第百五十三話
部屋の中に入ると僕はちょっとだけ「うっ」となるけどそれくらいで済む。エリシャはまた障壁を展開した。
「使徒様は凄いですね。この空間にいて何も影響が出ないなんて」
「いや、ちょっとはあるよ。あるけど、まあこんなもんかって感じかな」
「いや、こんなもんかって感じって…普通の人ならスレインさんのように気を失いますからね。動物ならすぐに魔物化してしまうと思いますよ」
「え?これって魔素だまりと一緒ってこと?」
「おそらく」
本当ならこんな風に会話していられない状況だそうだ。
そんなことより箱の中身だ。
あの箱の中のものが周りの魔素を引き寄せてこの状況になってるっていうのがエリシャの推測。
「これは…石?水晶?どっちにしても真っ黒だな。いてっ」
箱の中身に入っていたのは、真っ黒な石みたいなものだった。なんだか魔石に似てるかな?摘まもうとして指を近づけたら静電気が走ったみたいな痛みがあった。思わず手を引っ込める。
「大丈夫ですか!?不用意に触らないほうがいいですよ」
「ちょっと痛かったかな。でも持てなくはないな」
ぱちっとした痛みが来ることが分かっていれば我慢できる程度の痛みだ。もう一度、今度は手に持ってみる。
「大丈夫ですか?何ともありませんか?」
「うん。ちょっとピリピリするけど大丈夫。うーん魔石とは違って透けてないんだ」
エリシャは僕を心配しているようだが、近寄ってこない。近寄ることができないのかな?
掌にのせたまま目線の高さまで持ってきてよく見てみる。ただの真っ黒な石?でも周りが黒く輝いているように見える。黒く輝くって変な表現だけど、そうとしか言いようがない。
「これ、どうしよう?」
「どうしようとは?」
「いや、このまま箱に戻して外に持っていくか、壊すか」
証拠の品ということなら持って帰りたいけど、外に持ち出してフルテームの街に影響があったら嫌だしなぁ。できればここで壊しておきたい。
「難しいところですね。わたしとしては持ち帰って王都の大神殿に送りたいところですが、使徒様の言うようにここで破壊してしまった方がいいかとも思います。ですが、壊せますか、これ?」
「うーん、多分?」
石を摘まんだ指先で神聖力を循環させてやればいけそうな感じがするんだよな。
「ま、やってみて駄目だったら箱に入れてリュックに放り込んで王都まで行けばいいか」
「使徒様にお任せします」
「それじゃあやってみるね」
石を摘まんだまま神聖力が体の中から指先に循環するように意識する。
「うわっ」
「きゃあ」
意識したとたん、石が一瞬金色に輝いて、ぱんっと音を立てて砕け散った。
「び、びっくりしたぁ」
「何が起こったんでしょうか…」
「許容量を超えたのかなぁ?一瞬金色に光ったように見えたけど」
「そういえば、部屋の雰囲気が普通に戻りましたね。息苦しさが全くなくなりました。黒い石が無くなったからでしょうか」
「ほんとだ」
僕とエリシャは黒い石が入っていた箱だけを持って一階に戻る。
「あ、お帰りなさい。どうでした?」
いち早くニーナが気が付いてこっちに駆け寄ってくる。
「ただいま。この箱の中に黒い石が入っててね、どうやらそれが魔素を集めて魔素だまりを作っていたみたいだ」
「それを使徒様が壊してくださったのでもう心配はないですよ」
「そうだったんですね。こちらは変わりないですね。スレインさんはまだ寝たままです」
「魔素だまりを作ってたって…じゃあ町の人たちはどうなったの?」
「あ…」
タニアに言われて気が付いたけど、魔素だまりにいた動物は魔物化するんだよな。人も例外じゃなかったはずだ。
「まずいかな?」
「その可能性はありますが、人は動物より抵抗力があるはずなのですぐには魔物になることはありません。どこかに避難しているだけならいいのですが…」
「とにかくスレインが気が付くのを待ってみようか」
「わたし、回復魔法をかけてみますね」
エリシャが回復魔法をスレインに発動したら、気が付いたようだ。
「う…」
「スレイン、大丈夫か」
「ここ…は………はっ!」
