今日から貴女に仕える者です
始まるは、短くも楽しい日々。
なら良かった。
楽しんでいただけると幸いです。
嬉しかったんだと思う。 いや、きっと嬉しかった。
初日の朝、やっと恩返しができると張り切っていた。
その姿は、鍛錬を積む前のたるんだ自分をまるで嘘だったかのように感じさせるほどだった。 やる気が満ち溢れすぎて、共に緊張が膨れ上がった。
いや、それらは正しくないな。 覚えているだけだ。
覚えているだけで、そう感じたのは私ではない。
(クロートの遺した記録より)
時は遡り。
核都市での改造の一件より数年前。
天界都市スカイピア・ヘヴンに建つ城。 とある部屋で。
それは、青空と心地よい風が吹く気持ちいい朝。
「今日からディアに仕えるクロートよ」
母が優しく私の頭を撫でて囁くように私に言った。 母性溢れるそのあたたかな声が、私の耳に幸せな余韻として残る。 いつまでも聞いていたい声だ。
私は初めて会う目の前の青年を、母の後ろに隠れながら顔を出して見上げる。
「で、殿下! じゃ、じゃなくてディア様! 本日から貴女様の側近を務めることとなりました、クロートと言います! ディア様のお父上に拾われ、今まで手厚くご指導を受けてきました! 料理は苦手ですが、掃除なら……苦手ですが……ま、魔法が、魔法なら使えます! 必ずや、殿下を死守しましょう! えと……よ、よろしくお願い致します!」
緊張によりガチガチなクロートという青年は、90度深々と頭を下げた。 耳は真っ赤である。
「うふふ、緊張しすぎよクロート。 ディアも怖がってるわ」
母が微笑んだ。 私は別に怖がってたわけじゃないし、ただ珍しい生物を見ているような感覚だった。 だが、いつの間にか私は母の裾を掴む手に汗が滲むほど強く握っていたのに気づく。
こ……怖くないもん!
内心そう叫びながらも母の背後に隠れる。 あらあら、と母はそんな私を見て笑った。 クロートはまだ頭を上げずにいた。 幼い私の目には、彼の耳が燃えてるように見えた。
そしていつも通り家族皆で楽しい朝食を済ませて、今日から私の側近となったクロートと私の部屋で対面していた。
私だって緊張してる。 でも、私は王女っ! こんな凡人に負けていられないわ!
「お、おいっ!」
相手が明確な下の立場だと知っているからこそ、私は上から目線での口調で声を張る。
「はいっ!」
いきなり話しかけられてクロートも驚きつつ返事をする。 私はその返事に一瞬体をビクリとする。
「く、くうぉーとと言ったな?」
「えっと、クロートです。 クロートと言います! クロートとお呼びください!! ぜひ!」
「お、おぉ……」
なんでこんなに自分の名を叫ぶのだろうか。 馬鹿なのだろうか。
私はそんなことを思いながら、幼き頭でまず最初に何をすべきかを考える。 パパやママ、いや、父上や母上はなにも教えてくれなかったし……。 自分で考え行動しろの一点張り。 王家に生まれたこの身、自ら成長するのは大切なことだというのは絵本を何冊も読んで分かってはいるが、やはりどうすればいいのか分からない。
悩みに悩み、私はまず目の前にいるクロートが本当に王家に関係ある人物か確認することにした。
こいつスパイじゃなかろうか。 我ながら馬鹿げた質問だと思うが、やはり最初はこんなところかなとひとり内心頷く。
「おい、くうぉーと!」
「なんでございましょうかっ……!」
まだ緊張してるみたいだ。
「私の家族について知っていることを言ってみなさい!」
ビシッと指をさし脇に手をやり聞いた。 うん、私なりに王女らしく振る舞えてる! 気がする!
