第7話 『助ける理由』
「諦めろ。お前は欠落者なんだ。逃げられないだろ?」
地から見る男の姿は本で読んだ塔のように高く、恐怖を感じさせるには十分だった。
「足の欠落は辛そうだな。自分だけじゃ歩くこともできないんだから」
憐れんでいるわけではない。思ったことを述べだけだ。
「許してくれよ。別に俺も子供を好き好んで殺したいわけじゃないんだ」
「――嘘ですね。あなたは人を殺したがっている。…いえ、食らいたがっている」
「――――」
エレナにはわかる。彼の濁った内側が見える。
「他人と繋がることのできる『リンク』の能力持ちはそういうのがわかるのか?」
「…ある程度は」
「ふぅん。でも俺個人は本当にお前を殺したいわけじゃないぞ? 俺の中の何かが他人の命を食えって言ってくるんだよ。と、そんなこと言ってたら…」
アヤトが立ち上がっていた。
「殺させない」
「いや、殺す。確実に殺す。俺が殺す」
アヤトは踏み出した。今度は逃げるためではない。一人の少女を護る為に。彼女の命を失わせないために。
「来るなら痛いのは覚悟しとけよ」
だが、やはりエレナへは届かない。その前にガルノに邪魔をされた。
ガルノの力は異常だ。本気ではないというのに、振り払われただけで五メートルは軽く吹き飛んだ。
「く……!」
痛い、とてつもなく痛い。こんなに痛みを感じたのは今日が初めてだ。指を切ったことはあったが、そんなもの痛さの比較にならない。普段怪我をすることのない環境で育ったこともあり、痛みはより増している。
少女を護ろうとするからこのような痛みを感じるのだ。立ち上がらず、彼女を助けないで見殺しにすれば痛みを感じることはない。だというのに彼は立ち上がった。
「いい根性してるな」
彼女のもとへ走る。しかし結果は同じだ。殴り飛ばされ、激痛を感じる。
痛みを感じるのが好きなんてわけがない。痛みなんて感じたくない。逃げ出したい。だが彼は立ち上がる。
「――――」
同じだ。殴り飛ばされる。
痛い。とてつもなく痛い。それでも立ち上がる。
「――なあ、アヤト。お前も欠落者だ。この欠落姫と一緒でな。…いや、こいつよりも視覚を失ってるお前の方が生きるのには辛いかもしれない。そんな無力なお前がどう頑張ったってこれは護れない。俺が拳を振り下ろせば一瞬で殺せるんだからな。わかってるよな? お前の行動は無駄なんだよ」
体力が向上し、五感が強化され、周囲を感知できるアビリティを手に入れたところで結局は戦闘経験などない欠落者だ。ガルノに敵うわけがない。
「――――わかってる…。そんなことは……誰よりも…わかってる…」
また、走る。
痛みに耐えて、足を一歩ずつ動かして確実に進む。
「目の見えない僕は誰かに頼らないと生きていけないのはわかってる…。僕は無力で誰の役に立てないのはわかってる…!」
わかりきっていることだ。元の世界では常に誰かに頼って生きていた。光を知らない彼はあの世界で一人で生きることができなかった。
「でも…こんな役立たずな僕でも…誰かの役に立ちたいんだ…っ!!」
何もかも吐き出したような言の葉。
彼が発する意思という名の迫力に、ガルノ以外の全員が圧倒されていた。
「役に立ちたい…だからお前はこれを助けるのか? 面識はないんだろ? 出会ってまだ数分のはずだ。そんなこいつに固執する意味がわからない」
「――確かに出会って数分。どんな人物なのかも少し会話しただけなのでわかりません。だからと言って、見知った人じゃないから助けないっていうのはおかしくないですか? 知らない人だから…出会って数分、数回しか話してないから助けてはいけない。そんなルールはないでしょ。現に…ヘルトさんは僕を助けてくれた」
何もかも不明のアヤトをヘルトは助けようとした。
彼だけでない、エレナやレイもだ。
「だから、僕は助ける。その子を何が何でも助ける。ヘルトさんのように助ける。世界に必要のない僕だけど…誰かの命を自分の手で救いたい」
