第1話 『第二の生』
「エレナ様…はり……男を……者にするのは…対です」
「決めた……です。私は…の人と――」
「――ここは…」
二人の女性の声を聞き、意識が覚醒した。ゆっくりと横になっている体を起こして瞼を開く。けれど映るものは何もなく一面黒色だ。
「視覚が…」
なくなっている。視覚がない元の役立たずの状態に戻ったのだ。
「そう…か」
喪失感があった。
あの憧れていた夢のような時間が遠くへ消えてしまったのだと、認識すると虚しさが込み上げてきた。
「アヤト。おはようございます。痛みを感じるところはありませんか?」
優しく声をかけてくる銀髪の少女。彼は彼女が誰なのかを知っている。
エレナ。アヤトに夢のような時間を与えてくれた少女だ。
「大丈夫。それよりもここは? 森じゃないよね」
横になっていたのはベットだ。そんなものが森にあるとは思えない。
「森から一番近い都市です。今はそこの宿にいます。ちなみに半日ぐらいアヤトは寝ていましたね」
「そうなんだ」
「はい。アヤトが倒れた時にはどうなることかと思いましたが、目を覚ましてくれてよかったです」
少女が自分のことを心配してくれていることがアヤトは素直に嬉しかった。
「ありがとう。……まさかとは思うけど僕が起きるまでずっと手を握ってたの?」
盲目の少年の右手を少女は小さな手で優しく包み込むように握っていた。
「ええ、もちろんです。その方が安心するかと思ったのですが…ダメでしたか?」
「ううん。そんなことないよ」
「ならよかったです」
満足そうに頷いているのが見なくてもわかる。
エレナの後ろにいる人物から視線を感じて気になるが、今は聞きたいことが色々あるのでとりあえず無視だ。
「僕が倒れた後はどうなったの?」
「私の護衛としいて来ていた騎士たちが私たちを保護し、ここまで運んでくれました。傷を癒してもらったのもその時です。アヤトの知り合いらしき方は隊長のルーダスさんと数回言葉を交わした後どこかへ行ってしまいました。それと今回は予想外なことが多すぎたので、王国の方々が今後の方針を決めるまでは、しばらくここに滞在することになるかと思われます」
「王国…」
「はい。王国です。もともと私たちは王国の命令で王都まで向かっていました。王国の人々はエクリプスが現れたことで、色々慌ててるようですよ?」
悪戯をして楽しそうにしている子供のような笑みを浮かべて、エレナは説明をする。そんな少女を見る黒髪の女性――レイの目には複雑な感情があった。
「他に聞きたいことは?」
あれから何があったのか、ネイトスはどうなったのかは確認できたが、まだ聞きたいことはある。まずは…
「僕の――」
「エレナ様」
黙って部屋の角に佇んでいたレイが口を開いた。
「やはりこの男は契約者に相応しくないかと」
アヤトは瞳を見ずとも彼女が自分に対して敵意を向けていることはわかっている。
「アヤトは私が選んだ人です。問題ありません」
「しかしこの男は戦闘など素人でしょう。それではエレナ様の身が危険です。それにこの男は目が見えない欠落者な上に、忌み嫌われている黒髪です」
「……レイ。黒髪に関してはあなたも同じでしょう。欠落者についても、私と同じです。戦闘に関してはリンクさえ使ってしまえば問題ありません」
「ですが! まだこの男と会って一日も経過していないでしょう!? そんな出会ったばかりの男に身を預けるなど、私はあなたに仕える者として…」
「リンクの能力については前に少し話したことがあるでしょう。私は彼の全てを知っています。逆もそうです。すでに私たちは他人と呼べる関係ではないんですよ」
「……?」
おかしく思った。
エレナはアヤトの全てを知っていると言ったが、彼は彼女の全てなんて知らない。
「これも知っていると思いますが、一度契約をしたらもうそれを破棄することはできないんです。わかりますね?」
「――――」
異論はある。でも口には出さない。もう何を言っても彼女の意思を変えることはできないのだと悟ったからだ。
「レイ。少し外に出ていてもらえますか? 契約者としてアヤトに話しておかなければならないことがいくつかあるので」
「――――了解しました」
渋々とレイは扉を開けて部屋の外へと出て行った。
「ごめんなさい。普段はあんな感じではないのですが」
「大丈夫だよ。レイさんの言った通りだからね」
視覚の欠落者。彼女がそれを問題視するのは理解できる。目の見えない者に自分の主人を預けられるわけがない。
「――――」
その言葉を聞いてエレナが浮かべた表情が目の見えない彼にわかるはずもなかった。
「…レイはいないのでなんでも質問してもらって構いませんよ。聞きたいことがありますよね?」
「うん、あるよ。最初に…僕のマフラーどこにあるのかな?」
「アヤトの左側にありますよ」
「…ほんとだ。ありがとう」
左手を動かしてすぐに掴むことができた。
「よっぽど大切なものなんですね」
「なんで?」
「いえ、もっと別の質問を最初にされるかと思ったので」
言われてみればそうだ。質問すべきことは他にあったかもしれない。でも、
「……うん。このマフラーは僕にとって本当に大事なものなんだ」
これはこの世界に唯一持ち込むことができた大切なものだ。
だから失いたくはない。
「他には質問は?」