「ご家族のことですね! 承知しました! まず私の目の前におられる我が主、ディア・シュミーヌ様! 可憐で純粋無垢、王女という立場でありながら国王様や女王様の意向により一般的な民と同様すくすく育っている御方です! ご年齢は5歳、好きな食べ物はお子様ランチのハンバーグ、嫌いものは国王様の彫刻! おっと、嫌いな食べ物は国王様特製野菜ジュースでしたね! 趣味は読書やお絵描き、最近は学園にてスポーツでもご活躍されているとか。 ですが、王女という肩書きのせいかなかなか友達ができないとメイドさん達に愚痴るのが最近の日課であるようですね!」
「なっ!? な、なななんでそんなこと知っているのぉぉ!!」
幼き手でクロートの頬をぶっ叩く。
「ぶへぇ!」
何故かクロートは私の情報ばかりを握っていた。 それについて問うと「愚問ですね! 主についてはいろんなこと知ってますよ! 例えば隠れて絵本を描い、ぐふっ!」まぁ……悪い奴ではないことは母上からも聞いていたのでまぁ良しとしよう。
「だけど、私はまだ認めてないんだからな!」
そう言って自分の部屋という名の聖域からクロートを追い出した。
やはり側近など私にはいらない。 私には父上と母上がいればそれでいい。 それでいいのだ。 それにしても何故母上は私に側近なんてつかせたのだろう。
「メイドだっているし、友達は……いないけど。 ひとりで、やっていけるもん……パパとママがいれば私は……」
なにもいらない。 その言葉は口からは出なかった。
正直に言うと、友達がほしかった。 メイドもずっと傍にいてくれるわけじゃない。 いろんな仕事をやってるから、いつも忙しいなか私に会いにきてくれてることを知っている。 仕事上会いに来てくれてること、知ってるもん。 母上も父上も仕事で忙しい。 ご飯の時くらいが一緒にいられる時間だ。 夜は、たまに母上と寝ることもあるし、ごくたまに父上が遊んでくれることだってある。 だから、王女である私はわがままを言ってはいけない。
「けど、もしかしたら……」
口から零れていたのかもしれない。 この気持ちが、言葉となって。 それを聞いてしまった父上や母上が気をつかって側近を雇ったのではないのか?
ぬいぐるみや絵本など、自分の好きな物に囲まれた私の部屋は。 何故かとてもちっぽけで寂しい場所だと感じてしまうのだった。
その日の夜。
「どうだった? クロートとは上手くやれそう?」
「わかんないよ。 今日は朝ちょっとだけ話しただけだし」
「ディアはクロート嫌い?」
「わかんない。 まだ会ってあんまり経ってないし、でも悪い人じゃないのは分かったよ!」
私は自然と口角を上げて、背後から抱きしめる母を見上げた。 直後、ハッと自分が笑ってるのに気づき困惑してしまう。
なんで私、今笑ったんだろう。 まさか、今日初めて出会ったクロートに気を許しているのか? いやまさか、ありえない。 初対面の人に、少ししか喋ってない人の話をして私が笑うだなんて! まるで、まるであいつと出会って嬉しがってるように見えるじゃないかーっ!
顔が火照る。 妙に熱い。
「あらあら、うふふふ……関係は良好のようね」
「っ! いやっ、違うの! そういうことじゃないから! そういうことじゃないからね! 違うもん! くうぉーとのことなんて何とも思ってないもん! だって、今日初めて会った人だし、そんなに喋ってないし、全然違うもん! 絶対違うからね! 私はあんなやつ認めないから!」
何故、どうしてここまでムキになっているのか自分でも分からない。 言葉を付け足せば付け足すほど言い訳のように聞こえて腹が立つ。 全てあいつのせいだ。 クロートが来たのがいけないんだ。
そんな私を宥めるかのように優しく頭を撫でてくる母は、全てを見透かしているような表情で微笑んだ。
