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【九州三国編其の十四】壮烈岩屋城

 高橋紹運は、島津勢の本格的な城攻めを前に、今一度諸将を糾合した。

「次の者は籠城に加わる必要なし、また許さん。一つ、両親に男子一人の者。二つ、兄弟のうち一人。いずれも城を出て家名を守るべし。老人、婦人、幼子、病人は統増の兵とともに宝満城に籠もるべし。また、敵に背を向ける者、恐れをなす者の参加は断じてなかるべし。なお、籠城に賛成せぬ者は遠慮なく申しでるがよい。決して責めはせぬ」

 この紹運の呼びかけに、城代屋山中務少輔が進み出て、

「恐れながら御館様、我等主従地獄の果てまでも共にありましょうぞ、例え冥土であろうと、千万億土の果てであろうと、お供つかまつりますぞ」

 と、声震わせながらいった。

「よういうた、人の真価はいかに生きるかであると同時に、いかに死するかによっても決するもの、例え五体を微塵に砕かれようと決して臆するな。名こそ惜しめ」

 紹運は一体の御守りを手に握りしめていた。亡き道雪が死を前にして、紹運に託したものだった。


 岩屋城は本丸含めて、大小十二の曲輪があった。城兵が少ないので小曲輪は三十人、大曲輪は百人ほどの防衛である。七月十四日、まるで孤島に大波が押し寄せるかのごとく、島津兵は岩屋城の各曲輪に攻めよせた。

 紹運は天主櫓に床几をすえ、全身から静かな殺気をたぎらす。城を守る七百の将兵と一丸となったその姿は、さながら軍神だった。殺到する島津勢、だが紹運の軍配一つで将兵達は縦横無尽に動き、弓矢、鉄砲が雨あられと降りそそぐ。味方が幾度倒れても、島津兵は悪鬼のように曲輪めがけて押し寄せてくる。馬のいななき声、倒れる兵士の断末魔の叫び、攻防は夜半を迎えても月灯りを頼りに続けられた。三日間の攻防の末、島津兵は予想外の死者をだし一旦兵を引く。


 攻防七日目、島津軍により水の手が断たれた。だが将兵の士気は衰えない。


 攻防九日目、雷雨を伴い激しい雨が大地をぬらした。

「道雪殿がこの戦を見守っておる……」

 紹運は御守りを握りしめ、激しく降る雨に打たれながら、ひたすら亡き道雪の霊に祈った。


 攻防十日目、島津兵は槍を片手に、ひたひたと城に迫る。その必死の勢いに紹運揮下の将兵達は一瞬ひるんだかに見えた。

「進め、進め、皆殺しじゃ!」

 やがて島津兵の前に巨大な城門が姿を現した。だがこれが罠だった。島津兵が城門に取り付こうとした時だった。

「今ぞ! 落とせ!」

 城代屋山中務少輔の合図とともに、巨石、大木が島津兵めがけて一斉に投下された。凄まじい悲鳴とともに、多くの島津兵が下敷きとなって息絶えた。


 十日間の攻防で島津方は、おびただしい数の士卒、武者が討ち死にした。特に城方の石攻めにより名だたる将の多くが負傷する。山田有信は手の甲を打ち砕かれ、新納忠元は腰を強打し、板輿に乗って指図せざるをえなかった。上井覚兼も石攻めにあい、さらに顔に鉄砲玉が当たって重傷を負っている。覚兼の弟鎌田兼政もまた石攻めで負傷した。

 五万の軍勢をもって、七百人が守る城に手も足もでないという異常事態に、島津忠長と伊集院忠棟の両将は作戦の変更を迫られた。

 

 立花城で統虎は、夜の闇に岩屋城の方角を仰ぎ見た。その手には、立花家の婿養子として岩屋城を後にする際、紹運から渡された備前長光が握られていた。血文字で記された言葉は、

『一死を以って世を照らす 是 武士の本懐也』

 統虎は今一度星を仰ぎ見た。不意に背に生暖かい感覚があった。いつの間にかぎん千代が入ってきて、統虎の背に抱きついていたのである。

「いかがいたした? このような夜更けに」

「怖い夢を見たのです。統虎殿が敵に討ち取られて……。どうか死なないで、御父上が死んで、紹運殿が死んで、皆々島津に滅ぼされてしまうのですか?」

 妖艶な香りが統虎を幻惑した。

『こやつ、女になりおった……』

 まだ若い統虎は、不意にこみあげてくる欲情を必死にこらえながら、

「例え死んでも、わしはそなたの側を離れん」

 と、精一杯の言葉をかけた。


 島津忠長と伊集院忠棟の両将は、新たに新納蔵人という者を、降伏勧告の使者として城に赴かせた。紹運は麻生外記という偽名を使って、新納蔵人と面会した。

「紹運殿の死を以ってしても城を守らんとする覚悟、実に見事にごわす。なれど時代は島津に動いており、こん流れは誰も止めることはできもうはん。大友家は近年、天道に背くふるまい数多くあり、先行きはもはや見えもうした。かくなりたる上は、速やかに城を明け渡すべきかと。島津は決して降伏した者に粗略な扱いはしもうはんで」

 だが、紹運はかすかに冷笑を浮かべると、

「さてさて、それはいかがなものかな? 確かに盛者必衰は世のならい、大友家も今はかっての勢いなし。なれど、主人の盛んなる時、忠を励み功名を顕わす者ありといえども、主人衰えたる時にも変わらず一命を捨てる者は稀にてござる。貴殿も島津家滅亡の時、主を捨て命を惜しまれるか。武士たる者、仁義を守らざるは鳥獣に異ならず」

