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62発目 嵐の男

「皆様,本日もニルヴァーナ航空567便,モースコウ行をご利用くださいまして,ありがとうございます。当機は機長アラン・ヘイデン,客室はノーラ・シドニーが担当致します。座席にございます座標固定魔導陣が展開されているか,今一度お確かめください。エルゾヴォ空港までの所要時間は2時間30分――」


 機械でももう少し付けられるであろうと思うほど抑揚のないアナウンスの後,重厚な音と共に巨大な魔具が起動する。


 今私達が乗っているのは,巨大な鳥を思わせるシルエットをした魔導航空機。大陸を跨ぐような長距離移動は竜族でも半日かかるというが,それを数時間程度で済ませてしまうのだから驚きである。


「あ,動き始めましたよ!そろそろ出発ですねカトラ様♪」


「わかっている。子供でもないのだから,魔導航空機程度ではしゃぐなみっともない」


 あきれ顔の彼女は,優雅に座りながらチップスを齧る。すまし顔をしながらも,気体の振動に合わせてつま先をタップさせている様子はなんとも可愛らしかった。


 ゴウンゴウンとプロペラが回転し,ぶわっと地上に突風が巻き起こる。機体が浮き上がり,方向転換が終わると同時にどっと加速。魔導火力推進機の出力が上がるごとにぐんぐん速度が上がっていく。ファーストクラスの背もたれに身体が押し付けられるが,その感触ですら極上の心地よさだ。


「ぉお……!」


 窓の外を見ると,既に空港の建物は豆粒のような大きさになっており,空を舞う鳥たちと同じ目線になったかと思うと,すぐさま雲海に突入する。


 ポーンという音が聞こえ,圧迫感が消えると,そこはもう蒼穹(そうきゅう)の中だった。


「大変お待たせいたしました。機体が安定期に入りましたので,甲板扉を解錠いたしました。ここから着陸準備に入るまで,皆様快適な空の旅をお楽しみくださいませ」


 アナウンスが入り,座標固定魔導陣のロックが解除される。これは万一の事故防止のため,座席の位置から身体が離れないようにする魔導陣であり,離着陸時のロックがかかっていない間は,航空機のチケットに刻まれた魔導陣をかざすだけで展開と解除が可能となっている。そしてアナウンスにもあった甲板へは私達の席の後方にある扉から行くことが出来,窓からだと僅かしか確認できない外の景色を一望できる。周囲の乗客の中にも,早速意気揚々と甲板に向かう乗客も見られた。


「もう甲板に出られるみたいですね。カトラ様,どうします?」


「行きたければ一人で行けばいいだろう。私は資料の整理をしておくから,好きに羽を伸ばしてこい」


「むぅ……つれないですね」


「この崇高なるカトラ・フローリアは,いついかなる時でも人前で浮かれるなどあってはならないのだ」


 その言い方だと内心では浮かれたがっているのではないかとも思ったが,口に出すとまた叱られてしまいそうなので黙っておく。


 そうしている間にもカトラ様は資料の束を取り出し,一瞬でおあそびなしの真剣な表情に変わってしまう。諦めた私は座標固定魔導陣を解除し,1人で甲板扉をくぐる。


 通路を右手に曲がると階段が現れ,案内板には甲板の文字。機体はかなりの速度で動いているのに,その外に出る通路からはそよ風程度の風しか流れてこないのは不思議だった。


 しかしそんな気持ちも,階段を上り切った先の景色を見た途端に吹き飛んでしまった。


「わぁ……!すごい,こんな景色,初めて見た……!」


 視界いっぱいに広がるのは,さんさんと照り付ける太陽のもと,一点の曇りもない澄み渡った大空。穏やかな風を受けながら見るそれは,どんな悩みも霧散してしまうほどの爽快感だ。


 それだけではない。


 眼下に広がるのは広大な雲海。陸上では悩みの種でしかないような分厚い雲も,太陽の光を反射して真っ白に輝いている。


「うおーー,すっげーー!」


 そんな無邪気な叫び声が聞こえて振り向くと,小さな男の子がキャッキャッとはしゃぎながら甲板を駆けまわっている。落ち着かせようと親御さんが必死に追いかけている姿も,見ている分にはとても微笑ましかった。


 しかし走り出した子供というのは簡単には止まれない。あっという間に甲板のふちまで走り,手すりもないのでそのまま飛び出そうとしてしまう。


「あっ,危ない!」


 しかし,その子の身体はぼんっという鈍い音と共にはじき返される。目を丸くしたその子が再び縁に近づいて手を伸ばすと,魔導陣でできた障壁がその手の触れている部分に浮かび上がった。