……嬉しくなんてないもん。 嬉しいなんて思ってしまったら、今まで普通の民のように育ててきてくれた両親との生活を間違っていると言ってるような気がするから。 嬉しいなんて思ってしまうのは、手元に無かったものが私の前に現れたからだ。 そんな私を見て両親はどう思う? 自分の娘が本当に欲しかったものに気づいてやれなかったとか思うに違いない。 だから、嬉しくないもん。
幼き思い込み。 それでもニヤけてしまう自分の顔に拳を当てる。 勝手な想像に溺れ、私はただただ自分に正直になるのを拒んだのだ。 なにより大切な家族に、少しでも嫌われるのを恐れて。
「ディア、クロートはいい子よ。 あなたのためを思って、側近を申し出たのはクロート自身なのだから。 って、あら? もう眠っちゃたのね。 おやすみ、私の愛しきディア」
額になにか触れた気がしたが、私の意識は構わず深い眠りへと落ちた。
なんだか今日は疲れてしまった。
■■■
「おはようございます、殿下! きょ、今日もはりきって参りまひょうっ!」
まだ眠い目を擦りながら、ボヤけた視界でそいつを捉え、思う。
マジか、まだクロートは緊張してんのか……。
あくびをして、私は窓から眩しい青空を見上げる。
「……………二度寝する」
そう言ってベッドの中に潜ろうとすると、クロートが慌てて掛け布団を掴んで引っ張りだす。
「だ、ダメだよ! じゃなくて、ダメですよ! 朝食のお時間ですよ!」
「うぅーん……だって今日、母上も父上も仕事で一緒に食べれないんでしょ? やだやだ、二度寝するー」
「大丈夫ですよ!」
「なにが」
そこで引っ張る手が止まる。
「私もご一緒に食べますので、ひとりじゃないですよ!」
めっちゃにこやかな表情で言うクロート。 私はそんなクロートに寝起きのせいか腹が立ち、ベッドからジャンプしてクロートの顔面に飛び蹴りを喰らわす。
「お前はご所望じゃないんだよぉぉ!」
「んぐふぅっ!」
クロートは床の上を転がり、私の大きなぬいぐるみに埋もれる。 その直後にメイドが扉を開けた。
「朝食……できました殿下」
クロートの姿を見て苦笑いしつつ、私にそう言って静かに部屋から出ていく。
「………行こか」
「はい……」
謎の気まずさに襲われ、完全に覚醒した意識で歩き始める。 クロートも咄嗟に扉近くに立ち、私の歩くタイミングに合わせて開いた。
そして数分後。
主の前であるはずなのにムシャムシャ朝食に食らいつくクロート。 さっきまでの側近態度はどこにいったのやら。
「やっぱり美味しいですよね〜ここの料理! うーん、これも美味!」
「お、おぉ……」
私よりも朝食を楽しんでやがる……。
「なんでそんなに楽しそうなんだ?」
「そりゃあもちろん殿下と一緒だからですよ! それよりもこのスープ、何をダシに作ってるんですかね? 美味しそうだなぁ、熱っ!」
そんなクロートを眺めながら、私の口角は自然と上がる。 悪くない気分ではある。 良い気分とは断言できないけれど、心地悪くないのが不思議でたまらなかった。
「変なやつ……」
言っとくがここだけの話、私はまだクロートを側近と認めてはいない。 側近らしいこともまだ何もしていない。 まぁ私が避けてるからだろうけど。
「それにしても、殿下も私に対してくらいは素の喋り方にしてくださいよ。 王の威厳? を真似るのは確かに王家に生まれたからには必要なことだとは思いますけど、その歳からそんなでいると壊れちゃいますよ?」
壊れる? 機械でもあるまいし壊れるなんてことはないでしょ。
「ふんっ! 壊れる? 素の喋り方? そんなもの何故お前にしなきゃならんのだ! 私は母上と父上がいてくれればそれでいいのだ! くうぉーとなど、いらん!」
ガーンなんて効果音が聞こえそうな表情に変わるクロート。 だがその後少し考える仕草を見せ、主である私を指さし叫ぶ。
「ならば、私がこの自己流側近の話し方をやめればいいんですね!?」
なんでそうなるの! 主よりも先に素を見せちゃうの!? どうしてそうなるの!
