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【三州統一編其の九】飲み比べ

 蒲生城の落城により、島津家は名実共に薩摩一国の主人公となった。だがここに島津一族は新たなる敵に遭遇しなければならなかった。日向の国の戦国大名伊東義祐である。

 

 伊東氏は、伊豆伊東庄の豪族伊東氏の末裔とされる。建久九年(一一九八)日向に降り、六代目当主伊東祐国の頃から急速に勢力を伸ばした。飫肥城は日向・大隈国境にある平山城で、島津氏と伊東氏双方が百年以上にもわたって奪い合いを続けてきた重要な拠点である。

 

 永禄二年(一五五九)四月には、伊東義祐は数万の大軍で飫肥城を包囲。時の飫肥城城主は豊州島津家四代目島津忠親である。島津貴久は弟の尚久を救援に赴かせたが、尚久もまた重臣春成久正を失うほどの大打撃をうけた。こうした中、島津忠親は飫肥城を守るため貴久にある提案をした。


「なんと、おいが忠親殿の養子となるでごわすか?」

 あまりに突然のことに、しばし忠平は唖然とした。

「そいじゃ、飫肥城は今伊東義祐に幾度となく攻められ累卵の危うきにある。そこで忠親殿は、年若ながら武勇に優れたるそちが共に城を守るなら百人力と申してな。どげんじゃ忠平、忠親殿の養子となるか、それとも申し出を断るか」

「兄者行かぬほうがよか。父上が申す通り、今飫肥の城は累卵の危うきにごわす。みすみす死地に赴くことはなか」

 口を挟んだのは歳久だった。

「おいもそう思う。飫肥城の救援に行くなら他にも将はいくらでもおる。わざわざ忠平がゆかぬでもよか」

 義久もそく歳久に同意した。


「待たれよ兄上、今飫肥城では豊州島津家の家臣が多く討ち死にしているとか。さりとて、こん鹿児島から急に援軍を送りこむことも無理でごわんしょう。おいが飫肥の城にゆかば、二度と生きて戻れんかも知れもうはんが、義を重んじて難所に赴くも武将のならわしでごわす。ここはあえておいが火中に飛び込むこととする。異存はなかか」

 

 義久は忠平の愚直さ、馬鹿がつくほどの一徹さをよく知っており、止めても無駄であることを悟ると、

「もはや、こいが今生の別れになるやも知れぬのう……」

 と長嘆息した。

「兄者がどうしても飫肥に行くというなら、今宵は兄弟三人で別れの盃というのはどげんじゃ」

 歳久が重い空気を振り払うようにいった。

 その夜、兄弟三人は別れを惜しんで酔いつぶれるまで飲み、昔話し等を語りあった。忠平は二十六歳になっていた。

 忠平が豊州島津家と養子縁組を結んだことは、伊東義祐にとってはまさに「寝耳に水」であった。猛将として音に聞こえた忠平が城を守る以上、伊東義祐もうかつに飫肥の城に手がだせず、またたくまに二年が過ぎようとしていた。


 永禄五年(一五六一)年、忠平の身の上に一つの不幸がおこった。忠平は養父忠親のすすめにより、忠親の弟北郷忠孝の娘と最初の結婚をした。だが夫婦蜜月は長く続かなかった。この最初の妻は病のため長女千鶴だけを残し世を去った。忠平は幼い愛娘のことを思うと、葬儀が終わった後も容易に寺から立ち去りがたく、数日の間は人と会うこともなく悶々の日々を過ごした。哀れんだ忠親は家臣の広瀬助宗の陪臣園田清左衛門の娘お芳を、忠平の再婚相手としてすすめた。忠平は最初固辞したが、忠親の熱心なすすめによりようやく了承した。


「いかなおなごでごわんしょう」

 忠平はおそるおそる養父忠親に尋ねた。

「詩歌や和漢に優れていると聞いた。いやそれだけではなく馬術や小太刀の素養もあるとか」

「馬術や小太刀の素養でごわすか」

 

 忠平は思わず、一見すると男と見まがう醜女を想像せずにはいられなかった。だが白無垢姿で忠平の前に現れたその女性は思いの他小柄であった。被りものを取ると、まぶたが涼しげで、大きな黒目が印象的である。意思の強そうな赤い唇、すらりと伸びた肢体。婚儀が一通り終わり宴会の席となり、この夫人は早速忠平に無理難題を突きつけた。


「婚礼の祝いの席にぶしつけではありますが、私の婿となられるお方に一つ頼みたきことがござります。婿殿はこの三州に並ぶものなき武勇の持ち主とうかがいました。しからば一度私と腕比べいたし、もし私が勝ったなら、一つだけ望みのことをかなえていただきとう存じます」


