第2話 『アビリティ』
「やっぱりそれは役に立たなかったのね」
「うるせぇ!」
先ほどの場所に戻るなり女性がガラを煽る。そして当然のように乗せられガラは大声を出した。
「それはいいとして、その子は結局人質にするのかしら」
「そのつもりだ、メイア」
女性の名前はメイア。それが判明した。
「――ミスってわけじゃないわよね。あなた、いいの?」
メイアと名前を呼ばれた途端、彼女の声は冷たいものへと変化した。
「馬鹿三人と違って名前隠してたのに」
「いいだろ。俺一応有名人だからな」
「あなたはいいとしても私は……まあいいわ」
諦めたようにメイアは話を続けるのを断念した。
「よし、なら少しお話でもしようぜ。アヤト」
「おい。そろそろ時間だぞ」
「すぐ終わる。…ほら座れよ」
ガルノに言われるがまま地面に腰を下ろした。日光の当たらない日陰なのか土は冷たかった。ガルノもアヤトの正面に座る。ヘルト、ガラ、ネイトスの三人は少し離れた場所で立ったままだった。
メイアだけはよくわからない。彼女の動作音を聞きとることができなかったのだ。
そもそもおかしなことに彼女は先ほどから声だけは聞こえているが、足音が一切していない。もしかしたら彼女は浮いているのではないか、と一瞬非科学的なことを考えた。しかし文字通りそれについて考えたのは一瞬。そんなことを考えていられる余裕は今のアヤトにはない。メイアが存在するのだということがわかれば、それ以外のことはとりあえずどうでもいい。落ち着いて思考を切り替えることにした。
「聞きたいことがあるんだけどいいか?」
ガルノではなくヘルトから発せられた声。この状況で拒否する勇気をアヤトは持ち合わせていないので「はい」と短く答えた。
「どこから来たんだ?」
「――――」
「付近の村か? それとも王国外から来たのか?」
「――――」
あの謎の子供に『この世界の住人として生きるように』と言われているので、当然その通りにはする。が、返答をどうすればいいのか困ってしまう。
「無視か…」
「なんだこのガキ、愛想ねえな」
結局いい返答が見つからず何も言うことができなかった。
「お前の方から聞きたいことはないのか?」
気を遣ったのか、ガルノが質問はあるかと尋ねてきた。
「――じゃあ…。あなたたちは何者ですか?」
「盗賊……そんなところだ」
ヘルトが答えた。
「あなたたち三人はでしょ。私とガルノは違う。お金なんて興味ないもの」
盗賊という単語を脳内でリピートさせる。
(盗賊…か)
盗賊なんて彼の世界では聞くことはあまりない。
「なんでこんな森に?」
「ふぅん。森っていうのはちゃんとわかってるのね」
メイアに視線を向けられているのはわかっている。けれど違和感があった。
他の四人も見てはいるが、彼女だけは見ているものが違うように思えたのだ。アヤトの見た目や動きなどではなく、もっと別の何か。彼の心でも観察しているような感じだ。
「依頼だ。依頼」
「どんな依頼なんですか?」
「バカかテメェは。内容まで話すわけ――」
「ある人間を攫えって依頼だ」
躊躇いもなくガルノは依頼内容を口にした。
そんな彼の行動にガラが何の反応をしないわけがない。
「何考えてんだ! 馬鹿かお前は!!」
「……やめておけ。その男に何を言っても無駄だ」
呆れたような溜息をついてからネイトスがガラを宥める。
「教えてやった代わりにお前も質問に答えろ。何でこの森にいるんだ」
「――わかりません。自分でもわからないんです。何でこんなところにいるのか」
偽りはない。
アヤト自身なぜこんなところにいるのかわかっていないのだ。
ガラは「何言ってんだコイツ」なんて言っているが、質問者であるガルノは何も言わない。表情を見ることができないので、今彼が何を考えているかは不明だ。
「なるほどな。大体わかった」
地面を踏みつける音がした。ガルノがゆっくりと立ち上がったのだ。
「俺から聞きたいことはもうない。お前たちは?」
「私はなくはないけど……今はいいわ」
他三人からの反応は特にない。
「なら行くか。日が沈んできてる。もういい時間だろ」
今まで確認できていなかった時間が確認できた。ガルノが言うには現在は夕方らしい。
「その子は拘束する?」
「わざわざ魔術を使う必要はない。誰か一人見張っとけばいいだろ」
「わかったけど、何回魔術じゃなくて魔法だって言えばいいの?」
「お前もいい加減学べよ。魔法って呼んでるのはお前が暮らしてた地域とこの森の奥だけだ」
アヤトは再びガルノに腕を掴まれた。
「行こうぜ、アヤト」
ガルノはゆっくりと歩き出す。
捕まっているアヤトは大人しくそれに従い歩く。
(魔法…)
自分の手を掴む人物の放った言葉。聞いたことがないわけではないが盗賊同様聞きなれない単語だ。
