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科学と愛は冒険の始まり  作者: トレア
第3章
48/72

3-8 無知

 喉が張り裂けそうな声を辺りに響かせたマイヤは、脇目も振らず駆けだした。いまだ炎が残る森の中へ躊躇いもなく飛び込んでいった彼女は、あの巨大龍に近づいているということにも気づかず、無我夢中でサラらしき人物が落ちていった場所へと走っていく。


 その端麗な顔は涙でくしゃくしゃになっており、珠のように綺麗な肌は木々に引っかかれてそこら中に切り傷を作っている。


 「サラ・・・。はあ、はあ・・・。ぐすっ、サラぁ・・・。」


 前方は涙で滲んでよく見えていない。嗚咽が零れて呼吸が思うようにできていない。想いだけが先走ってばかりで下半身が上半身においつけていない。そもそも疲労の蓄積で思うように足が動いていない。成人女性の全力疾走の半分の速度も出せていない。


 「・・・どこに・・・、いるのぉ・・・。サラぁ・・・。サラぁ・・・。・・・あっ!」


 とうとう足場が不安定な森の歓迎を受け、マイヤは思いきり前に倒れこんでしまった。不幸なことに少し傾斜があったせいで、そのまま少しの間下へと転がっていってしまった。全身に鈍い衝撃が走り泥が付着した身体はすでに満身創痍。そんな状態で倒れこんだ先で待っていた地面は肌を焼くような熱さを帯びており、肌の触れ合う場所を焦がしていく。


 それでも、マイヤはすぐに立ち上がりまた駆けだす。立ち止まるという選択肢が最初から存在していないとでもいうような迷いのなさで前へと進みだす。傍から見ればあまりにも不格好な姿勢ではあったが、それでも足を前へ前へと運んでいく。


 

 前へと進むにつれ、先ほどの魔力同士のぶつかり合いの傷跡が深くなっていく。行く先にあった小さな木々はほとんどなぎ倒されており、一層足場が不安定になっている。


 さらに進んだ先で、今度は炎の竜巻の餌食になったエリアに到達。ミキサーにかけられたように、あたり一面に木っ端が降り注がれた場所を迷いなく走り抜ける。


 そしてそれから3界ほど走り続けた先で、ようやく目的地と思わしき場所へと到着した。


 「はあ・・・、はあ・・・。げほっ、げほっ!!!」


 立ち止まったと同時に、意識しないでいた疲労がさらにどっと押し寄せる。呼吸が急激に荒くなり、思わず強く咳き込み、俯いてしまう。


 そのせいで、先にこの場に到着していた大男の存在に気づけなかった。


 「・・・来たか。」


 その予想外の声に、苦悶に満ちた表情をしながら顔を上げるマイヤ。そこでようやく彼女はこの場に、自分を含めて3人の人間がいることに気づいた。


 「エ、エンガ様?・・・サラっ!サラ!!!!!」


 目の前の大男に気をとられたのもつかの間。その後ろで横たわる長身の、緑の髪を短く整えた、自分の唯一無二の親友にして最大の理解者を目にして、跳びかかる勢いで傍への接近を試みる。


 「・・・お気を確かに。血が出ております。」


 「そんなこと今はどうでもいいです!そこをどいてください!!!」


 張り裂ける寸前の喉が血を混じらせ始めていることすら棚に上げようとするマイヤの接近をなんとか制止するエンガ。なおもその制止を振り切ろうと、両手を前へ前へと伸ばすマイヤだったが、目の前にどっしりと構える大男はびくともしない。  

 

 「・・・ですからそんな状態では、この女子よりも先にあなたに危険が及びます。」


 「そんなわけないでしょう!今すぐにでもその子に治癒魔法をかけないと命が危ないのです!!!」


 「・・・今のあなたに魔力はほとんど残っていない。・・・魔力を使い切ってしまってはあなたの意識にも支障を―――」


 「だから、そんなことはどうでもいいでしょう!?私の魔力でサラが助かる可能性がわずかでも上がるのだったらいくらでも―――。」


 エンガの心配をよそに、マイヤは右手に白魔術の光を宿して、1メートルほど先で倒れているサラに向かって何とかその光を届かせようと懸命にその腕を伸ばす。


 