「あっははは,危ないって……もしかしてお姉さん,魔導航空機に乗るの初めてかい?」


 安堵していると,横から爽やかな声が聞こえてくる。目を向けた先にいたのは,かっちりした黒のスーツに身を包み,硬めのハットを被った男性。かなりの高身長だ。


「え?あぁはい,お恥ずかしながら……」


 彼は再び軽妙に笑うと,甲板の淵の何もない空間にもたれかかる。


「結界魔導だよ。この甲板に吹く風の90%をカットしつつ,結界の外には出られないようにしてある。あまり強固なものではないけどな。


 考えてもみなよ,こんな上空で観光客に自由行動を許すってなって,結界のひとつも張らないわけないだろう?」


「あぁ……まぁ,確かに。それもそうですね」


「ま,最初はなかったらしいけどね」


「え?」


「あっはははは!にしても,その恰好を見るに……いいところの召使さんかな?」


「え,あ,はい……そうですけど」


“最初はなかった”の言葉を受け止め切らない間にジェットコースターのような話題の切り替えを起こしてくる男性。偶然聞き取れた単語に反応するのが精いっぱいだ。


「素晴らしい。よもやこんなところで偶然元メタヴィアス公国貴族の召使さんに会えるとは。お近づきのしるしに,ひとつ花でもいかがかな」


 そう言うと,彼は胸ポケットから一輪のバラを取り出し渡してくる。思った以上に優雅な所作だ。


「あぁ,はい。ありがとうございま……きゃぁあっ!?」


「キシャーーーーーーーーッ!」


 しかしそれを受取ろうとした刹那,花弁が一瞬で形態変化して真っ赤な鳥のような姿に変化する。バラの花が変化しているため見てくれ自体は可愛らしいが,大きく開いた口には鋭い牙が生えそろい,噛みつかれたらただでは済まないだろうことが一目でわかる。


「あっはははははは!どうだい?俺のペットのバラドリーナちゃんだ。ほら,この翼の部分とか,かわいいだろう?」


「っ……!もう!なんなんですかあなたはっ!!って,あれ?」


 ばくばく鳴りやまない心臓をなだめながら睨みつけると,今さっきまで目の前にいたはずの彼の姿が見当たらない。


「まぁ落ち着きなって♪」


「うわぁあ!?」


 声が聞こえたのは真後ろから,それも耳に息がかかるくらいの超絶至近距離。慌てて飛びのくと,そこには椅子に座ってやたらと優雅に紅茶を楽しむ彼の姿。その小さなマグカップは一体どこに隠し持っていたのだろうか。


「快適な空の旅を楽しむには,肩ひじ張らずにリラックスしなきゃ。ほら,紅茶のむ?」


「いりません!!誰のせいでこうなってると思ってるんですか!!」


「あっははは!怒らないでくれよ~,ちょっとした茶目っ気だろ?」


 彼はウィンクしながらけらけら笑っている。こんなにも殴り飛ばしたくなる笑顔を見るのは初めてだ。


「ま,これ以上ちょっかい出しちゃうと小さな君の主に怒られちゃいそうだからね。お兄さんはここらへんで退散するとしようか。またの機会に会えるといいね~」


「は?ちょ,ちょっと待ちな……!?」


 彼を掴もうとした手が空を切る。一瞬で彼が目の前から跡形もなく消えたという事実を私の脳が認識したのは,役割のなくなった腕が重力に従って落ちてからだった。


「……な……なんだったの,あの人……?」


 彼と出会っていた時間はきっと5分にも満たなかっただろう。だが私の身体は,軽く数時間分の仕事をした後くらい疲れていた。


「……はぁ。せっかくの爽やかな気分が台無し。こんな調子でカトラ様の元には戻れないわ……」


 自然とため息が漏れる。とりあえず一旦休もう,そう思った私は,目の前にある椅子にどさっと座り込む。


その瞬間,さっきまであの男性の体重を支えていた筈の椅子がぐしゃっと崩れる。


「え?……ぎゃん!!?」


 そのまましたたかにおしりを甲板に打ち付け,女として恥ずかしすぎる悲鳴を上げてしまう。


 何が起こったのか全く理解が追い付かず,反射的に椅子の残骸に手を伸ばす。


「……これ……紙……?」


 間違えようもない。さっきまであの男性が座っていて,今私が残骸を握っている椅子は,まごうことなき紙製だった。


 ぷつん……と,心の中で糸のような何かが切れる音がした。


「なんなんですか!!あの人はーーーーーーーーーーーーーーーー!!」


 私の力の限りの絶叫は,青空に虚しく溶け,消えていった。


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