第5話 我慢の限界と、完成の時
また時間が飛びます。
遠征…研究のための素材を集め世界を飛び回る日々が始まって、3年が経った。
予想以上の忙しさで、リカと顔を合わせるだけですら数か月に一回とかそのぐらいの単位になってしまっていたぐらいで…。
なんていうか、すごく寂しかった。
というかリカ成分が足りない。リカの顔を見て声を聴いて笑顔を向けられたい。楽しそうな笑顔なんて遠征に出る前の花畑で見たのが最後じゃないだろうか。
……切実に、リカと会いたい。
「クローバー、居る?」
……なんだろう、リカの声が聞こえてきた気がする…俺はいつの間に寝たんだ…?
「クローバー…?」
不安そうなリカの声に、なるようになれ、とドアを開けて。
「ああ、よかった」
にこにこと笑う、随分久しぶりに見たリカの姿に。
――どこか遠くで、ぷつ…とナニカが切れる音がした気がした。
「きゃっ!?」
リカの足を掬って、廊下に倒れた彼女の上に馬乗りになる。
「クローバー…!?」
「リカ、好きだ」
衝動に身を任せて告げて、唇を奪ってしまおうと顔を近づけて。
…恐れに揺れる瞳を、見てしまった。
「…っ」
息を呑んだのは、どちらだったのだろう。
ぴたりと動きを止めた俺に、不思議そうに彼女は瞬きして。
――そこで、ゴン!という鈍い音が俺を襲い、俺は意識を失った。
■
正直、演技を切らさなかった自分を褒めたい気分だ。
バニラの攻撃によって気絶したクローバーを見やって、あたしはそっと溜め息をついた。
今の出来事は、研究が終わった…つまり、あたしが不死の身体を得る事に成功した、という事で、しばらく会わずに距離を取っていたクローバーに会いに来たのが発端だ。
半身のようにずっと一緒に居たのを、突然年単位で引き離したのだ。いい感じに恋情が捻じれているのを期待したし、バニラの報告によれば事実その通りになっていたようだったのだけれど。
まさか、いきなり押し倒してくるとは…。
いや、一応計画の範疇内ではあった。でも、彼の忍耐力を考えれば、思いとどまると思っていたのだ。…お蔭で床にぶつけた頭が少し痛い。
まあ、キスの前にあたしの怖がるような演技で我に返ったようだし、結果オーライか。
むしろさっきの事を利用すれば、もっと忠実な駒になってくれるかもしれない。
これからの事に想いを馳せて、あたしは内心でひっそりと笑った。
■
あたしがクローバーに押し倒されてから1週間後。
「クローバー…あっ」
毎回毎回、声を掛けた瞬間に逃げ出され、あたしは困っていた。
バニラに頼むか、強引に捕まえて落ち着かせるか…。
「……わたしが」
悩んでいたらバニラが動き出したので、とりあえず彼女に任せる事にした。
「…聞いてきた」
「ええと…どうだった?」
すっ…と報告書を差し出され、相変わらずだなあ…と苦笑いしながらそれに目を通す。
『クロはリカと顔を合わせるとまた押し倒したくなりそうなのが不安らしい。我慢が良くないのもいまいち解っていない様子』
報告書の形式を取ってないとか珍しいな…と思いながら視線を滑らせると…。
『なので、主従関係を強調し欲情を治める事を提案しておいた。これからリカの事を、クロはあるじ、わたしはマスターと呼ぶ事にする』
と、予想外の報告でもって締めくくられていた。
………なんというか…斜め上の解決法だなあ…。
「…バニラもクローバーに付き合うの?」
おそるおそるバニラにそう問いかけると、バニラはこくり、と頷いて、『マスターがクロを好きなら、必要ないしやめるけど…そうじゃないなら、付き合う』と書かれた紙をあたしに見せた。
相変わらず、長文を喋る時は筆談を使うんだなあ…と、あたしは柄にもなく現実逃避しながら思ったのだった。
■
予想外の出来事でちょっと遠い目になったけど、よく考えればむしろ都合が良い方向だったのでよしとしよう。
…という訳で、クローバーを無暗に煽らないように気を付けつつ、あたしは一応通常運転に戻った。
それが崩れたのは、自室でゆっくりしようと居住区画を歩いていた時、クローバーと遭遇してしまった時だった。
……まあ、半分ぐらいはわざとなんだけど。
「「あっ」」
どうしよう、とクローバーの茶色の瞳が揺れるのがはっきりと見て取れる。
少なくとも今は、動揺が色濃いお蔭か、欲情とかはしていないようだ。
…チャンス、かな。
聖女モードを久しぶりに起動して、凛々しく、敢えて冷たく見えるようにしているように見えるように。
主従関係を強調して見せるように口調や表情を整えてから…静かに告げる。
「クローバー。あなたの主として命じます」
――ああ、ワクワクする
「従者として振る舞いなさい」
――思い通りに世界が動いて、計画が完了する、今この時が――
「あなた自身と私が許可を出すまで…あなたが今持っている恋情を表に出す事を、禁止します」
――最高に、ゾクゾクする
「それ、は…」
あたしの告げた言葉がようやく頭に染み込んできたのか、クローバーは呆然と声を漏らした。
「口答えは許しておりません。…いいですね?」
「――はい。ありがとうございます、我が主」
演技を崩さぬままダメ押しに強調すると、彼は恭順を示して頭を垂れた。
「茶番だけど…まあ、これで君の気が楽になったならいいかな」
「…やっぱ、り、さっきのはそういう事だったん、ですね」
つっかえつっかえ、あからさまに不慣れな様子で敬語を使うクローバーに、思わず、という様子であたしは笑って見せた。
「無理してまで敬語にしないでいいよ!…どうしても、っていうなら仕方ないけど…あたしは前のクローバーの方がいいな」
しゅん…とあざとく煽って見せる。「うっ…」と呻いた彼の様子からして、効果は抜群なようだ。
こんな事をした理由としては…先程の命令の効果を知りたかったのと、彼が敬語を使うのは違和感がありすぎる、という本音も…まあ少しは。
「あれは主、可愛くても仕えるべきご主人様、あれは主だから恋心を抱いてはいけない…」
そっぽを向いてぶつぶつとそんな事を呟くクローバーを観察して、命令の効力はちゃんとあるんだなあ、とこっそり感心した。
本人の意識を利用した単純な暗示だけど、あたしがやる分にはきっちり効くんだよねえ…。と言っても、様子からして過信は禁物みたいだけど。
補足
リカがクローバーに命じるシーンですが、魔法的なものではない、本当に単純な暗示です。具体的にどうと言われると作者は詳しくないので困りますが。
というか、元々クローバーもバニラも、懐刀というか側近として育てるつもりで教育してきてるので、こういう暗示とか洗脳とかを使うのは珍しくなかったりします。あと、奪われても困るので「リカ以外の洗脳・暗示は受け付けない」という洗脳を2人ともされていたり。