 「―――落ち着け!!!!!!!!」


 が、それは頭上からの思わぬ一喝によって失敗に終わる。その大声に全身を震わせ硬直してしまったマイヤは、一瞬の呆気をすぐさま振り切って、その声の主を滅多に見せない憤怒の目で睨み付ける。


 

 「いい加減にしてください!!!なぜそうまでして邪魔をするんですか!?」


 「・・・一つ深呼吸をして、彼女の心臓に耳を当ててみろ。」


 その視線に射抜かれても一切の怯みを見せないエンガはそう言うと、ようやくマイヤの動きを抑えていた両手を優しく引っ込める。


 全身の自由が戻ったマイヤは、『えっ』っと思わず驚きの一言を上げるが、優しくその拘束が解かれたことで、過熱していた頭に少し冷静さが戻った。そして改めて声の主の顔を見つめると、再び彼女は『えっ』と一言発した。しかし今度は声にならないほど小さく、目にしたものが信じられないとでもいうようなものだ。


 彼からいつにも増した眼光を向けられていると思っていたのだが、そこには正反対とも言えるような優しい眼差しが向けられていたのだ。いつもよりぐっと眉尻が下げられたエンガの表情からは、平常心を保てていないマイヤでもわかるような悲しみの色が溢れていた。

 


 エンガが明らかに平時とは違う。そんな異常事態に不吉なものを感じ取ってしまい、再び胸がざわつき始めたマイヤは、ゆっくりと目を閉じている親友の下へと近づいていく。


 かつてこれほど、目を閉じた彼女の姿に恐怖を感じたことがあっただろうか。何度か病に伏せるサラの看病をした時も、苦しそうに眠る姿を見て心を痛めたものだが、今回のそれは比にならない。


 引っ込んでいた涙が再び溢れてきそうになるのをグッと堪え、横たわるサラの心臓部に耳を近づけようとするマイヤ。必然とサラの全身を見ることになって、ようやくマイヤはある一つの違和感にたどり着いた。


 


 「戦いの跡が・・・ない・・・?」


 全身どこを見渡しても、あの巨大な黒い炎に焼かれた跡がどこにもないのだ。身にまとっていたローブは戦闘の影響であちこちと穴を作っており、さらされた素肌にもマイヤと同じようないくつかの引っ掻き傷があるが、そのほかには目立った外傷がない。


 「エンガ様、これはいったい・・・?」


 当然エンガもその事実に気付いているものだと判断し、背後で目を伏せ腕を組んでいたその彼にマイヤは確認の意を込めた言葉を発した。


 「・・・心臓の音は確認できましたか?」


 しかしその問いには答えず、なおも自分で答えを探すように促すエンガ。

 その返答を受け、マイヤもまたこれ以上の言葉を待つことなく、言われたとおりにサラの心臓の音を確認する。


 「う、動いてる・・・。エンガ様!サラは、サラは生きているのですね!?」


 耳にサラの心臓の鼓動を感じたマイヤは、飛び跳ねるように立ち上がりエンガのすぐ正面へと躍り出る。目をぱっと大きく開き安堵に浸ろうとするマイヤに、エンガは無言で首を一度上下に揺らす。


 「ああ・・・よかった!よかったあああああ!!!本当に、本当に・・・!!!」


 そしてまたもや感極まったマイヤは、大粒の涙をこぼしながら忙しなくサラの下へと駆け寄り、その力なく地面に預けられているサラの身体を強く抱きしめた。


 そのまましばらく、まるでサラの衣服で涙を拭いているような状態になりながらもその生存を喜ぶマイヤと、そんな彼女の愛溢れるやり取りに一切目もくれずに背中を向け続けるエンガという構図が続いた。


            *     *     *

 

