【九州三国編最終章】丹生島城攻防戦
丹生島城は、東西約四百二十メートル、南北約百メートル。大分へは六ヶ追、津久見へは津久見峠、東方へは豊後水道と三方を自然の要害で守られた、海上に浮かぶ巨大な要塞である。
今、この丹生島城が大友、島津最後の決戦の舞台になろうとしていた。
島津家久は、白浜重政と野村文綱の二人に二千の軍勢を与え、丹生島城に進出させていた。島津勢来るの報に、教会では緊急を知らせる鐘が乱打される。慌てて家財道具をまとめ逃亡を図る者もあり、城下は騒然となった。
こうした中、夜陰密かに丹生島城を落ちのびようとする、二つの人影あった。一人は大友宗麟の三人目の正夫人ジュリァ、そしてもう一人は、なんと宗麟自身であった。
宗麟は、すでに戦国大名としての気概を失っていた。迫りくる島津勢と戦う意思もなく、かって前夫人奈多姫が自らを呪詛したことに衝撃を受け、一人城から出奔した時のように、今度は新たな妻を道連れに、城から逃げのびようと図ったのである。
星灯りだけを頼りに、二つの影はひたすら道を急いだ。やがて夫人は足をくじき歩けなくなるが、宗麟が背負ってかまわず走り続けた。やがて一件の廃屋があった。宗麟は足を挫いた妻のため水を組んできた。自ら夫人の足に手を触れようとした時だった。夫人は突然宗麟の手をはねのけた。
「おやめくだされ、かようなこと、大友家の主だった方のするべきことではございませぬ」
かって宗麟の前夫人奈多姫の侍女であり、また間諜でもあったジュリァは、瞬時表情を険しくした。
夜の静けさに、冬の寒気が一段と厳しさを増し、人影一つない不気味な闇の沈黙の中、宗麟は夫人が十字架を切り、月に祈る光景を間のあたりにする。
結局行くあてなどあろうはずもなく、両者は空しく城に戻ってきた。だが将兵達にとり、もはや宗麟がいようといまいと、どうでもいいことだった。事実宗麟は城に戻って来た後も、一室に設けた礼拝堂に籠もり、自ら島津兵を防ぐため指揮をとろうとはしなかったのである。
島津勢は城に迫っていた。島津家では、将兵の略奪、婦女子に対する暴行等は軍規により固く禁じられていた。だがいかに厳格な掟も、時として末端の兵士の欲望を抑えきれない時もある。城下の至るところで、女、子供、老人等の非戦闘員が無意味な殺戮の犠牲となる光景が目撃される。そして暴徒と化した島津兵の一部が、事もあろうに、礼拝に訪れていた宗麟夫人の籠もる教会へと襲いかかったのである。
「おらー誰かおらぬか、よか、おごじょ(女性のこと)はおらんか!」
島津兵の叫ぶ声は、イエス像の前にひざまずいていた多くの老若男女を、たちまちのうちに恐怖と混乱におとしいれた。やがて島津兵達は鎧・甲冑の音とともに教会に乱入する。
「オヤメクダサレ、ココニハ弱い人間バカリデス、殺サナイデクダサイ」
南蛮人らしき宣教師が、島津兵の前にひざまずき助けを求めたが、一刀のもとに切り捨てられてしまう。勢いにのった島津兵はもう止められなかった。目につく者すべてを切り捨て、壁にかかった絵もずたずたにされ、イエス像までもが破壊された。やがて島津兵は、教会の奥まった一室で小さなマリア像に祈りを捧げる、一人の夫人を発見する。宗麟の夫人ジュリァだった。
「おい女がいるぞ、しかもなかなかべっぴんな、おごじょじゃなかか」
女と聞いて、兵士達がどやどやと集まってきた。
「なんばしちょるこげなところで、おい達と、よかことでもせんか」
兵士達は口々に宗麟夫人をあおったが、夫人はかまわず祈りを続けた。
「なんとかいわぬか、ああ!」
一人の兵士が声を荒げた時だった。不意に夫人は隠しもっていた刃で、兵士を刺しつらぬこうとした。
「おお、こいはまた気が強かおごじょじゃなかか」
夫人の抵抗は兵士をさらに刺激した。
「静かにせんかい! 殺すぞ!」
兵士が刀を突きつけた時、悲劇はおこった。夫人は自ら突きつけられた刀を、喉元に押しあてたのである。鮮血がゆっくりと地に滴り落ちた。
