第9話 『叶わぬ幻想』
場所は何もない平原だった。
そのはずだったのだ。
「えぇ…」
エレナは困惑の色を隠しきれなかった。
というのも平原のど真ん中に木の家、いわゆるログハウスなるものが建っているからだ。しかも大きい。
「どうしたの、これ」
「魔術を閉じ込めて持ち運べるようにするスクロールというものがあるだろう? 転移の魔術が閉じ込められたスクロールでこの建物を転移させた。それだけだ。あ、だが念のため認識疎外の魔術はかけているぞ」
スクロール。
魔術を込めた巻物の総称である。
それを開けば封じられている魔術は誰でも使用することができる。そこだけ聞くと便利なものに思えるかもしれないが、基本は使い切り。一度開かれれば魔術は消え失せ、ただの巻物に戻ってしまう。さらにスクロールに魔術を閉じ込めるのはそれなりの技術が必要となる。つまりはなかなかの高級品である。一般人がお目にかかることはあまりない。
「へぇ、スクロールね。私実際に見たことないのよねぇ」
興味深そうな声をロザリエは出していた。
「…あぁ、そうか。エルフはスクロールなんて必要ないんだったな。見たことがないのも当然か」
エルフというのは魔術を生まれながらにして、なんとなくという感覚で行使できるものが大半の種族である。
スクロールは人間が簡単に魔術を使えるようにと作ったマジックアイテムなので、エルフたちには無用の長物なのだ。
「そもそもそれって人間の発明でしょ? 外から人間がスクロール持ち込んでくるまでエルフはそんなものの存在自体知らなかったのよ」
「ふむ。どうだ? 見てみるか?」
「いいの?」
「開かなければいいさ。まだスクロールは残っているから後でヴァイオレットに言って見てみるといい」
「ありがとう!」
花のように明るい笑顔を浮かべるロザリエ。
長時間同じ空間で会話をしていたからか、もはやそこにゼノスに対しての警戒の色はないようだった。
「それにしてもスクロールは貴重なものですよね。よかったのですか? こんなところで使ってしまって」
「君たちを野宿させるわけにもいかないからな。幸い手元には私の部下のおかげでスクロールが有り余るほどある。構わないとも」
気前がいいというのだろうか。ゼノスはあまりにも優しい。
部下であるアナが彼に優しすぎると心配していたのもアヤトたちは納得だった。
「さぁ、中に入ってくれ。ヴァイオレットが手料理を用意しているはずだ」
突如現れたログハウス。
彼らはその中で食卓を囲んだ。
*****
「豪華だったね」
「はい。こんな平原の真ん中であんなにおいしい料理を食べられるとは思いませんでした」
食後。
アヤトとエレナはログハウスの個室にいた。
個室と言ってもアヤトとエレナは同じ部屋である。というのも流石に人数が多すぎたようで、ログハウスに用意された部屋数では一人一部屋は無理だったのだ。
よってエスメラルダとアナ、アヤトとエレナはそれぞれ同室になった。
もちろんいつも通りレイからの反対意見はあったが、ゼノスが「ならば私が外で寝よう」などど言いだしたので、結果現在の状況になった。
「――ルーダスさんにちゃんと挨拶できなかったね」
ベッドに腰を掛けたアヤトは、正面で浮遊椅子に座っているエレナにずっと気にしていたことを口にした。
「そうですね。やはりフルデメンスの件で忙しいようでしたから」
出立する前に挨拶をしたのは店主だけだ。ルーダスの顔を見ることもできなかった。ちょうど今日からフルデメンスを東の牢獄へ移すことになっていたため、出会えなかったのだ。
「でも色々お世話になったから、もう一回ぐらいはお礼を言っておいた方がよかった気がする」
アヤトたちがすんなりノンバラから出ることができたのは彼のおかげだった。ルーダスが王都にも入れるようにと、フルデメンスが出現する前から特別な通行証を発行してくれていたのだ。王国騎士団三隊長の一人なだけあって、彼の名義で作られた通行証の力は凄まじい。見せただけで、兵からは特に顔を見られずにノンバラから出れた。
「まあもう二度と会えないというわけではないんです。また次にお会いした時にお礼を言いましょう」
「うん。そうだね」
バミラ王国にいる間はまた会える可能性は十分にある。フルデメンスの護送が終われば王都に戻ってくるはずなので、案外すぐに再開できるかもしれない。
「そういえば思ったより都市と都市って離れてるんだね。一駅二駅ぐらいの距離かと思ってた……って、駅はわからないか」
「電車という乗り物が停止する施設のことですよね。知識はありますよ」
「もう何でも知ってるね…」
「はい。本に書いてありましたから」
実はエレナの向こうの世界の知識量は自分と大差ないのではと思っているアヤト。そんな彼をよそにエレナは説明に入る。
「都市間の距離が離れているのには二つほど理由がありますね。まず第一に資金面的なところでしょう。巨大な街を作るとなるとやはりお金がかかりますからね。王国は領土こそそれなりにありますが、経済的には隣国である帝国に劣るという話ですし。でも村は点々とありますよ。今回は避けているようですが」
