第13話 『赤い花』
場所は駐屯地内の建物の一つ。様々な本が置いてある書庫である。昼食後、ルーダスが暇だったら入っても構わないと言ってくれたので、エレナはずっとここで本を読んでいる。
積み上げられていた七冊の分厚い本は、残すところあと一冊である。
「――何か気になるのはあった?」
黙々と本を読むエレナに声をかけた。
本を読むことができない彼は暇をつぶす方法がないのだ。忍耐力はそれなりにあるアヤトではあるが、もう三時間も黙って座ったまま。流石に暇を持て余すのも限界だった。
「特別気になるものはありませんが、知らない書物があってとても興味深いです」
おそらく初めてだ。エレナが話す時にアヤトの顔を見ないのは。
「そういえばこの世界にも昔話ってあるの?」
幼い頃、母親に昔話をよく話してもらっていた。
それを思い出して、ふとこの世界にも似たような話はあるのだろうかと気になった。
「あるにはありますね。…私のお気に入りのものでよければ聞きますか?」
本を閉じると彼女は聞いてきた。
「エレナがいいのであれば」
「はい。喜んで」
少女は語りだす。大昔、この国ができるよりも前の話を。
それは昔も昔。この地に光の柱がそびえ立つよりも前のお話。一人の少年と少女がいました。二人は同じ日、同じ時にこの世に産み落とされ、いつも一緒にいました。共に成長し、共に生活をしていました。死ぬまで共に生きるのだと誓い合いました。彼らの姿を見た人たちは、この二人は生を終えるまで離れることなく、同じ時をを過ごすのだろうと思っていました。けれどそうはなりませんでした。世界は二人のことを認めませんでした。雷のように天から落ちてきた黒光によって彼らの身は焼かれ、死を迎えたのです。その黒光は『シノチカラ』と呼ばれるものでした。人々は、二人は『シノチカラ』によって滅びたのだと言いました。けれど二人の物語はまだ終わりません。二人はなんと姿を、存在を、立場を変えて生まれ変わったのです。少女は神によって世界を護るべく創造された『神の使い』となり、少年は世界を壊す異物として生まれた『終焉者』となりました。互いに記憶はありません。けれど運命の悪戯か、二人は出会ってしまったのです。討つべき敵として。だから二人は争いました。以前の自分など知らずに殺し合いました。永劫の時を過ごすと誓った彼らは、お互いの死を望みました。そして――
「そして…どうなったの?」
エレナはなぜか話を中断したのでアヤトは尋ねた。
「どうもなっていません。ここでお話は終了してるんです」
「え?」
あまりにも不完成だ。結末の部分が欠落している。
「完成のしていないお話です。王国が建国するよりも前の出来事らしいんですが、未完成のまま現在に至ります。…まあ、これは昔話というより言い伝えですね」
「エレナはなんで今の話を気に入ってるの?」
アヤトには彼女の口にした物語が欠陥品にしか思えなかった。エレナが気に入っている理由が微塵もわからない。
「――決まってないじゃないですか。結末が」
「……?」
「二人がどうなったかわからないですよね」
「確かに…」
そう、少年と少女の結末は確定していないのだ。
「結局どちらかが亡くなったのか、どちらも生を終えたのか。…それとも今度こそ幸せに暮らすことができたのか」
いくらでも結末はある。確定していないということは可能性がまだあるのだ。
幸せになると言う可能性はゼロではない。
「だから未完成でも…いえ、未完成だからこそ私はこのお話が好きなんです」
「なるほど…」
アヤトにはまだ理解のできない話だった。
*****
「――付き合ってくれてありがとうございました」
読書は再開され、エレナはちょうど今七冊目の本を読み終えた。
「ううん。気にしなくていいよ。それにしても本好きなんだね」
かれこれ三時間半以上は読書をしていた。アヤトはそれにただ付き合っていただけだ。
「はい。昔から読書しかやることがありませんでしたから。おそらくこの書庫にある本は、今読んだ七冊以外は屋敷で読んだことがあります」
書庫は二階建て。本棚には様々な本が敷き詰められている。百や千なんて数は当然上回るだろう。彼女はそれらをすべて読んだことがあるのだと言う。
「す、すごいね…」
「先ほど言った通りやることがなかったんです。屋敷での娯楽は読書と…あ、そういえば忘れるところでした」
エレナは何かを思い出すと、二人から離れた場所にいたレイを呼んだ。さほど大きい声ではなかったが、書庫内には三人しかいないので誰かを呼ぶには十分な声量だっただろう。
「何でしょうか、エレナ様。またこの男が何かしたのですか? 斬りますか?」
「違います。ペンとインク、あと紙を探してを持ってきてくれますか?」
「了解しました」
レイは命令に従い歩いていった。
「いいのかな? 勝手に物取っちゃって」
「何か言われたときはルーダスさんに何とかしてもらいましょう」
彼に言えば意外となんとかなりそうだなんて思っていると、すぐにレイが戻ってきた。
「これでいいでしょうか?」
「はい。ありがとうございます」
エレナはペンと黒のボトルインク、そして紙を受け取る。
レイは渡し終えるとすぐにその場から去ってしまった。
