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科学と愛は冒険の始まり  作者: トレア
第3章
65/72

3-25 霧払い

 魔獣の咆哮を聞いて、無我夢中で魔獣の森を走り回って、なんとかこうして玲那を危機一髪の状況から救い出すことはできた。


 でもここで万事休すか。

 さっき自分が走ってきた道から3匹の魔獣がこちらに向かって走ってきているんじゃ、もうどうしようもない。

 この時点で前と後ろから魔獣に挟まれる格好になっているし、塔までの最短距離を潰されたことにもなる。行きとは違う道で塔に帰ろうにも、この馬鹿広い森の中を遠回りしながら走り続けられる力はもう残されてない。そもそも帰り道すらわからないし、その間にもさらに魔狼が増えることを考えるとかなりまずい。

 それに、この全身光速化の力がいつまで持つかも怪しい。この疲労感がただの肉体的疲労によるものなんだったらいいけど、魔力の残量が少なくなってることによる内部的疲労だったらいよいよ終わりだ。


 つまり僕らが生き残る唯一の方法は、あの道を塞いでいる3匹の狼どもをなんらかの方法でいなして突破するしかないってことだ。


 とは言っても、こんな状態でもう一回魔法を使うのは無理だ。

 ということは、必然的に残された手段は一つに絞られる。


 相手は正面に3匹。練習の時とは2匹多いし、今回はただ避けるだけじゃなくて前に進むという動きも必要になる。

 おまけに大人の女性を1人お姫様抱っこした状態でだ。いくら背負いやすい体勢で、腕だけに全体重がかからないように工夫してくれているとは言え、体の自由はかなり奪われている。

 でもその代わり、今回は全身が倍速状態だ。ならやってやれないことはない。


 距離はあと50メートルほど。このタイミングでこちらへ攻撃を仕掛けるためか、それぞれの体勢が走行姿勢から変わる。

 右のあいつは少し体の重心を片側に寄せている。あれは一気に片足で踏み込んで、逆側の前足で薙ぎ払う構え。

 左のあいつは姿勢を少し低くし始めた。あいつは一気に飛びかかって、自慢の牙で食いちぎる算段か。

 正面のあいつは・・・、動きを止めた?


 でもこれなら問題ない。あいつらが実際に攻撃を仕掛けてきた段階でこのまま走り去るか、一旦後退してしまえばそのまま回避して走り抜けることができる。


 不安そうに僕の顔を見つめる玲那に一瞬だけ視線を向けて、勢いを殺すことなく真正面へとそのまま駆け抜けていく。

 

 先に左のやつが動いた。

 が、ジャンプした時点でもうそこから進む先は変えられない。動きを見てから攻撃範囲外まで逃げればもうこいつは僕の背後だ。

 

 必要最小限の動きで左をいなすと、次は右のやつが動く。

 が、動き出す前の時点で既に重心を移動させてしまっている以上、その時点でこいつも動ける範囲は限られる。これであいつの方がスピードが上だったら攻撃方法を変えるという手段も取れただろうけど、残念ながら僕の方が動きは速い。何も行動に移せないまま、右の狼の攻撃からも逃げ切ることに成功。


 そして最後に、こちらの動きを観察する動きを見せていた正面の狼。

 ただ残念なことに、こいつらの攻撃手段が牙か爪の攻撃しかないことは既に僕は把握している。どれだけ僕の動きを見てから自分のとる行動を決めようとしても、こちらの方が速く、おまけにその選択肢全てを把握してしまっている以上・・・、


 「前方突進からの左前爪の振り、降ろし!!!」


 

 避けることは難しくはない。

 

 これでさっきまで正面にいた奴らは3匹とも背後だ。あとは結界まで走り抜くだけ。

 あれだけ過酷だと散々文句を言っていたあの修行も、今この場面を凌ぐためにあったんだと思うとむしろ感謝をしたくなるな。

 

 きっと玲那の表情もすっかりパーッと明るくなっている・・・。



 ーーーなんで玲那はまだ僕の後ろをじっと眺めている?


  

 「うがっ・・・!?」


 下半身に突如意図しない強い衝撃が走る。玲那を見ていたはずの視界がいきなりぐるりと歪み、足はその衝撃の勢いに負けて地面から離れる。

 そのまま僕は抱き抱えるようにしていたはずの玲那までを空中に放り出して、数秒間の空中飛行の後に強く膝から地面に叩きつけられる。


 「な・・・にが・・・?」


 

 もっと早く玲那の様子に目を向けるべきだった。

 もっと周りの音の変化に気を配るべきだった。

 もっと目の前の魔獣の動きの違和感に思考を巡らせるべきだった。


 ーーーそしたら背後から迫っていた猪の突進にも気づくことができたかもしれないってのに。


 「樹君!しっかりして、樹君!!!」


 守ると誓っていた玲那までも地面に打ち捨てて、うつ伏せで地面に倒れこむ。わずかに顔をあげるとちゃんとそこには玲那がいるが、自分と違って地面の上を転がってしまったのか全身が汚れてしまっている。

 不幸中の幸いか目立った外傷は負っていないようで、いまだに立ち上がることができずにいる僕の側に急いで駆け寄ってきている。


 「れ・・・な・・・。」


 「まずいよ樹君!後ろからあの豚と狼が!!!」


 玲那の緊迫感溢れる声が正常に耳に届けられる。

 その時点でこの状況がもう取り返しのつかないことになっていることを瞬時に悟ってしまった。

 

 後ろの方から聞こえる地響き。

 それでも足はピクリとも動かない。


 ーーーまずい、動かないどころか意識し始めたら急に猛烈な痛みが走り始めた。


 痛い、痛い痛い痛い!

