第6話 『砕ける奇跡』
「ガルノ…」
振り返れば男がいた。左手に紋様が刻まれた男が笑みを浮かべている。
「足音はしなかったはずなのに…」
最初に逃亡した時とは違って今回はちゃんと周囲を警戒して音を聞いていた。だというのに当たり前のようにガルノは背後をとっている。
「《デットサイレンス》。対象者が発生させる音をなくす魔法よ」
ガルノに続いて、アヤトの疑問に答えるようにしてメイアも現れた。
この二人がいる。つまり、向こうでの作業が終わったということ。
「――二人はどうした」
わかっているというのに、確定しているというのに、彼は尋ねた。
「お前の友人か? ほら、これだよ」
無造作にガルノが放り投げたのは頭部。
力のない目をしているその顔は、数分前までガラと呼んでいた男のものだった。
「俺にしては珍しく綺麗に切断できたんだよ。どうだ? 少しは喜んでもらえたか?」
「お前は…っ!!」
ヘルトはガルノに未だかつてないほどの殺意を向け、足を一歩踏み出した。
しかし、それを他の誰でもないガルノが制止する。
「落ち着けよ。そのままでやるのか?」
「……っ!」
今は負傷者に肩を貸している。とても戦闘ができる状態じゃない。
「あいつらが言ってた通りだ。アンタはこっち側の人間にはなれない」
優しすぎる、と彼は付け加えた。
「さて、俺らに任せられたのは欠落姫の抹殺とそれに関わっていた者たち全員を殺すこと。つまりアヤト以外全員皆殺しだ」
目的という名の殺害予告。今から一人を除いて全員殺すことを宣言した。
「始めようぜ」
もう全員理解している。おそらく彼が攻撃して来たら戦闘にならずに終わると。
だから少年は動いた。
「待ってください。ガルノさん」
「なんだ? アヤト」
「抵抗もせずそちらに行くので、三人は見逃してもらえませんか」
ガルノはアヤトを殺そうとしていない。これが交渉材料になるのではと考えた。
「お前、それは――」
「ヘルトさん。すみません。でもこれで全員の命が助かるかもしれないんです」
自分が犠牲なることで他人の命は助かる。それは素晴らしいことではないだろうか。実行に移す価値は十分にある。
「――アヤト。お前は勘違いしてるよ。残念ながらお前の優先順位は価値は欠落姫の抹殺よりもずっと下だ。だからそんな提案は受けない。そもそも交渉ができるほど対等な状況に見えるか? 俺とお前たちが」
否だ。この状況、数の差はあれど誰もガルノには敵わない。交渉なんてものが成立するわけがない。考えが甘すぎる。
――自分に価値がないことなどわかりきっていたことだろうに。
「…最初に殺したいのはお前なんだ、黒器使い」
言葉が終わった時、男の笑みは既に疲弊しきった女騎士の眼前にあった。
「今度は力を使わせないぜ?」
振りぬく拳。黒器使い、レイに向けられたそれは圧倒的な力を持って胴体へと迫る。
疲弊しきったレイにかわす術はない。鎧の防御力もガルノ相手では当てにならない。
つまり、体を貫かれるのを待つしかない。
「――――……ッ!」
拳は体を文字通り貫いた。赤い血染まった手は人を貫通している。
ただし、貫かれたのはレイではなく、彼女を庇ったヘルトの体だった。
「ガ……ッ!」
堪えきれずにヘルトは吐血する。
「ヘルト…さん…?」
砕けた。実にあっさりと生命という奇跡が砕けたのをアヤトのアビリティは感知した。それが誰のものなのかも盲目の少年は理解していた。
「――やっぱりアンタは善人だ。気持ち悪いぐらいに」
腕を引き抜いたガルノはヘルトの体を蹴り飛ばす。彼の腕は鮮やかな赤に染まっていた。ガルノはそんな自分の手を見ても動じることはなった。
気にすることなく平然としている。
「き、貴様…っ!」
庇われたレイは体を押されていたが、何とか二本の足で地面に立っていた。だがそれがやっとの状態だ。歩くこともままならない。
「元気みたいだな。どう思う? 黒髪のお前を助けるような奴がいるんだぜ?」