開いた口が塞がらない。 こいつの考えが分からない。
どうやら自称私の側近は、解雇がご所望のようだな。
「これからよろしくね! ディア様!」
きめぇ……それがお前の本性かよ……。
怒りを通り越して落胆し、ただただ引きつつ私はクロートを指さし王様のように高らかに叫ぶ。
「貴様は、今日で側近クビ!!」
「えー!」
頑張ったのにぃ、と言いたげな表情でクロートが肩を落とす。
「二日間お疲れ様、自称側近くうぉーと」
そう言ってほとんど食べていない朝食から顔を背け、逃げ出すように部屋から出ていった。
何故か頭からクロートの落ち込む顔が離れなかった。 それでも無理をするように、大好きな絵本達を読み、たくさんのぬいぐるみ達に抱きつき、ベッドに潜り込んで一日が終わった。
かのように思っていたのだが。
不意にクロートを独断で解雇したその日の夜、目が覚める。
意識がすぐに覚醒し、二度寝を試みるがなかなか寝付けない。 何故か枕が少し濡れていた。 月はいつものように光を放ち輝いている。 無意識にそれに手を伸ばし窓を開けた。
「んっ……」
夜風が入り込む。 まるでこんな馬鹿な私を慰めるように、体全体を包み込む。 服と肌の間をすうっと抜けていく。 そんな風に導かれるように、月の光がさらに濃さを増して部屋に入り込んだ。
「お月様……私、どうしたらいいのかな…………」
たった二日間。 私の長い人生の短時間の間に現れた青年に、私の心は揺れ動いていた。
好きじゃない。 好きなものか。 じゃあ嫌い? ……分からないよ。 そんなの分からない。
月の光を小さな両手で掬いとる。
「私、本当は。 どう思ってたんだろう…………?」
その時だった。
「こりゃあついてますぜ、お嬢ちゃん」
私しかいない部屋で声がした。 私はすぐにその聞こえた方へ顔を向ける。
「っ……誰?」
「へへっ、怪しいもんじゃあないですぜ。 なぁに、そんなことよりも俺はただ嬢ちゃんの悩み事を簡単に解決できる方法を知ってるんですぜ? 知りたくありゃあせんか」
覆面らしきものを被った知らない男が私の部屋にいた。 私は反射的に声を上げようとする。 その瞬間、男は私へ手を翳した。
「っ!? ーーっ! ーーーーっ!!」
声が、出ない! なんで!?
「しーっ、ですぜ。 嬢ちゃん」
口元を歪め、人差し指を口元に添える似合わぬ仕草をする男は、少しづつ私に近づいてくる。
私は慌てながらも、助けを呼ぶために声を出そうと口を動かした。
くっ……! じゃあ、これで!
私は壁を叩こうと腕を振りかぶる。 それを見て男は近づく速度を上げた。 床を蹴り私を軽々と抱え、開いた窓から外へ飛び出す。
「ガキのくせに頭の回転はいいんだな。 だが、もう遅せぇぜ!」
そう言うと、何か別な魔法がかけられ私の意識は深い眠りについてしまった。
助けて……ママ、パパ…………。
■■■
クロートside……
「あーやってしまったぁ……どこで間違ったんだよ俺ぇ……側近クビかぁ……」
歩く足がやたら重く感じる。 俯いて嘆いていた。 それを見てメイドがそっと道をあけて横を通り過ぎていく。
確かに素で話すとか言いだして、あの喋り方は気持ち悪すぎたのかなぁ。 やっぱそうなのかなぁ。 絶対そうだよなぁ。 ふざけすぎたのかなぁ。
なかなか自分に心を開いてくれないディアに俺はどう接しようか毎晩考え込んでいた。 深夜になるとその思考は脱線していく。 結果、ハイテンションで朝食という作戦が今朝実行されたのだった。
だがそれでも、
「俺は諦めねぇぞ!」
その場で地団駄を踏む。
なろうと決めたんだよ、あの日に。 ディア様の側近、なってやらぁぁ!!
両手でバチンと頬を叩き、自分に痛みで喝を入れる。
やる気出せ俺! 言ったってまだ二日だ。 辞めろと言われようとも、俺はまだまだやるぜ!
