【九州三国編其の十五】立花統虎の反撃
七月二十八日、島津忠長は般若寺跡で、敵味方の霊を弔うための盛大な供養を行った。読経の音の中、居並ぶ島津軍の将兵達は声もなく黙祷する。やがて茂林和尚が、数珠を持った手にいっそうの気合をいれると、
一将功成冠九州 戦場血入染川流
殺人刀是活人剣 月白風高岩屋秋
と大音声をあげ、将兵達は一層厳粛な気持ちを新たにした。
やがて供養が一段落すると忠長は、
「残るは宝満、立花両城のみ。我等かの二城を落としいれ、筑前制覇を完了する。真に死した者達に報いる道は、これをおいて他なし!」
と、将兵達を前に最後の決戦を呼びかけた。
一方、高橋紹運以下、岩屋城城兵七百六十三名ことごとく討ち死に、もしくは自害の報に接し、立花城は異常な静けさに包まれていた。城主統虎は城の一室に籠もり、人々の前から姿を消す。
「恐れながら若殿、ほどなく島津の大軍が押し寄せて来るかもしれないという時に、悲しんでばかりはおられませんぞ」
家老薦野増時は部屋の扉を無理矢理開き、そこで驚くべき光景を目にする。なんと統虎は正座して虚空をあおぎ、脇差しを腹にあてていたのである。
「なにをなされます若殿! 気でも違われましたか!」
増時は統虎に組みつき、必死に思いとどまらせようとした。
「放せ増時! 義父に死なれ、今父上にまで死なれては、もはや生きてはいけん! わしも後を追う」
増時は脇差しを統虎から奪うと、まだ錯乱している統虎の前に、かって紹運が統虎に与えた備前長光を見つけ畳に突き刺した。
一死を以って世を照らす 是 武士の本懐也
「お命、大切になされませ、一体何のための御父上の玉砕でござったか! ここで若殿が死んでしまっては、御父上が、かすかに我等に与えた光明無駄になりまするぞ!」
そうこうしている間にも、島津勢は八月六日宝満城を包囲。統虎の弟高橋統増は、立花城への退去を条件に開城するが、島津方は約束を違え統増は捕らわれの身となってしまう。
そしてついに島津勢は立花城へと至る。身柄を拘束した統増をも盾とし、統虎に開城を迫るが統虎はこれを拒絶。さらに島津の陣に夜討ち等を繰り返し翻弄する。
「皆集まってもらったのは他でもない。いよいよ敵は本格的に、この城を攻める準備を整えておると物見より報せがあった。この城の守りがいかに堅固とはいえ、島津の兵は大軍。関白殿の軍勢が到着するまで持ちこたえるため、何か策がある者はおらぬか?」
軍議の席で統虎は諸将に意見を求めたが、一人として島津勢を防ぐてだてなどなく、いずれも沈黙した。
「恐れながら、一つだけ策がござりまする」
沈黙を破ったのは重臣内田鎮家だった。内田鎮家は大友家の軍師・蒲池宗磧の高弟で、兵法八十余巻の相伝を受けていたともいわれる、家中きっての軍略家である。
「まずは城を囲む島津勢には、降伏に応じると告げまする」
「なんと、降伏勧告を受け入れると申すか?」
「左様、むろん偽りの上でのことでござる。そのうえで城中整理のため数日の猶予を敵に求め、時をかせぐのでござりまする。なれど敵方を欺くのは並大抵のことではござりません。故にそれがし人質となり敵の陣に赴きまする。恐らく敵は、我等の言を偽りとは思いますまい」
そこまでいうと鎮家は辞を低くした。統虎はしばし鎮家の皺深い顔をじっと見つめ。
「どの道生きては戻れぬぞ、それでもよいか」
と念を押した。
「紹運殿の心意気に、それがしほとほと感じいりました。命が欲しいとは思いませぬ」
統虎は、かすかに唇を震わせた。
「よう申した。そなたの妻子の面倒なら心配するな。我等で生涯苦労はさせぬ。これにて軍議は打ち切りといたす」
