第4話 『国王』
王都ラ・バルドラン。
宮殿はその中心に位置していた。
城壁の中には、十三もの塔が円を描くよう規則的に建てられ、綺麗な花々が植えられている整備の行き届いた庭が広がっている。そして中央には堂々と王族たちが住まう宮殿が存在していた。
「私の後に続いてください」
言われるまでもなく一行はルシウスから離れないようにしていた。
「今まで散々大きい大きい言ってきたけど、ここはレベルが違うわね。もうここまで大きいと無駄じゃない? 色々と」
「権力を示すためにはこのくらいしないといけないのでしょう」
「やーね、人間は。いちいちそういうの気にしないといけないんだ」
と言いつつ目をキラキラさせて城壁内を見回しているロザリエであった。
が、すぐに彼女は顔をしかめた。
「――視線感じるわね」
警備の兵がそこら中にいる。
目の届く範囲にいる者たちは全員ルシウスの後ろにいる五人…主にアヤトに困惑と嫌悪の視線を向けている。
彼らからすれば敷地内に黒髪が入っているのは訳の分からない事態であった。引き連れているのがルシウスでなければ取り押さえに向かっていただろう。
「…申し訳ない。私にはどうすることもできません」
言葉通りルシウスは申し訳なさそうな表情をしていた。
位置からして先頭を歩く彼の表情は四人には見えていないが、声音でなんとなく心情は察せられた。
「…はぁ、別にいいわよ」
特に彼を責めたわけではなかったので、ロザリエは少々バツが悪そうだった。
宮殿へと入る。
当然警備がいるわけだが、ルシウスのおかげで入ること自体は容易だった。
視線に関しては依然変化はない。使用人たちから様々な視線を向けられ続けている。だが屋内なので数は一応減っている。
「――なんだか騎士多いな」
ギーノがふと口にする。
「ええ、ここ最近は訳あって多いです。特に今日は各地から貴族の方々が集まってきているので増員されているはずですが……宮殿内の様子を知っているのですか?」
「ん、ああ。そういたお前が騎士団入ったのは俺が抜けた後か」
「…なるほど。元騎士の方だったんですか。どうりで歩き方が普通とは違う」
「よく見てんじゃねえか、若造」
「恐縮です」
そんなやり取りをしつつ宮殿内を進む。
「ここです」
しばらく宮殿内を歩くと、一際大きな両開きの扉の前でルシウスは足を止めた。
この扉の先こそが目的の場所である。
扉の前に立つ騎士たちに軽く説明すると、ルシウスは振り向いた。
「…陛下は寛大なお方です。ですが、この中に入るのなら相応の覚悟をしておいた方がいいと思います」
全員に向けての言葉ではない。
一人の人物に向けられた言葉だ。言われた本人以外は気付いていないだろう。
――お前、だよ
普通の声量。
しかし声は一人にしか聞こえていない。
「行きましょう」
決意のこもった声でエレナは言った。
ルシウスは一瞬だけアヤトを見ると、視線を騎士たちに向けた。
開けてくれという意味なのだが、兜をかぶって顔が隠れていても騎士たちからは動揺が見て取れる。
「ルシウスくん、それは……」
「私が責任を負います」
「しかし今は……」
「構いません」
騎士二人は顔を合わせるとため息を吐いて扉に手をついた。
そして重々しく、開かれる。
扉から一直線に赤の絨毯が伸びる。
終着点には椅子があった。平民が生涯座る機会などないであろう高価な椅子である。
そこに座る男が一人。
髪は白く、顎に蓄えた髭も同じく白い。
顔からはその椅子に座るだけの貫禄が見て取れる。
一目でエレナはわかった。
彼が、王であるのだと。
「来たか、ルシウス」
「申し訳ありません陛下。遅れてしまいました」
「まあ多少の遅刻なら許容範囲だから別にいいのだが……後ろの者たちはなんだ? なんだか懐かしい顔もいるな」
玉座に座るのは。ルハド・ディーレ・レグティス。バミラ王国を治める現国王である。
王たる男の瞳は、四人を試すように見やる。
「陛下に用件があるとのことでしたのでお連れいたしました」
「ほぉ」
愉快だというように笑みを浮かべ、息を吐き出す国王。
だがそうしてこの状況を楽しんでいるのは彼だけ。
赤の絨毯を挟むように高価な服を着用した者たち――この国を支える貴族たちは国王とは違った。
王の御前であるため、誰も顔にも声にも出さないが、彼らはまるで汚物を見るような目でアヤトを見ていた。
「――欠落姫…」
王のそばに立つ騎士がそう呟いたのがアヤトには聞こえた。
「それは本当か? バリオンド」
「間違いないです」
「なるほど。とんだ珍客だ。ルーダスの奴め、報告を偽ったな」
王は突然の来訪者たちを一人ひとりじっくり見ると、貴族たちに言い放った。
「集まって早々で悪いが解散だ。お前たちはここから去れ。報告は紙に書き記して提出だ。政策に対する提案があればそこに一緒に乗せておくように。今日中に目は通しておく」
動揺の声が各所から上がる。
「王よ。それは……」
