーナ」という名前をつけたモニカは、晴れて公爵に部屋で飼っても良いという許可をもらい、昨晩ミーナ用のクッションをベッドの横に置いて寝た。はずだった。
モニカを起こそうと部屋に入ったラリエルは、固い木のようなものにしたたかに額を打ち付けてうずくまり、何事かと思って部屋を見渡して絶叫した。部屋中に、木の枝? 樹木? のようなものが複雑に絡み合い、森を作り出している。
「あっ、ラリエル、おはよう!!」
その森に囲まれたベッドの上で、モニカは楽しそうに笑っていた。
「あのね、ミーナ、木登りが得意なの! 昨日、棚の上にするするーっと昇っていったから、木を作ってあげたら喜ぶかなあと思って、一つ作ってあげたんだけど、枝を渡っていってその先にも行きたそうにしていたから、たくさん作ってあげたの!」
見れば、枝から枝にひょいひょいと渡って遊ぶミーナがいる。
「お嬢様、お嬢様のお部屋に森を作ってはいけません」
ズキズキする頭を抑えながらラリエルが言うと、モニカは抗議の声を上げた。
「ええーー、だって、ミーナと一緒に遊びたいし、これがミーナが喜ぶお部屋なんだと思うの!」
「いけません、こちらはお嬢様が生活するお部屋でございますっ。私も女中も入れないようなお部屋で、どうやってご用意したらよろしいんですか?!」
ラリエルの剣幕に、ミーナは怯えたようにモニカのベッドに戻り、モニカの腕の中にすっぽりと収まった。
「むうーーーー」
モニカが手を振ると、森は一瞬にしてなくなった。絨毯の上にクレヨンで描いたらしき魔方陣が残っているのをみて、ラリエルはくらりと目眩がする。
「ラリエルは分からず屋ですね〜」
ミーナを抱き上げてそう言うモニカに、ラリエルはきっと視線を向けた。
「お、じょ、う、さ、まぁあぁ?」
みゃおん、と同意するように鳴くミーナを抱いたまま、ぷん、と口を尖らせてそっぽを向くモニカに、ラリエルは盛大なため息をついた。
事の次第を聞いた公爵にモニカは呼び出され、またこってり絞られることになったのだが、それはまた別の話。
読んでいただいてありがとうございました!
モニカとラリエルが気に入ったので、2作目の短篇です。お気に召したらシリーズ一覧から1作目もどうぞ!