【三州統一編其の三】岩剣城
翌十二日未明、南の果ての空はまだ薄暗く、乾ききった平素とは異なる空気が、島津の陣営全てを包み込んでいた。忠平は岩剣城の東南の麓、白銀坂に陣を置いた。昨日までは互いに冗談すらいいあっていた士卒達も、今日となっては笑み一つ浮かべない。卯の刻(午前六時)暁が岩剣城を照らしだし、遠く望むと桜島が、少しずつ巨大な輪郭を露わにしようとしている。桜島は戦いの象徴である。大将の島津貴久が采配を天に振り上げ、部隊に攻撃の命令を下したのは、まさにその時だった。同時に、ほら貝の音が戦場全体に鳴り響く。負けじとばかり、士卒達が歓声をあげながら急斜面を、まるで蟻のように登っていく。義辰、歳久の兄弟も、わずかな手勢とともに白刃をふるって敵の只中へ突入していく。
「よし、おいも行くぞ」
忠平は槍を片手に馬にまたがろうとした。
「なりません若君、しばしお待ちあれ」
止めに入ったのは、貴久の弟島津尚久だった。
「若殿におかれましては、しばし戦をご観望あれと、これは我殿直々の仰せにござりまする」
「なんと、父上はおいに眼前の戦に高見の見物をせよと」
血気にはやる忠平は、思わず唇を噛んだ。貴久には忠平を戦場に投入するに際し、まだ一抹の不安があったのである。
「おお、ついに薩摩兵どもめ動きだしおったか。今日は目にもの見せてくれん」
城の主は祁答院良重である。自ら射的の名人である良重は、鎧、甲冑姿に弓を片手にし、全身あふれるばかりの闘志に満ちていた。
「よいか弓隊を前面に配置し、後退しながら少しずつ矢を放たせろ、この登り坂じゃ、敵を消耗させるのじゃ」
島津兵は険しい山道を、味方が倒れても、倒れても屍を踏み越え登っていく。だが良重の読みどおり、昼頃には精強を誇る島津兵にも消耗の色が濃くなってきた。
「これ以上の突撃はもたん。いったん後退してから再度攻撃する」
最前線で指揮を預かる伊集院忠朗は、部隊に退けの合図を出した。まさに良重の思う壷である。
「敵が退いたぞ、今じゃ突撃」
新手の部隊が、疲労しきっている島津兵に襲いかかる。虐殺が始まった。凄まじい断末魔の叫びが、山々にこだまする。
「恐れながら、後方の部隊が壁となり、思うように撤退できません」
「部隊を立て直せ、隊列を乱すな」
伊集院忠朗は懸命に部隊の混乱を抑えようとしたが、時すでに遅かった。良重は島津兵の動揺ぶりに、密かに勝利を確信し、
「よしいいだろう合図を出せ」
山を揺るがすような陣太鼓の音とともに守備兵達はさっと左右に散った。次の瞬間地鳴りのような音と同時に巨大な石の塊が一つ、二つ、三つと、たちまちのうちに島津兵を飲みこんでしまった。後には士卒達の変わり果てた姿だけが残された。腸がえぐれている者、目玉が飛び出している者、手足がちぎれている者。かろうじて難を逃れた義辰、歳久の兄弟であったが、戦場の酷さを身をもって味わうこととなったのである。
「うむ、やはり力攻めは無理があるようじゃの、長期の戦覚悟せずばなるまい」
島津貴久は無理な城攻めを断念し、戦は長びく気配を見せ始めた。