第17話 『腕の中で』
赤い血飛沫は、染める。
周囲を、染める。
心を、染める。
鮮血。
歳を4つにしてそれを見た。
立ち向かった親から噴き出る赤い血。
庇った親から撒き散らされる紅。
蹂躙される。
白かった街は、いつの間にか赤くなっていた。
少女たちの目にはそれがよく焼き付けられた。内側に、深く刻まれた。
――パパ!
そう呼んでも返事はない。
――ママ!
そう泣き叫んでも動くことはない。
――止まって…。
そう言っても止まらない。
――止まって、お兄ちゃん!
止まらない。止まることはない。
どれだけ傷を負っても止まることはできない。
少年は天から飛び立った。その翼を広げ。
数多くの命と引き換えに、二人の天使は下界へと舞い降りた。
*****
「…………」
日が昇る前、サキリアヤトの意識は覚醒する。
ベッドから体は起こさない。
まだ誰も起きていないようだからだ。
「ん………」
なぜ急に目が覚めたのはよくわかっていない彼は、自分の左腕に温もりを感じた。人肌の温かさだ。
最初はエレナかと思ったが、すぐに違うとわかった。
体の大きさが異なっている。それに匂いも違う。
「――アナ…?」
アナであろう人物が左腕に密着しているのだが、彼女が隣のアヤトのベッドに潜り込んでくる理由が不明だった。
「1回起きて間違えちゃったのかな……ん?」
小さな声が聞こえた。
アナの口から無意識に漏れ出たものだ。
「………パパ…。……ママ…。…お兄…ちゃん…」
瞳からは数滴の涙が溢れ落ちていた。
アナと密着しているアヤトの腕に雫は付着した。その雫は彼の腕を這うように伝って最終的にはベッドに染み込んだ。
「……ごめん…なさ、い…」
「――――」
アナのものとは思えない程にか細い声。
寝言だろう。
しかし聞き流すことはできなかった。
「……生まれてきて……ごめん、なさい…」
「――――――」
同じだ。
彼女も自分と同じ。
生まれる必要のなかった存在。
生まれたことによって、周囲に影響を及ぼした子供。
「――大丈夫」
「…………」
「僕もだから。……僕も、君と一緒だから」
「………」
過去の夢の中。
彼女の応答は当然ない。
だが孤独なのだ。夢の中では独りだ。
だから、せめて…
「安心して」
年相応の少女らしい小さな体を抱き寄せる。
同じ存在の欠落を埋めようとする。
埋め尽くすことができなくても、初めての友人に温もりを届けられるのなら。
これでそれが自分にできるのなら。
躊躇いは必要ない。アヤトに躊躇いなどあるわけがなかった。
同情?
ああ、そうだとも。彼は生まれて初めての同情をした。
彼女を可哀想だと思ったが故の行動だ。
アヤトはさらに強くアナを抱き寄せる。
「………」
少年の腕の中、片翼の少女は安心したような笑み浮かべていた。
*****
「あああああ、アヤトがががが……」
アヤトはあの後また眠りに落ちた。
それが失態である。
彼はアナを抱き寄せたまま寝てしまったのだ。
最初に起きたアヤトの隣のベッドで寝ていたエレナが、その光景を見て何も反応を示さないわけがない。
「う、浮気してますっ!!!」
悲鳴のような声を上げた。
「いかがなされました! エレナ様!!」
レイが飛び起きる。
他の面々も彼女の声によって目を覚ました。
「あ、アヤトがぁ…。浮気してるんですぅ…」
「ほう、浮気ですか」
興味深そうな声を出したヴァイオレットは即座にベットから体を起こして、アヤトのベッドへと視線を向ける。
「やはりお前はそういうのが好きだな…」
ゼノスもヴァイオレットの寝起きとは思えない動きの速さに呆れながらも、アヤトのベッドを見やる。
「あー、あんたたちうるさいわよ…」
寝癖によって髪がぼさぼさになっているロザリエは文句を口にする。
その流れで彼女もアヤトとアナを見た。
二人は同じベッドで眠っている。
アヤトがアナを包むように抱いて、アナはそこに綺麗に収まっていた。
「…仲良さそうじゃない」
ロザリエからしてみれば微笑ましい光景以外の何者でもなかった。
「で、でもぉ…」
「安心してくださいエレナ様。その不埒者の首は私が落とします」
鎧は流石に脱いでいるが、用心は欠かさないレイは黒器を手元に置いている。