(騎士、王国、盗賊、魔法…)
この場で聞いた言葉を並べていく。するとある言葉が脳内に現れた。
(――異世界…か)
元いた世界の常識では考えられないことが充満した異世界へとサキリアヤトは送られてしまったのだ。
*****
ファンタジー。空想や幻想などという意味である。
アヤトが住んでいた世界の住人からしたらこの世界はそのファンタジーに該当するだろう。彼の父親はよくそのような現実にはあり得ないであろう話をしていた。
しかしもともと目が見えない彼にとっては全てが夢想の世界。
常人がこの世界に来たのならばあっと驚くだろうがアヤトはそうでもなかった。また自分が見ることのできない世界に対しての想像が膨らんだ。その程度だ。
(変わらないな…)
変化はない。
世界が変わったとしても彼という存在に変化は訪れない。
「大丈夫か?」
「……大丈夫です」
見張り役のヘルトの歩行速度が遅くなっている。どうやらアヤトの身を案じているようだった。
まさか心配され声をかけられるなんて思っていなかったので、少なからずアヤトは驚いてしまっていた。
「なんで…僕のことを気にかけてくれるんですか?」
「――気にかけているつもりはない」
足音が先へと進んでいく。ヘルトはアヤトから離れていってしまった。
(…嘘だ)
表情の微妙な変化で相手が嘘をついているかを判断する人物がいるように、アヤトも相手の声音の微妙な違いをある程度聞き分けることができる。
ヘルトの言葉は偽りだった。
「何話してんだ?」
ヘルトと交代するように先を歩いていたガルノが、一番後ろを歩くアヤトの横まで下がってきた。ヘルトが彼に見張りを交代してくれと言っていたこと、ガルノがそれに対して「わかった」と短く返事をしたことを聞き取れている。
「――――」
「なんだ、無視か。別にいいけどよ」
残念がっている様子はなく、彼の声は相変わらず笑っている。
(やっぱり、無理か…)
逃げるタイミングを窺ってはいるのだが、彼は無理だとほぼ諦めていた。
というのもタイミング云々の前にどうあがいてもガルノから逃げ切ることができないのだ。アヤトが走り出した時、ガルノは声が発せられた位置から考えて五メートルは離れていた上に、座っていた。そのアドバンテージがありながら追いつかれたということはアヤトがどんな逃げ方をしたところで、ガルノに逃亡を感知された時点で逃げることが不可能。
(そもそも他に四人もいる…)
ガルノを含めた五人すべての目を盗み行動すれば逃げることは可能かもしれない。というよりもそこが逃走のスタートラインだ。それをクリアできなければ逃れられない。
しかし、あまりにも無謀だ。
人が自分に対して意識を向けているとなんとなくわかりはが、あくまでそれは向けられているとわかるよだけ。別の何かに意識を向かせるようなことはできない。
五人に気付かれないようにという前提ですでに詰んでいる。
「あ、そうそう。これ終わったらお前は俺とメイアについて来てもらう。いいな?」
「――殺さないんですか?」
他のメンバーに聞こえないように話された意外な言葉。
ガルノの言葉は偽りではない。
「殺さねぇよ。俺はお前が気に入ったんだ。安心しろ」
これも偽りではない。
だがそうとわかっていても、この血の匂いを漂わせているような男から言われた言葉をそう簡単に信用できなかった。
「――何でここにいるかわからになんて言ってたけど、記憶喪失ってわけじゃないんだろ?」
「………」
「おいおい。目的地着くまで暇なんだよ。少しぐらい俺の話し相手になってくれたっていいだろ?」
「僕である必要ありますか? 他にも話す人はいると思いますけど…」
「――やっぱりお前似てるよ」
とても小さな声だった。
聴覚が以前のままでは音を拾うことができていなかったかもしれない。
「…んで、あの三人とは面白そうな話できそうにないんだよなぁ」
何もなかったかのように彼はアヤト疑問に答え始めた。
「なら、あの女の人は?」
「メイアか? まあ、あいつとは会話はするが楽しい話ができるかって言われると微妙だな。て、そうじゃなくて俺はお前に興味があるんだ。だからお前と会話をしたいんだよ」
「あら、私には興味ないわけ?」
自分の名前が聞こえたのか、メイアが近づいてきているのをアヤトは感じ取った。
「ない。お前も俺に興味ないだろ?」
「あるわよ? 貴方の体質にだけれど」
「――それで、何で下がってきたんだ?」
「私も暇だから会話に加えて欲しいのよ。いいでしょ? ね、盲目ちゃん」
声が自分に向けられたものだということは当然気付いた。
盲目ちゃんという呼び名が気になったがそれについてはスルーして、ずっと気になっていたことを思い切って聞くことにした。