 と、痛烈に切り返した。この時予想外のことがおこった。城外で会見の様子を見守っていた島津兵の中から、喝采の声があがったのである。

 部隊の最前列で、床几に腰かけていた島津忠長は立ち上がり。

「もうよか、麻生外記殿いや高橋紹運殿、御無礼つかまった。かくなりたる上は弓矢で決着をつけるのみ、覚悟してお待ちあれ」

 と、城の方角に向かって大音声をあげた。


七月二十七日寅の刻(午前四時)、島津勢はついに覚悟の城攻めを開始する。それはまるで夜明け前の静寂を破る嵐のように城に襲いかかった。

 崇福寺口から大手門の攻め口には、島津忠長の部隊が殺到する。これを守るのは屋山中務少輔以下約百人。

「あれに見えるは名のある大将に違いない。討ち取って手柄にせん!」

 先頭に立って門に攻め込んだ忠長は、甲冑の派手さ故、敵兵のかっこうの標的となった。

「その首もらった!」

 忠長は敵の武者のくりだした槍を、間一髪で脇に挟むと、そのまま真中からへし折った。

「鉄砲隊射撃用意!撃てい!」

 敵の銃撃により忠長は左肩を狙撃され、一命はとりとめたものの、山本助六、森勘七等股肱の臣が身代わりとなって絶命する。


 本丸北百貫島の攻め口には、伊集院忠棟の率いる部隊が攻めこむ。対するは三原大和入道紹心以下百名。

 四尺余の大太刀を手に、敵兵の渦の中を所狭しと暴れ回る紹心だったが、従う兵達は次から次へと倒れた。やがて敵の放った鉄砲が左の胸を貫く。

「打太刀の 金の響きも久方の……」

 死期を悟った紹心は、辞世の旬を読み始めた。

「チェストォォォ!」

 島津兵の繰りだした槍をかわした紹心は、その腕をつかみねじりあげる。

「雲の上にぞ 聞こえ上くべき」

 刹那、鉄砲弾十数発が一斉に紹心の五体を貫通した。

「御館様、先に参りまするぞ……」

 三原大和入道紹心、享年三十九歳の壮絶な最期だった。


 一方、秋月勢の木所民部を将とする島津兵約千は、近在の百姓の案内で間道を抜け、水の手砦を突破し、本丸の腰曲輪を突破する。ここを守るのは吉田左京以下約二十五名。吉田左京は立花城で岩屋城の危急を知り、紹運に帰城するよう進められても聞かず、籠城戦に加わった。もとより二十五名で千の敵を止めることなど不可能である。だが吉田左京に率いられて僅かな兵は、まるで人間の体力を越えた何者かに突き動かされるかのように、力戦奮闘し全員討ち死にした。

 これにより、本丸は八方塞がりとなってしまった。


「恐れながら御館様、二の丸が燃えております」

「今はもう本丸を守るだけの兵しかおらん。放棄するしかあるまい」

「恐れながら、三の丸も燃えておりまする」

「これまでか……」

 すでに虚空蔵台の砦を守っていた福田民部少輔が戦死。二重の櫓で力戦を続けていた萩尾父子も討ち死に。西南の城戸に敵を防いでいた屋山中務も遂に力尽き倒れた。

 

 やがて島津勢の雄叫びが本丸を取り囲む時がきた。紹運はわずかな兵とともに島津勢を迎えうつ。抜き放った刀には、統虎に与えた備前長光とおなじ血文字が刻まれていた。自ら斬り結び十七名までも倒すが、島津兵はまるで津波のように退いては、また寄せてくる。やがて自らの五体に数創の傷を負うが、それにより闘志がいささかも衰えることなく、むしろ鬼の如き気迫は島津兵を戦慄させた。従うわずかばかりの兵も、紹運を守り一歩も退こうとしない。だがついに島津兵の放った鉄砲が左の足を貫通し、紹運は立つことすらできなくなる。

「己島津め!」

 瞬時、紹運の両の眼は炎の如く島津兵を射すくめた。

「御館様をお守りしろ」

 残った兵が紹運の盾となる。

「もはやこれまでじゃ……。わしを櫓へ連れていけ」

 紹運は息を荒くしながら、ようやく声をだす。

「もうよか、自害するつもりじゃろう。武士の最期じゃ、手出しせんで見守るのが礼儀」

 島津方の将は、追撃しようとする兵を制止した。


 紹運は味方にかかえられ、ようやく櫓にたどりつき、床几に腰を降ろすと経を唱え始めた。

「見よ、あれぞ武士もののふの最期ぞ!皆しかと焼きつけよ」

 見上げる島津兵の中からさえ、どこからともなく嗚咽がもれた。

「道雪殿、わしも天に帰る時が来たようじゃ、ともに空の彼方で統虎を見守りましょうぞ」

 紹運は暫時天を仰いだ。高橋紹運享年三十九。残った岩屋城の城兵も、ある者は自害し、ある者は斬り死にし、七百名ことごとく紹運の後を追った。


 この玉砕は島津勢の心に深い衝撃を与えた。

 伊集院忠棟は数日の間、岩屋城城兵達が亡霊武者となって迫るくる夢にうなされることになる。島津兵は銃身が真っ赤になるまで弾を放つも、霧が晴れると武者達はいっこうに怯まず向かってくる。中には首の無い者、全身に針鼠のように矢が刺さった者もいた。

「己! 高橋紹運、死してまだ戦いつづけるか!」

 忠棟は恐れ戦慄した。


 こうして岩屋城は灰燼に帰した。だがこれにより島津勢は甚大な損害をこうむり、九州制覇の野望は頓挫することとなる。関白秀吉の軍の来襲まで時をかせぐという、紹運の目的は見事達成されたのである。




 

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