【九州三国編其の七】柳川城の惨劇
現在の佐賀県佐賀市、その市街地の一角に、欽明天皇の五六八年創建といわれる与賀神社がある。御神体は、神武天皇の祖母にあたるといわれる豊玉姫命で、石橋・鳥居共に国の重要文化財である。楼門は室町時代後期の建立で総丹塗り、当時の地方的風調をよく表している。濠の囲まれた静かな境内で、今さかのぼること四二八年前の天正九年(一五八一)五月二十九日、蒲池家当主蒲池鎮並が、義理の父にあたる人物の手の者により殺害されるという、血の惨劇はおきた。果たして何故、蒲池鎮並という人物は危険を承知で猿楽の宴に招かれたか?今となっては真実は闇の中である。事件を今に訴えかけるもの、それは唯一、県の天然記念物にも指定されている、樹齢一四〇〇年と伝えられる大楠のみである……。
夜の境内に笛や太鼓の音が響き渡り、異様な空気をかもしだす。蒲池鎮並は酒をすすめられたが断った。また鎮並の周囲では、警護の兵士達が万一の時に備える。
曲目は『雷電』。平安の昔、藤原氏の陰謀により太宰府に流された菅原道真が、死後雷神となって復讐するという物語である。やがて謡は重要な部分にさしかかり、シテが鬼の面で舞台に登場した時異変はおこった。
突然一本の矢が鎮並の鼻先をかすめた。
「何奴!」
続けて矢がたて続けに射られ、鎮並を警護する兵士のうち数名が倒れた。
「己やはり謀か!」
「恐れながら、ここは我等に任せて、すぐにお逃げくだされ」
わずかな兵士に守られた鎮並は、必死に神社の外に逃れようとする。だがすでに神社は軍勢で囲まれていた。兵士達は次から次へと討ち滅ぼされていく。やがて鎮並は、龍造寺方の刺客数名に取り囲まれてしまった。
「覚悟!」
最初の太刀はかわしたものの、次の刀で鎮並は深く左の眼を傷つけられた。おびただしい量の血が鎮並の左眼から流れでた。これを見た刺客達は一斉に鎮並に襲いかかった。
「己! かような者が我が父とは!」
鎮並は大量出血のため朦朧とした意識の中で、思わず無念の叫びをあげた。蒲池鎮並享年三十四歳、名門蒲池家の事実上の終焉だった。
数日して、鎮並の首は佐嘉城の隆信のもとへ届けられた。まるで生きるがごとく右目を見開き、死してなお義父であった隆信に、何事かを訴えているようにもみえる。重臣一同寂として言葉もない。
「見よ、わしに二心いだく者は誰であろうとこうなる。皆柳川城へ出陣じゃ、主を失った城など怖くもないわ」
だが重臣達は誰も動こうとしない。
「どうした聞こえぬのか? これより柳川城へ出陣じゃ」
「恐れながら、それがしこたびの出陣お断り申し上げる」
沈黙を破ったのは、竜造寺四天王の一人百武賢兼だった。
「ほう、何故じゃ」
「聞けば玉鶴姫様(鎮並のもとに嫁いだ隆信の娘)は、鎮並殿の死のしらせを受け、その場に昏倒したと聞きまする。それがし、かような道理に反したふるまいには我慢なりませぬ。どうしても出陣すると仰せなら、まずはそれがしを斬ってから出陣されるがよろしかろう!」
賢兼は思わず声を荒げた。
「申したな賢兼! ならば出陣前に血祭りにあげてくれるわ!」
隆信はつかつかと賢兼に歩みより刀をぬいた。
「殿おやめ下され!」
「なにとぞお止まりくだされ!」
その場に居合わせた家臣達は、まるで隆信の巨体によりかかるように押さえこみ、賢兼はかろうじて隆信による成敗だけは免れた。
ついに隆信は、家臣団の反対を押しきって柳川城攻めを断行した。いかに堅城とはいえ、主を失った城は裸城に等しかった。龍造寺家の急速な発展の背景に、その鉄砲装備率の高さがある。当時都で隆盛を極めていた織田軍団でさえ、わずかに十パーセントの装備率であったのに対し、龍造寺軍のそれは実に七十パーセントにも及んだといわれる。城は連日連夜火縄銃の猛火にさらされ、やがて二の丸が落ち、本丸も陥落した。蒲池鑑盛が精魂傾けて建造した天下の名城は、ついに龍造寺隆信の手に落ちたのである。
夫を実の父によって失った玉鶴姫は、柳川城から一里(四キロ)離れた支城の塩塚城へと逃亡した。隆信により、この城の攻略を任された将は田尻鑑種。かっての蒲池家の家来衆である。すなわち、この人選は隆信が鑑種に、その信を問うために突きつけたものであった。
やがて塩塚城もまた、龍造寺軍の前に落城間近となった。城内では玉鶴姫が死に装束となり、生後間もない娘を膝に抱き、数珠を片手に読経と唱えていた。従う家来達もまた念仏を唱えるもの、あれいは涙する者などおり、それぞれが己の末路をかみしめていた。
「そこにおわすは玉鶴姫様でおられますな。田尻鑑種の臣太田助衛門つつしんで姫をお迎えにあがりました」
襖が開き、鎧・甲冑に身を包んだ助衛門が姿を現わした。蒲池家の家臣達は一斉に殺気立つ。
「裏切り者の家臣が今更なんの用じゃ?」
助衛門は肩膝をつくと、
「お逃げくだされませ姫様、こたびの一件、誠においたわしいことと心中お察し申しあげます。なれど、父君は今でも姫の身を案じられ……」
「黙れ聞きとうないわ! わらわは父のもとへは戻らぬ。蒲池家の人間として死にたい」
「恐れながら、そこにある幼子は、城と運命をともにするはあまりにも哀れ、お考えなおし下されい」
と助衛門は、玉鶴姫の情に訴えた。
「いいでしょう。この娘だけは生かして末の世まで幸せであってほしい」
そういうと玉鶴姫は、かたわらの侍女に娘を預けた。そしてゆっくりと歩きだし、城からかすかに星をあおぎ見た。
「なにをなされます姫様!」
「わらわは今となっては、父の血が憎い! このいまわしい血を滅ぼすのじゃ! わらわはわらわのさだめに殉じるまで」
玉鶴姫の魂が天へと帰ったのは次の瞬間である。五百余名の家臣達もほどなく後を追った。
隆信は、一人残された幼子の命をも、世にあることを許さなかった……。ここに蒲池家の血は、ことごとく絶えたのである。
百武賢兼は、この凄惨な城攻めには参加せず、自らの屋敷へ戻り、日毎酒の量のみ増す日々を送っていた。ある夜、ふと部屋を訪ねた妻美代の手を取り、不意に体を抱いた。
「いかかなされました。なにを悲しんでおいでか?」
我が殿は鬼に憑かれておられる。このままでは御家の行末誠にあんじられる。近いうちに存亡の時が来るかもしれん。その時わしはそなたの側にいてやれぬかもしれぬ許せよ」
両者は幼ない頃からともに馬に乗り、肥前の野をかけ、戦場で生死さえわかちあった仲である。だがこのように取り乱した夫の姿は見たことがなく、美代もまたかすかに狼狽した。
賢兼のいう存亡の時は、やがて現実のものとなる。そしてこの両者にも、別れが迫っていたのである。