最初は焦点が合っていなかったが、目に力が戻るとがばっと起き上がった。
「うあ…」
「いきなり動いては駄目です。あなたは魔素だまりの中に倒れていたんです。暫くは動かないほうがいいですよ」
「スレイン、わかるか?リュウジだ。そのままでいいからライルたちのことを教えてくれないか?」
いきなり動いて眩暈でも起こしたのかまた横になるスレイン。
エリシャの言葉に頷き、僕が声をかけるとこっちを見たと思ったら、手を掴まれた。
「リュウジ!よかった、来てくれたか!俺以外の奴らはこの町から半日くらい先の森の中で隠れているはずだ。ライルがやられて…あの黒いやつめ」
「何があった?」
「ああ、五日前くらいだったかな、皆でこの町の奥の森へ行ってみようってことになったんだ」
ライルたち暁の風は一週間ほど前からこの町の周辺で狩りをしていたそうだ。この辺りの魔物に十分対応できたことから町の奥の森へ向かった。
最初は順調だった。巨大な蟷螂も一体なら対処できた。俺達でも行ける。そう思った矢先だった。
その日二体目の蟷螂を倒した直後にもう一体蟷螂が現れた。俺が警戒していたにも関わらず突然現れた。しかも普通の色の蟷螂ではなく真っ黒だった。
黒い蟷螂はとても強く苦労したが何とか倒せた。魔石を取り出すと何とも嫌な感じがする真っ黒な魔石だった。こんな気味の悪い魔石はきっと買い取ってもらえないだろうから組合に提出することになり、混ざらないように箱に入れておき、町に帰ることにした。
それで、町に帰るその帰り道であいつに遭遇したんだ。そいつは、真っ黒な服に頭から二本の羊のような角を生やした男だった。
「すまないが、君たちが持っている黒い魔石を頂けないだろうか。あれは私のものなんだ」
黒い男はそう言ってライルの目の前にいつの間にか移動して、ライルの頭を軽く小突いたんだ。
そうしたらライルがいきなり崩れ落ちて、あいつの手にはあの魔石があったんだ。
「返してもらったよ。お礼にこれを渡しておこう」
何が起こったか把握できないうちに黒い石を渡されて、黒い男は消えるようにいなくなった。
俺は渡された黒い石を何も考えず箱に入れて、皆でライルを担いで町まで戻ってきたんだ。
ライルは気絶したようにぐったりしていて起きる気配がなかった。
町に戻ってこれたのは良かったんだが、様子がおかしいのはすぐに気が付いた。静かすぎたんだ。どの店に行っても誰もいない。宿屋もリュウジたちが見た通りだ。
誰もいない宿屋で一泊したが、次の日になってもライルは目覚めなかった。
何が起こっているかわからないが、何かがおかしいことは分かっていたから、事が起こった時の対応を皆で決めておくことにした。今日一日様子を見て何かが起こればガウラスたちはライルを連れて森に逃げること。俺は別行動で組合に報告すること。
その日の昼過ぎに突然あの男が現れた。
「あとは君たちだけか。町の人間は簡単だったんだがな。ふむ、やはり冒険者というのは扱いにくいな」
そして、指を鳴らしたと思ったら箱の蓋が勝手に開いてあの黒い石から気持ちの悪いものが溢れてきたんだ。
本能的に危険だとわかり、俺たちは決めた通りに動いた。俺たちだって鉄級の冒険者だ。行動は迅速だったよ。
それで俺は、何とかフルテームにたどり着き救援要請を出したんだ。
「それからすぐにここに戻って箱を確認しようと思って近づいたら意識を失ったんだ。戻らなきゃ良かったよ」
「そんなことがあったんだ…エリシャ、黒い羊角の男が魔人でいいのかな?」
「おそらくそうだと思います。スレインさん、組合にはこの話は?」
「したよ。調査の検討をしますって言ってたな。現物も無かったしこんな話いきなりされても普通は疑うだろ?検討してくれるだけでも有難いさ」
「ライルさんはまだ眠ったままなんでしょうか?」
「ああ、多分な。俺と同じ状態なら早く元に戻さないとまずくないか?」
ライルがどうやって昏倒させられたのかはわからないが、恐らく魔素でどうにかしたんだろう。ライルもスレインも魔素中毒ってことになるのか。