「言いたいことはわかるが、今日は終わりだ。集会はまた明日に持ち越すとしよう。おそらく私が今優先すべきは彼らの方だ」
王は異議を唱えようとした一人の貴族の言葉を遮って言葉を重ねた。
流石に王に対して強く出られるものはいなかった。貴族たちは渋々と、アヤトたちの横を通って退室していく。
「――あれであいつら隠しているつもりなのか? 黒髪を毛嫌いし過ぎだろうに」
疲れたようにため息を吐くルハドは玉座にだらしなく座り始めた。
「あー、疲れるー」
「陛下。ここにいるのは騎士団だけではないのですが…」
「細かいことは気にするな」
王の間に残ったのはアヤトら五人を除くと、国王ルハド、ルシウスを含めた騎士三人、そして騎士とは思えない美女の五人だ。
「……されさて、積もる話ってやつか? とりあえずもう少し前に出て来いよ」
言われた通り一行は王に近づいた。
その間にルシウスは五人の元から離れ、他の騎士のいる位置へと移動した。
「一応言っておくが、俺がこの国の王のルハドだ」
砕けた口調で彼は名乗った。
「そして男三人……ルシウスは知っているようだからいいな。そこの男二人も騎士だ。バカでかいのが三隊長の一人、俺に近い方は騎士団長。で、こっちの女はうちの宮廷魔導士だ。…そんじゃあ次はお前たちの番だな。名前は後からでもいい。知っている顔もいるからな。それよりも用件の方が聞きたい」
先ほどまであった王としての威厳が消え失せているルハドは、実に追うらしくない態度で尋ねてきた。こちらが素なのだろうということは大方予想できる。
「……どちらから話しますか?」
「なら私から…」
「おっと、ストップだ。用件別々にあんのか。それならフードの嬢ちゃんの方を後にしてくれ」
「別にいいけど、なんで私は後なの?」
ルハドが自分の要件を後回しにする理由がロザリエには心当たりがなかった。
「勘だ、勘。多分お前さんの方が厄介事だろ? 大規模の」
ロザリエの敬う気など微塵もない言葉遣いを気にすることなく、ルハドは答えた。
「…………」
「だんまりってことは肯定か? どっちでもいいんだけどよ、厄介事だった場合は後回しにしたいんだよ。めんどくさいから」
「あなた…」
勘というには心を除かれたかのように、あまりにも的確だった。
ロザリエはこの王はただものではないと判断し、警戒する。
「――では、私から話します」
ロザリエにさっさと順番を回してあげたいエレナはすぐに本題を口にすることにした。
「私はレザドネア家のエレナ・レザドネア。リンクの能力を持つ者です。今回は私がレザドネア家と縁を切ることを伝えにきました」
「――なかなか面白いことを言うな。で? 俺への要件はそれを言いに来ただけか?」
威圧的な態度とも思えたが、エレナは動じない。
「はい、直々に言いに来なければまたここに呼び出されると思ったので」
「考えすぎだ、レザドネア家の娘。別に俺はお前を呼び戻す気はなかった。そもそもルーダスの報告で行方不明ってことになってたからな、お前」
「…行方不明?」
「ああ、エクリプスに襲われた結果、近くにいた一般人と契約した後、行方不明。任務は失敗しましたって報告してきたんだよ、あいつは。だから別に俺はお前に関してどうもする気はなかった。生きていなくても、生きていてもだ。…俺は、だがな」
含みのある言い方をするとルハドは瞳を右へと動かす。
「そもそもの話をするとだな。レザドネア家の娘と俺の部下を契約させるという話を聞いたのは最近だ。軍事面は俺の隣にいる騎士団長のバリオンドに任せていた」
「つまりリンクの話を持ち出したのは…」
「バリオンドだな。俺が知らないうちに最強の騎士を作るだなんてことやろうとしてるんだから驚きだよ」
王のそばに立つ騎士。
歳は三十代後半といったところだろうか。少なくとも王よりかは若く見える。
そんな彼が王国騎士団を統べる者――バリオンドだ。
「……陛下。欠落姫がレザドネア家から縁を切ることを黙認するのは看過できません」
「理由は?」
「一度きりの契約をしたといっても能力を失ったわけではありません。力があります。他国への流出はまずいでしょう」
「他国に行くってのは確定なんだな。どんだけ自分の国に自信ないんだよ」
「…………」
欠落姫がレザドネア家と縁を切った場合、この国から出ていくのは目に見えていた。彼女のような欠落者は役に立たず、不要だという考えが常識になっている国だ。移住を考えるのは当然だろう。
だからバリオンドは危険視した。
リンクなどという希少で貴重な力を他国に渡したらどうなるかわかったものではない。
「ま、一応聞いておくか。レザドネア家の娘。バミラ王国から出ていくつもりか?」
「はい。もちろんです」
即答。
エレナは自分の……自分たちの意思をすぐさま口にした。
すると彼女の回答を聞いた王は笑った。
「はははは! なるほど、なるほどなるほど。やはり肝が座っている。私たちということは、見た通り契約者は隣の隻腕の小僧か?」
