65発目 合流
「わぶ……!さ,さっむぅ……!」
空港から一歩外に出た途端,強烈な寒気と突風が襲い掛かる。火属性の魔導回路を組み込んだコートも,ただ羽織っているだけでは隙間から入ってくる冷気に体温を奪われ,意味がなくなってしまうほどだった。
ここはシベリア=キエフ共和国の南西部に位置する,首都モースコウ。分厚い雲に覆われ,1年を通して最低気温が氷点下を上回ることがないとも言われる極圏の大都市だ。
周りを見渡せば,道行く人々の誰もが分厚いコートに身を包んでおり,まるでローブを纏ったノームのようにずんぐりとしたシルエットをしている。流石は現地に住んでいる人々,寒さへの対策はばっちりということなのだろう。
私はしっかりコートの前を締め直す。ふと,空港の入り口の壁に掛けられた温度計が目に留まり,その表示温度に思わず目を見開いてしまった。
「気温,氷点下28度……噂には聞いていましたが,凄い世界ですね」
「全くだ。そのコート,決して脱ぐんじゃないぞ」
「わかっております。私だって,こんな寒さの中で凍え死ぬなんてごめんですから」
軽口を交わした後,私は音が外に漏れないようにイヤホンを耳に付け,通信端末を起動する。かける先は,QROの事務所。今回の依頼は国外に出る上今まで以上の危険を伴うということから,移動先に到着するたびに通信で報告をするように伝えられていた。
「はい,こちらシノゾイック工房狩猟依頼管理事務所,受付のフレイライトがお取りします」
ディスプレイが開き,映し出されたのはフレイライト氏。抑揚の感じられない事務作業一筋の声を聴くと,自然とこちらの私的な感情もなりを潜めてしまう。
「こんにちはフレイライトさん,こちらチーム・フローリアのミーアです。モースコウ市に到着しましたので,その報告をします」
「チーム・フローリア……はい,お疲れ様ですミーアさん。モースコウ市に到着の報告,11時17分に受理しました。魔導航空機の到着予定時刻より21分ほど遅れての報告ですが,何かトラブルがございましたか?」
その聞き方から,無意識に詰問されているような雰囲気を感じてしまい,うっと心に苦手な感情がこみあげてくる。勿論彼女にそういった意図はないだろうし,今回の依頼は特に厳しく時間の管理をすると言われていたため準備はしていたが,堅苦しい雰囲気は正直言って簡単になれることのできるものではなかった。
「えぇっと……あぁ,既に解決したことではありますが,一応。途中で私達の搭乗した機体が魔獣族の襲撃に遭い,着陸予定が遅れました。獄雷鳥,サンダーバードです」
「獄雷鳥……出現した時間帯,ないしエリアは何処かわかりますか?」
「確か,私が甲板から戻った後でしたから……そうですね,空路の中間地点より少し手前,程度のタイミングだと思います」
「中間地点より少し手前……わかりました。その空域は確かにサンダーバードが出現してもおかしくないエリアにはなっているはずです。が,航空機に対する魔獣族の襲撃はあまり聞きません。何かあるかもしれないので,報告書には記載しておきます」
「わ,わかりました」
私の苦手意識などどこ吹く風と言った様子でフレイライト氏は記録を取っていく。一定の報告を終えると,フレイライト氏は次の指示を出してくる。
「ありがとうございます。それでは,これから現地の仲介人と合流をしていただきます。これから送信する地図に示された酒場に移動し,メイルートのカクテルをそれぞれ注文してください。それが仲介人への目印になります」
「わかりました」
私達が目指す戦兵組合,黒熊の拠点は,ここから更に北東へ移動した,タボリングラード市に存在する。これは俗に“キエフ地域”と呼ばれる都市部の最東端であり,ダボリングラード以東の地域が,永久に解けることの無い凍土に覆われた“シベリア地域”となるのである。
スペンサー氏曰く,そこに向かうまでのルートは案内が無ければ命の保証はないうえ,合流の際にも細心の注意を払わなければ情報漏洩の後に襲撃される危険があるため,それらの危険を最小限に抑えるためにも,このように合流場所や合図を直前に伝える手法を採用しているとのこと。なんとも物騒な話である。