 やばい、これは間違いなく折れてる。両足ともいってる。痛い。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い。


 「早く逃げないと!樹君!!!!!」


 足音がどんどん大きくなってきてやがる痛い。まずい、逃げないといけないのに痛い痛い下半身が全く言うことを痛い痛い痛い痛い聞いてくれ痛い痛い痛い痛い痛い痛い。


 治癒魔法をかけ痛い痛い痛い痛い痛い魔力がもう痛い痛い痛い痛い痛い

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い


 「樹君!!!!!」

 「プギイいいいいいいいいい!!!!!!!」


 痛覚が全身を蝕んでいく。視界がだんだん赤くちらついていく。

 そんな中、僕の隣を足音が駆けていく。


 まさか。

 心臓がびくりと跳ねる。

 痛みが支配していた脳みそにようやく状況相応の焦りが芽生え始める。

 が、気づいた時にはもう遅い。


 その足音は、玲那はどんどん僕から遠ざかっていく。

 それがつまり何を意味するか。



 ーーー後ろに物騒な足音が聞こえてきている中、その行動が示す意味がわからないほど僕の頭は混乱してはいなかった。


 「・・・れな?」

 

 何やら玲那の小さなつぶやきが聞こえた気がしたけど、それがなんだったのかは聞き取れなかった。


 ただ名前を呼ぶことしかできなかった間に、なぜか地響きとも言える足音は突如ピタリ止んだ。

 次の瞬間には「ドスンッ」という大きな音とともに再び大きな地響きが、今度は風とともに湧き上がる。


 一体何が起きたのか。

 確認しようにも全身は鉛のように動かない。気づいていなかったけど突進のダメージをもろに食らった下半身だけじゃなく、上半身までもが自分の支配下から逃れてしまっているようだ。

 光速魔法の無茶がたたったせいで、後ろで繰り広げられている出来事の顛末を確認することすらままならない。


 玲那は、玲那は無事なのか・・・?


 そんな心配をよそに、今度はさっきの魔狼たちの声があたりにこだまする。

 再び地面越しに伝わる魔獣たちの足音。この音の間隔的にさっき攻撃を避けたあいつらがこっちに迫ってきていると考えられる、のだけれど。


 さっきまでこっちに向かって突進してきたあの魔猪は一体どうなったんだ?



 「ーーーごめんなさい、きっとこうしなくても分かり合える道があったはずなのに。」


 そんな疑問を抱いていると、その背後から僕の大好きなあの落ち着いた声が聞こえてくる。

 その声から玲那が無事であることが伝わり一安心ではあるけど、今度はあの3匹の魔狼が迫っているはず・・・。


 「でももう、ここで怖がっているわけにはいかないの!今度は私が樹君を守る!!!」


 そんな僕の心配をよそに、何やらすごく頼もしい言葉が聞こえてくる。

 それでもあの狼たちの足音が止まることなくこちらに向かってきている。


 そいつらから僕を庇うように後ろに立っているはずの玲那。


 「僕のことはいいから早く逃げろ・・・!」


 助けに来たのにこのままじゃ、僕のせいで玲那が死んでしまう。


 「頼むから君だけでも・・・。」


 なおも地を駆ける足音が床に倒れこんでいる僕の全身に響き渡る。


 「お願いだから・・・!」


 なのに真後ろに感じていた玲那が、その足音に近づいていくように僕から離れていく。


 「いくな、玲那ああああああああああああああああああああ!!!!!」


 そんな最後の一声も虚しく、狼たちの低く短い雄叫びが殺戮の始まりを告げるように森に響き渡った。



 そして一瞬で決着がつくと思っていたその戦闘は、



 ーーー魔狼たちの断末魔と共に終わりを迎えた。


            *     *     *


 「レナちゃん、気持ちはわかるけどそれじゃあいつか君が・・・。」


 「わかっています。わかってはいるんですけど。」


 目の前に横たわる1匹の子牛を前にして、玲那はぎりりと奥歯を噛み締め目を背ける。


 「この世は弱肉強食。やらなきゃいつか自分がやられる。そうやって世界は回ってるんだぜ?」


 「私が甘えたこと言ってるだけってわかってる。それに私たちが元いた世界だって、こうして食用の動物を飼育して食べていたもの。でもいざこうやって何の罪もない動物を手にかけたと思うと手が・・・。」


 「生きるってのはそういうことだ。姉ちゃんもレージも我もいつ逆側になるかわからないんだ、早く慣れるんだな。」


 その喉元を貫通している黒い刃を恐る恐る引き抜いて、玲那はゆっくりとそれをレージベルに渡す。引き抜く際に伝わる生々しい肉の感触にますます顔をしかめていると、諭すようにヴァーグが声をかける。


 「まあ少しずつ慣れたらいいさ。文化の違いってもんはそう簡単には埋められないだろうしな。」


 「お気遣いありがとうございます。・・・でもやっぱり、命を奪うという行為に慣れないといけないというのは、精神的に苦しいです。」


 「ま、安心しなって!レナちゃんが無理だって言うなら俺が・・・」


 「甘やかしたっていいことはないぞ、レージ。そもそも我の時はそんな優しい言葉一回もかけてくれたことがなかったではないか!」


 「当たり前だろ?なんでそんないかつい獅子顔のお前にそんなことで気を遣ってやらないといけねえんだ。」


 「むう、顔か!?我が姉ちゃんみたいな可愛らしい顔をしていたらよかったのか!?」


 「バカ言え!翼の生えた四足歩行のごっつい魔獣がレナちゃんみたいな顔してたら気色悪くてたまんねえよ!」


 いつものやりとりを行うレージベルとヴァーグ。ただの人間と、その数倍のデカさはある獅子型の魔獣のその気の抜けるような掛け合いに、沈んでいた表情が少しだけ明るくなる。


