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【三州統一編最終章】木崎原合戦二

「なんと義弘様が死んだ!」

 加久藤城で女忍梅の言葉に、義弘の妻お芳は絶句した。

「はっ、なんでも敵将柚木崎丹後守とか申す者に、弓矢で胸を射られたとか」

「ならば、この城はどうなる」

 侍女の一人が梅にたずねた。

「いまだ戦の最中なれば、今はただ味方が伊東の軍勢破るを祈る他は……」

「気休めを申すな。大将が死んだとあっては戦は終わりではないか」

「確かにその通りではありまするが……」

「もうよい梅、義弘様がお亡くなりになったとあっては、例え我身があったとて世に亡きも同然。覚悟はできておる」

 お芳は薙刀の先を喉に押しあてた。

「お待ち下され御方様、まだ申してなきことがあるまする」

「なんじゃ? はっきり申せ」

 お芳は声を荒げた。

「我等忍びにとって、敵のみでなく味方をもあざむくも大事なつとめ。故にこのことは固く口止めされておりました。なれどお方様に死なれたとあっては、義弘様に申しわけが立ちません」

 梅はお芳に何事かを耳打ちした。それは驚くべき事実だった。


 義弘を失った島津勢は木崎原へ向けて後退した。やがて三角田へと至った時異変はおきた。

 突如として種子島銃の轟音が地を裂き、伊東方の旗差し物数本が乱れ倒れた。

「恐れながら、背後に敵襲でござりまする」

「何い、敵襲じゃと」

 それは本地口に伏せていた村尾重侯の兵五十人だった。

「申し上げます。野間門の方角にも敵らしき影あり!」

 五代友喜の兵四十人ほどだった。伊東祐安は驚き、得体の知れない恐怖におそわれた。とその時、退却を続けていた島津本隊が足を止めた。島津軍の中央に、颯爽と馬上身をひるがえす敵の武者の影に、柚木崎丹後守は驚き、顔色を変えた。

「馬鹿な、お前は義弘! お前は確かにわしが討ちはたしたはず!」

「残念ながらおいは死んではおらん。おはんが討ち果たしたのは、こんおいの影武者じゃ!」

 そういうと義弘はからからと笑った。


「己謀られたか、退け、退け!」

 伊東祐安が撤退の命令を出した時は遅かった。三方から攻められ、伊東勢は混乱し、やがて指揮系統までも寸断された。さらに狼煙を受け急行した新納隊、さらには加久藤城の城兵までもが討ってでた。

「もはやこれまでだ、わしはもう戦えぬ」

 乱戦の中、全身に無数の傷を負った祐安は思わず弱気の言をもらした。

「何を申されます。ここはお逃げ下され」

「いや、もうよい。わしも日州一の槍突きといわれた男、覚悟は決めた」

 そういうや否や、祐安は自らの喉に刀を刺した。たちまち血しぶきとともに祐安は馬から転げ落ちた。

「御大将一人を死なせは致しませぬ。それがしお供つかまつる!」

 丹後守もまた刀を抜き放ち、祐安の後を追った。


 伊東勢は壊滅した。三山と飯野に挟まれた荒野は、伊東の手勢の死体であふれた。わずか三百の手勢で、一国の軍勢を退けた義弘の戦功は前代未聞のことといってよい。伊東義祐の勢力は以後急速に衰退し、惣四十八城といわれた伊東氏の居城は、数年のうちに島津氏に蹂躙されていくこととなる。いわば、島津家にとって忠良以来の宿願であった三州統一は、時間の問題となったのである。


 戦後処理が一段落すると、義弘は久方ぶりにお芳とともに、桜島を詣でた。

「あん桜島は神の山じゃ、あん山がある限りおい達は戦にて不覚をとることはなか」

 義弘の言葉は自信にあふれていた。

「義弘様、私はもう桜島は見飽きました」

「なんじゃち?」

「義弘様はいつか申されました。義弘様は日本国の主に、そして私には一国を与えると。私は桜島より遠くの山河を見たいのです」

「おおそうであったな、ならどげんしようかい? こん九州には阿蘇の山、雲仙の山とある。いやそれよりいつか二人で都へでも上るのがよかかな?」

 そういうと、義弘は声を出して笑った。


 一方、木崎原の大勝により、義弘の武名は九州全土へ聞こえることとなった。

「道雪、島津義弘とはいかな男じゃ」

 豊後の大友宗麟は地球儀を回しながら尋ねた。

 この時すでに宗麟は、居城を府内から臼杵湾に浮かぶ丹生島城に移していた。丹生島城は東西約四百二十メートル、南北約百メートルと規模は小さいが、島の四周を切り立った断崖、さらに海によって守られた天然の要塞だった。

「はっ、詳しく存じませぬが、負けるはずの戦に数多く勝利したと聞き及びまする。恐らく只者ではござりますまい」

「ふーんそうか、ならばそなたと手合わせしていずこが強い?」

「さあそれは、戦こうてみねばわかりませぬ」

 道雪は言葉を濁した。

「ふん、まあよいわ。所詮はこの狭い日本国の南の果てにて、ただ刀、槍ふりかざすだけの者。この広大な天地の理などわかるまい」

 そういうと宗麟は再び地球儀を回した。


「して続きを聞かせよ信生。島津義弘という者、いかにして寡兵にて伊東の軍勢退けた」

 佐嘉城では、龍造寺隆信も木崎原の合戦の詳細に関心をもった。

「なれば義弘なる者、自らの影武者を敵に討たせ、勢いにのる伊東勢を、木崎原へと誘いだしたのでございます。そこで潜ませていた伏兵により三方から挟撃し、伊東勢壊滅させたとのことでございます」

「ふむ、面白いのう。その義弘とかいう男のことがもっと知りたい。いかな軍法・戦術を好むか」

「はっ、義弘とか申す者が好む戦法は主に二つあります。一つはこたびのように伏兵をもって、敵誘いだす戦術。今一つは主将の旗印を立て、まっしぐらに敵の旗本へ斬りこむ穿打ちの法。また、祖父である島津忠良から戦法だけでなく、真言密教の奥義をも会得し、戦始まる前必ず、敵を呪詛調伏すると聞いております」

「なに呪詛調伏とな?」

 突然隆信は笑い声をあげた。

「義弘とか申す者さしたる器ではないのう。呪詛で敵が倒せるなら、わしなど今まで幾多の戦場で、どれほど敵に呪われたか数しれぬわい」

 だが信生は内心不安を抱いていた。隆信の残忍さ酷薄さは、すでに肥前の国中に鳴りわたっており、例え祟りがおきずとも、人の心次第に離れていくのが、手にとるようにわかっていたからである。


 義弘は父貴久、祖父忠良の墓を詣でた。かって忠良はいった。

『義久は三州の総大将たる材徳生まれながら備わり、義弘は雄武英略をもって傑出する。歳久は始終の利害察するに智並びなく、家久は軍法戦術に妙を得たり』

 島津四兄弟の真の戦はまだ始まったばかりだった。

 


ようやく三州統一編まで終えることができました。ここまでお付き合い下さった方々には、心より御礼申し上げます。一ヶ月ほどお休みをいただきます。諸事情あり、このままリタイヤするかもしれませんが、その際はご了承下さい。

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