エレナがこの部屋に入った時から常に手を握っている黒髪の少年。
問うまでもないことだが、ルハドは尋ねた。
「そうです。私の生涯を共にするパートナーです」
契約して、約束をした。
ともにこれから生きるのだと。
躊躇いも恥じらいもなく、堂々とエレナは言い放った。
「いいだろう! 今この時、お前たちは俺の権限によって晴れてバミラ王国民ではなくなった。どこにでも好きに行くがいい!」
「な、なりません!」
機嫌がよく、楽しそうな表情をしているルハドをバリオンドは呼び止める。
「はぁ…。やかましいな。なんだ、俺に何の文句がる?」
「先ほども言いましたが、リンクの力を持つ者をこの国から出せません。明らかに愚行です」
愚行とまで言ったバリオンドの顔に悔いはない。自分の言葉は間違っていないと思っているからこその態度である。
「言うじゃないか、流石は俺の見込んだ騎士団長だ。しかし、だ。今回はお前の話を聞き入れる気はない。俺はこの件、少々…いや、大分お前にイラついているからな」
「………」
そこでバリオンドの顔が強張る。
「宰相がいなくなってから軍事的なことは任せてるとはいえ、騎士を王都に集めてるかと思えば、まさかレザドネア家を引っ張ってくるとは思わなかった。マーネから聞くまで全く知らなかったぞ? 一体どんな取引をしたんだか…」
「……戦力増強のためです」
「馬鹿か? 俺たちが欲するのは戦力ではなく平和。武力によって作られた仮初めのものじゃない真の平和だ。他にやることがあっただろう」
「しかし!」
「くどいぞ。レザドネア家は保護対象であって、戦闘要員ではない。わかるな?」
「――――」
そこで終わりだ。
バリオンドはもうこれ以上何も言うことはできなかった。
「醜態を晒したな。今聞いてもらった通り軍事はバリオンドに任せていて、俺の管理が行き届いていない。わけがわからないことになっているのはそのせいだ」
「では、我々は国外に出ていいと?」
「逆に聞きたいんだが、なんでそんなにダメなことだと思っているんだ? 別に俺がお前たちが国外に行くのを止めることはない。自由を選ぶのは自由だからな」
「――――」
「…なるほど。育った環境故か。まあ、そこらへんは俺が何も言えない領分だな」
心の内でも読んでいるかのように彼は一人で会話をして納得をしていた。
「……少年、お前の名前はなんだ?」
思い出したようにアヤトにルハドは尋ねる。
「…アヤトです」
「ふむ…。アヤト…アヤトか。その名前は覚えておこう。情けないことにこの国はお前たちにとって生きにくい場所のはずだ。好きな国に行くといい」
この国では黒髪が生きづらい……いや、まともに生活すらできないことは当然、王であるルハドは把握している。彼が王となってから国は色々と変わりつつあるのだが、そこは前から変わらないままだ。何も人々の認識は変わっていない。
「だが、レザドネア家の娘。一族との縁は簡単に断ち切れないことは理解しておけ。どうせいずれはぶち当たる」
「………はい」
真の意味を理解することはできなかったが、重みを感じる言葉ではあった。今の王の言葉をエレナは忘れまいと脳に刻み込む。
「――さて、これでレザドネア家の娘からの話は終わりでいいか?」
「構いません」
エレナから確認を取ると、ルハドは続いてアヤトにとっては意外な人物に確認をした。
「ルシウス、お前もないのか?」
「ありません」
なぜここで確認を取るのがルシウスであるのか、アヤトとロザリエの二人には見当もつかなかった。
「では次に行こう。お前の番だ。フードの娘」
ルシウスが何者であるのかという疑問は頭の片隅に置いて、ロザリエは一歩前に出てフードを外した。エルフであるロザリエの顔を見た王国側の人間は、驚くよりも警戒の色をあらわにしていた。
「――私の名前はロザリエ・イディンフィーム」
「エルフ…違うな。ハイエルフか。これは本当に珍客だ。しかもその神と瞳、イディンフィームという名から察するに、王の血筋か?」
「ええ、そうよ。王族の血を引く第二王女」
かきあげられた金色の髪は長く美しかった。
美形で有名なエルフであるが、ロザリエはその中でもさらに抜きんでているだろう。
「――エレナ、ロザリエってすごい人なの?」
エレナの耳元に口を寄せて聞いた。
「ですね。エルフの国を治める立場にあるのが彼女です」
アヤトは当然知らないが、エレナの方はノンバラを出発する前の段階で彼女がハイエルフであり、王族であることには知っていた。気付いたのはルーダスに書庫を貸してもらい、エルフについての書物をよんでいる時だった。
「で? こちらとの関係を断ち切ったハイエルフが何の用だ?」
「…この国に協力を要請したいの」
「協力? 何の協力だ?」
不思議そうな表情と声でルハドは聞き返す。
少し間を空けると、ロザリエは口にした。
「――エルフの森で戦争が起こるの」




