第3話 『店主』
「――人の店に何やってんだ」
ドアの開く音とともにアヤトに聞き覚えのある声がした。
二人は声の方向へ視線を向ける。
「店主さん…」
「――――?」
そこにはアヤトとエレナの知人である店主の姿があった。
片翼の少女は誰だか知らないので、頭の上にクエスチョンマークを浮かべている。
「お前ら…って坊主じゃねえか」
「はい。こんにちは…」
『――あ』
小さな声で挨拶をするアヤトの脳内で、エレナが何かを思い出したかのような声をあげた。
『アヤト、この位置は確か…』
「もしかして…」
そう、アヤトが衝突した建物というのはこの店主の店であった。
「なんでうちの店の壁をあんなんに……あ?」
アヤトに壁を半壊させた理由を問い質そうとした時、視線を片翼の少女へと移した店主が怪訝な表情を見せた。
「どういうこと?」
少女の翼ではなく、少女の存在そのものに驚いているようだった。
「なんで天空人がいる。お前たちのテリトリーは天界だろ」
そこで、片翼の少女の目が変わる。
「…黙れ」
「片翼……なるほど。追放者か。それとも…」
「――黙れと言うのが聞こえないのか、人間」
アヤトは鳥肌が立っていた。
要因は単純である。片翼の少女だ。
少女が店主へと向ける異常なまでの殺意をアヤトも肌で感じ取っているのだ。
「ああ、機嫌を損ねたのなら謝罪する。昔から俺は相手の神経を逆なでする無駄なことを口にするらしいからな」
「――――」
トリガーは引かれた。アヤトの横を疾風が通過する。
「――!」
今さっきまでの動きよりさらに素早い。片翼の少女はすでに店主の前にいた。
「店主さん!!」
叫ぶアヤト。
攻撃の動作は既に開始している。
手を出しても届かない。だから呼ぶしかなかった。
「《エンチャント・ライトニング》…!」
振るわれる雷を帯びた拳。
それは少女が出せるだけの力が込められた一撃。
人間の体に命中すればいとも容易く体を貫通するだろう。リンク状態のアヤトであってもまともに受ければ壁に打ち付けられる程度では済まない。
その彼女の殺意の籠った拳を店主は、
「なんだ急に」
躱した。
「!?」
少女は驚き、目を見開く。
攻撃が躱されたからではない。
それは別にいいのだ。今まで幾度か回避されたことはあるのでショックでもない。相手の戦力を見誤った自分のミスだ。
驚いたのは躱し方。そして目の動き。
店主は稲妻と同等の速度を誇る彼女の拳を確実に目で捉えて、必要最低限の極小の動きで躱したのだ。今まで彼女が見てきた人間に彼のような存在はいなかった。
「本当に人間か…?」
「ああ、人間だとも。そんでもってただの店主だ。こんなもので驚いてるようだと、まだまだ世界を知らないな嬢ちゃん。国の精鋭には俺以上の奴なんて山ほどいるぞ」
「っ!」
怒りは加速する。
再び体勢を立て直し片翼の少女が攻撃を繰り出す、その瞬間だった。
「な…」
店主は少女の腕を掴むと、右足で彼女の足を払った。
バランスを崩すどころか、少女は一瞬宙に浮いた。そして、地面に叩きつけられる。
「ぐ…っ!」
手足を動かそうとするが、押さえ付けられているため満足に身動きがとれない。完全に無力化された。
「相手を殺す場合、必要なのは嬢ちゃんみたいな力だ。でも戦いの中で生き残りたいのなら必要なのは技術だよ。特に俺みたいな常人にはな」
「は、離せっ!!」
「離してやりたいんだが、ひとまず落ち着いてくれ。離した途端殺されたんじゃ笑えん」
少女はともかく殺されそうだったというのに店主は至って冷静だった。
だが、背後の存在には彼でも気づけなかった。
「――悪いが離してやってくれ」
今回聞こえたのは、アヤトが聞いたこともない男の声。
倒れているチンピラのものではない。逃げたあの男でもない。
新たな人物が店主の後ろに立っていた。
黒い外套に身を包んだ高身長の黒髪の男。明らかに異様な存在感を放っている。
しかし店主は特に焦った様子もなく、余裕をもって振り返った。
「やっぱりお前か。まあ、それもそうか。天空人がこんな場所にいるなんておかしいからな」
店主は拘束をやめて立ち上がる。
「やっと話したな人間…って、ゼノス様ぁ!?」
男の存在に気が付いた少女は悲鳴にも等しい驚きの声を上げた。
「――エスメラルダを探しに行けと言ったのになぜこんなことになっている?」
「えっと…、いや…、その……」
「はぁ…。まあ二人とも無事だったのならいい。相手がマルコだったのが救いだな」
呆れたようにため息をつくと、黒い外套の男は店主の方へと顔を向けた。
「すまないマルコ。私の部下が迷惑をかけた」
「気にするな」
「そう言ってもらえると助かるよ」
次はアヤトへと視線を向けた。
「君にも私の部下が迷惑をかけたようだな。謝罪しよう、少年」
「あ、はい。大丈夫ですけど…」
別に怪我はしていない。アヤト的には謝られるようなことはなかった。
それよりも…
(感知できなかった…)
これが一番の問題。
この世界に来てから例外なく機能していた感知能力が、黒い外套の男に対しては機能していなかった。
(エレナも何も言わないし、どうなってるんだろう)
エレナは言葉を発さなくなっていた。
どうも先ほどから何かがおかしい。
「ゼノス様―!」
これまでずっと静かにしていた赤眼の少女――エスメラルダが果物の入った袋を抱え、黒い外套の男のもとへと走っていく。その勢いによってかぶっていたフードが外れ、エメラルドグリーンの綺麗な頭髪があらわになった。
