【三州統一編其の八】奈多の姫君
一月ほどして、大友屋敷で義鎮は義長の遺品として、血染めの十字架を受け取った。義長の死を哀れんだバテレン達が、密かに義鎮のもとにもたらしたものだった。義鎮は血の気をおさえかね、居並ぶ家臣団を前にして立ち上がった。
「いかがなされるご所存か」
大友家重臣戸次鑑連が義鎮に問うた。鑑連は若い頃雷に打たれた以来半身不随者だった。だが戦場では輿に乗って大軍を指揮し勇猛果敢に戦い、故に敵兵からは「雷の化身」として恐れられていた。
「知れたことよ晴英の弔い合戦じゃ、皆出陣の支度を急げ」
「しばしお待ちあれ殿、今毛利は最も勢いがあり戦をしかけても必ず勝てるとは限りませぬ。時を待てば毛利元就を快く思わぬ者が、必ずや我等に味方しましょう。その時こそ決戦の時と存じまする」
この時すでに、毛利と大友の間には密約が成立していた。大内家の領土は周防・長門・それに海をまたいで筑前・豊前と四カ国からなっていた。もし大友家が、毛利方と大内家の争いに介入しないなら、大内領のうち九州側の二カ国の支配は大友家に任せるというのである。だが生来激情しやすい義鎮は腸が煮えくりかえるような思いを、どうすることもできなかった。
「黙れ! そなた達の諫言を聞いて晴英を見殺しにしたわしが愚かであった。そち達がいかぬと申すならわし一人でもゆく。止めても無駄じゃ」
「なりませぬぞ!」
鑑連は脇差しを逆さにして床を叩いた。
「恐れながら、それがしも鑑連殿と同じ意見でござりまする」
口を開いたのは同じく、大友家重臣吉弘鑑理だった。
「今我等毛利と戦えば、例え勝つにしても多くの犠牲払うことになりましょう。さすれば筑前の秋月を始め我等に反感をもつ豪族、勇んで豊後を侵すは必定。ここは毛利と表向きは事を穏便に進めるが肝要かと」
重臣たちの諌めにようやく我にかえった義鎮は、血染めの十字架を強く床に叩きつけた。
同じ年の六月、筑前の豪族秋月文種が古処山城で反大友の籏をあげた。ほぼ相前後して高祖山城の原田隆種や筑紫惟門・広門父子等も一斉に挙兵。いずれも毛利元就の誘いによるものだった。大友義鎮はただちに戸次鑑連を総大将とし、臼杵鑑速・吉弘鑑理・志賀親度・田北鑑生等およそ二万の軍勢を筑前に派兵した。大友軍の勢いは凄まじく、古処山城はわずか五日で陥落。秋月文種は自害して果て、乱はまたたく間に鎮圧された。
乱の後大友家の勢力は、豊後から豊前・肥前・肥後・筑前・筑後にまで及んだ。だがこの時すでに、大友家の行末には暗雲が漂い始めていた。同じ年の暮れのことだった。
「殿、お待ちあれ」
小姓が止めるのも聞かず、義鎮はすさまじい勢いで、大友館の奈多姫の部屋の扉をこじ開けた。奈多姫はちょうど猫を膝に抱き、たわむれている最中だった。
「まあ殿いかがなされましたか早朝から?」
奈多姫は義鎮が興奮している様を、まるであざ笑うかのようにたずねた。
「とぼけても無駄じゃ、昨日わしが安岐を匿っていた屋敷に火を放ったのは、そなたの手の者であろう」
「それはそれは一大事にござりまするな。して安岐とかいう女子はいかがなされましたか」
「死んだ。そなたの手の者が屋敷を燃やしたのであろう。確かにそなたに何も申さず他の女と関係もったはわしの不徳。されどなぜそこまでする必要がある」
「私は、あの安岐とかいう女子を救ってやったのでござりまする。憎き仇である殿に夜毎辱めを受けること、女子にとっていかほどの苦しみか、殿にはわかりますまい。むろん殿が自らまいた種にござりますれば、私に罪はござりませぬ」
奈多姫はあいかわらず猫の首をなでながら答えた。
「だまれ! 一国の主たるもの血を絶やさぬのも大事なつとめ、何人妻を持とうと、そなたの知ったことではない」
「左様でござりまするか。ならば殿は南蛮国の掟では、他人の夫を奪った女は火炙りにするというをご存知か。私は南蛮の坊主達のいう掟に従ったまで」
奈多神宮の祭祀の娘として育った奈多姫は、以前から義鎮が南蛮の怪しげな神に心奪われる様子を快く思っていなかった。
「己……顔は美しいが鬼のような心をもった女子よ……もう許せぬ、もう我慢ならん!」
義鎮は両の拳を強く握りしめた。
「ほほほ私を離縁されるとでも、よもやお忘れではありますまい。あの南蛮坊主達の教えが、夫婦が別れること固くいましめておるのを」
「だまれ! そなたの顔など二度と見とうない。下がれ、下がらんか!」
奈多姫が里に帰されたのは間もなくのことだった。
南北に延々と続く玄界灘の青い海、白砂青松のみごとな松林、その間に広がる金色に輝く砂浜、奈多海岸のほぼ中央に、神亀六年(七二九年)に創建されたと伝えられる八幡奈多宮があった。八幡奈多宮は当時の有力氏族「宇佐氏」によって創祀されたといわれている。もっと古くは、この地方の豪族の祭祀した「祠」(ほこら)が、原形であったともいわれている。いずれにせよ室町期には禅僧で水墨画で有名な雪舟が、風景の見事さに驚き、自らの筆で描くことをためらったといわれるほどの絶景の地に八幡奈多宮があった。海岸の沖合いには「市杵島」という小さな島があり、天孫降臨の際の三十二神のうち三女神の一人「市杵姫命」が漂着したという伝説もある。
奈多姫は大友屋敷を追い出されて以降、屋敷で悶々の日々を送っていた。ある夜のこと、屋敷につとめている与禄という名の十五歳の若侍が、奈多姫に呼ばれた。
「お呼びでござりますか」
「ようきた近こう寄れ」
奈多姫はちょうど簪で艶やかな黒髪を一本、一本とかしているところだった。透き通った肌に三十路を越えていながらも幼女のような妖しさ、そして狐火のような眼光。じっと見つめていると幻惑されそうな奈多姫の容色である。
「もうそっと近こうにくるのじゃ」
与禄はいわれたとおり奈多姫の眼前まで寄った。不意に姫の細い手が与禄の腕をつかみ胸元へ誘った。
「そなたは美童じゃのう。どうじゃ今宵一晩限りわらわの相手をせんか」
「なにをなされまする。ご容赦を」
「容赦せぬといったらいかがする。今すぐ人を呼んで、そなたがわらわに不埒な行いに及ぼうとしたと申してもよいのじゃぞ」
与禄は無力になった。もちろん無理に誘いを断れば、手打ちも覚悟しなければならないだろう。だがそれだけではない。姫の香が与禄を淫らな世界へ引きこみ、放さなかったのである。与禄は姫の肢体を受けとめ、最初かすかに震え、やがて歓喜の声をあげた。
一月もすると、義鎮から許しがでて、奈多姫は府中の大友館へ戻った。だが後に宣教師をして悪女イザベルの再来といわしめる奈多姫と、義鎮の世にも複雑な夫婦関係は、やがて大友家を真っ二つに引き裂くことになるのである。