人を救う。世界に必要とされていない自分ではあるが、その行為は間違いではないと確信して彼は進む。同じ欠落者である少女を救うために進むのだ。
「――真似事か…。破綻してるぞ、お前」
どうでもいいと吐き捨てた彼は手を振り上げた。もうアヤトのことは気にしない。非力な彼が一人で何をしたところでこの状況はひっくり返せないのだから。
月が昇り始め、月光は彼らを優しく照らしている。そして、少女の死によって何もかも終わろうとしていた時、予想外の人物が声を上げた。
「レイ! 時間を稼いでください!!」
この中で一番静かだった少女。殺される対象である少女自身が大声を出した。決意を決めて、騎士に指示を出した。
「御意!」
忠誠を誓う主に決意のこもった指示を聞いて動かない騎士などいない。呆然とした意識の中、アヤトの言葉を聞いていた白騎士は動き出す。
「その前に殺して――」
ガルノの動きが完全に停止した。正確に言うのならばレイが停止させた。
「――また…!」
ガルノは把握していないが停止していた時間は先ほどよりも短い。三秒だ。
しかし三秒もあるなら、傷を負っていても無理をすれば十分に距離を詰められる。
「か……っ!」
停止状態から解放され振り向いた時にはもうは銀の騎士は背後にいた。
漆黒の剣が振るわれる。
下段から上段への斬り上げ。完全な回避は間に合わない。彼の右腕は切断された。
「…そうだ。これだよ…俺がお前に求めてたのは…!」
腕が切断された時、彼がレイに見せたのは苦痛に歪む表情ではなく不気味なほど楽しそうにしている笑顔だった。
「仕留めそこなった…!」
一撃で絶命させるつもりだったが失敗だ。ガルノの反射神経を侮っていた。
「五感の操作…。いいぞ…いいぞ……楽しくなってきたよなァ!!」
「ガルノ、目標を――」
「黙ってろ、メイア!」
メイアの話を聞く暇はない。やっと楽しくなってきたのだ。ここで止めるのは勿体なさすぎる。
食らえ、食らえ、食らえ、と彼の中の《暴食》が叫ぶ。
「ああ、もちろんだ! こいつの命は俺が食らう!」
殺すことには失敗したが、この状況は好都合だ。ここからの仕事は殺すことではない。時間を稼ぐことだ。命を削ってでも命令通り時間を稼ぐ。
***
「欠落姫の様子がおかしいっていうのに…。仕方ない私がやるしかないか」
欠落姫の中で何かが蠢いている。魔力とは違う知らない力であるため危険だ。放置はできない。殺しておく必要がある。
「…なら」
殺すのは簡単。彼女は魔法の天才。高位の魔法だろうが魔法陣を生成せずとも魔法を発動させられる。簡単な作業だ。指を鳴らせばいいだけ。
「――《ファイア》…!」
燃え盛る火の玉が迫る。自分は発動させていない。つまり別の誰かが発動させた魔法。
「消えなさい」
火球に向けて指を鳴らす。すると火の玉はメイアに当たることなく消えた。
「あなた…生きてたの?」
炎の魔法を放ったのは殺したはずの男、ネイトスだった。
「どこぞのお人好しが事前に俺たちに魔術を刻んでいたからな」
「刻印魔法…。しかも《リジェネ―ション》と驚きね」
治癒魔法ヒールの上位互換、再生魔法リジェネ―ション。メイアがアヤトに使っていたこの魔法が使われていたのならネイトスが生きていたのにも頷ける。
「ガラは死んでしまったがな…」
彼の場合は頭部を切断されていた。そうなるといくら魔法と言えど再生は厳しい。
「彼が上位魔法を使えたなんて驚きね」
「しかも回復系だ。性格だけじゃなく魔術面でもあいつは血生臭い世界に向いてない」
「――あなたが生きていたのには驚きだったけど、結局それまでよ。あなたじゃ私を殺せない」
「だろうな。お前は魔術を無効化できるようだし、魔術特化の俺では相手にならないだろう。だがこの状況、俺の役目は時間稼ぎだ。命を賭せば俺でも十分に可能だろう」
「あなた…」
ヘルトと同じだ。彼もまた他人のために命を使おうとしている。
「終わるまでは戦わなければならないんだ。悪いが俺の命が潰えるまで付き合ってもらうぞ、魔女」