第15話 『爆発』
「…ッ! 耳が…」
耳から激しい痛みを感じて意識を取り戻す。
「ここ、は…」
自分が倒れているのはすぐにわかった。どこに倒れているのか確認するためにアヤトは手を動かす。
木の床だ。今彼が倒れているのは木の床の上だった。
「書庫の中…。爆発のせいか」
自分が吹き飛ばされたのは理解した。だから次の行動に移る。
「エレナを…」
アビリティによって周囲に三人の気配を感知する。同時に小さな声が聞こえた。
「……イ!」
耳を澄ましてようやくレイと叫んでいるのだとわかった。
(小さい割には…)
聞きとった音量の割には声が必死だった。またレイと名前を叫んでいる。
叫んでいるように聞こえるのだが、やはり声は小さい。しかも籠って聞こえる。
「――そうか…。耳が…」
聞こえづらくなっている。その原因はすぐに思い至った。爆発音だ。
同時に先ほどから右耳の穴から流れ出ているものの正体もわかった。血だ。
赤く、温もりを感じさせる血液が、滴っている。
左耳からは血は出ていなかった。音をなんとか聞きとってれているのはこちらが辛うじて機能しているからだ。
(ガルノさんがあの時俺を連れてかなかったのはこれが理由かな…。それにしても…)
十七年間頼ってきた聴覚はほぼ失われた。今まで使えていたはずの機能が使用不可になったことを実感したアヤトは恐怖した。目が見えない上に、音もろくに聞こえない。
「でも…行かないと…」
優先すべきことがある。
立ち上がり、足を進めた。バチバチと建物が燃える音と少女の声が聞こえる。
「レイ…! レイ!」
自分では立つこともできない銀髪の少女は木の床に座していた。黒髪の女性、レイに庇われるように抱えられながら。
「エレナ…、様…」
かろうじて意識はあるようだが、声には気がない。
それもそうだろう。彼女の背中は爆発によって抉られているのだから。
少女を抱えていた手から力が抜けた。そして足の力すら抜け落ち、彼女は倒れた。
「レイ!!」
「――エレナ…っ!」
アヤトは駆け寄る。
走りにくいが、止まらない。足を怪我をしているようだが今はどうでもいい。
「アヤト…。レイが、レイの体が…っ!」
「わかった。だから落ち着いて」
エレナの声の調子からレイが危険な状況なのはわかっているが、アヤトは彼女を安心させるような言葉をかけてあげることができなかった。なにも思いつかなかった。
なんとかエレナは落ち着こうとしているようだ。けれど傷ついたレイが視界にある以上は彼女が冷静さを取り戻すことはできない。今やるべき最善の行動をできていないことがその証拠だ。そしてアヤトもそれに気付いていない。
アヤトは横になっているレイの前で膝をついた。
「教えてもらっただけで使ったこともないけど…」
マフラーの隙間から紐を引っ張り、服の中にあるペンダントを取り出した。
宝石を右手に握り締めて、そのままレイに向ける。
「治ってくれ…!」
彼の手とレイの体の間に緑色の魔法陣が生成され、彼女は緑光に包まれた。
治癒魔術。アヤトが発動するように願った魔術だ。イメージしたのは自分の体に穴を空けられた時のこと。あの時の穴が塞がっていく感覚を思い出し、石を握った。
「エ、レナ…、レイさんは…どうなって…る?」
何かが抜き取られ減っていくような感覚を味わいながら、エレナに状況を尋ねる。
魔術を使っている影響か、言葉を満足に発することができない。
「…少しずつ、傷が塞がってます!」
魔術の効果は表れている。それがわかれば十分だ。不安要素はない。
一刻も早く傷を塞がなければならない。自分の体がどうなるかわからないが、レイを完全に治すことを優先する。助けるんだ。あの人ように。
しかしアヤトの選んだこの行為は失敗だ。
なぜならレイの傷が完治するまで彼が悠長に待っているわけがないのだから。
「っ………!」
空間が歪む。
一度目よりもアヤトのアビリティは正確にそれを感じとっていた。
目視でしか空間の歪みを把握できないエレナは気付いていない。アヤトがエレナに声をかける前に彼らは爆炎に包まれた。
「…さて。あの黒髪の欠落者が契約者だったのか。やはり『物語』とは異なっているな」
