【三州統一編其の五】苦い勝利
初陣における忠平の戦功にはめざましいものがあった。九月二十一日には敵方の船数十艘を拿捕し、その後も戦場で勇猛さを如何なく発揮した。
「忠平、こたびのおまんの戦の采配まっこと見事、ほめてとらすぞ」
九月三十日、忠平の陣をおとずれた忠良は、珍しく孫の忠平を誉めた。
「はっ恐悦至極にござりまする」
「そなたはほんのこて鎧甲冑姿がよく似合う、ひょっとしたらおまんは、戦するために生まれたきたのかもしれんなあ。わしが初陣の時でさえ死を恐れることはあったが、おまんには戦に対する恐れなきようじゃな」
すると忠平はかすかに首を振った。
「いや、おいとて戦にのぞむにあたり、死を恐れることはござりました。されど今は違いもうす。戦場にて敵の足軽、小者がまるで鹿や猪など狩猟の獲物のごとく思えまする。ほんのこて戦場にて、敵の首取ることが愉快に思えて仕方ごわはん」
「なんと敵の足軽、小者が狩猟の獲物のごとくとな」
かすかに忠良の表情が険しくなった。
「忠平! 我等が戦するは多くの家臣、領民守るため詮なき仕儀と心得よ。かように心得違いいたしておれば、いつか戦にて神仏の心得るは難しくなろう。よいか敵兵一人殺すにあたり、その者の一族他、多くの者の恨み買うこと決して忘れるな」
忠平は思わぬ忠良の叱責に、忠良が立ち去った後も、しばし呆然とするより他なかった。
十月二日、かねてからの島津側の狙い通り、蒲生範清はついに加治木城攻囲をあきらめ、岩剣城へと押し寄せた。蒲生及び祁答院の軍勢は、思川を押し渡り池嶋あたりに二手に別れて布陣する。対する島津軍も二手に分かれた。
祁答院の軍と相対するのは島津忠将及び忠平を中心とする部隊である。この日の忠平はまさに鬼であった。若さ故か、忠良の自らに対する叱責は、そのまま敵兵に対する憎悪と化した。かって柔弱な御曹司といわれた忠平は、敵兵を震撼させる鬼武者へと変貌したのである。
一方、蒲生の軍勢と対峙したのは伊集院忠朗の軍を主力とする部隊である。島津義辰、歳久の兄弟の姿もあった。蒲生軍の中で一際目立ったのは、自ら龍雲斎と名乗る豪傑だった。身の丈六尺(約百八十センチ)はゆうに越え、坊主頭に鋭い眼光、胴回りには討ち取った島津兵の首を十数個ぶらさげている。島津軍は龍雲斎一人のため翻弄され、苦戦を余儀なくされた。
「ええい、なにをしておる。龍雲斎おいは島津歳久じゃ神妙に勝負せよ」
歳久もまた若さ故の気負いなのか、義辰が止めるのも聞かず龍雲斎を自らの手で討ち取ろうとした。
「ほう敵の御曹司か、おはんの首ももらいうけるとするか」
龍雲斎は通常の倍はある巨大な弓矢を引き絞り、歳久めがけて発射する。矢は歳久の右肩を貫通し、鮮血とともに落馬した。かろうじて立ち上がった歳久であったが、出血と落馬の際頭を強打した影響で意識が朦朧とした。血の靄の中戦場という地獄絵図が、先刻来より一層鮮明に歳久の前に浮かび上がった。頭の皮がえぐれて頭蓋骨が露出した遺体、胸を切りつけられ骨がむき出しになりながらも、かすかに息をしている者。
「敵の御曹司討ち取った」
龍雲斎は歳久目がけて高々と槍を振り上げる。その時歳久に助太刀に入ったのは義辰だった。
「己、兄弟まとめて討ち果たしてくれる」
龍雲斎と義辰は渡り合うこと数合、だがさすがの義辰も腕力では龍雲斎に及ばない。槍を真っ二つに折られもはやこれまでと観念した時だった。戦場に地鳴りのような音が轟いた。同時に龍雲斎の巨体はゆっくりと地に倒れていく。義辰を救ったのは伊集院忠朗配下の鉄砲の名人だった。
