63発目 「日常」という幸せ
「全く……散々な目に遭いました」
私は乱れた心を落ち着けようと,ひとまず機内へ移動する。
階段を下りてすぐには広めのカフェテリアがあり,軽食を買ったりできるはず。
見てみると保存食や甘味のほか,紅茶やソフトドリンクのサーバーも並んでおり,気分転換には十分だった。
「ふぅん……思っていた以上にラインナップも充実しているのね」
コインを数枚投入し,砂糖菓子にチョコレートを数個取る。ティーカップに紅茶を注ぐと,私はそばにあったテーブルに腰を下ろした。
「ふぅ……全く。さっきの出来事の後だと,壊れない椅子というものにいつも以上の安心を感じてしまうわね」
溜息をつき,砂糖菓子を1つ口に放り込む。じんわりと口の中に甘さが広がり,今までの疲れが一緒に氷解していくのを感じた。
「ん~~……やっぱり甘いものは最高ね」
はぁっとため息をつきながら脱力していると,不意に足元から子供の声が聞こえてきた。
「わぁ~!メイドさんだ,初めて見た!なにしてるの~?」
「ん?あなたは……?」
そこにいたのは10歳にも満たない小柄な少女。彼女の手には,可愛らしいキャラクターのイラストが描かれたふうせんが握られていた。
「何……と言われても,そうねぇ……」
「ちょっと!待ちなさいライザ。いきなり知らない人に話しかけては迷惑だろう?」
答えに窮していると,これまた唐突に大人の声がする。
ライザと呼ばれた少女と共に振り向くと,肩に彼女と同じくらい小さな男の子を乗せた大柄な男性が慌ててこちらに駆けてくる。男の子の手には,ふうせんと同じキャラクターを象ったキーホルダーが握られていた。
「いやはや申し訳ない,どうにもこの子は好奇心が旺盛なもので。ご迷惑をおかけしたでしょう」
「いえいえ,子供というのはそういうものですから,構いませんよ。そのキャラクター,お二人とも大切そうに持っていますけど,最近子供たちの間で流行っていたりするのですか?」
「あぁこれ。これは単なる記念ですよ。ほら,あの子です」
彼の指さした方を見ると,そこにはそのキャラクターの,等身大のクリアパネルが展示されていた。どうやら名前を“ニルヴィ”といい,航空会社のマスコットのようだ。
「あぁ……なるほど,気が付きませんでした」
「この子たち,初めて魔導航空機に乗るからと騒ぎっぱなしで。とりあえずとグッズを買い与えたらなんとか搭乗前よりは落ち着いてくれたのですが,足りないようですな」
「っふふふ,大変ですね」
「いえいえ。ほら,構ってくれたお姉さんにありがとう言って,座席に戻るよ」
「はーい。お姉さん,ありがと~!」
「ええ,また逢えたらいいわね」
親子を見送り,改めて周囲を見渡してみる。すると,カフェテリアの中だけでもグッズ販売のエリアがあったり内装がイメージカラーと合っていたりと,なぜ今まで気づかなかったのかと思うほどいたるところにキャラクターの意匠が施されている。
「……よく見たら,本人も結構かわいいわね。グッズの一つくらいなら買ってもいいかも」
流石に衝動的であることはわかるので購入まではしないものの,いかに先ほどまでの自分の視野が狭かったのかと思い知らされる。
思えばカトラ様とグルーオン家を追放されてから,忙しさからこうした周囲の何でもない刺激に目を向けることをしなかったように思う。いや,家にいたころからそのような機会が特段多かったかと問われれば否ではあるものの,追放後は特に顕著だった。
それならばと思い立ち,試しにそれ以外の周囲にも目を向けてみる。
