第10話 『出会ってまだ一日』
「あ、すみません。お手洗いって…」
しばらくして尿意がアヤトを襲った。水を飲みすぎたかと少し反省する。
「便所はその奥だ」
店主はカウンターの横の扉を指さした。
「あ、見えねえのか。んだらついてってやるか」
「大丈夫です。場所はわかったので」
彼の指の向いた方向はどちらかわかっている。アビリティによって店内の構造もある程度把握しているので心配はない。
アヤトが立ち上がったところで袖をエレナに掴まれた。
「どうしたの?」
「私も行きます」
「へ?」
「だから私も行きます。アヤトだけでは心配なので」
「そ、そう?」
そこまで心配されるのも情けない話だが、代わりに目となってくれる人物がいてくれるのはありがたいことだった。
「私も行きます」
「――? レイはここにいてもいいですよ?」
「いえ、心配なので」
「…そうですか。なら仕方ありませんね」
気になりはしたが、別に断る理由をエレナは持ち合わせていなかった。
「ちなみに一つしかねえからな」
「そうなんですか…。誰からします?」
「エレナからでいいよ」
「レイは?」
「私はしません」
「――何でついて来るんですか…?」
「心配ですので」
そんな会話をしながら三人は店の奥へと進んだ。
「二人だけになったわけだけど…」
「そうね。…その様子だと何か聞きたいことがあるのかしら?」
「わかる? 三人ともいなくなったのは好都合だよ」
食器を洗い終わった店主は別の作業を始めていた。二人の会話はどうでもいいらしい。
「で、何の用なの?」
「――なんでこの国に来たんですか?」
「なぜって、そりゃ外を見たかったからよ。エルフの森は窮屈だったから。…というか急に敬語とか使ってどうしたのよ」
「あなたの身分から考えると当然の態度でしょう? ハイエルフのロザリエさん」
突如口調の変わるルーダス。怪訝な顔でロザリエは彼に視線を飛ばす。
「…知ってたの?」
「見ればわかりますよ。普通のエルフの耳の長さを知ってればね」
ハイエルフ。
簡単に言えばエルフよりも上位の存在である。
外見的な特徴としては普通のエルフよりも耳が長いことだ。
「なぜ森を治める立場にあるハイエルフがこんなところに?」
「…王都に用事があるの」
言うか言わないかを少し迷った結果、結局口にしたのだった。
「というと?」
「あなたたちの王様に話があるのよ。大事な話が、ね」
「へぇ、それは面白そうだ。まあ国に攻撃しかける気じゃないんだったら俺的にはどうでもいいんですけど…」
バミラ王国に被害が及ぶなら、騎士としての対応は当然する。が、それ以外の場合はルーダスとしてはどうでもよかった。与り知らぬところではないと、深く聞くつもりは微塵もない。
それよりも、今は気にすべきことがある。
「…どうやってこの都市に入ったんですか?」
その質問されエレナはキョトンとした表情になった。なんでそんな当たり前のことを聞いて来るのかわからなかったのだ。だが質問者であるルーダスの顔は真剣そのものだ。
「普通に入り口からだけど…」
「入口から?」
ルーダスは目を細める。
「何でそんな顔してるの?」
「本当にあの門を通ってきたのか?」
彼女からの問いには答えない。その余裕がないのだ。
ハイエルフだからと使用していた敬語はすでに使われていない。
「…ええ、そうだけど」
「検問を抜けて?」
「そうよ?」
「いつ?」
「…今朝」
「………」
「だから何でそんな顔してるのよ!」
質問をするだけして口を閉ざしたルーダスに怒りの感情が込み上げてきたロザリエは立ち上がった。
「――調べるか」
「ちょ、ちょっと…」
迷いもなくルーダスはソファから立ち上がる。
「おやっさん。エレナ様達を駐屯地の近くの宿まで頼む」
一方的な言葉を投げつけて足早に店を出て行った。
「なんなのよ…」
深いため息をついてロザリエは椅子に腰を下ろす。
店主は変わらず無言のまま、ルーダスの出て行った店の入り口へと視線を向けていた。
*****
ルーダスは気にするなと言い、宿まで四人を送った店主はさっさと店へ帰っていった。それからは宿で夕食をとり、浴場に入った。この世界にも風呂があるんだと驚いたアヤトだが、エレナに聞いたところ一般的に普及しているわけではないらしい。むしろ風呂があるのは珍しいのだという。