 「ああ、あああああ!よかった、よかった・・・。よかっ・・・。」


 その後無事に2人と合流を果たしたシャミノもまた、感極まってその場で再び崩れ落ちていた。


 「はい・・・!あの黒い炎を見たときは心臓が止まる思いでしたけど、こうして無事でいてくれたのはまさに奇跡としか言いようがありません・・・!」


 その崩れ落ちたシャミノを支えるように、今度はマイヤとシャミノが共に抱き合ってその喜びを分かち合うという構図がしばらく続いていた。


 のだが、その様子に痺れを切らしたエンガがとうとうその重い口を開いた。


 「・・・お二方、まだ何も解決はしていないということをお忘れなく。」


 そのずしりと重い一言に、歓喜の渦に包まれていた2人はようやく現実へと引き戻される。


 「・・・彼女の生還は喜ばしいが、このまままたあの一撃が飛んでくる前に対策の計画を。」


 「え、ええ。取り乱してごめんなさい。そうね、こんなことをしている場合ではなかったわ。」


 その厳しい口調に少しむっとした表情になるマイヤだったが、すっと立ち上がり一足先に現実を見たシャミノの姿を見て、その不満をグッと呑み込み共に立ち上がった。


 「それでギガントドレーギアの様子が今どうなのかわかる?」


 「・・・あの一撃を放ってからというもの、動きがありませぬ。」


 「確かに移動する際に発されていた地響きがあれから聞こえていませんね。―――もしかして反動か何かで動けないということでしょうか?」


 「その可能性はあるわね。凄まじい威力だったもの、そう何度も連発はできないと考えてよさそうかしら。」


 「だとしたら、今が攻撃のチャンスということじゃないですか?」


 「仮に本当に動けないのだとしたらそうね。でも今のこの位置からじゃ、木に邪魔されてあの龍の姿が確認できないし、そう簡単に決めつけるわけにはいかないわ。」


 正確には、木々の隙間から片足や片翼の輪郭が見えるので、動いていないということは肉眼でも何となくはわかる。とは言っても、一番捕捉しておきたい顔や腕といった、攻撃に使われる可能性が高い部位が見えていないことが、シャミノの警戒心を強めている原因なのだろう。


 「だからまずは、こちらの位置を知らせる危険性はあるけど、一度空中に出てあの魔獣の様子を見たいの。でも、対空部隊だったサラはこの通りだし、一向にフウランがこちらに合流する気配もないから困りものなのよね。―――ねえ、エンガ。あなたたち兄弟の間で、集合の合図とかって決めたりしてない?」


 問いを投げられたエンガだったが、視線を合わせようとはせず、投げやりな口調で答える。


 「・・・あります。」


 「ならその合図で、フウランにこっちに来てもらうようにお願いしてくれないかしら?」


 「・・・・・・。」


 「エンガ様、どうかされましたか?私も今は、一度ここで集合するのが得策だと思うのですが?」


 何も言葉を発さないエンガを不審に思い、マイヤの口からも確認の言葉が発される。


 「・・・・・・。」


 しかしなおも、エンガは無言を貫いた。ただ、言葉こそなかったが表情は明らかな変化を見せていた。


 「・・・エンガ?どうしたの、今は一刻を争う状態なの。できるなら早く―――」


 「・・・できませぬ。」


 それは怒りと悲しみがごちゃ混ぜになった、苦悶の表情だった。


 「え?でも合図があるんですよね?あ、さすがにこの場所からではできないということ―――」


 「・・・できぬ!!!」


 「ちょっとエンガ?一体どうした―――」


 「・・・その方法はもう使えぬ!!!!!」


 周りの木々の枝が揺れたのではないかと錯覚するほどの気迫を込めた一声に、女性2人はたじろいだ。


 「わ、わかったわ。できないのなら別の手を使って―――」


 「・・・何もわかってなどおらん!!!何も・・・、―――お前たちは何も気づいていないのだ!!!!!」


 再び張り上げられた、爆音と呼べるような大声に、今度こそ自身の身体だけでなく、森全体が震えたような迫力を受けるシャミノとマイヤ。なんとか落ち着かせようと宥めに入ろうとするが、エンガが放った次の一言がその2人の心と身体を完全に固まらせた。 




 「もうランはどこにもいないのだ!!!!!!!」



            *     *     *


 「エンガ兄さん、あれ!!!」


 「・・・うむ、とんでもなく邪悪な気配がする。」


 それぞれの大技を炸裂させ見事にドレーギア達を屠った2人の男たちの心を焦燥に駆らしていたのは、いまだ目立った動きを見せてこなかったギガントドレーギアの動向だった。


 炎の竜巻が視界を阻害する中、北東西方面にいた2人にはしっかりと、かの巨大龍が口に膨大なエネルギーを溜めこんでいる姿が見えていたのだ。


 急ぎ、指揮官の役割を担っているシャミノへ報告をしないといけない。いつもは冷静沈着なエンガも、一抹の焦りをもって駆けだそうとしたその時、自分とは反対側に向かっていたはずのフウランが現れたのだった。