「そうと決まったら作戦を考えなきゃな! うおおお!!」
ドシドシと歩みを進め自分の部屋へ向かう。 メイド達は相変わらず、俺を避けて廊下の端を通り過ぎていった。 数分後、メイド長に静かに歩けと叱られた。
それから数時間後。
「今のところ思いついたのが、朝食がダメなら昼食夕食ハイテンション作戦。 ぬいぐるみの中に入ってドッキリ作戦。 プレゼント作戦。 手料理作戦に学園から出されている宿題の手伝い作戦。 絵本読み作戦。 絵本作成作戦や一緒にお出かけ作戦。 うーむ、どうしたものか……」
側近を任命されたあの日、今でもよく分からぬ側近ってやつは何をすればいいかいまいち分からない。 国王陛下には傍にいてくれたらそれでいい、なんて言われてはいるが流石にそれではいけないことぐらい俺でも分かる。 だが、家事等城の仕事やディア様の身の回りの仕事は同性であるメイド達が完璧にこなしている。
俺って、必要? 未だに自分のディア様に対する存在価値が分からない。
だがそれでも、城でも学園でも孤独のディア様のお傍にいたいこの気持ちは確かだ。 決して性癖などは関係ない。 恋愛感情なども恐れ多いことだ。
「だが、さて……どうしようかな……」
信頼を築き、仲良くなるにはどうしたらいいのか。 友人関係初心者である俺は全く分からない。 分からないなりに考えて行動してはいるが、今のところどれもが空振りで終わっている。
作戦なのがいけないのだろうか。 ここは真正面から仲良くなりましょうとでも言ってみようか? いやいや馬鹿か俺は。 相手は殿下だぞ。 王女ディア様だぞ。
その時、微かに物音がした。 ディア様の部屋からだ。
「ん? 起きたのかな? でもこんな時間に?」
ディア様の部屋と俺の部屋は、意外と近くに位置している。 もしもの時のためだ。
直後、ディア様の部屋の方から扉が静かに開く音がした。
「トイレかな。 ならここは俺がついて行って好感度上げる作戦で」
いや待て、俺は変態かよ。 いやいや、ディア様守るためだから。
俺の中で天使と悪魔が争ってるなか、さらなる音がする。
ドッドッドッ……
これは足音? だが、音からして、ディア様ではない!
俺は扉を開けディア様の部屋へ直行した。 ドアノブに手をかける。
「開かない!? 鍵か!」
どうする! 壊したらあとで国王様になんて言われるか…………えぇい! 言ってる場合か!
助走をつけ扉を蹴破る。 扉は音をあげ壁から勢いよく外れた。
「ディア様!!」
そこにはディア様の姿は無かった。 乱れたベッド、開けられた窓。 夜風が静寂と共に入り込んでいた。 月光が部屋を照らす。
「………………」
ベッドに近づく。 触れると冷たかった。 夜風でもう温もりは冷えてしまったようだ。 俺の視線は枕を捉えた。 微かに濡れていた。
怖い夢でもみたのだろうか。
微笑んだ。 そんなディア様が可愛く思えた。 いや、いつだってあの御方は可憐であるが。
そして視線はベッドの真ん中付近に動く。 そこにも、微かな跡があった。 何かが滴った跡。
「誰だ……」
これはきっと、涙の跡。 悪夢によって零れた雫とは違うであろう。 俺は怒り任せに歯を食いしばる。
「俺の主を」
俺の恩人を。
「攫った野郎は!!!」
メイド達が駆け込む。 遅れて国王様と女王様が部屋に来る。
数分後。
「なるほど、状況は把握した。 お前達は先に探しに行け。 城の仕事よりもディアの命を最優先とせよ」
魔法などで部屋を調査したメイド達は一度頭を垂れると姿を消した。 そしてメイド長と話終えた国王様は俺と向かい合う。
「すまないが、側近として最後の任を与えるぞクロート。 ディアを、取り戻せ。 お前の命を賭して救い出すのだ。 ……帰還後、お前にはディアの側近から外れてもらう」
それは、俺と殿下との関係が断たれると同義の言葉で。
そう言って部屋から出ていく国王陛下。 女王陛下は終始辛いお顔をされていた。
「………………」
俺は、その言葉に何も答えることができなかった。
何故なら。
ポタポタと滴る血は俺の手から出ていた。 爪が手のひらを食い込む。 国王様の声は耳に届いていた。 だが、俺はその言葉を背を向けたまま聞いていた。
俺はディア様の部屋から出ていく。 どんな手を使ってでも、必ず取り戻す決心を固めて。
メイド達によって完璧に直されたその部屋には何の跡も残らず、ただ主人の帰りをいつものように待つ部屋へと戻っていた。
読んでくれてありがとうございます。
次回、ディア救出へ!
次も読んでくれると嬉しいです。




