第11話 『朝』
視力はない。生まれつきだ。
見えないのも仕方がない。諦めるしかなかった。
光を、諦めた。
母親はよく言っていた。
「ごめんね」と、涙混じりによく言っていた。
けれど謝られてもよくわからない。
だって見えないのが普通だった。黒しか知らなかった。だからよくわからない。
別に視力がないからと親を責めたことは一度もない。でも母親は謝っていた。
よく覚えている。
いつも母親は優しい声音なのに、それを言う時だけ声は悲しみや罪悪感に満ちていた。
謝るべきはおそらく僕の方なのに。
妹が産まれた。僕が四歳の頃だ。
そして十歳の頃、もう一人妹ができた。
両親の話では子供は元から三人欲しかったらしい。歳の近い子供たちを。
ならなぜ上の妹とは四歳、末の妹とは十歳もの差が生まれたのか。理由は聞かずともわかっていた。僕だ。
盲目の僕には常に誰かが付いていないといけない。普通の子供よりも育てるのが大変なはずだ。子供を作っている余裕はなかったのだろう。
妹たちが産まれ親が僕に割ける時間は減っていた。でもやはり僕の世話を投げ出すことはなかった。優しく声をかけて、優しく接してくれていた。
親だけではない。四歳下の妹は、幼い頃から僕の身の周りの世話を親と同じように率先してやってくれていた。「大丈夫だよ」と妹も僕に声をかけてくれた。
親や妹、他にもいろんな人たちが支えてくれたから生きることができていた。
十七年間、僕を気遣って、僕に優しく接してくれて、僕のために動いてくれていた。嫌だなんて言わずにずっと助けてくれた。優しさを…愛を…与えてくれた。
――では、僕はどうだったどうか。彼らに何を返せたのだろうか。愛を、返せていたのだろうか。
*****
「――――……?」
視界は暗いままだが、朝が来たのだとなんとなく脳が理解している。
「――――…ヤト?」
開いても意味のない瞼をゆっくり開ける。
自分が呼ばれているような気がしたからだ。
「――アヤト?」
エレナだ。声でそれはわかる。聞き間違えるはずがないのだから。
だがおかしい。声のする位置がおかしい。
昨夜の最後の記憶が正しければ、エレナがベットから声をかけているはずなのにとんでもない近い場所、耳元で声がしている。
「なんで…」
体を動かそうと上半身を動かそうとしたが、どうも重い。そして温もりを感じる。
たしかに大切なマフラーは腹部の上に載せていたが、これほど暖かいものだろうか。なにが載っているのかと手を伸ばす。触ってみると柔らかい。やはりマフラーではない。
その感触には覚えがあった。
(生き物…?)
そう。この感触と暖かさはまるで何か生き物が載っているような…
「って、エレナ!?」
「はい。エレナです」
当然のようにエレナはアヤトの上で横になっていた。
「な、なんで…」
なんとか距離をとろうとするが下敷きにされているのでどうしようもない。
「アヤトの近くにいたかったからですけど?」
おかしなところはないはずだと、不思議そうに首を傾げる。
「そっか…」
怒ってはいない。嫌だというわけでもない。むしろ逆だ。
「それと…」
「それと?」
「アヤトが苦しそうだったので…」
「苦しそうだった?」
「はい」
苦しそうなアヤトがとても見ていられなくて、近くにいてあげようと思った。出来るだけ傍にいることで安心させようと思った。だから彼女はソファへと移動した。
「…ありがとう」
「え?」
「ちょっと楽になったよ」
夢のせいで少し辛かった。だがエレナの声と体温を近くで感じて、多少楽になった。
本当だ。偽りはない。その証拠にアヤトは笑顔でエレナにお礼を言っていた。
「どういたしまして。困った時はいつでも私を頼ってください」
「うん…そうだね。困ったら頼らせてもらうよ」
口にはしたが実行するかどうかは不明だ。
頼ること。助けてもらうこと。自分のために動いてもらうこと。
それらは気が引ける。自分では何もできないからといって切り捨てることのできない感情があった。
「あ、あの…アヤト、その手を…」
エレナの息遣いが乱れている。アヤトはそこでようやく気づいた。
「ご、ごめん!」
先程伸ばした手がエレナの臀部に触れていた。慌ててアヤトは手を遠ざける。
「触れてもらうのはいいのですが…。まだそこは早いというか…」
もごもごと恥ずかし気に呟く声はしっかりとアヤトに届いている。
二人の間に妙な空気が漂い始めた。
「――あ、そういえばどうやってここまで来たの?」
空気改善のために話を無理やり変えた。
どうやって彼女がここまで来たのかだ。
エレナは自分の出歩くことができない。ソファからベットへの短い距離であっても無理だ。立ち上がることすらできないのだから。
つまり彼女がソファにいるのはおかしいのだ。
「実は夜にロザリエとお話を少しして、その時に移動させてもらったんです」
協力者がいたのなら納得だ。しかし新たな疑問が生まれた。
「話って?」
わざわざ夜中にした話というのが気になった。
「私の存在が特殊であることを伝えました。ついてくると危険が伴うということも」