 「・・・急ぎ、シャミノ殿に報告を!」


 「それも考えたんだけどさ、もう時間がないんだよ!」


 「ならば尚更!」


 「それに、見えないかもしれないけど木々の隙間から空を覗いてみてよ!」


 言われるがままに、何とか目を凝らしてフウランが指さす方向に目を向ける。


 そこには、ぼんやりと空気の層のようなものを作り出し、その球体の中で凛々しく佇む女性がいたのだ。


 「・・・あの風魔術、まさか。」


 「そう、あの無鉄砲おバカが1人で迎え撃とうとしちゃってるんだ。だから止めてこないと。」


 苦笑いしながらそう言うと、フウランは利き足ではない方の左足で深く大地を踏みしめると、今にもその話に挙げた彼女の下へと飛び立とうとしていた。


 そんな彼の飛行軌道上に、エンガは腰にぶら下げていた柄から大剣を顕現させて割り込ませる。


 「っとと!危ないなあ、兄さん!」


 「・・・さらに危ないところへ行こうとしているのがわからんのか、ラン!」


 咄嗟に右手から強い風を出して跳躍力を相殺するという達人芸を披露したフウランは、口を尖らせてエンガに不服の声を漏らすが、それをはるかに上回る声量でその身に宿した怒りを押し付けていくエンガ。


 「・・・わかってよ兄さん。このままだとほぼ間違いなくサラが死んじゃうんだよ。」


 「・・・わかっている。」


 「じゃあ、行っていいよね?」


 「ダメだ!」


 「その一言のせいで、1人の人間が死ぬかもしれないんだよ?」


 「言わなければ、目の前の人間が死ぬ!」


 「はは、馬鹿言わないでよ兄さん!誰が死ぬって?」


 「お前が行っても、骸がもう一つ増えるだけだと言っているんだ!」


 「・・・弟が信用できないっていうの?」


 「信用して後悔するくらいなら、しない方がマシだ!」


 間髪入れずに言葉を返す2人。あくまでいつもの気の抜けた態度を崩さないフウランだったが、対するエンガはいつもの言葉少なな態度からはかけ離れた様子を見せていた。


 炎が空を焦がす森の中で行われていた兄弟喧嘩。そんな中、きらりと黒い光が一瞬周りを照らした。


 「あれは闇魔法だ。お前たちの風魔術で何とかなるとは思えん!」


 「仮にあれが黒魔術からなる闇魔法だったとしても、剣技なら抗える!」


 「可能性の話だ!!!」


 「可能性であいつの命が救えるかもしれないんだ!!!」


 「可能性でお前の命が失われるかもしれない!!!」


 次第にヒートアップしていき、ついにフウランもいつもの調子を放り捨てて熱くなっていく。そんな互いの主張と声が最高潮の熱を帯びたところで、互いに一度口を閉じた。


 次に2人は同時に、空中で決死の覚悟を固めているであろう1人の女性の姿を視界に映し出す。距離がありその様子を詳細に捉えることはできないが、もはやその場から逃げ出すという行為に出ることはあり得ないだろうということだけはよくわかった。


 さらにその奥、炎の竜巻のさらに奥で、奇妙な黒白い光を口に溜めこんでいる巨大龍まで見てしまった2人は、一刻の猶予もないことを悟ってしまった。


 「じゃあ行ってくるよ、兄さん。」


 その一瞬の隙をついてフウランは、今度は踏み込みなしの風魔術を使った、予備動作なしでの飛翔に挑戦し見事、エンガに妨害させる隙を与えず空中に舞い上がることに成功する。


 その声を聞きエンガがフウランの姿を視野に入れた時にはすでに、左腕にある大剣の範囲の外にフウランはいた。

 