エレナの脳内には王コック内の地図がすべて入っている。村の位置もある程度は把握済みだ。
「それで二つ目の理由ですが、夜は魔物が出るんですよ。いえ、正確には出ていたですかね」
「魔物…?」
「魔物です。簡単に言うと夜に出現して人を襲う怪物ですね。この世界で有名どころと言ったら、スケルトンや魔狼、あと西の方に生息すると言われている『オメガ』。王国騎士団の存在理由は、他国から侵略されたときの防衛と今言った魔物の胎退治だそうです」
「それがいるから都市は少ないの?」
「というよりも、いたから容易に作れなかったですね」
エレナは過去形であることを強調した。
「昔は毎日のように大量の魔物が大地を徘徊していたそうですが、ある日を境に出現数は激減したそうです。かといって都市の数が増えているわけでもないんですけどね。魔術での情報伝達方法が確立されたのと、都市を新たに作ったところで王国に対してのメリットがあまりないようなので」
「へぇ」
「他に私の知らない理由はあるのかもしれませんが、都市と都市との間に距離があるのは大体今言った通りです。それと付け加えるならノンバラは他の都市とは離れた場所に位置しているので、少し遠いというのもあります」
説明は終了し、しばらく静寂が場に舞い降りた。
別に話すことが亡くなったというわけではない。
ただ、エレナが窓の外に広がる夜空を眺めているようなのでアヤトは何も喋らずに黙っていた。
「……エレナ。空は綺麗?」
二十秒ほど。
それほど経過したところでアヤトは、窓から入り込む夜風によって微かに切れな銀髪を揺らして星の輝く空へと視線を向けている少女に声をかけた。
「はい。とても綺麗です。外が平原で開放感があるからかはわかりませんが、今まで見た夜空の中で一番綺麗だと思います」
いつもアヤトの目を見て話す彼女が、珍しく彼の瞳を見ずに言葉を発している。
それ程に、エレナの目に映る夜空は美しく見えていたのだ。
「でも昔はもっと綺麗だったようですね」
「なんで昔より綺麗じゃなくなってるの?」
特に深い意味は孕んでいない素朴な疑問だった。
「…五百年前、大陸の中心に『契約の地』と呼ばれる場所が出現したようなんです」
そのエレナの話の途中ではあったが、数日前のノンバラでのことをアヤトは思い出した。
(契約の地って、エレナとロザリエさんが言ってたやつだ。そういえばエレナに聞いてなかったんだった)
ノンバラにて初めてロザリエと出会ったときに出てきた『契約の地』という言葉。結局アヤトはこれの意味を知らないまま今日まで過ごしていた。
「契約の地と呼ばれる場所からは天へと向かって大きな光の柱がそびえ立っています。その光の柱はいつでも絶えることなく発光し続けて、大陸全土に光を届けているので、夜景を霞ませているんですよ」
大陸全土に光を届けているといっても、光を感じることのできないアヤトには関係のないことだった。
「光の柱って何なの?」
「わかりません。ただ、結界のようなもののようです。『契約の地』に入ろうとするその光の柱に阻まれるそうなので」
「へぇ…。ちなみに中に何があるのかはわかってないの?」
「わかっていませんね。なぜ、誰が、契約の地と呼び始めたのかも謎です」
「そうなんだ…」
聞けはしたが、アヤトが面白いと思うような内容ではなかった。そもそもアヤトに面白いと思える話題があるのかは謎だが、彼は疑問だったものが解消できただけでもよしとしておくことにした。
「あ、そうだ。アヤトも夜景見ますか? リンクを使って」
唐突な提案だったが、確かにリンクをすればアヤトも視界を得られる。
エレナと同じように星々の浮かぶ空を見ることができるということだ。
「ううん。僕はいいよ」
だが断った。
「リンクを使った後は少し疲れるし、無闇に使うなってレイさんに言われたからね」
「そんなに気にする必要はないと思いますが…」
「気にしないで。僕はいいから」
彼は初めて夜の空というものを見ることのできる機会を断った。
リンク使用後は多少の疲労感がある。無闇に使うなとレイに言われている。この二つは事実だ。しかし断った本当の理由は別だ。
嫌だったのだ。
リンクを使用して空を見たところで、自分が感動しないだろうということはわかりきっているのだから。
(そうだ…。多分僕は何とも思わない)
初めて憧れていた視覚を得た時だって周りの景色に対しての感動は薄かった。
二回目以降は特に何も心の機微はなかった。ただエレナの姿を目にできなかったことを少し残念に思い、解除した後に虚無感があっただけだ。
確証はないが、確信はしている。
自分は夜空を見ても感動しないと。
そしてそれを同一化した際にエレナに感じ取られるかもしれないと考えた時、嫌だと思った。
少女に自分を知られるのが嫌だと思ったのだ。
「そうですか…、わかりました」
「ごめんね」
「謝る必要は全くないですよ。……でも、いつかアヤトとリンクを使わず、一緒にこの美しい夜空を眺めてみたいです」
視力を得た彼と、同一化せずとも肩を寄せ合って一緒に、月を、星を、天を見上げたい。
エレナの内に新たな願いができた。
――けれど叶わぬ幻想だ。