エレナはエクリプスに狙われている。
彼らだけではない。他にもそのような輩は存在する。
そんな命を狙われているエレナと行動するというのは死と共に行動するのと同義である。
協力する側と言っても人命が関わっている以上、それを伝える義務は当然ある。
ロザリエが拒むのなら協力は同行ではない別の方法に変更する。承諾してくれたのならこのまま続行だ。
「ロザリエはなんて答えたの?」
相変わらず横になった状態で尋ねる。
「構わないそうですよ。ロザリエらしいですね」
「そうなんだ…」
命の危機にさらされるとわかったのなら普通は極力それから逃げようとする。
ロザリエもそうするのだろうとアヤトは予想していたが、そうはならなかった。彼女はそれでもいいと言ったのだ。
「意外だ…」
「そうですか? 私はロザリエなら言うと思ってましたよ」
どうやら彼女は目の切り替えをできるようなので、ロザリエの内側を見たのかそうではないのかわからない。けれど彼女はロザリエの性格を理解しているようだった。
「ロザリエはすごいね」
「…アヤトも似たようなものだと思いますけど」
「僕が?」
「アヤトも危険だと伝えたのに契約してくれたじゃないですか。アヤトもすごいと思います。勇敢…と言うのでしょうか」
ロザリエ同様、自分といたら危険だということはエレナから伝えられていたのにもかかわらず、アヤトは契約をした。
アヤトもロザリエと変わらない。自分の命を危険にさらされることを恐れない。危険を顧みないすごい人物だ。エレナの目にはそう映っている。
「――そんなんじゃないよ」
勇敢?
そんなわけがない。
ロザリエがなぜ危険な目に合うかもしれないと知った上で、共に行動することを承諾したのかわからない。
協力してもらう側の立場だから、どれほど危険なのか理解していないから、彼女が勇敢だから、どれにせよどうせアヤトとは異なっている。
アヤトとロザリエは確実に違う。
「アヤト、今なんて――」
「ううん。なんでもないよ」
声が小さく、エレナでは聞き取ることができなかったようだ。
運が良かった。
「…それよりもそろそろ起きようか」
朝なのはわかっている。だったらさっさと起きた方がいい。
なぜなら、この状況を彼女に見られるとろくなことにならないのが明白だからだ。
「――――はい。…でもその前に。…あの……昨日のことなんですけど…」
エレナの心臓の鼓動が早くなっている。密着しているため、それがよくわかる。
「…その……アヤトは――」
「失礼します」
最高にタイミングが悪い。剣を携えた黒髪の女性、レイが室内へと入ってきた。
どうにかしようと試みるが、エレナは自分で動くことができないため、もう手遅れだ。
「エレナ様、朝です。ご挨拶に参りまし…」
ベットへ向かって歩くレイはアヤトの寝ているソファへと目を向ける。
「………」
何も見えていないはずのアヤトの視線とレイの視線が線で結ばれた。
なぜかこの時は、真っすぐ人を捉えることのできない黒目がレイへと正確に向けられていたのだ。
しばらく沈黙は続く。
「………」
沈黙後、最初にアヤトの耳に届いたのは言葉ではなく、鞘から剣が抜かれる抜刀音だった。
「レ、レイ! 待ってください!」
「ご安心くださいエレナ様。せめてもの慈悲として痛みを感じさせずに、その男の首を今すぐ切断しますので」
「安心できませんよ!!」
淡々とした口調で剣は構えられた。
必死にエレナはそれを止めようとする。
「邪魔をしないでくださいエレナ様。やはりこいつは危険人物です。速やかに殺しましょう」
「だからダメですって!」
「あ、あのレイさ――」
「お前は黙れ」
「は、はい…」
彼女に気圧され自然と返事をしていた。
どうにか弁明しようとするが、レイは話すことすらアヤトに許す気はないらしい。
「朝から元気いいわね。あなたたち」
突如背後からかけられた声にレイは振り返る。背後にいたのは金髪のエルフ。
いつのまにかロザリエは部屋に入ってきていたようだ。あくびをしながら、寝癖によってぼさぼさになった髪の毛をかきあげていた。
「あら、まだその状態だったんだ。どう? アヤトの寝心地は?」
「貴様か! エレナ様を移動させたのは!」
エレナがベットから一人で移動できないのは当然知っている。かといってアヤトがわざわざエレナを移動させたのはレイも正直違う気がしていた。
そして、ロザリエの言葉で彼女は確信した。エレナを移動させたのは彼女であると。
「別にいいじゃないの。寝たいところで寝かせれば」
「常識的に考えてこいつの上はないだろう!?」
「エレナの要望通りにしたんだけどなぁ」
またあくびをするとロザリエは扉の方へと歩き始めた。
「寝てこよ…」
「な、おい! 待て! 話は終わってないぞ!!」
二度寝をしようとするロザリエの後をレイは追う。
「二度と同じことをするな」と言っているようだが、聞き手の方は全く耳を貸す気はないようだ。無視して着々と寝床へ向かっている。
「――起きようか」
「…そうしましょう」
こうして二人は新しい日の朝を迎えた。