「そうですね。魔素が原因であれば、これ以上魔素に曝されなければそのうち気が付くと思いますが、ここは迷宮内なのでどうなるか予想できません」
「じゃあライルが魔物化する可能性もあるのか。早くあいつらのところに行こう。案内するから」
「駄目ですよ。スレインさんは暫く安静にしていてください」
「そうだよ。ライルたちを探すならあたしでも出来るからさ、ゆっくり休んでればいいよ」
「でも、ライルさんたちは森の中にいることがわかってますからいいんですが、町の人達ってどうなったんでしょうか」
「そうだな、スレインもどこに行ったか知らないんだよな」
スレインたちが帰ってきた時、すでに町の人はいなかったんだよな。
「ああ。足跡もわからなかったからな。この町の全員が動けば痕跡ははっきり残るはずだ。まさに神隠しだな」
「明日になったらみんな帰ってきてた、なんてことはないよなぁ」
「そんなわけないでしょ。でも、探すとしても手掛かりが無いのよねぇ」
どこに行ったか分からない町の人たちを探すのは後回しにして、取り合えずライルたちのことに集中するしかないか。
「町の人たちも心配ですが、そのライルさん?たちを探しにいったほうがいいと思います」
「そうだね。じゃあタニア、行ける?皆も大丈夫?」
「いいよ」
「待ってくれ、俺も行く」
いつの間にか机から降りて立っているスレイン。
「大丈夫ですか?まだ動かないほうがいいですよ。辛くないですか?」
「ああ、何とかな。足手纏いにはなるが、時間の短縮にはなる」
「んー…分かった。無理はするなよ。辛かったらすぐに言ってくれ」
「わかった。ありがとう」
スレインの荷物があの部屋にあったので、リュックサックに入れる。荷物が少ないのがうちのパーティのいいところだな。
ああそうだ、担架を作れるように棒を探してもらおう。
「ガルト、タニア、悪いんだけどさ、ガルトくらいの長さの棒を二本探してくれないか?」
「いいよ。何に使うの?」
「簡易だけど担架を作れるようにしたいと思ってね。棒二本と毛布が一枚あれば作ることができるんだ。背負って運ぶより楽に運べるからね」
「へぇー。わかった、探してくるよ。行こうガルト」
「わかった」
「スレイン、悪いが出発はちょっと待ってくれ」
「わかった。焦っても仕方がないからな」
幸い、タニアたちはすぐに帰ってきてくれた。
「これでいいんだよね?ガルトくらいの棒を二本」
「ありがとう」
「それでどうやったら担架になるんだ?」
「あ、私も知りたいです」
「じゃあちょっとやってみるね。まずは、毛布を敷いて…」
床の上に毛布を広げて敷き、毛布の長い辺と平行に二本の棒を一人分の幅を開けて置く。あとは毛布で棒を包めば出来上がりだ。
ここで一つポイントがある。包むときに内側になる毛布を反対側の棒にかけること。そうすると乗せたときに重さと摩擦で毛布が動かなくなる。
「これで出来上がりだよ。誰か寝てみて」
「俺がやろう」
ガルトが担架の上に寝てくれる。
「これで持ち上がるの?落ちない?」
「大丈夫だよ。重さと毛布の摩擦でずれなくなるからちゃんと持ち上がるよ。そっちをだれか持ちあげてくれる?」
「あたしやる!」
僕とタニアで頭側と足側の棒を持って持ち上げる。
「はい、いくよ。せーの」
「よっ!重っ!」
「おお!」
「ほんとに落ちないんだ」
ガルトは背が高いから足がはみ出ちゃうけど、持ち上げることが出来て移動もできる。
「四人で持てばもっと楽に移動できるからね。毛布がなかったら服三、四枚でもできるよ」
服の時は袖に棒を通せばいい。
「ライルを運ぶときに知ってたらなぁ。でも棒がないか…」
「丈夫な木の枝があればできるからね。本当は竹があればいいんだけどさ」
「竹?」
「うん、こう節のある真っすぐに伸びる植物だよ。まあ、またあとでね。さて、ライルたちを探しに行こう」
タニアたちのおかげで担架も作れたし、ライルたちを探して連れ帰らないとな。黒い男が気になるけど、会ったときに考えればいいか。敵だってことが分かってるから警戒だけはしておこう。