 「・・・行くからには成すべきことを成せ!失敗の2文字は許さん!!!」


 猛スピードで空を滑っていくフウランの背中に、より一層眉間の皺を深くしながらも止めようとはしないエンガ。


 そんな兄の言葉を受け、背中を向けたまま一時停止したフウラン。


 一秒の沈黙を経て、やがて彼は照れくさそうに右頬を掻きながら言った。


 「はは、いい見送りの言葉だね兄さん。その約束だったらちゃんと守れる自信があるよ!」


 しっかりエンガにも聞こえる声量でそう呟くと、腰に添えてあった2つの柄から2本の曲刀を顕現させて、今度こそ上空へ向けて飛び立つ。




 「・・・ごめん、兄さん。村や兄妹のことをよろしく頼むよ。」


 いつもの飄々とした態度を一切感じさせない呟き。その独白は案の定、誰かの耳に届くことはなかった。




 「・・・最後までばればれの嘘つきおって、この大馬鹿者が。」


 いつもの重みを一切感じさせないこの呟きもまた、誰かの耳に届くことはなかった。


            *     *     *


 前方斜め方向で吹き荒れる炎の竜巻。あと少し近づくだけで、熱さと風刃の餌食になる未来が待ち受けていそうなので、気をつけながらも今出せる最大速度でサラの下へと急ぐ。


 とは言っても、何の備えもなしに合流したところで、それこれ兄が忠告した通りの無駄死にという未来が待っている。だから、両手に1本ずつ持っている刀に今持てる全力の力を注ぎ込みながらの飛行になってしまっている。つまり厳密に言うと、今行っている飛行は最高速度によるものではないのだ。


 間に合ってくれ。


 そんな切なる願いを秘めながら最短距離を飛ぶフウランは、ついに森を抜けサラの姿をはっきりと目視できる場所にまで到達した。このまま行けばあと10秒程度で合流できる。


 これなら何とかサラを逃がしつつ、あの黒炎を防ぐことができるかもしれない。脳裏をわずかによぎる勝利のビジョンがフウランの視界にちらついていた。



 いたのだが。


 「つくづく憎たらしい奴だよ、本当に・・・!!!」


 そんなわずかな願いすら叩き潰していくかのように、


 「ゴオオオオオオオオオオオッ!!!!!!!」


 という音と共に、暗空に一際大きな妖しい輝きが煌めかせた黒白い破壊の塊がついに発射されてしまった。


 こうなってしまっては、最低限の任務だけでもこなさなければならない。一瞬ちらついてしまったハッピーエンドのせいで、迫りくる死への突撃に躊躇いが生まれるが、それでも護らなければならない。


 もともとは捨て駒同然の存在の自分たちを助けようとして、ここまでの危険を冒してくれているのだ。その彼女を見殺しになどできるはずがない。あんな巨大龍にも果敢に立ち向かえる強い志を持つ未来の希望を、こんなところで絶たせるわけにはいかない。



 そして何より。


 捨て駒としての未来が決まっていた自分に、ほんのわずかな時間だけでも青春というものをくれたあの愛しい妹分が、目の前で散っていく姿なんて見たくない。自分が身代わりになって彼女が助かるのならいくらでもこの身を捧げてやる。


 刀への魔力の供給を中断して、最高速度でサラの下へと急ぐ。


 そして魔光線が炎の竜巻を一方的に貫き破り、炎が無残に霧散していったのと同時に、フウランの伸ばされた両腕がついに薄緑のローブの末端を掴んだ。


 「え、何!?」


 目の前に超常現象に気をとられ足元への注意が散漫になっていたサラはつい、女性らしさがあふれる短い悲鳴のような声を上げる。


 しかし、サラがそこまで大きく驚いたのも考えてみれば当然のことだった。なぜならば、今彼女の全身は何物も受け付けないほどの強固な風の結界に包まれているからだ。その結界をすり抜けて直接サラの身体に接触できるのは、サラが無意識にその魔力の影響を除外できるほど近しい存在か、彼女の操る結界に溶け込めるほど強力で優しい風魔術を操れる者に限られるのだ。


 そして、その彼女の結界の内側に入り込める可能性を持つ人物は村や王都にいるか、サラの背後で急いで避難を開始しているはず。ならば一体、その手の主は誰か。


 そんなカンマ数秒単位の思考すら許さず、フウランは全力、それも綺麗な装飾が施されているローブに指サイズの穴をあけてしまうほどの力を込めて、サラを自分の身体の方へと引きずり込んでいく。