「どうするの?」
「実はアヤトの世界の文字を教えてもらいたかったんですよ」
「僕に?」
どう考えても人選ミスである。
「一応書けはするけど…」
綺麗という保証はできないが、形は覚えているので、ひらがな、カタカナは書くことが可能だ。漢字は少しは書けると言ったところだろうか。
「名前は書けますか?」
「うん」
「ならお願いします」
エレナはアヤトの世界の文字が見てみたいようだった。
ペンをインクにつけるとアヤトにそれを渡した。アヤトは受け取ったペンを紙の上までもっていき、ペン先ををつけて動かし始めた。シャーペンやボールペン、鉛筆とも感覚が違うため少し書き辛かった。
二回ほどやり直して名前を書き終える。
『早霧綾人』。アヤトの世界の文字で書かれた名前だ。
当然漢字なんて使用していない世界の住人であるエレナは読むことなどできない。そう思っていた。
「さ…きり…あや…と…」
エレナは文字一つ一つの読み方を正確に口にしていた。
「――読めるの…?」
「読めますね」
何故読めるのか。
可能性はいくつかあった。
この世界でも感じが使われている。もしくは言語同様に文字も通じるようになっているのかもしれない。けれどアヤトの考えていたすべては否定された。
「私この文字知ってるんですよ。漢字…ですよね」
「…何で知ってるの?」
「この文字とあと他にも二種類の文字を使って書かれている本が私の住んでいた屋敷の書庫にあったんですよ。しかも数冊。それでこの文字を覚えました。一年ほどかかりましたけどね」
「どういうこと?」
おかしな話だ。アヤトの世界の文字が使われた本がこちらの世界のあるのだと言う。
「おそらくそちらの世界から来たのだと思います」
「僕みたいに?」
「はい。漂着物とでも言うのがいいんですかね。他にも別の世界から来たであろう本を見たことがあります。多分人が別の世界に飛ばされるよりも頻度は高いと思われます」
「驚いた…」
異世界に飛ばされるのはどうも人だけではないらしい。まさか本までも別の世界に消えることがあるなんて思っていなかった。
「それにしても一年で覚えたってすごいね」
会話を振り返るとエレナは漢字を一年で覚えたと言っていた。並みの学習スピードではない。
「いえいえ。暇な時間が多かっただけですよ。それよりもアヤトの世界は大変ですよね。三種類も文字を使うなんて。漢字に関しては同じものでも読み方が色々ありますし」
「ん…? もしかしてひらがなとカタカナも覚えたの?」
「はい。その二つから先に覚えました」
よくよく考えれば当然だ。漢字を覚えているのならひらがなとカタカナも覚えているだろう。
「――――」
アヤトは絶句した。
暇だからといっても一年で母国語でもない日本の、漢字、漢字、ひらがな、カタカナを網羅するなんて普通じゃない。彼女の脳のスペックの高さがこのやり取りでわかった。
「異世界の文字の中でアヤトの世界の文字が一番覚えるのに時間がかかりました」
「かかって一年か…」
他の文字はどれくらいの期間で覚えたのか少し気になるところだったが、聞いても何の文字なのかがよくわからないだろうと思い、口にはしなかった。
「――やっぱり運命なんでしょうか。一番興味をそそられた文字を使う世界から来たのがアヤトというのは。しかも漂着物の本の中で多分一番多いんですよね。アヤトの世界の文字で書かれたものが」
「運命…」
エレナが言ったことによって思い出した。神と自称していた存在が言っていた言葉を。
『それが君の運命なんだ』
最初に聞いた時は何を言っているんだなんて思ったが、ここまでのことを振り返ると本当にそんな気がしてきた。
「――さて、そろそろいい時間でしょうし、戻りましょう。…知りたかったことは知れました」
もう夕方、同じくこの場所にいるレイを呼んで宿に戻ることにした。
書庫の大きい扉を開け、三人は外に出る。
「夕焼けですね」
空は紅い。もう日が沈みかけている。
「ロザリエは大丈夫でしょうか」
ロザリエは書庫に来ていなかった。彼女は店を出た後に街を散策すると言ってどこかへ行ってしまったていた。
「探しに行った方がいいですかね?」
「あのエルフは二百年近く生きているらしいので、流石にそれほど心配せずとも――」
不自然なところで彼女は口を閉じた。
「どうかしたんですか?」
レイに尋ねても返事がない。
彼女はエレナ達ではなく、正面を見据えたまま止まっていた。
なにを見ているのかと視線を動かすと、黒いローブを着た人物がいつのまにか行く先を塞ぐように立っていた。明らかに駐屯地にいていいような人物ではないだろう。
「貴様は……。――!」
ローブの人物を知っている。けれど思い出すまでに一秒もかかってしまった。
実に致命的な一秒だ。眼前の空間が歪む。
「エレ――」
「爆ぜろ」
赤い花は、レイの声を消すように爆音とともに咲き誇った。
「相当『物語』を狂わされたが、もう終わりだ。今回はその生に相応しい終末を迎えさせてやる」
黒いローズの人物――エクリプスのフルデメンスは楽しそうに笑みを浮かべた。
おとぎ話に関しては前作のまだ残ってる部分を読んでいただければなんとなく察しはつくかと。