と一言残し、統虎は席を後にする。
「あれだけか?」
平伏したままの鎮家を横目に、諸将は声を小さくして統虎への不満を口にした。
「家臣が命を投げ出してまで敵の陣に赴くというに、もう少し言葉のかけようもあろうに……」
「いや、若殿は己の心と戦っておられるのだ。恐らく胸中は、はりさけんばかりであろう」
と薦野増時が統虎の心中を察した。
統虎が降伏勧告を受け入れ、城の明け渡しに応じる気配をみせたことに、島津方の陣はどよめいた。
「恐れながら、立花城より人質として内田鎮家なる者が、まかりこしてござりまする」
内田鎮家は島津軍の本陣に通され、島津忠長と伊集院忠棟の前に平伏した。
「拙者、内田壱岐入道鎮家と申しまする。主統虎様におかれましては、島津家の軍門に降る覚悟をかためられた由にて、それがし降伏の証として、まかりこした次第にござりまする」
『おい、内田鎮家といえば大友家中きっての軍略家でごわはんか』
『まっこて敵の大将は城を明け渡すのか?』
内田壱岐入道鎮家の名は、島津方にも知られており、諸将が驚く中、鎮家はかすかに立花城の方角を見た。
『若殿、さらばにござりまする……』
鎮家は、かすかに笑みさえうかべた。
その頃すでに関白羽柴秀吉の命をうけ、毛利家より小早川隆景、吉川元春の両川が門司城に着陣していた。
隆景は騎馬で門司城のある古城山山頂部から、十七年ぶりとなる九州の山河を見降ろした。小早川隆景はこの年五十二歳、かっての毛利家の貴公子といった風貌は影をひそめ、いかにも老巧な策士とでもいうべき円熟さを色濃くただよわせていた。
「隆景殿ここにおられたか、いかがいたした先刻来から?」
と杖をつきながら姿を現わしたのは黒田孝高だった。両者の縁は、秀吉がまだ織田軍の一司令官として中国に赴いた時にさかのぼる。孝高はその際、外交折衝のため毛利家と羽柴秀吉の陣を往来し、共に秀吉の臣となった後は、よき知己となった。両者にはどこか気脈相通じるところがあったようである。
「いやなに遠い昔を忍んでおったのよ。わしはかって父元就に従い、大友家と門司城、立花城を巡って争ったことがある。それがよもや、大友家を救うため戦することになろうとは、時の移り変わりとは不可思議なものよのう……」
「そういえば御主、これから救いにいかねばならぬ立花統虎とかいう若者の義理の父にあたる、立花道雪なる者には、随分と苦しめられたそうだな」
孝高は、やや皮肉めいた口ぶりでいった。
「うむ、わしは戦場で初めて立花道雪という男に出会った時、万の軍勢が一糸乱れず動いておるのに驚いたのを、今でも覚えておる。軍勢を統制する者が、輿に乗って采配をふるっておると聞きさらに驚いた。その後も幾度となく戦場で道雪なる者を見たが、あの者が姿を現わすたび戦場の空気が一変し、揮下の将兵達が得体の知れぬ恐怖に襲われたものよ。わしは是非とも立花統虎なる若者に会ってみたい。みすみす死なせてはなるまいて」
そういうと隆景は素早く馬首を返した。
隆景は統虎に不思議な縁を感じていたのである。だがこの時はさすがに、後年遠く海の彼方朝鮮の陣で、国運をかけて共に戦うことになろうとは、夢にも考えていなかった。
やがて秀吉の先遣隊として毛利家の動きは、島津方の知るところとなった。
「ええい一体どうなっておるのじゃ、立花統虎はいつになったら城を明け渡すのじゃ」
伊集院忠棟は、さすがに焦りをつのらせ始めていた。
「恐れながら、城に放った密偵の知らせによると、敵の大将は城を明け渡す気配まったくないとか」