夫人にしてみれば、切支丹は自殺を禁じられているため、形だけでも他殺として、自らの生涯に終止符を打ったのであった。
夫人は変わり果てた姿で、宗麟のもとへ戻ってきた。宗麟はかすかに嗚咽し、震える手で冷たくなった夫人の手に、十字架をしっかりと握らせた。
「恐れながら、悲しんでばかりいる時ではござりませんぞ。島津兵が迫っております。我等ももはやこれまでかもしれませぬ」
重臣吉岡甚吉が、宗麟に覚悟を促した。
「わしに自害でもせよと申すか。いや、まだだ、わしにはまだやらねばならぬことがある。国崩しを用意せよ」
「なんと仰せられた?」
「女、子供、老人等戦できぬ者すべてを城の中に収容せよ。島津に、神の威光のなんたるかを示す」
その時甚吉は、宗麟の目に戦国大名の闘志を再び見た。
「かしこまりました!」
一方島津勢は、平清水口に本陣を置いていた。時を置かず島津軍の総攻撃は開始された。だが宗麟自ら城壁の前に姿を現わしたことに、大友軍の将兵は奮いたった。
『こげな城、一気にもみ潰せ!』
殺到する島津軍、だがその時南蛮渡来の国崩し砲が、突如として火を噴いた。一撃目は島津軍の密集する地点の松の大木に命中し、倒れた松の木の下敷きとなり、多くの島津兵が死傷する。二発目、三発目、国崩し砲が炸裂する度砂塵がおこり、人馬共に宙天高く舞った。直撃を受けた兵士は瞬時にして肉塊と化す。
島津方の陣地は各所で火に包まれ、兵士達が火消しに追われることとなる。丸十字の旗差しが倒れ、島津方には丹生島の要塞そのものが、味方を呑みつくす一個の怪物にさえ思えた。
『命を惜しむな、名こそ惜しめ』
この機を逃さず、古庄丹後入道 、葛西 周防入道 等は城から打って出て、莵居島の島津軍と一戦を交える。城の南西側の丘陵にある 仁王座口では、吉岡甚吉、利光彦兵衛尉、吉田一祐らが奮戦し敵を退散させる。
天徳寺(旧姓柴田)礼農、統勝父子は、島津方に寝返った柴田紹安と同族で、そのため一時は謀反の疑いすらかけられた。礼農父子は汚名返上のため、島津軍を討つため臼杵鎮順らと平清水に出撃する。礼農は銃弾が数発貫通してもなお阿修羅のように奮戦し、やがて壮絶な討ち死にを遂げた。父の死を知り、統勝もまたとって返し若い命を散らせた。
やがて、にわかに天空が暗くなり、激しい雨が降りだす。雷光が天を裂き、ついには島津兵の密集する地点に落雷が直撃する。島津軍は大砲ばかりか、落雷にまで苦しめられることとなった。再び島津方の陣は各所で炎上した。
宗麟は瞬時どす黒い天を仰ぎ見た。そしてそこに奇妙な光景を見た。
『ようやく悟りの境地に達せられましたかな殿……。いや今は切支丹、悟りなどと申してはいけませぬかな?』
「道雪よ、わしがそなたの諌めをもう少し聞いておれば、このようなことには……」
かすかに陽の光が暗雲の間から差し込んだ時だった。不意に宗麟は軽いめまいを覚え、たちまちのうちに意識が混濁した。手にしていた刀が鈍い音をたてると同時に、宗麟はゆっくりと地に伏した……。
「大殿、敵がひるんでおりまするぞ! 大殿……」
重臣吉弘統幸は、眼前の不幸な光景を間のあたりにする。そこに、かっての六カ国守護の哀れな末路を見た。
「大殿! しっかりなさいませ大殿!」
「敵に……知られてはならぬ……」
すでに顔色に生気はなく、聞きとれぬほどか細い声だった。宗麟はただちに城の奥へと収容される。
宗麟の重病を伏し籠城戦は続けられた。包囲四日目、そこに島津兵の姿はなかった。豊前に黒田長政、小早川隆景、吉川元春等の軍勢が到着したという知らせにより、ついに撤兵を開始したのであった。
大友宗麟の抵抗により、島津軍は丹生島城攻略に失敗した。それは同時に、島津家の九州制覇の野望がついえたことでもあった。島津、大友、龍造寺、三者による九州の覇権のかけた戦いは、ここに終わりを告げる。そして、より強大な軍馬の足音が、九州の大地に近づいていた。