笑いながらそう言うガルノにレイは何も言えない。
「まあいい。お前の黒器の能力は五感に干渉するんだろ? おかげでさっきは見逃したが、それを発動させる前に今度こそ殺してやる」
体感では三秒だった空白の六秒。あの間、視覚や聴覚など機能停止していた。そのことから、彼女の剣の能力は五感に対する何らかの干渉である可能性が高い。さらに最初の戦闘で使っていなかったことから頻繁に使える技ではない、もしくは使い慣れていないものであることまでは予想できる。
「ガルノ」
「なんだよ、メイア」
「欠落姫を優先して。魔力とは別の何かが彼女の中で活性化してる」
「仕方ねえな」
メイアの言葉を聞いてガルノは攻撃対象を変更した。アヤトの方へと体を向ける。
「なぁ、アヤト。背中のそいつを前に出してくれねえか? お前ごと殺しちまうだろ」
目的はエレナ。しかしそのエレナはアヤトに背負われている。二人が密着して状態で選んだ片方だけを的確に殺すというのは難しい。
「――――」
「渡す気はないってか? はぁ…。メイア、アヤトだけ転移させろ」
「無理。他人を転移させる場合、させる側に触れるか、事前に体に刻んでおかないといけない。一方的な発動は私でも不可能」
「そういやそんなのあったな…。そんなわけだからアヤト、さっさと渡してくれ」
レイとの戦闘時に使用した『強制転移』は使えない。となると簡単に済ませるためにはアヤトに欠落姫を渡してもらうしかない。
「――嫌…です…」
恐怖心はなかった。あるのは不安のみ。場合によっては背負っている少女を殺してしまうかもしれないという不安だ。彼女の死を望まないアヤトはガルノの言葉を拒み続ける。
「この感じだと言っても聞かなそうだな…。メイア、治癒魔術使えるか? あいつに使ってた強力なやつ」
「使えるけど…」
「なら……準備しとけ!!」
「――――!」
背負っていた少女をアヤトは手放し後ろへ放った。危険なのは重々承知。なら、何故手放したのか。それは自分の体ごと少女を貫こうとしている男の気配が迫っていたから。
「グ、ア――ッ!」
間もなく、ちょうど臍のあたりから男の刃物のような拳が胴体へと侵入する。口からは血が噴き出て、貫かれた場所からも血液がそこら中にまき散らされる。
アヤトは初めてそこで自分にされた五感強化の恐ろしさを知った。
彼の五感は視覚以外強化されている。聴覚、嗅覚といったようにプラスに働くこともあれば当然逆のものもある。それは五感のうちの一つ、触覚だ。触覚が強化されているということは痛覚…つまり感じる痛みが数倍増している。ただの擦り傷でも常人なら泣きわめくような痛みになっているのだ。
そんな彼が体を貫かれて時に感じた痛みは想像を絶するものだろう。ショック死しないばかりか、気を失わなかったことは奇跡だ。
「悪いな。ちょっとの我慢だ」
貫かれるまではヘルトと同じだった。違うのはその後、アヤトから即座に手を抜いたこと。
「そういうことね」
ガルノの行動の意図を理解したメイアは指を鳴らした。
すると途端にアヤトの体に空いた穴が塞がる。
「びっくりさせて悪かったな。傷も治ったし問題ないだろ?」
「なに…を…」
数秒前、確実に穴は空いていた。けれど空けられていたはずの穴も貫かれた時の痛みも完全に消えている。
腹部を弄っても、衣服に穴は空いていたが体自体に空洞がある様子はない。
「治癒…というより再生の魔術って言った方がいいんだったか」
治癒の魔術。体の傷をいやすものだ。通常は切り傷や骨折などを治すものであって空いた穴を塞ぐものではない。彼女の治癒魔法はなく、その上位互換の再生の魔術だ。
「本当はお前ごと欠落姫を刺すつもりだったけど、流石俺の見込んだ奴だ。危険を察知して、欠落姫を放り出すとは思ってなかった」
(まずい…っ!)
穴の確認をしている場合ではなかった。一番注意すべきことが完全に頭から抜け落ちていた。
ガルノはすでに倒れている彼の横を通り過ぎている。
「これでやっと欠落姫を殺せるな」