 「私はヴァーグのその強そうな顔、好きよ?」


 「お、おう。なんだ、急にそんなこと言われたら照れるだろ姉ちゃん。」


 「な・・・、お、俺の方が数倍かっこいいだろ!ほら見てくれレナちゃん!これが10代だった頃の俺の顔だ、いけてるだろ!?」


 「別にわざわざ変装しなくても、十分いけてますよ?」


 「お、おお、そうか!そうかそうか!!!・・・って痛っ、何すんだクソヴァーグ!!!」


 表情を完全に緩めていた背中をヴァーグの大きな尻尾のしなりが襲う。思い切り体を前につんのめらせたレージベルは、その怒りをヴァーグの硬い皮膚に向けて殴打することで発散しているがダメージは一切ない。


 「・・・ふふ、あはは!!!ちょっとやめてよ2人とも!せっかく真面目に悩んでたのに台無しじゃない!」


 「お、やったなヴァーグ!やっとレナちゃんが笑ったぞ!」


 「・・・それを口に出さなかったら少しは格好がついただろうに。」


 短いため息をつきながら尻尾を軽く揺らすヴァーグ。その和やかな雰囲気に乗せられるように、玲那の心の奥に宿っていた不快感の塊が徐々に消えていく。

 が、右手に握っている黒い小刀の血痕と、その血を付着させた動物の末路だけはどうあがいても消すことはできない。そんな心の葛藤と戦う玲那を見て、再びレージベルは声をかける。


 「まあ今回のように絶対に殺生をしないといけない場合は仕方ないけど、戦いにおいては常に殺すことが答えというわけでもない。殺めないからこそ生まれる道もだってある。レナちゃんが今回必死に身に付けようとしている幻惑魔法も、その道を作るための手段の一つだからね。」


 「身動きを封じる、洗脳する、対象を自在に操る。どれも直接的に命に関わるものではない。そういった意味では、姉ちゃんに一番向いてる魔法かもしれないな。」


 この魔法は命を取る手段にはなるけど、使い方によってはそうせずとも済む方法がある。

 それは今の玲那にとっては救いでもあり、モチベーションにもなる言葉だった。


 生きるために、食べるために動物を殺めるのは元の世界でも変わらない。だからそこに心を痛めるのは、自分でもひどい発想だとは思うが今更である。

 ただ、自分に危害を加えようとする相手を制する手段もまた殺生しか持ち合わせていないというのは、どうしても慣れない、理解できない。

 それはただの偽善かもしれない、問題の先延ばしかもしれない、回り回って自分に再び牙を剥くかもしれない。それでも自分は命を奪う以外に方法があるならその方法を選びたい。


 そんな思想を支える力に、この魔法がなってくれるのなら。

 自分に適性がある力が、自分のやりたいことを実現してくれる力なのだとしたら。

 それはあの王様からの命令だという側面を抜きにしてでも、身に付けたいと思わせてくれる。


 「私、もっと幻惑魔法の勉強をしたいです。どんな相手からも身を守れるように。」


 「それはぜひ推奨するけど、その道を進むのは限界があるんだよなあ。」


 「限界、ですか?」


 その早速固めた高尚な決意に提案者から水を差されて戸惑う。が、その答えを用意したのはもう1人の提案者だった。


 「我もレージも知らないから教えることが誰もできないのだ。だからもし幻惑魔法を極めたいと言うのなら、」


 「ーーーおいヴァーグ、それ以上は言うな。」


 だが理由を説明するに留められ、肝心な方法まではレージベルに止められて聞くことができない。


 「何か言いづらい方法なんですか?」

 

 「・・・方法自体はあるけど不可能に近いって話だ。どう考えたって無理だし、まずは俺たちが教えるものを極めるところから始めようぜ。同じ魔法でも練りこんだ魔力の量や質で効果は全然違う。幻惑魔法の場合はそれが顕著に現れるんだから、まずはみっちり基礎練習だぞレナちゃん!」


 誤魔化すように早口でそう言い残すと、2メートルほどある子牛を魔法で易々と持ち上げてヴァーグの背中に担がせる。

 あのレージベルが言わないということは、よっぽど根深い事情があるに違いない。ならばしつこく食い下がるより、おとなしく今やれることをコツコツこなしていつかその事情を話してもらえる時を待つしかないだろう。


 『でも』の2文字を押し殺して、『はい』の2文字を紡ごうとしたその時だった。



 「基礎の繰り返しも大事だが、どんどん新しいことを覚えていける環境にもしないと修行ってもんは効率が落ちるんだぜ、レージ?」



 「ーーー今度は何の厄介ごとを持ち込んで来やがった、ガルディン。」



 空から突如、少年のようなあどけない笑顔を浮かべた茶髪の男が降ってきたのだ。


            *     *     *


 喫茶店で2人平和に過ごしたあの日々。

 学校で視線が合った時に向けられた、彼の本当の人柄が滲み出ているかのようなあの優しい笑み。

 1人部屋の片隅で本を読んでいた時に差し出された泥まみれの小さな手。

 勇者になってやると誓ってくれた、夕日のように真っ赤にしながらカッコをつけた顔。


 一度は完全に抹消したはずのあの青春の日々が、この視界の滲む長い廊下と一緒に脳裏を駆け抜けていく。


 ほんの一瞬だけ強欲になってしまった自分を咎めるような運命の采配。

 でも彼の反応は考えてみれば当然なわけで。最初にはっきりと拒絶の言葉をかけてしまったのは他の誰でもない自分なわけで。

 だから彼を責めることなんてお門違いも甚だしい。あんな仕打ちをしておいてもなお、昔と変わらない関係を続けてくれると願っていた自分の浅ましさよ。


 「ま、待つのですよレナリン!」


 後ろからバサバサという大きな羽音と甲高い声を響かせながら、ついさっき知り合ったばかりの喋る虹色の翼を持つ可愛らしい鳥が追いかけてくる。


 「どこへ行くつもりなのですか?外に出たってレナリンじゃ、中に戻ってくるのも一苦労なのですよ?」


 「・・・むしろその方がいいんじゃないかな。私がここにいても彼の邪魔にしかならないでしょうし。」


 こんな見た目が不気味な塔の中に、出会ったばかりの人間の身を案じてくれる優しい存在がいてくれたことに、心が締め付けられるような喜びを感じる。

 それでもその素直な気持ちを口にすることができず、その優しい心遣いを無下にすることしかできない。そんな醜い心しか持ち合わせていない自分が尚更惨めな存在に思えてくる。