「一つ聞いてもいいですか?」
「なに? 私に答えられることなら答えるけど」
メイアの声は小さな子供を相手にしているかのように優しいものだった。
「体…浮いてるんですか?」
「わかるの? 目が見えてないのに?」
「確信を持ててるわけじゃないですけど、あなたの足音だけ一度も聞こえていないので」
「すごい聴力ね…」
女性の視線がアヤトから外れた。ガルノの方に向かったのだろう。
「面白いだろ?」
なぜかガルノが誇らしそうにしている。
「そうね。色々気になることが…。あなたまさか」
「連れていくつもりだ」
「――まあ、私から言うことはないけど。責任はあなたが負いなさいよ」
「へいへい」
違和感がある。
彼ら二人から違和感を感じる。
ヘルト、ガラ、ネイトスの三人とは違う何かを感じる。
(…勘だけど)
結局考えても無意味だ。自分には関係のないことなのだから。
「質問に答えるけど私は浮遊してるわ。足を地につけていない」
「それが……魔法ですか?」
「そう。魔法の一種よ」
アヤトは魔法という言葉を聞いたことがないわけではない。
よく耳にしたのは彼の妹たちがテレビゲームをしている時だ。
空想の中で生まれたありえることのない力だと彼は認識している。
「ま、魔術っていうのが一般的だけどな」
「うるさいわね…」
声からしてメイアが不機嫌であることはわかる。
「…まあいいわ。それよりもさっきしなかった質問をしてもいいかしら」
「どうぞ」
浮遊しているメイアはアヤトの肩に手を回し体を預けてくる。
重みはたいして感じない。マフラーの隙間から、彼女の滑らかな肌が触れているのはよくわかった。
「君は目が見えないのに森を自由に逃亡してた。ある程度の力量がある戦士ならそのくらいできると思うけれど、君の歩き方からしてそうじゃないでしょ? 戦闘経験を積んだ戦士の歩き方じゃないわ。そうなると…君はもしかして感知系のアビリティ持ち?」
「アビリティ…?」
アビリティという言葉は知っている。
英語で能力や才能という意味。
しかし自分の知っているアビリティと彼女の言ったアビリティはおそらく意味が違うとアヤトは察した。ここに送られる前に少年が同じ単語を口にしていたのを思い出したからだ。
(どう答えるべきなんだろ)
悩んだ。
アビリティという言葉がこの世界で一般常識だった場合、ここで適当な返答をしなければ自分が別世界の住人ではないかと疑われるのではと考えたのだ。
しかし答えないという選択肢はあまり得悪ではない気がした。
だから知らないと言っても情報弱者としてしか扱われないかもしれないという確証は何もない可能性に賭けることにした。
「……アビリティって何ですか?」
機能していない瞳をすぐ傍にいるメイアへ向ける。
「――知らないんだ。アビリティは簡単に言えばその生命体固有の特殊能力のことよ」
「特殊能力?」
「そうよ。ちなみにガルノはアビリティ持ち。多分君も」
「僕もですか?」
十七年間生きてきた中で特殊能力なんて不確かなものを使えた記憶はない。
「お前のアビリティは探知系だな。《シックスセンス》ってところか。なかなか特殊なアビリティだ。それに加えて視界以外の五感が優れているから探知能力がずば抜けてるな。戦闘で役立つかって言ったら微妙だけど」
「珍しく分析してるのね」
「ああ。俺にしては珍しくな」
アビリティが自分にもあるというのは彼らの話を聞き終えた後は特に疑わなかった。目が見えていないのに周囲の状態があまりにも明確にわかるのだ。特殊能力なんて非常識的なこと言われても納得できる。
「――なあ、もう一つ聞いていいか?」
「はい」
断る気はない。拒否権があるとも思っていないからだ。
「なんでお前、敬語ではなしてるんだ?」
「――――?」
問いの意味がよくわからなかった。一応アヤトなりに答えることにした。
「ガルノさんたちは年上なみたいですし、僕の立場的に敬語になるのは普通だと思うんですけど」
「――普通か…。やっぱり似てるな」
さっきも「似ている」と口にしていた。だが今回は先ほどよりも冷たい声音だった。
寒気すら感じるほどに冷たく、そこには微かに怒りが混じっているような気がした。
「――――」
しばらく沈黙が続いた後、ガルノの足音が聞こえなくなった。どうやら足を止めたらしい。アヤトも歩くのをやめた。
「――そろそろか」
ガルノが呟いた途端、前方で雷鳴のような爆発音がした。
聴力が強化されたアヤトにとってはとてつもない轟音だった。
「始まったみたいね」
なにがなんなのか、アヤトは全く理解できていない。
「さあ、行くぞアヤト。――おっと、その前にだ。メイア魔術かけろ。俺とアヤトにな」
「だから魔法だって……て、その子にも?」
「ああ、護身用だよ」