「たばかられたということか!」
かたわらに控える島津忠長が、自らの不覚に思わず拳を強く握りしめた。
「己おい達を欺くとは許せん! 内田壱岐入道を縄目に縛りあげてここに連れてまいれ!」
「すでに縛りあげましてござりまする」
やがて島津軍の兵士に槍の先を突きつけられながら、鎮家が本陣に連行されてきた。
「今までおい達をようも欺いてくれたな!」
忠棟が血走った目で鎮家をせめると、
「すでに十分時はかせいだ。かくなることは先刻覚悟の上、今は悔いはない」
と、鎮家はやや勝ち誇ったような表情でいった。
「己許せぬ! 望みどおり死をくれてやる!」
忠棟が抜刀して床几から立ち上がった時だった。
「待ちゃんせ、おいがやりもうす」
と忠棟を制止したのは忠長だった。
「壱岐入道殿、最後に聞いておこう。おはんほどの者、例え大友家が滅んだとしても、その気になれば他家に仕官する道もあったでござろう。そいが何故かような役をかってでられたか」
「それがしは、先日来岩屋城に散った紹運殿に心うたれもうした。何故自らも岩屋城に出向き、死んだ七百名の者達と死生をともにしなかったか……。他家へ仕官など思いもよらぬこと。今は黄泉路で紹運殿にまみえることこそ、それがしの誇り」
鎮家がそこまでいうと忠長は、殺気を両の眼光にうかべ刀をぬき、鎮家の背後にまわった。鎮家が覚悟を決めた時だった。忠長の振り下ろした刀は、鎮家の五体ではなく縄目を切りさいた。
「忠長殿、こいはどういうことでごわすか?」
忠棟が狼狽し、忠長に問いただした。
「御無礼つかまつった壱岐入道殿、城に戻られるがよろしかろう」
忠棟は忠長の言葉に驚き言葉を失ったが、それ以上に驚いたのは当の鎮家だった。
「自ら死を覚悟し、敵の陣にやってまいった者を斬ったとあっては島津の名折れ、島津は信義に背くふるまいは決していたしもうはん。壱岐入道殿生きられよ、死ぬことだけが忠義の道ではござりもうはん」
「なんばいうちょとか忠長殿、こん者はおい達を欺いて……」
「皆異存はないな!」
忠長が居並ぶ島津方の将に呼びかけると、一斉に同意の声があがった。
「己、こげなことが!」
忠棟は手にしていた刀を地に叩きつけると、陣を立ち去ってしまった。
こうして壱岐入道鎮家は歓喜の声に迎えられながら、立花城に奇跡の生還を果たした。
八月二十三日、島津軍は状況の不利を悟り、ついに撤兵を開始した。立花城の城将達に安堵の色が広がった時だった。
「ただちに今より島津勢への追撃を開始する」
統虎の言葉に諸将はいずれも驚きの色をうかべた。
「若殿、気でも違われましたか。多くの犠牲をはらったとはいえ、島津はまだ我等をはるかに上回る大軍。追撃など思いもよらぬこと」
薦野増時が統虎を思いとどまらせようとした。
「確かに敵はまだ、余力を十分に残しておる。なれど今は望郷の一念のみ。人間攻める時は強いが、退く時ほど弱いものはない。我が実父の仇島津が眼下を去ろうというに、これを黙視せんか。父の仇を報ぜず、生に安んじることの意味いかほどあろう。今こそ我等攻めに移る時ぞ」
若い統虎が凛呼として言いはなつと、居並ぶ諸将は一斉に平伏した。
「立花勢、追撃してまいるまする!」
統虎の言葉どおり、長対陣に疲れ国に帰りたい一心の島津勢に、岩屋城に大軍で襲いかかった際の気迫はすでに失われていた。寡兵といえ、後尾に少しずつ迫ってくる立花勢に、いいしれぬ恐怖すら感じていた。
「己、立花統虎まだやるつもりか! おいがしとめてくれん!」
と、馬首を返したのは山田有信だった。