 ただ、困らせている自覚を持ちながらもこの哀れな心は自分の弱さを吐き出すことを止めようとしない。


 「ごめんね、エリーゼちゃん。でもどうか樹君のことは嫌いにならないであげてね。彼は当然のことをしただけだから責めないであげて。」


 「当然のことをした結果、誰かが泣く未来が待っているなんてエリーゼは納得がいかないのですよ。やっぱりエリーゼがタッツーのことをビシッと説教をしてやるのですよ!」


 鼻息荒くバサバサと駄々こねる姿を見て、ますます目の前に迫る扉に手をかけづらくなる。

 でもここでその優しさに負けて中に戻ってしまったら、それこそ誰のためにもならない結末しか待っていない。


 「え、ちょっと待つのです!本当に外へ行くつもりなのですか?」


 「ちょっと頭を冷やすだけよ。大丈夫、蒔田君たちが戻ってくる頃には一緒に中に戻るから。」


 「あ、レナリン!」


 だから引き留めようとするその七色の翼からあえて目を背けて、黒一色の染められた扉へと今度こそ手をかける。


 「気をつけるのですよー!夕飯もちゃんと美味しいものをエフィーがとってきてくれるはずなのですよー!」


 咄嗟に口からこぼれた嘘を鵜呑みにして、後ろ髪を引かれるような言葉を残すエリーゼ。


 それでも後ろは振り返らない。


 振り返ったら今すぐにでも樹に謝罪をしてずっとここに置いてもらえるようにお願いしてしまいそうだから。


            *     *     *


 ヴァーグの背中からレージベルと見下ろしていた森の中を、まさか数時間後に1人で歩くことになるとは。

 塔を飛び出し1人流浪の旅を始めた玲那はそんなことを思いながらも、何の迷いもなく前へ前へと歩き出す。


 果たしてここを抜けた先がどこに繋がっているのか。

 右も左も木だらけの道を歩いていたら当然のように考えるであろう内容を一切考えず、ひたすら歩き続ける。


 『本来ならこの森を抜けようと思うと、大量の魔獣に襲われて大変なんだよ!』


 『我のように誰かに使役されている魔獣以外は、そもそもここら一帯には近づこうとも思わない。それくらい強力な魔法でこの塔は守られているんだ。』


 行きの途中に3人で交わした会話の内容は確かに頭に残っている。

 その話が正しければ、今自分が歩いているこの森には大量の魔獣が住みついているという話だったはずだが。


 「思ってたより静かね・・・。」


 別に魔獣に会いたいわけではない。

 でもかといって会いたくないわけでもない。

 

 別に命を投げ捨てたいわけではない。 

 でもかといってこの命に未練があるのかと問われると、はっきりあると答えられる自信があるわけでもない。


 表向きは、レージベルのもとで今まで練習した魔法の実戦練習。

 本音を言うと、何のために生きているのかがわからなくなっただけ。


 魔獣たちが跋扈するこの環境で一晩明かすことができたら、自分にはまだ生きている価値があると言える。

 それまでに自分の身が朽ちるようなことがあれば、自分はそれまでの人間だったということ。この世に必要とされていない人間なんだと納得ができる。


 『お前にしか頼めない大事な仕事がある』


 自分を誘拐するなり、あの人は突拍子もなくそんな話を始めた。


 『その力を磨いて、いつかこの世界が滅びの運命を辿り始めた時に備えていてほしいんだ!』


 何を言っているのか。


 『信じられないかもしれないが、俺はお前のその力を使って滅びの未来からやってきたんだ!』


 正直今でも何を言っているのかよくわかっていない。

 でも、


 『俺はもうこの世界をやり直すつもりはない。やり直さないといけなくなる前に何とかすると誓ったからな。・・・でも、俺の決意一つで取り返しのつかないことになっちまうことだけは避けたい。だから頼む!』


 この人が本気でこの国を救おうとしていることだけは、初対面の自分にあそこまで切実な願いをぶつけてきたことで十分に伝わってきた。

 だから自分はあの人に協力することを決めた。


 それが全てガルディン・クランジアの頭の中で描かれていたシナリオ通りに進んでいることも、最初は気にしていなかった。


 

 ーーー天梨樹のことは諦めてくれと言われるまでは。



 「・・・狼!?」


 足場の悪い道を抜けてほんの少しだけ開けた空間にでた玲那を待っていたのは、1匹の狼のような魔獣。

 魔王城の周りにも何種類かの魔獣はいるが、こんな凶暴そうな魔獣は実際に魔王が丹念に世話をしている数匹か、この前のギガントドレーギアの騒動の際に目撃したときくらいしか目にしていない。