「――なんで僕が他の世界から来たことを知っているのか知りたい」
「わかりました」
右手を包む彼女の手に入れられた力が少し強くなった。わずかな変化だったが触感が強化されているアヤトはその変化を感じとれた。
「――私の家系には言い伝えがあるんです」
「言い伝え?」
「はい。色々あるんですが、そのうちの一つにこんなものがありました。『世界は一つではなく、神もまた一人ではない。多くの世界があり、多くの神がいる』。このようなものです。つまり自分たちが住む世界とは別に世界が多数存在するということですね」
「この世界以外にも世界があるんだ」
「言い伝えではそうです」
「…それでなんで僕がこの世界とは違う世界から来たってわかったの?」
世界が無数にあると知っていても、別世界から来た人間だと出会って数分でわかるものなのかと疑問に思う。ヘルトやガルノたちの反応からすると彼らは気付いていなかったようなので、見た目に大差はないはずなのだ。
「私の持つ能力は人とつながるものです。そのために他人の奥底…その人の内側…真の姿……いえ、適切かはわかりませんが本能と言った方が伝わりやすいですね。そのようなものが私は見ることができるんですが、アヤトを見た時何も見えなかったんです」
「本能が見えなかったってこと?」
「そういうことです。言い伝えでは、世界にはそれぞれ神が定めたルールがあるらしいのです。だからルールの違う世界から来たアヤトを、私たちの世界のルールから生まれた目では見れなかったのだと思います」
「それが僕が別世界から来たって気づいた理由」
「はい。初めてのことだったのであまり自信はありませんでしたが」
彼女が他人の内側を見れるのは同じルールが適応されている者だけ。つまりアヤトの内側が見れないことから彼は別の世界のルールが適応された人間、別世界から来た人物なのだとエレナは考えた。
「…そういえばどうやってアヤトはこの世界に来たんですか?」
「えっと…、僕一度死んだらしいんだ。それでその後、神様? にここに送られた」
「一度死んだ…転生ということですか…。いえ、それより何で神様の部分が疑問形なんですか?」
「自称神様って感じだったから、本物なのかどうかは僕にはわからないよ」
「自称神様…」
「どうしたの?」
「…何でもありません。それよりこの会話の内容は誰にも言わないでくださいね。別世界に関して知っているのは、私の家系のごく一部だけ。レイでも知らないようなことなので。大丈夫だとは思いますが気を付けてください」
「――レイさんが知らない…。そんなこと僕が知ってよかったの?」
様子からアヤトもわかっているが、レイはエレナに仕えてからそれなりになる。そんな彼女の知らないようなことを自分が知ってよかったのだろうか。アヤトは疑問に思った。
「何を言ってるんですか。私とアヤトはパートナーなんですよ? 当然伝えます」
「パートナー…」
そう言われてもいまいち実感がないのが本音だ。それを感じとったのかはわからないが、エレナは握っているアヤトの手を自分の胸…心臓の真上へと当てた。
「はい、パートナーです。まだお互いのことで知らないことが多い――」
「――ちょっと待って」
「? どうかしましたか?」
「いや、邪魔する気はなかったんだけど、ちょうど思い出したから先に聞きたいんだ」
「どうぞ」
あの流れでは危うく忘れてしまうところだった。
そうならないためにさっさと質問しておくことにした。
「さっき契約したから僕のことなんでも知ってるって言ってたけど…」
レイにエレナはそのように言っていた。しかしエレナは今、お互いのことで知らないことが多いといった。矛盾が発生している。
「ああ、あれは嘘です」
「――嘘?」
「そうです。レイに納得してもらうために嘘をついただけです」
エレナは楽しそうに「嘘なんて久しぶりに言いました」なんて言っている。
「でもまあ、いずれ言った通りにはなるので一概には全て嘘とも言えないんですけどね」
「というと?」
「私たちの契約は簡易化したものだったので不完全なんですよ。時が来れば完全になって、お互いのことを完璧に理解することができると思います」
特に返す言葉はなかった。というよりも見つからなかった。
互いを完全に理解するというのがあまりピンとこなかったのだ。
「さて、続きいいですか?」
「…あ、続きね。いいよ」
続きというのがなんの続きなのかわかるまでに時間がかかった。ひとまず早急に聞きたいことはなくなったので、エレナの言葉を大人しく聞く。
「それでは…コホン。――まだ私たちはお互いのことで知らないことも多いです。ですが我々は一心同体。知らないことはこれから知っていけばいいだけです。だから何があろうと共に生きていきましょう」
「――――」
視覚を得た時に最初に見た美しい銀髪の少女だけは今でも忘れられずに、脳に記憶という形で鮮明に焼き付いている。
「――うん。こんな僕がどこまで役立てるかわからないけど、改めてよろしくね」
「はい。よろしくお願いします。アヤト」
不安はある。けれどこんなに自分が何よりも美しい少女…エレナの役に立てるなら、またあの夢のような奇跡を味わえるのなら、喜んで体は差し出そう。
誰かを助け、誰かの役に立つ、それが彼の第二の生だ。