彼女がその黒き剣を抜くまでは素早かった。
「ま、まあ二人とも落ち着け。そしてできればしばらくこのままにしてあげてくれると嬉しい」
「そうね。その子たちそんな顔してるんだから邪魔するのは野暮でしょ。――じゃあ私また寝るから」
ゼノスの意見に賛成したロザリエは、毛布にくるまってまた横になった。
「――むぅ。仕方ありません…。しばらくはこのままにしましょう」
ベッドに横になる二人の微笑みを見ては仕方ないと言わざるを得なかった。
「エレナ様、いいんですか? アヤト様は浮気をしているんですよ?」
「お前は黙っておけ」
余計なことを言うヴァイオレットの頭部にゼノスは手刀を落とした。
痛みを感じたような反応を見せない彼女は、ゼノスの方へと振り向いた。
「わざわざ真夜中にアナを移動させたんですから、何かしら起きてもらわないとつまらないではないですか」
「お前だったのか…」
真夜中にアヤトのベットにアナを移動させたのはヴァイオレットであった。
*****
タイミングがいいのか悪いのか。
どちらかというと後者である可能性が高い気がするが、アナとアヤトが目覚めたタイミングはほぼ同時だった。
アヤトが無の瞳を開き、アナが有の目を開いた。
視線が交差する。
見えてはいないが視線が見事に噛み合ったことはアヤトにもわかった。
アナはとりあえず硬直した。
なぜか目覚めると友人第一号が視界に入ったのだ。無理もない。
十秒以上は確実に見つめ合っていた。
先に動いたのは片翼の少女。
「うわあああ!」と叫んでベッドから落下した。
その後アヤトはゆっくりと体を起こして悠長に「おはよう」などと口にした。
「な、なんでアヤト川タイのベッドの中に…。し、し、しかもあんな至近距離に…」
「いや、うん、ここが僕のベッドだね」
「はぇ?」
間の抜けた声を出すと、アヤトの左側…現在のアナの背後へと振り向く。
そしてまたアヤトのベッドを見る。
位置的には彼の言った通りアナが寝ていたのはアヤトのベッドであった。
「――なんで?」
硬直の後ようやく絞り出されたのはそんな言葉だった。
ヴァイオレットの老婆心か、ただの悪戯なのかよくわからない行動によってアナの脳みそは現在の状況を処理できていない。
「おはようございます、アヤト様。アナはいつまでそんなだらしない顔をしているの?」
犯人登場である。
もちろん二人はそんなこと知らないのだが。
「すみません。寝すぎたみたいです」
ベッドの位置から四つの気配が移動している。
つまり四人は既に起きているということだ。
「気にすることはない。ちょうど朝食だ。それにロザリエくんとエスメラルダはまだ寝ているしな」
「ゼ、ゼノス様。私はなんでアヤトのベッドに…」
もう頭の中がよくわからないことになっているので、一番信頼できる主人に答えを求めた。
「さぁ? 私が起きた時にはアナは既にアヤトくんの腕の中だったぞ」
「――――」
なぜ、という言葉が脳内で永遠と湧き出てくる。
そんな彼女をよそにアヤトはベッドから抜け出して立ち上がった。
するとエレナが彼の名前を寂しそうな声で呼んだ。
「アヤト、ちょっとこっちに来てください…」
「…?」
何かあったのだろうかと不思議に思いながら食卓の前の椅子に座っているエレナのもとへ移動した。ちょうど前に会ったところで、エレナは体を前に倒してアヤトに抱き着いた。
「ど、どうしたの?」
今まで寝ている最中に抱き着かれたことはあるが、こうも彼女と自分の意識がはっきりしている時に体を預けられるのは初めてだった。
「……気にしないでください。これは契約者として当然のことです。言い忘れていましたが、契約者は一日に一回以上は契約相手を抱き寄せて、必ず同衾しなければなりません。必ずです。というわけで今日からベッドは共有です」
「あー、うん…。わかったよ」
いつになく真剣な声のトーンだったので、気付けば承諾してしまっていた。
「…あと……」
「ん?」
「……あと、あまり私から離れないでくださいね…」
「――もちろん」
誓った。
すでに誓っている。
杞憂なのだ。
命が潰えるまで、彼女とは共にいるのだと彼は心に決めている。