「いまいち状況がわからないが、怖い思いをさせたようだ。すまない。やはり護衛を一人つけておくべきだったな」
「あ、謝らないでください。私が一人で買い物をしたいだなんてわがままを言ったのが…」
男はしゃがんで姿勢を低くし、少女の頭に優しく手を置いた。
「自分を責めるな。お前が無事でいただけで十分だ」
「…! はいっ!」
優しい男の笑みに少女は心の底からの笑顔を返した。
(考えすぎ…なのかな)
二人のやり取りを見た限りでは、男が危険だとは考えにくい。男に対しての警戒は、自分の杞憂にしか思えなくなっていた。
「――さて、連絡は済ませるとして………アナ」
「は、ひゃいっ!」
動揺しているようで、声が上ずっていた。
「この壁はお前がやったのか?」
男は店主の店を指さした。
「いや、ぶつかったのは私じゃなくてそこのマフラー巻いた人間が……」
「声が小さい」
「すみません! 私がやりました!!」
「……ふむ」
「ちなみに俺の店だ」
「…………ふむ」
余計なこと言うなという視線を片翼の少女――アナは店主に向けていた。
「マルコ、本当にすまなかった。この壁は後で私の部下に直させよう」
「これも気にするなって言いたいところだけど、流石に今回は甘えさせてもらおうか」
「ああ、そうしてくれ。その方が私の気持ちが楽になる」
友人のように会話する男と店主。未だに男がどんな人物か不明なのでアヤトには二人の関係性がわからなかった。
『――アヤト、時間です』
「あ、よかった。やっと話してくれた。少し待ってて、椅子を取って――」
「これかな?」
男はエレナの座る浮遊椅子を掴んでいた。
「どうぞ」
わざわざ男はアヤトのもとまで歩いて椅子を運んできた。
「ありがとう…ございます」
「いいや、気にしないでくれ。こちらの掛けた迷惑の方が感謝を上回っているだろうからな…」
アヤトは、本当に申し訳なさそうで疲れ切った顔をした男から椅子を受け取り、エレナが座れるように自分の正面に置いた。
アヤトの体から光の粒子が現れる。
それは椅子の方へと移動し、人の体を形成する。やがて銀髪の少女、エレナがその椅子の上に出現した。
同時にアヤトの視覚は遮断され、元の盲目の状態に戻った。
「ほぉ。ほんとにリンクってやつ使ってたんだな。あんたは見たことあるか?」
「――ない。知識だけだ」
「あんたでも知らないってことは、ルーダスに聞いた通り相当貴重な能力なのか」
「貴重だな。存在の完全な同一化なんて普通できない」
初めて見たと言うが、初見とは思えないほどに男は落ち着いているようだった。
彼の瞳はそのまま椅子に座るエレナへと向けられる。
「君が噂に聞くエレナ・レザドネアか」
「…ええ、そうです。私のことを知っているのですね」
「勿論だとも。君という存在は非常に珍しい」
店主は事情を知っている護衛役だったルーダスとは親しいようなので、エレナについて知っていてもおかしくはない。だが、この黒い外套の男がエレナの存在だけならまだしも、リンクまで知っているというのには疑問がある。
「――さて、ここでずっと立ち話もなんではないか?」
「確かにそうだな。いいぞ、俺の店に入れ。どうせ坊主たちも飯食いに来たんだろ?」
「ああ、はい…」
煮え切らない返事であった。
男の存在がそうさせているのだ。
危険ではないのかもしれないと思い始めているのだが、リンクを解除し視覚が遮断され、アビリティの感知が鋭くなったからか、今まで感じていなかった独特な雰囲気……ガルノと似たような気配を彼から感じ取ったため、アヤトの中の警戒心はまだ男に気を許していなかった。
そんな彼の様子を見た男が、優しい声音でアヤトに声をかけた。
「そんなに緊張しないでくれ。私は敵ではない」
「そうだバーカ! ゼノス様は寛大なんだぞ! お前みたいな下等生物であるにんげんにだっ、てぇ…ッ!?」
アナの脳天に拳骨が落下した。
「お前は謝罪したのか?」
「しゃ、謝罪…?」
頭を押さえながら涙目のアナは首を傾げた。
「彼への謝罪だ。どうせ言いがかりをつけてお前から攻撃を仕掛けたのだろう?」
「は、はい。そうです…」
「ならば謝罪をするのが筋というものではないか? 間違っていれば間違いを認める。そして自らに非があるのなら謝罪する。私はお前が幼いころからそう教えていたはずだが…。違っているか?」
「いいい、いいえ! そんなことはありません! ちゃんと心得ています!」
「よろしい。ではやるべきことはわかっているな?」
「もちろんです!!」
著しい変化を前に何も言えないアヤトたち。
アナは二人の方に機敏な動きで体を向けると、上半身を前へと傾けた。
「――――」
そして静寂。
頭を下げたのはいいものの、彼女はそれ以降何も考えていなかったらしい。
「――わ、悪かった。間違って攻撃を…した。その……ごめんな、さい…。ほんとうに……」
「だ、大丈夫ですよ! そんなに謝らなくても!」
涙目で…というかすでに涙を流しながら屈辱だと言わんばかりの表情で謝罪をしているアナ。視覚のないアヤトでも何となく状況は察せられるので、大急ぎで止めに入る。
「僕たちもちゃんと状況を説明できていなかったので――」
と、そこでアナが勢いよく顔を上げた。
「そうだ!! 確かに私も…悪かったかもしれない――が! お前たちも悪いんだぞっ!!」
「すまないな…。こういうやつなんだ…」
「あははは…」
アヤトも苦笑するほかなかった。




