5発目 英霊オネイロス
「カトラ様,ミーア様のお二人ですね。パレゾイック工房の所長様より話は聞いています。私支配人を務めさせていただいております,アイワスと申します。お部屋へご案内いたしますので,どうぞこちらへ」
「ああ,感謝する」
ほどなくして夕刻になり,訪れたのはメルトロン市北西の宿,ウェストミンストンホテル。
“パレゾイック工房”とは,シャルル氏の言っていた大規模な魔具装具組合の本社のことであり,このホテルよりも更に西へ進み,マル・タンボ火山帯へと続く森林のすぐそばに建設された巨大なドーム状の施設だ。
優秀な素材の取れる火山帯のすぐ近くという職人的な利便性と引き換えに,街から大きく外れているという生活的な利便性を失っており,それを解消するためにこのホテルと提携関係を結んでいるのだとか。
昇降機が止まり,通されたのは最上階の一番奥。窓からはマル・タンボ火山帯へと続く森林を見ることができる大部屋だ。人が4~5人列になって寝転がってもなお余るほどの広さで,一目でトップクラスの待遇が為されていると理解できた。
「民宿というものを利用するのは初めてだが……なるほど,部屋自体は質素なものの,手入れが行き届いている。寝具の質も悪くない」
「お厳しいですねカトラ様。民宿ということを鑑みれば,この部屋はかなり豪奢な部類ですよ。恐らく要人・賓客用です。一般庶民にはとても手が届くようなものではないでしょうね」
「そうだったか。まぁ,この崇高なるカトラ・フローリアに適当な部屋であることに変わりはない。称賛しよう」
「光栄にございます。ルームサービスのご利用は,こちらの操作盤から。あちらのポータルからは,メルトロン駅やお役所のみならず,隣のパレゾイック工房の受付にも転移が可能となっております」
「それは助かる。現状最も信頼できる護身具が手元にない状態だからな。即席で装備を整えるのにはうってつけだろう」
「その他お困りごとなどございましたら,こちらの内伝を用いてご連絡ください。すぐにポータルより係の者が参ります」
一通りの説明を終えると,アイワス氏は恭しく一礼をし,部屋を後にした。
「さて。おまえは英霊オイネロスとの交信があるんだったな。それはどこで行われるんだ」
「彼は境界の審判者にして夢を司る英霊にございます。すなわち,その交信も夢を介して行われます」
「なるほど。なら,私はその間に予備の銃の調達と整備をしておく。お前は早めに寝て,オイネロスのもとに行ってきなさい」
「畏まりました。それでは,お先に失礼いたします」
カトラ様のご厚意に感謝し,私はシャワーと就寝の準備を始めた。
「……んっ……ここは……」
眼を開ける。真っ白で何も見えない。
いや……光っている?
周囲のあらゆるものが輝いているのだろうか。
意識はあるものの,手足の感覚はない。ここにあるのは,私の意識のみ。
それでも,無いはずの瞼で瞬きをする。そうだ。
この空間には,物理的な“境界”は存在しない。自らの認知によって,意識に映る虚像が決定するのだ。
「名乗レ」
声が聞こえる。それとともに,顔を上げた私の目の前にその輪郭が見え始めた。
金属質と生物質の翼が,それぞれ1対,4枚。
白銀色に輝く甲冑。
頭部に耀く円環。
そのお姿は,既存のあらゆる生物・非生物の形質を内包しつつ排除する,そのうえで美しさと神々しさを昇華させたようであった。
英霊族……それは,天界に住まう超越魔導生物・神によって造られた特別な生命体。
神と同じく「人間たちの信仰によって発揮できる権能の強さが変動する」という血統能力を種族全体持っており,信仰の弱い神から造られた英霊はほとんど妖精族と変わらないレベルでありながら,今この地上界で最も強力な信仰の力を得ている天上神・アイテール様によって造られている英霊であるオネイロス様は,これほどの強大な権能と神威を持っている。そんな,脆弱さと共に無限の可能性を秘めた魔導生物である。
もっとも,アイテール様がそれだけの信仰を獲得できたのも,500年前……“冥望異変”と呼ばれる最大最悪の大異変の中心地であったグラーシア大公国にて信仰されていた神であり,冥望異変によって荒廃した4つの世界の秩序を取り戻すことに最も貢献してくださったから……という理由があるのだが。
「ミーア・フローリア。霊獣族,形質ヒト」
「目的ハ」
「魔界の門,閉鎖の許可。」
「場所ハ」
「地上界,メタヴィアス公国。メルトロン市,マル・タンボ火山帯」
淡々と言い渡される問いかけに,こちらも淡々と答えていく。
余計なことが喋れない。私自身の深層意識とも呼ぶべき場所が,自然と言葉を選択しているのだ。非常に不思議な感覚である。
一通りのやり取りを終えると,オネイロス様からの言葉がふと止まる。
何だろう,場所の特定に時間がかかっているのだろうか?それとも,火竜族の出現は実は門とは別の要因があり,実際に門があるわけではない……?
そんなことを思っていると,オネイロス様の声が響く。
「恐ラク……ソノ門ハ,我ガ権能ノミデハ閉鎖スル事ハデキナイ」
「えっ……?」
どういうことだろうか。
“その門”と指定しているということは,あるにはあるのだろう。
だが,それを封鎖できないというのは何故なのか。
「門ノ確認ニハ成功シタ。ガ,特殊ナ結界を用イテソノ形状ガ維持サレテイル。ソノ外的影響ヲ遮断デキレバ,今カラ渡ス刻印ニヨッテ閉鎖ガ可能ニナルダロウ」
早期越えた直後,右手の甲に意識が発生する。
見ると,そこに幾何学的な模様の魔導刻印が形成されているのが認知できた。
「刻印ハ渡シタ。外力ノ解決法ニ関シテハ我ガ権能ノ範囲外ユエ,個人デ解決セヨ。他ノ懸念ガアレバ言エ」
「……恐らく問題ありません。私の目的はすべて達成しました」
「良。」
短い返答を返すと,意識が遠のく。
オネイロス様のお姿や周りの景色も,徐々にその輪郭を失っていく。
私はそのまま,眠りの世界へ戻っていった。
「んんぅ……」
目を醒ます。外は赤く色づき,外が騒がしくなっている。朝だろうか。
時計を見ると,時刻は……深夜,夜明けと言うにはまだ早すぎる時間だ。
……赤く色づいて,騒がしくなっている!?
「か、カトラ様!?」
慌てて飛び起き,周囲を見渡す。
カトラ様のお姿は見えない。荷物の位置が変わっておらず,荒らされた形跡もないため,帰ってきていないのかもしれない。ではどこに?
まさかと思い,窓にとびついてカーテンを開ける。
そこに広がっていたのは,恐らく火山帯から降りてきた火竜達が引き起こしたのだろう……一部が大きく炎上している,工房傍の森林だった。