 なるほど、あんな爪が振り下ろされたらこの身なんて一瞬のうちに引き裂かれてしまうだろう。

 だが魔法を使って自分の身を守るというのは、ああいう存在を無力化するということに他ならない。


 目が合ったと同時に、狼型の魔獣は思わず耳を塞ぎたくなるような声量で遠吠えを行う。

 その行為が果たしてどんな効果をもたらす行為なのか、それに察しがつかないほど玲那の知識は不足していなかった。


 「仲間を呼ばれちゃったかな・・・?」


 今持ち合わせている魔法では、1対1では何とかなるかもしれないが、1対多となると勝算が薄い。レージベルが言っていた大魔法とやらを使えればあるいはといったところだが、皮肉なことにそれをこれから学ぼうとしていたところだったのだ。


 できないことをできたらと嘆いたところで事態は好転してくれない。

 ならまずは目の前のこの1匹だけでも無力化するしかない。


 イメージするのは体内を駆け巡る魔力の流れ。それが黒い煙となって両掌から飛んでいく様子を思い描く。

 そしてそれを目の前の標的に向けて飛ばす。


 「はあああああっ!!!」


 体から少しだけ力が抜けていく。その抜けた力が形を持って前に向かって発射されていき・・・、


 「う、うそ、避けられた!?」


 横へのステップ一つで軽々と避けられる。射るのを失敗した矢のような速度では無理もない。

 そもそも魔法を放出するという作業自体、動かない的にしか行ったことはなく、あとは直接対象に掌を当てて幻を見せることしかやってこなかったのだから、血を求めて動き回る魔獣にはまるで通用しない。


 おまけに今の行動で完全に敵対心を抱いた模様。その猛々しい牙を見せつけるように威嚇をすると、そのまま迷うことなくその鋭い爪をこちらに向けて振り下ろそうと飛びかかってくる。


 「わっ!!!」


 その致命の一撃を何とか地面を転がるような動作で回避する。が、その反動でなかなか立ち上がることができず、そのまま尻を地面に引きずらせながら後ずさりをするのが精一杯。

 一方の魔獣も渾身の一振りを躱されたことで一瞬の後隙を見せるも、自分よりも隙だらけな姿を晒す獲物を前にして再び対峙した直後のような冷静さを取り戻す。

 ゆっくりと距離を詰めてくる魔狼と、必死に不安定な姿勢で後ろへと下がる玲那。


 このまま相手が再び攻撃を仕掛けてこなければ、しばらくはこのまま拮抗した状態を続けられる。

 そんなこの場にはそぐわない楽観的な考えがほんの一瞬だけよぎる。

 だがその甘い考えは、背中に容赦無く叩きつけられた固い感触によって打ち砕かれた。


 背後を大木に塞がれてしまったのだ。


 「う、嘘・・・。」


 なるほど、目の前の狩人が不思議と落ち着いて距離を詰めていた理由がこれか。相手には自分の背後にそびえていたこの木の存在に最初から気づいていたのだ。


 その不幸を嘲笑うようにに事態はさらに悪化していく。


 「左右からもう2匹ずつ!?」


 最初に蒔いていた伏線が回収されるように、同じ姿をした魔獣が新たに4匹追加されたのだ。



 詰み。


 魔力を捻出しようにも、自分の今の力ではもう一発あれを発射しても余裕で5匹とも回避するし、そもそも発射する前にそれを察知して一斉攻撃を仕掛けられて終わりだ。


 ・・・いや、正確にはまだ一つだけレージベルから託されたお守りと呼んでいた切り札がある。使い方も何も教わっていないが、それを使えばあるいは何とかなるかもしれない。

 でもさっきから震えが止まらないこの両手で果たしてその切り札とやらを行使することができるのか。

 いや、無理だ。そもそもそのお守りを手に取ることすらままならないくらいに全身が恐怖で震え上がっている。



 ああ、自分はなんてバカなんだろう。


 ほんのちょっと前までは、死んだってそれは仕方のないことだなんて考えていたくせに、いざ目の前に死を突きつけられると怖くて全身の震えが止まらない。


 なんという、なんという愚かさか。

 一瞬の気の迷いで、言葉通り人生を棒に振ってしまった。


 あれだけの長い年月を我慢できたくせに、どうして今更こんな短い期間ですら我慢ができなかったのか。

 どんな形であれ再び声をかわせるようになったというのに、どうして心はその頃からさらに弱くなってしまったのか。

 どうしてたった一度の喧嘩だけで、死んでもいいなんてあまりにも突飛な考えが脳を支配してしまったのだろうか。



 その後悔の念は、しかし前に立つ魔狼たちに届くことも理解されることもない。


 「・・・なんだったんだろうな、私の人生。」


 唐突に突きつけられた死という運命を前に不意に溢れたのはそんな言葉だった。


 果たして自分がいなくなったことに樹は気づいてくれるだろうか。

 あんな可愛い彼女ができて、樹はこの先自分のことを思い出してくれるだろうか。

 

 肉体が朽ちても人の魂の中で生き続けるという表現があるが、果たしてそれは本当なのだろうか。

 ここで死んだら、魂だけでも樹と一緒に居られることができるだろうか。

 

 ただ一緒に居たい。

 たったそれだけの願いだったのに。




 ーーーどこでその歯車は狂ってしまったのか。 

 