ソフトクリームをお互いの口に運びあうカップルに,腰に負担をかけていそうな姿勢でどっかりと椅子に腰かけ,ニュースペーパーを広げる老紳士。黄色い声で騒ぎながら駆け回る子供と疲れた顔で彼らを追う母親,ディスプレイを広げて黙々と作業に取り組む仕事着の男性……カフェテリアという限られた空間の中でさえ,これだけ多くの人がいて,これだけ多くの違うことをしている。恐らくは,追放された私達が最初に訪れたメルトロン市にも,シノゾイック工房のある,依頼をこなす準備のために駆けまわったアイオワ市メリドスにも,少し視野を広げてみるだけでもっともっと多くの人々がいたのだろう。
それ自体は,意識しなければただの刺激だし,しなかったところで誰に迷惑がかかるでも,何に支障を来すわけでもないだろう。
だが……もしかしたら,そうして広げた視野の中にこそ,人生を彩る大切な何かがあるのかもしれない。
或いは,私のような身分の者でも,崇高なるカトラ様をお助けできるような何かが。
「……まぁ,それで向けるべきものへの意識が散漫になっては,元も子もないのでしょうけれどね」
溜息をつき,席に戻る。ティーカップに目を向けると,ふとその水面に注意が向く。
それは機体の揺れによって小刻みに揺れているのだが……その水面の動きが,どうにも先ほどより大きい気がした。
「これは……? ぁぐっ!?」
疑問符が浮かんだ直後,ズンッという鈍い音と共に足元が大きく揺れる。
衝撃が入ったのは,進行方向から見て右側。機体は大きく傾き,耳をつんざく警告音が緊急事態を知らせてきた。
「お知らせします。機体右翼側より,魔獣族による攻撃を確認。乗客の皆様は急ぎ座席にお戻りください。繰り返してお知らせします。機体右翼側より……」
無機質な機内放送のなか,カフェテリアは一気にパニック状態に陥る。制服姿のスタッフが声を張り上げているが,一度生じた混乱は容易には静まらない。
「魔獣族の襲撃だって!?一体どうなっているんだ!!」
「外は晴れ渡っているわ!けど何か変よ……!」
野次馬精神のひときわ強い数人が,スタッフの制止も無視して右翼側の窓に殺到する。彼らに遮られてほとんど外の景色は見えないが,先ほど甲板で見た透き通るような晴天に変化はない様子だ。
「現在強力な魔導反応を確認しております,乗客の皆様は窓際から衝撃に備えてください。繰り返します,現在強力な……」
先ほどから響いているものとは別の警報音とともに爆音のアナウンスが響く。迎撃態勢に入った魔導航空機は,ゴウンゴウンと重厚な音を発しながら防衛結界を展開する。直後,バシーンという爆音と共に巨大な魔導エネルギーの塊が結界に衝突した。
「うわぁああああ!!?」
機体自体に損傷はないものの,窓際にいた人々は恐怖から蜘蛛の子を散らすように飛びのく。窓の外には,ばちばちと爆ぜる稲妻の残光が垣間見えた。
「雷属性の魔獣族……超高空域に棲息……そして,魔導航空機のレーダー範囲よりも広大な攻撃範囲……?」
頭の中で必死に検索しながら窓に駆け寄る。晴れ渡った空のもとではかなり見えにくいが,機体の周囲は既に雷属性エネルギーによって満たされているようで,大気中のいたるところでばちっばちっと小規模な稲妻が走っては消えている。
「あっ!おい見ろ,雲の合間から何かが飛び出してくるぞーー!!」
誰かの叫び声がしたその瞬間,巨大な塊が目下の雲海を突き破って蒼穹の天空へ飛び出してくる。あっという間にそれは機体の横を通り過ぎ,突風で煽りながら太陽を背にし,巨大な羽毛で覆われた翼を広げる。
「あ,あれは……!」
翼開長は,目算でも4~5メートルは優に超えているだろうその身体は,ずんぐりとした太い体躯を緑色の体毛で覆われている。巨大な鉤爪は一本一本が子供ひとりぶんの大きさをしており,その一撃は鉄板ですら容易に貫くだろうことが窺えた。
「巨大な翼……緑色の体躯に,強大な雷属性……!間違いない!!
あの魔獣族は,獄雷鳥!!サンダーバード!!」
「ピシャァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」