「これお芳、なんという無礼な」

 実父の園田清左衛門が驚き花嫁をたしなめた。

「まっこて失礼なことでごわす。娘は幼い頃よりじゃじゃ馬で非礼をばお許し下され」

 清左衛門は頭を下げた。

「よかよか、こいはまためでたい席に面白か趣向でごわす。よか、そん腕比べ受けて立ちもんそう。そん前におはんが望むものなんでも申すがよか」

「ならば、城一ついただきとう存じます」

 宴席がどよめいた。清左衛門は青くなり、

「お芳いいかげんにせい! いかになんでも女子が一城の主になるなど聞いたこともない」

「ははは、よかよかおいが負けたらの話でごわす。そん条件で勝負いたそう」

 

 忠平は酒が入り上機嫌だった。よもや負けるはずもないとたかをくくってもいた。

 翌日改めて腕比べがおこなわれることとなった。最初は弓矢であった。お芳は見事的の中央を射抜き、居並ぶ薩摩武士を驚嘆させた。だが義弘は矢を射る瞬間、鳥の羽音に気をとられて的をかすかに外してしまった。


「なんのまだ腕比べは始まったばかりでごわす。次はいかなる条件で勝負するでごわすか」

「しからば飲み比べいたしとうござります」

「よか誰か酒を持てい」

 忠平はややむきになりながらも命令した。

 やがて巨大な酒樽が運ばれてきて、両者は空になるまで飲み続けた……。


「兄上、兄上」

 狩猟の最中、遠くまで獲物を追いすぎた忠平は兄義久とはぐれてしまい、薄霧の中で迷子になってしまった。

「こげは困ったことになったでごわす」

 その時忠平は霧の中にかすかに、狐が岩陰に隠れるのを目撃した。

「おおこいはよか獲物でごわすな。捕まえれば兄さんに自慢できる」

 忠平は自分が迷子になっていることも忘れて狐を追いかけた。だがついに狐をしとめることはできなかった。


「残念逃がしてしまうとは、それにしても、ここはどこでごわんしょうか」

 不意に忠平の視界に滝が滔々と流れる光景が目に入ってきた。同時に岩に腰をかけて水浴びする全裸の女人の姿も、いや厳密には顔だけは布で覆われていた。女人の裸身の妖しい白さが忠平の心をとらえた。忠平はそっと近づき、女が驚くのもものともせず、

「おはんはなぜこんな山里におる。かぶりものを取れい」

 忠平は女を手篭めにしようと考えた。だが驚くべきことに気付き思わずのけぞった。女には狐の尻尾がついていたのである。

「どうかご容赦を」

「己化物! かぶりものを取れい」

 布を取った瞬間忠平は驚愕した。

「お芳……」

 

 忠平はようやく正気に戻った。すく側で養父の忠親が看病にあたっていた。

「ないごってごわすか……おいはどげんしたと」

「しっかりせんか!おはんほどの薩摩の将が女子と飲み比べして負けるとは」

 忠親が忠平に気合いを入れなおした。


「あん女子はただの女子ではなか、お稲荷の化身でごわす」

 島津家には、遠祖忠久が摂津・住吉神社の境内で生まれ、狐が出産の手助けをしたという伝説がある。以来、島津家では狐は代々神体とされてきた。

「どげんすっとか、女子に城などくれてやるわけにはいかんでごわす」

「うんにゃ……島津武士は一度約束したことは、例え相手が女子であっても必ず守らにゃいかん。お芳にはいずれどこぞん小城でもくれてやろう。なにあん女子なら心配いりもうはん」

 忠平はしどろもどろながら、ようやく返答した。


 数日して、忠平とお芳は馬で錦江湾まで駆け、桜島を一望した。

「どげんじゃ、あん桜島こそおい達の誇りでごわす。おい達薩摩隼人は、死する時も桜島の方角を向いて倒れれば本望っておもうておる。おはんが一城の主になるってことは、薩摩隼人とともに死をば覚悟するってことで、桜島に命を預けるということでごわす。おはんほんのこてそん覚悟かあるか?」


「人の一生は天命のしからしむるところ、薩摩に生まれた以上、例え女子とて武器を持つは定めにござりまする。いつなんどきでも島津家のため、忠平様のため命を捨てる覚悟にござりまする。忠平様、重ね重ねお約束ください。ゆくゆく忠平様は日本国の主に、そして私は一城どころか一国の主に」

「こいはほんのこて、肝の座った太か女子でごわす。よか、いずれ一城でも一国でも暮れてやろう」

 

 不意に風が強くなり、桜島が平素よりいっそう強く地鳴りをあげた。この夫人が後に加久藤城の主となり、島津家の三州統一への最後の決戦で重大な役割を果たすことになるのである。

 



 


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