「敵の大将はいずこ、我こそは島津にその人ありといわれた山田有信なり、尋常に勝負いたせ」
声に応じ、統虎が陣の先頭に姿を現わした。
その時統虎は弓を引き絞る。有信は瞬時いすくんだ。統虎に獅子の如き殺気と同時に、背後に紹運、そして道雪の幻影を見たのである。統虎の放った矢は、有信の兜の吹き返しに当たった。
「うぬ、みすみす殺すには惜しい若造よ。こたびだけは命をあずけておくとしよう」
「待て、有信逃げるか!」
「勝負は後日」
まだ岩屋城での傷が完治していない有信は、あえて統虎との戦いをさけた。
やがて島津軍の後を追うこと八里、大将の島津忠長は軍勢の速度をあげ、素早く筑後川を渡河した。
統虎はそこで島津軍の追撃を打ち切り、軍を反転させると、島津方に奪われた高鳥居城を目指した。この城を城代として守るのは星野吉実、吉兼の兄弟である。
八月二十五日巳の刻(午前十時)、竹城山麓に到着した統虎の軍勢は、喚声をあげて城攻めを開始する。統虎は、高鳥居城を見おろす若杉山の山腹に布陣、五百人の軍勢で城の大手の十間戸樋から攻めにかかる。一方搦手には、統虎の応援にかけつけた小早川隆景の兵二百人が須恵村からよじ登った。
だが、この時の星野兄弟の抵抗は凄まじく、立花勢は死傷者を続出した。
「ええい、なにをもたついておる! かような城一つ落とせんとは!」
血気にはやる統虎は、自ら陣を出て敵と斬り結ぶ。その時、馬上弓を構えながら迫る島津方の武者がいた。
「危ない!」
統虎の盾となったのは、女ながらに城攻めに参加していたぎん千代だった。胸に矢を受けたぎん千代は、痛みにたえかねゆっくりと馬から落ちた。長い髪が風に舞った。
「ぎん千代しっかりせえ!」
統虎の声にぎん千代はかすかに薄目を開いた。
「お願い……私が死んでも……私の側をはなれないで」
それだけいうと、ぎん千代は意識を失った。
激戦の末、牛の刻(午後十二時)ついに立花勢は城の本丸に迫った。星野吉実は立花次郎兵衛と槍を合わせていたところを、十時伝右衛門に斬りふせられ討ち取られた。十時は吉実の首を取ったが届け出の際、次郎兵衛に功を譲った。統虎は後にこのことを知って、陣中の美談として両人に感状を与えたといわれる。
統虎は、さらに休むことなく紹運が壮絶な最期をとげた岩屋城を目指した。この城を守るのは秋月方の桑野新右衛門である。ここでも統虎は城方の頑強な抵抗にあい、城は容易に落ちなかった。
「統虎、聞こえるか統虎」
その夜、統虎は夢枕に立った父紹運と久々の再会をはたした。
「父上……生きておられた……」
「父ではないと申したはずじゃ。今はわしが生涯出会った最良の友として、そなたに伝えよう。観世音寺の裏手に、城の本丸へ通じるぬけ穴がある。そこを通れば城を落とすことは容易であろう。これがわしがそなたにしてやれる、最後の助太刀じゃ。よいか決して立花の名を汚すような真似はするな。わしと道雪殿が常におまえを見守っておる。わしはそなたの瞳に、軍神摩利支天の再来を見ておったのだ」
紹運の魂は消えた。翌日観世音寺の裏手を捜索すると、果たして抜け穴は存在した。立花勢が突如として岩屋城の本丸に出現したのは、ほどなくのことであった。こうして岩屋城は統虎の手によって、島津方より奪還されることとなったのである。
「若殿これをごらん下され」
岩屋城の本丸内の扉に文字が刻まれているのを、十時摂津が発見した。まぎれもなく紹運の筆跡だった。
かばねをば 岩屋の苔に埋めてぞ 雲井の空に 名をとどむべき
この時統虎は初めて落涙した。後に関白秀吉は統虎の功を激賞し曰く、『鎮西一の誉れ』なりと。