 「・・・さよなら。」



 か細い声がほんの一瞬だけ空気を揺らす。

 両目から一滴だけ綺麗な水滴が落ちる。



 せめてもの恐怖への抵抗心で目を閉じる。

 全てから視界を閉ざして真っ暗になった世界。


 最後の瞬間くらいはあの優しかった頃の思い出を。

 そんな願いを込めて強く強く瞼に力を込める。



 ーーー筆舌に尽くし難い痛みが走ると思っていたその世界は、なぜかほんの一瞬だけその閉じた瞼を貫通ような強い光に照らされた。


            *     *     *


 この世界に来て何度も常識の範疇を超える超常現象の数々を見てきたはずだった。

 その超常現象と呼べるものを自分でも使えるようになって、いよいよ超常という単語が消去されそうになってきたところだったのに。


 「え・・・。樹・・・君・・・?」


 強い光が消えたと同時に反射的に目を開いた玲那を待っていたのは、先ほどまで強くその姿を思い描いていた男の姿。

 だいぶ息を切らしながら自分の隣へと膝をつくと、あまりはっきりと聞き取れない言葉を発しながら、想像を超える早さで自分の体の自由を奪われた。


 「え、え、何!?どういうこと!?」


 死を覚悟したそのわずか数秒後に脳内に存在していた人物にお姫様抱っこをされて、これまた自分の理解が追いつかないような驚異的な早さで森の中を駆け抜けている。


 これは一体どういう状況なのか。

 場の空気の理解に長けていると高校生・大学生時代にもてはやされた玲那でも流石にそれを一瞬で理解することはできなかった。

 もしやこれが世に言う走馬灯というものなのかと自分を納得させようとするが、思い出が蘇るどころか今まさに新たな思い出が強く心に刻まれている真っ只中。とてもそうは思えない。


 その一方で自分を抱えて走る樹の表情はあまり思わしくない。これが普通の状況なら、自分のことを重いと言われているようで少しは複雑な気持ちにもなるのだろう。

 だがこの必死な顔を見ていれば、彼が何のためにここまで息を切らしているのかの理由にも察しがつく。



 ーーー危険を冒してでも、自分のために探しにきてくれた。


 いつ魔獣の視力が回復して追いかけてくる状況かわからないこの逼迫した状況。それを理解してか、立ち止まるまいと必死に走る樹。

 それがこの場に明らかにそぐわない感情だということは重々理解しているつもりでも、玲那の心はどうしようもない充実感に包まれてしまった。


 「ごめん、ごめんね樹君・・・。私はなんて愚かなことを・・・!」


 安心したと同時に、さっきまでの自分の常軌を逸した行動に急に恐怖が湧き出てくる。

 もし樹が助けにきてくれなかったら、自分の人生は、想いは、全てあそこで途絶えていた。

 今こうして抱いている溢れんばかりの万感の思いを感じ取ることもできなかった。


 自分から死を選ぼうとする行為のなんと愚かしいことか。

 そしてそれを振り返る機会を今こうして体を張って作り出してくれた樹の勇気。


 玲那は気がつけば自然と樹の首に腕を回して、自分の体と心の全てを樹に預けていた。

 それを受けてなのか、自分を支えてくれている体が少しだけ熱く、走る速度も少しだけ早くなっていく。


 ーーーそんな想い人の些細な変化すらも感じ取ってしまった玲那の心には、抱いてはいけないと封印していた暖かな想いが再びじんわりと満たされていってしまった。


             *     *     *


 命を救われたという事実にかき消されそうになっていたが、今のこの状況は極めて異常だと言わざるを得ない。

 樹は普通に走っている(ように見える)だけなのに、その速さは常人のそれとは比べものにならない。100m走の世界大会でもダブルスコアをつけて優勝できそうな速さだ。

 レージベルがよくやっている風魔術の体重操作や空気抵抗無効化とはまた違う、純粋に自分の行動速度を上げているように見えるが、そんな魔法の存在は聞かされていない。もちろんこの世界での経験値なんてまだまだなのは重々承知はしているが。


 それを樹が使いこなしているという事実。ということはこれは白魔術の一種なのだろう。

 ガルディンは樹に白魔術に天賦の才能を持っていると言っていたが、この魔法もその才能の賜物なのだろうか。

 ほんの数週間姿を見てなかっただけなのに、いつの間にかこんなことができるようになっていたというのか。少なくともこの前宗次と喧嘩をしていた時はこんな力は持ち合わせていなかったはずだ。


 最初聞かされた時は正直信じられないと思っていたが、もしかしたら樹は本当に・・・、



 「ーーーな、なにあの魔獣!?」


 樹の背後から何やらすごい速さでこちらに向かって走ってくる魔獣。

 攻撃的な魔獣には共通している黒色の肌。猪のように見えるが、牙が生えていないからイメージとしては豚と言った方が正しいか。

 ただそのシルエットはどこか車のようで、あの速さと相まって突進力は現実世界の猪とは比べものにならないくらいに高そうだ。

 つまり、あのスピードのまま突っ込まれたらひとたまりもないということだ。


 「樹君、まずいよ!後ろから魔獣がすごい速さでこっちに向かってる!!!」


 必死に目を見てそう訴えてはみるものの、樹はこちらの言葉になんの反応も示さない。ただひたすら前方を険しい表情で見つめている。


 まさかこちらの声が聞こえていないのか。それとも極限の集中で周りの音が耳に入ってきていないのか。

 あの豚の方が樹よりわずかに早いように見えるから、このままではいずれ追いつかれる。だからここはなんとしてでも気づいてもらわないといけない。


 だが首元を叩いてなんとか注意を引こうとしても、一向に樹はこちらに注意を向けない。

 まさか聴覚や触覚が麻痺しているのだろうか。この力を使っている間は五感が失われるなんていう副作用でもあるのか。


 「わっ!急にどうした・・・」


 樹の気を引くことに全力を尽くしていたら、いきなりの減速。急に体が左に揺れて思わず声が出てしまう。そのまままた前に向かって走り出すが、このスピードダウンで豚との距離が少しずつ縮まりだしている。


 そんなことを考えていると、豚しか見えていなかった背後の世界に突如さっき玲那を襲ったのと同じ見た目の魔獣が現れる。


 「さっきの狼!?まさか前から来ていたの!?」


 背後しか見えない玲那には気付けなかった前方からの脅威。樹の緩急はこの魔獣の攻撃を回避するための行動だったことをこのことから理解する。

 とはいえ、豚が迫ってきている事実に変わりはない。前の魔獣のことしか考えられていないのなら尚更まずい。

 もう一回ブレーキをかけてしまったら、いよいよあの豚の一撃が樹を襲うことになってしまう。


 そんなことを考えていたその矢先だった。

 