歳久を引きずるようにして陣に戻ってきた義辰の前に、日新斎忠良が厳しい目をして立ちはだかっていた。
「何故、将の身でありながら敵の雑兵に等しき者と一騎打ちなどした。申したはずだ将は軽々しく動くものではないと」
「ならば叔父上は弟を見捨てろと」
「義辰おまんは将だ、将が死ねば一族、郎党皆路頭に迷う。例え弟であろうと足軽であろうと、そなたにとって家来であることに変わりはないはず」
忠良の言葉に義辰は唇を強く噛んだ。
戦闘は時間の経過とともに数に勝る島津軍優位となる。思川を背にした祁答院、蒲生勢は川岸まで追い詰められると非常な混乱の様相を呈した。
「今が好機ぞ押しだせい」
総大将貴久は大号令とともに旗本衆を池嶋まで前進させる。祁答院、蒲生勢は半ば総崩れとなり、島津勢の総攻撃は思川を渡ってなおも続けられた。祁答院良重の嫡子重経も討ち死にし、戦の帰趨はほぼ決した。その夜岩剣城は島津軍によって幾重にも包囲され、煌々たる松明の火が城の命数を予期していた。
「恐れながら申し上げます。すでに本丸に火がかけられた由、祁答院良重はじめ敵の重立った者は山を降って逃走中とのことでごわす。追い討ちをかけもんすか」
義辰の使者からの伝令に対しに貴久は、
「よか、もう夜も更けた故追い討ちはまかりならんど。逃げる敵はほうっておけばよか、そいより明朝期しておい達は城を押さえる。そう義辰に伝えるがよい」
と敵兵への追い討ちよりも、城の占領を優先させる旨を伝えた。
翌卯の刻(午前六時頃)、忠平は先兵として岩剣城に乗りこむ準備に忙殺されていた。
「若殿あれをごらん下され」
忠将が岩剣城の断崖に面した険しい斜面を指さした。
「やや、あれはもしや敵方の女達か、さてこそは城に置き去りにされたか、いったいなんば始めるつもりじゃ」
女達は列をなして断崖絶壁の方へ向かっていく。島津軍の将兵達の間にどよめきがおこった。
「もしや我等に捕らわれの身となることを恥じて自害するつもりか、いかん忠将女達を止めよ」
だがもう遅かった。女達は次から次へと断崖から身を投じて無残な肉塊と化した。やがて最後の一人となった時、かすかに東の空から陽光がさしこもうとしていた。
「あれは確か、祁答院義重の最も寵愛していた側目ではあるまいか」
島津軍の事情通の者がかすかに噂した。
「やめい、死に急ぐことはなか」
夫人は死を前にして、かすかに島津側の陣の方角を見た。忠平はそこに明確な敗者の憎悪と怨念を読みとった。
やがて夫人は手を合わせ何事か祈ると、陽光に吸いこまれるように奈落の底へと姿を消してしまった。
その日夕刻、忠平は女達が身を投げた断崖の方を眺め、しばしもの思いにふけっていた。
「なんじゃ忠平こげんところにおったのか。いつまでも死んでいったもんのことば悔やんでも致し方なか、こいが戦というもんじゃ」
「そいじゃっと戦に関わりなき女、子供までもが死に急ぐ様は見るに絶えもうはん」
「忠平、おまんはやはり優しか男じゃ、それでええ、おまんはそれでええ。じゃがおいはこいから鬼になろうち思う」
「鬼?」
「おいは島津の家、家臣、領民守るため、いかな犠牲をば覚悟するっちゅうことじゃ。忠平、それに歳久にも死んでもらうやもしれぬ。忠平おいのために命捨ててくれるか」
すると忠平は義辰の前にひざまずき、
「家臣として、こいから兄上にために身命をば捧げもうす」
と忠義の心を固く誓った。
島津家には、忠良の代から戦の後、敵味方関わりなく死者を供養する儀式があった。そして忠平もまた戦場で勇猛であるばかりでなく、常に慈悲の心をもった名将として成長していくのである。