残骸を避けながらゆっくり足を前へ前へと動かす。黒い革靴は木の床を一歩進むごとにカツカツと気持ちのいい音を立てた。まるで彼の今の気分を体現しているかのようないい音色だ。
「肉片になったか?」
爆発の難点は火力の調節を間違えると派手さ故に敵の死ぬ瞬間を確認できないことだ。今回は火力を出し過ぎた。書庫を半壊させてしまっている。
爆破によって現れた煙が晴れるまで数十秒。彼は心を躍らせながら待機していた。
「なに?」
待望の瞬間、煙から出てきたのはフルデメンスの想像したものではなかった。
「何故無事なんだ」
対象は位置の移動を行っていない。少女を庇うような姿勢をとってはいるが、未だ治癒魔術を使用している。ならば確実に命中しているはずだ。
「……貴様か」
視線を向けたのは上。割れた窓から人影がフルデメンスを見下ろしていた。
「全く…。ただことじゃないと思って来てみればなんなのかしら」
長い耳。宝石のような翠の瞳。透き通るような金色の髪。整った顔。美め麗しいエルフの少女、ロザリエだ。
「とりあえず敵ってことでいいのよね」
「――エルフ…違うな。ハイエルフか。それにしてもどうやって私の爆発を…」
よくよく見れば三人を護るように薄い膜のようなものが張られていた。
「…なるほど、魔力壁か。自分以外の者を護るために展開してその強度……流石と言うべきか?」
魔術の行使に利用する魔力を操って作られた壁。魔術を行使できるものならば誰でも作れるが、作り手が人間とエルフでは質が大分違ってくる。
「私には関係ないがな。――吹き飛べ」
静かな声と共にロザリエの付近の空間が歪み、炸裂する。
今度の爆破も強力だった。書物は燃え、建物は三分の二以上も失われている。書庫の面影はもはやない。煙が晴れるのを待っていると、ロザリエの姿よりも先に矢がフルデメンスめがけて飛んできた。
「くだらん」
頭部へと放たれた矢は当たることはなかった。避けられたわけではない、フルデメンスの目の前で起きた小さな爆破によって消滅させられたのだ。
再び煙の中から三本立て続けに射られた矢は、全て一本目と同じようにして小規模の爆破で防がれた。また矢を射られる前にフルデメンスはエルフが潜んでいる煙の中に爆発を起こした。
「死んだか?」
捉えた、かに思えた。
「残念、後ろ」
ギギギと弓を引く音が背後でしたのを耳にする。いつのまにか、フルデメンスの気付かない間に背後をロザリエは取っていたのだ。
「私の感知をすり抜けるか…。だが残念なのはどちらだ?」
貰ったと矢をつがえていた指を離した瞬間、フルデメンスの全方位三百六十度。彼を囲う空間が歪み、弾け飛んだ。
攻撃の最中の回避は不可能である。
数十メートルは吹き飛ばされ、駐屯地の塀に衝突する。塀にはひびが入り、今にも崩れ落ちてもおかしくはなかった。
「が、は…っ!」
魔力壁での防御は紙一重で間に合ったため爆破によるダメージはない。しかし塀に衝突したときに発生した衝撃による痛みは軽減できずにしっかりと負った。
「…ったく、きついわね…」
ロザリエの体は脆い。生まれつきであるため、それを魔力壁で防御することによってカバーしていたわけだが、今回はそれが叶わなかった。見た目以上にロザリエは重症である。
「面倒だから全方位爆破したが効いたらしいな。貴様はそこで大人しくしていろ」
興味はないといった様子でロザリエから視線を外すと、今なお治癒魔術を使い続けているアヤトたちへ向き直る。
「もう守り手はいない」
ハイエルフはいない。彼らを護る者はもう…、
「動くな!」
いや、まだいる。
ここは駐屯地だ。当然騎士がいる。二桁はくだらない。百を超える数の騎士たちが武器を持ち駆けつけた。ルーダスの念のためはここで功を奏したのだ。
「フルデメンス!! 貴様は今包囲されている。大人しく投降しろ!」
すでにフルデメンスの特徴は知れ渡っている上に、ここには昨日の戦闘で彼の顔を実際に見た者もいるのだ。騎士が彼の名前を言い当てたのは当然だ。
「無駄だとわかっているだろうに…。有象無象が…」
剣を構える騎士たちを睥睨する。明らかにフルデメンスは不機嫌だ。顔からそれは一目瞭然だった。
「…仕方あるまい。攻撃対象の変更だ」
邪魔されては堪ったものではない。彼はさっさと終わらせることにした。
「とくと味わえ」