 樹がその場に立ち止まり、右足を屈めてしまったのだ。

 と同時に、玲那の頭上を狼の鋭い腕が通り過ぎていった。その間一髪の回避に本来なら見事だと賛辞の言葉をかけてあげたいところだが、今この場の行動としてはそれが逆に命取りだ。


 「樹君、後ろ!お願いだから後ろを見て!!!!!」


 少し得意げな顔で再び走り出す樹の顔に向かって叫ぶように声をかけ何度も首筋を叩く。



 ーーーだがもう時すでに遅し。


 「プギイいいいいいいいいい!!!!!!!」



 ガクンっという強い衝撃と共に、玲那の体は数秒の間空を舞う。

 視界がぐるぐると回る中、地面に背中を打ち付けて鈍い痛みが全身を走る。


 本当ならこの痛みに顔を歪めてゆっくりと立ち上がるところだが、そんなことをしている暇なんてどこにもないことを玲那は理解していた。


 「樹君!しっかりして、樹君!!!」


 このダメージをまともに受けたはずの樹の様子を即座に確認しに行く。

 そしてすぐそばでうつぶせになって倒れている樹の姿を見て、玲那は言葉を失う。



 ーーー両脚があらぬ方向に曲がってしまっている。

 人体の構造上絶対に曲がるはずのない方向に、両脚がひん曲がってしまっていたのだ。

 これでは逃げるどころか、この状態から立ち上がることすらままならない。


 「れ・・・な・・・。」


 苦しみを我慢するように絞り出した声で自分の名前を呼ぶ樹の姿に、玲那の頭に供給されるはずの血液がうまく循環しなくなっていく。


 「まずいよ樹君!後ろからあの豚と狼が!!!」


 毒にも薬にもならない言葉をかける玲那。目の前で辛そうな顔で倒れている樹がどんどん玲那から冷静さを奪っていく。

 どうしよう。自分を助けにきてくれた樹がこのままでは死んでしまう。


 「早く逃げないと!樹君!!!!!」


 焦らせたところで、樹の足の怪我が治るなんてありえない。

 それでも今の玲那には樹が何らかの力を使って奇跡的にこの場を離れる手段を導き出してくれるしか、この危機的状況を打開する方法が思いつかない。


 それでも時間は何も状況を好転させてはくれない。

 むしろ、あの憎い豚が再び突進を開始させるための時間稼ぎにしかなってくれなかった。


 「樹君!!!!!」

 「プギイいいいいいいいいい!!!!!!!」


 再び体を屈めて、さっきの一撃をかまそうと構える豚。それに巻き込まれるのを恐れてか、遠巻きにそれを眺める狼たち。そしてそのかなり遠くの方角から、さっきまで視界を奪われていたはずの5匹の狼たちが復活してこちらに迫ってきている。


 もはやこれまで。


 安全地帯まであとどれくらいかはわからないが、このまま逃げ切れるとは到底思えない。

 それに、ここで自分が逃げ出したら樹は間違いなく死ぬ。そんなことなんてできるわけがない。

 自分を助け出そうと命をかけてくれた大恩人を見捨てる真似なんて、自分の心が許さない。


 自分が残って何ができるかなんてわからない。さっき必死に唱えた魔法はあっさりと魔獣たちには躱されてしまう。


 『同じ魔法でも練りこんだ魔力の量や質で効果は全然違う。幻惑魔法の場合はそれが顕著に現れるんだから、まずはみっちり基礎練習だぞレナちゃん!」』


 初めて魔獣を手にかけた時にレージベルが言っていた言葉の重みを、死ぬ直前にして気づかされてしまうとは。

 

 『実際姉ちゃんの魔術の適性はとんでもないし、魔力の高さもだいぶ上がった。本当は練度を上げないといけないんだが、こうなった以上は仕方ねえ。』


 塔に出発する前にヴァーグが言っていた練度という言葉の意味を実戦でようやく思い知ることになるとは。



 『護身用としてこれを持っていけ、レナちゃん。いくら他者を傷つけることに抵抗があるとはいえ、ここは弱肉強食の世界なんだ。危険が迫ったらこれを迷わず使ってくれ。』


 レージベル達と別れる直前に、懐から取り出して手渡された黒い剣の柄のようなアイテム。

 奥の手として渡されていたそれを、さっきはあまりの恐怖で握ることができなかった。


 でも今は自分だけじゃない。

 自分が今一番守りたいと願う人に危険が迫っているのだ。


 『・・・でもやっぱり、命を奪うという行為に慣れないといけないというのは、精神的に苦しいです。』

 