余談であるが,ツンとした酸味が特徴のメイルートの実は,妖精族が住まう巨大な大陸ムーが原産地の果実であり,炎属性の魔力を持ちやすい性質から冷えた身体を温め,高い体温を維持するのに最適とされる。恐らくファイス工房長も,極寒の地に赴く私達に気を使ってこのチョイスをしてくれたのだろう。
「仲介人は深緑のガウンに身を包み,フードで目元を隠していると伝えられています。彼の指示に従い,目的地まで向かうように」
「わかりました」
「それでは,通信を終わります。ダボリングラードへの到着予定は14時30分なので,その時間に再度通信で報告を行ってください。それでは」
「はい,失礼します」
「……終わったか?」
通信を終えイヤホンをはずすと,周囲を警戒していてくださったカトラ様が話しかけてくる。
「はい。合流場所と合図をいただきましたので,私がそこまでご案内いたしますね」
「任せるぞ」
頼りにしてくださるカトラ様のお言葉に自然と胸が高鳴り,寒さも気にならない足取りで目的地まで向かう。端末に送られてきた地図に記載された場所は,空港から歩いて5分ほどのところにある酒場。中から賑やかな男性客たちの声が聞こえてきており,いかにも待ち合わせにはぴったりな場所だった。
「いらっしゃいませー!ご注文はお決まりですか?」
「はい。メイルートのカクテルを,2つお願いします」
適当な席に座ると,早速給仕の女性が元気な声をかけてくる。フレイライト氏から聞いていた内容を注文すると,メモを取りながら彼女は少しだけ不審そうな顔でカトラ様を見た。
「メイルートのカクテルですね!えっと……すみません,こちらのお客様のご年齢をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「え?あっ……」
はっとしてカトラ様を反射的に見る。カトラ様のご年齢は21。我が国では飲酒可能な年齢ではあるものの,もしかしたらこのシベリア=キエフ共和国の基準には満ちていないのやもしれない。しかもさらに都合の悪いことに,カトラ様は背格好も低く,幼げな顔立ちからより幼い子供と見間違えられてもおかしくない。
慌てて説明しようとすると,カトラ様ははぁっとため息をつき,すぐさまご自身の社員証を取り出された。
「21だ,この通り。この国の飲酒可能年齢は18と聞いている,不都合はないはずだ。わかったらメイルートのカクテルを」
「わっ! こ,これは失礼しました~! すぐにお持ちします!」
給仕の女性は目を見開いて謝罪すると,奥のカウンターまですっ飛んでいく。淡い薄紫色に色づいた綺麗なカクテルは,ほどなくして私達の目の前に並んだ。
「それでは,ごゆっくり~!」
「……全く。普段は特に気にならないが,こうして不都合が起きると少々考えさせられるな」
彼女が次のテーブルに駆け足で向かっていくのを確認すると,カトラ様はやれやれとため息をつく。この状況なら多少なり怒ってもよさそうなものなのに,寛大なお方である。
「まぁ……しかし,カトラ様はお酒もあまりお飲みにはなられませんし,他に特に不都合もないのであれば,気にする必要もないと思いますよ。それより問題は……」
「ああ。先ほど空港で言っていた……仲介人とやらだな」
カトラ様は一瞬にして雰囲気を切り替え,真剣な目で周囲に視線を配る。私もつられて見渡してみるが,特徴に合致するような人物は……なんと,1人や2人ではなかった。
「う~ん,どうしましょう。フレイライトさんからは,深緑のガウンにフードで目元を隠しているとのことですが……目元はともかく,深緑のガウンを羽織っている人がかなり多いですよ?」
「ああ,そうだな……ちょうど,おまえの背後にいる男も,そんな風貌だ」
「え?」
カトラ様に言われて振り返る。すると,そこは……
「ひぃ!?」
「……女2人,メイルートのカクテルを1つずつ。お前達だな」
大熊かと見まごうほどの巨体に,フードに隠れた目をぎらりと光らせる男がいた。