アヤトが入ろうとした時は目が見えないのに大丈夫かと心配されたが、やることは体を水で流して湯につかるだけだ。アビリティによって周囲の様子を把握できる彼には無用の心配だった。
しかし、五感が強化されたからか湯につかった時の感覚が違い、違和感が途轍もなかったので、体を癒すことができたかというとそんなことはなかった。
「ルーダスさんにお願いがあったのですが…。仕方ありませんね。それは明日にして、そろそろ寝ますか」
もうすでに日は沈んでいる。時刻で言えば十時過ぎだろう。
各々自分の部屋に現在はいた。もう寝るにはいい頃合いだ。
「そうだね」
エレナは今いるソファから自力ではベットに行くことができないので、一度浮遊椅子へと座り直してアヤトに近くまで押してもらった。
ベットまで辿り着くと、手を借りながらゆっくりと移動した。
「よいしょっと…」
危なげなくベットへの移動は完了する。彼も自分の寝床であるソファに行こうとしたところで服を掴まれ、動きを止めた。
「どうしたの?」
「――レイはあんなこと言ってましたけど……一緒に寝てもいいんですよ?」
声のトーンが先程までと少し違っている。恥じらいもあるような感じだ。
「そんなことしたら僕がレイさんに何されるかわからないから、遠慮するよ」
冷静なように振る舞っているが、アヤトにも恥ずかしさもあった。
盲目の彼でも健全な男の子である。異性との添い寝、それも彼が最も美しいと考えているエレナともなるとどうなるかわかったものじゃない。理性の限界が訪れる気がする。
「そうですか…。残念です。でも寂しくなったらいつでも来ていいんですよ? ベット大きいですし」
「うん。寂しくなったらね」
ベットに背を向けてソファへ移動した。流石にベットほどではないが、ソファも十分に柔らかい。これなら問題なく眠りにつける。
魔術によってついているという電気はエレナが消した。
アヤトはマフラーを外すと、ふかふかのソファに横になって渡されている毛布を体にかけた。暗闇に支配され、静まった部屋。アヤトの耳に届くのは少女の小さな息遣いのみ。
「――ねえ、エレナ」
今日はずっと聞きたいことがあった。なかなか言い出すタイミングがなかったのだが、顔を見られることがない今ならばちょうどいいと思いアヤトは尋ねることにした。
「なんですか?」
聞き返す言葉ははっきりとしている。エレナに眠気はないようだ。
「僕が契約者でよかったのかな」
素朴な疑問だ。
話を聞く限りでは、契約者はすでに王国に選ばれ、決まっているようだった。
そのもともと契約する予定だった人物と契約をしなくてよかったのか。さらに言えばこんな不完全な契約でもよかったのか、彼には気になっていた。
「当たり前じゃないですか。むしろ私は契約者がアヤトでよかったと思ってます」
「…なんで?」
「――出会ってまだ一日なのにこんなこと言うのはどうかと思うんですけど…」
沈黙だ。すぐに再開されるかと思ったが予想以上に空白が長い。二十秒ちょっと経過したところで「エレナ?」とアヤトは名前を呼んだ。
「………えっと…」
「?」
「……………よしっ!」
決心したエレナは空気をリセットするためにコホンと一度咳払いをした。
そして、想いを告げる。
「…私、アヤトのこと好きなんです」
「――――」
好き。彼女は確かにアヤトを好きと言った。
「初めてですけど…この感情はおそらく恋と呼べるものです。自信はそれほどないけど多分そうです」
「――――――」
「あの時のアヤトの姿を見て…好きになったんだと……思います…」
救われたから、というのとは違う。
同じ欠落者である彼の生き方を見て、彼の凶悪な力の前でも臆さない強い意志を見て、彼がかっこいいと思って憧れた。彼女が少年に惹かれたのは、そんな複雑なようで単純な理由だった。
「――――――――」
「――あの、アヤト…無言は少し…困ります…」
もぞもぞとエレナが動く音が二人しかいない部屋ではよく聞こえた。
「…ありがとう。嬉しいよ。…うん、多分…すごく嬉しい」
アヤト嬉しいと言った。
エレナから好きと言われたのだ。何よりも美しいと認識しているエレナにそう言われたのだ。そう思うに決まっている。
でも返事はそれだけ。
欠落者の彼はその時それ以上は何も言えなかった。
朦朧とする。
意識が遠のいていく。
底無き海へと沈んでいく。
いつのまにかサキリアヤトは眠りについていた。