 甘えた考えは捨てろ。


 「・・・れな?」


 これ以上目の前の現実から向き合うことをやめたら。

 もう一度自分から行動することから逃げ出してしまったら。



 今度こそ、自分の大切なものは永遠に失われてしまうのだから。



 「・・・お願い、力を貸して。」


 懐から取り出した、レージベルがお守りと呼んでいた黒い剣の柄のようなものに、自分が持ち合わせている魔力となけなしの勇気を注ぐ。

 するとその柄の先端に黒い光のようなものが次々と集まっていき、やがてそれは自分の身長と同じくらいの長さの黒く細い刀へと変貌を遂げた。


 この数秒の間に起きた神秘的な光景に動揺するが、すぐに玲那の注目は目の前にまっすぐ愚直に突進してくる猪豚へと戻る。


 この細い刀で果たしてあの勢いを止めることなんてできるのだろうか。

 いや、できなければ自分も樹もここで死ぬだけだ。ならばもう迷ったところで何も変わらない。


 離さないように両手でしっかりと握った刀の先を豚に向けて構えると、刀から黒い煙が吹き出す。

 それは先ほど自分が発動したものとは比べ物にならない速さと規模で目の前の魔獣を包み込み、動きを完全に静止させた。


 何が起きたのかはもちろん玲那自身もわかっていない。

 だが今が絶好の機会であるということだけは、初戦闘の彼女でも直感的に理解できた。


 すかさず前に駆け出し、渾身の力で刀を煙の中に向かって振り下ろす。

 途中で何かに当たり刀が少しだけ重く感じることがあったが、迷わず力ずくで振り抜くと無事に刀は地面まで到達した。



 刀を振り下ろす勢いで左右に綺麗に分かれていく煙。



 ーーーその晴れた煙の中から顔を縦に一刀両断された豚が、ズシンという物音と共に地面に倒れ伏していた。


            *     *     *


 見るも無残な亡骸を前に玲那の心に底知れぬ罪悪感が広がっていく。

 自らの意思で武器を振るい生き物の命を奪ってしまったあの感触が、刀を手から離させようと呪いのようにこびりつく。


 「ーーーごめんなさい、きっとこうしなくても分かり合える道があったはずなのに。」


 命のやり取りでしか解決できなかった自分を戒めるように呟く。

 自分にもっと力があれば、このような惨たらしい最期を与えることもなかっただろうに。


 それでも仕方なかった。

 なにせこの世界は弱肉強食の世界なんだから。

 強いものが問答無用で弱いものを淘汰していく世界なんだから。


 こうしていなかったら樹は死んでいたのだから。


 「でももう、ここで怖がっているわけにはいかないの!今度は私が樹君を守る!!!」


 この刀を振るうことをもう躊躇いはしない。

 どうしても命を選ばないといけないというのなら、自分は迷わず樹の命を選ぶ。

 

 揺らぎかけた心に鋼の装甲を施し、玲那は再び強く刀を握り直す。

 まだこちらを狙う魔獣は近くに3匹、遠くの方に5匹もいる。


 「僕のことはいいから早く逃げろ・・・!」


 前に進み出ようとしたところで、背後から今にも消えそうな声が届く。

 でもその願いに応えるわけにはいかない。


 「頼むから君だけでも・・・。」


 何を馬鹿なことを。

 ここで自分1人が生き残ることに何の意味があるというのか。


 「お願いだから・・・!」


 そんなにボロボロになってまで守ろうとしてくれたんだから、今度は自分が守ろうとして何が悪い。

 

 「いくな、玲那ああああああああああああああああああああ!!!!!」


 これでは側から見たらどちらが勇者なのかわからないな。


 そんなことを思いながら玲那はゆっくりと刀を構えて前に出る。

 その動きに反応するように狼たちも大きな遠吠えとともに一斉にこちらへと駆け出してくる。


 流石に複数で一斉の襲い掛かられるとさっきみたいにはいかないか。

 でもさっきみたいに刀の先端から魔法を出すことができたらあるいは。


 自分の体を流れる魔力を自分の手ではなく、その先にある刀まで流し込むイメージ。

 集中している玲那に呼応するように、その細い刀身が放つ黒い輝きは少しずつ光を強くしていく。


 果たして魔力を込めた先に何ができるのかは玲那自身も全く理解できていない。

 ただそんな本人の意思をよそに、またもやその黒い刀は勝手に先ほどよりも大きな煙のような塊を、今度は玲那の左右の地面に向けて放出した。


 「あれ、なんで・・・?」


 その自分が予想していた動きとは完全に異なる挙動に混乱を隠しきれない玲那。

 狼たちはそんなこと御構い無しで、どんどんこちらに向かって地を駆けている。


 魔法の制御に失敗してしまったのか。

 少なくともこのまま3匹を同時に相手するのは、戦闘慣れしていない自分では絶対に無理。



 ーーーここで無理だと諦めようが諦めまいが結果は同じなんだったら、やってやるしかない。


 それについさっき今度は迷わず行動すると決めたばかりなのだから、せめて自分の意思には従って最後の最後まで抗ってやるべきだろう。


 弱気になった心を奮い立たせるように、もうこの短時間で何度も行った刀を強く握るというアクションをこれまでよりも強く実行した。

 


 その時になってようやく、玲那は左右から感じる謎の違和感に気がついた。



 ーーー左右に落ちた黒い影が、いつの間にか自分と同じ姿形を象って立っていたのだ。


 「え、え、え???私が3人・・・!?」


 全身黒づくめではあるが、体のシルエットや髪型、手に持っている刀やその持ち方まで。そのあらゆる見た目や所作が今自分がとっているものと全く同じ。

 左右を振り向くと、同じようにその影も自分と同じ方向を向く。完全に動きをトレースされているのだ。


 それが自分のさっきの魔力の賜物であることは想像ついていたが、その原理などは何一つ理解できない。

 が、そんなことに思考を巡らせている暇なんてどこにもない。


 今は仲良く3匹並んで走ってきているあの魔獣たちを、仲良く並んだ3人の自分で斬るしかない。


 問題だった数の帳尻が合ってしまえば、後は立ち回りとリーチの差、そして武器の性能が勝敗を分ける。

 

 そして立ち回りはともかく、リーチの差と武器の性能を比較してしまえば、もはや玲那が負ける要素はどこにも見当たらなかった。


 

 「・・・ごめん!」



 黒い斬撃を一閃。



 ーーー玲那自身とその影武者2人が振るった刀は、その体を切り裂こうと向けられていた魔狼の前足ごと体を断ち切ったのだった。

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