 「この結界、借りるよ!!!」


 自分が飛んできた方向にサラを投げ飛ばしたフウランは、まず結界の魔力と自分の身体から溢れる風の力をなじませ、結界の支配権を自分に移した。なんとか結界の中心に陣取ることに成功し、ここで一時的に中断せざるをえなかった、刀への魔力供給と精神統一を再開しようと一つ大きな息を吐く。


 一方、結界を追い出され、態勢を崩し、空中でバランスを失ってしまっていたサラは、フウランが飛んできた方向に向かって落下していた。反転する視界の中で、何とか自分がさっきまで中にいたはずの結界を視界に捉えると、それだけでサラはあの刹那に何が起こったのかを瞬時に察知した。


 予想以上に強く引っ張られてしまったせいでかなり高度を落としてしまったが、何とか木々への衝突を免れるほどの高さで、落下の勢いを殺すことに成功したサラ。しかし、その目に安堵の色は欠片もない。急いで、さっきまで自分がいた場所に戻ろうと、こちらもまた全速力で空を駆けあがっていく。


 「兄さん!!!!!!!!あなたなんてことを!!!!!!!!」


 その叫びも、目の前に迫る黒炎の息吹の音にかき消されフウランの耳に届くことはなかった。


 ようやくにやりといつものような笑顔を浮かべて、青年は目の前の濃密な死の気配を前に、果敢に双刀を胸の前に交差させて突撃の構えをとる。


 「じゃあ、勝負といきますか!」


 その一声が零れたと同時に、結界と光線が凄まじい爆音を鳴り響かせた。結界の中にいるフウランにもその衝撃は大きく伝わり、立ち位置こそ維持できたがパーマがかかった髪は大きく乱れ、袴が狂ったようになびいていた。


 その衝撃は結界の内部だけでなく、その力と力の衝突地を中心に凄まじい振動を周囲に伝えていった。

 近くにあった幹の細い木々が、中ほどから『くの字』に曲がるほどの強烈な威力。その強力な振動は、かろうじて空中で体勢を整えたばかりだったサラにも例外なく襲い掛かった。


 声にもならないほどの衝撃に、サラもまた身体をくの字にして、今度こそ地上へと真っ逆さまに落ちていく。



 幸いなことに、サラの張った結界の直径が、魔光線の太さを上回ってくれていたがゆえに、光線による直接的な被害が結界より後ろに及ぶことはなかった。だがそれは裏を返せば、その魔光線の力を周りに逃がすことができず、圧力が結界に全てぶつけられていることになる。


 

 「は・・・はは、こりゃ規格外すぎるな。」


 顔に浮かべていた笑みは崩さずとも、とても目までは笑わすことはできないようで、フウランは引きつった笑みを浮かべるので限界のようだった。


 グワアアアアアっという、今まで聞いたことのないような音が鼓膜を破る勢いで再生され、視界が黒と白が織りなす絶妙な渦に塗りつぶされる。ここで少しでも油断して力を抜いてしまえば、その轟音と渦が全身を貫いてこの身体を跡形もなく消し飛ばしていくことは間違いないだろう。

 

 だがそうなるのは時間の問題とでも言うように、その目の前の黒白を食い止めていた結界に薄緑の亀裂が走る。その亀裂は次々と広がっていき、ついにそれはフウランの全方位にまで達した。


 「後はこいつに全てを託すのみ・・・だね。」



 地上へと落ちていく過程の中で、自分の張った結界が闇に呑まれていくのを目撃したサラは、自分がもしあの中にいたらという恐ろしい想像をすると同時に、自分と入れ替わりあの中に入ったフウランの安否が絶望的だという、恐ろしい未来に直面してしまった。


 

 そしてその絶望的な未来がついに、現実となるときが来た。


 巨大な風の結界が、ガラスのように粉々に砕け散ってしまったのだ。 



 結界は粉々に破れ、フウランの身体は空中に投げ出された。となるとすぐに待ち受けるのは、ほんの少しだけ勢いが削がれた破壊光線。


 本来ならば、結界が破れてから破壊光線が身に降り注がれるまでの猶予など、1秒にも満たないはずだ。それでも、なぜか今のフウランにはそのわずかな時間が数分にも感じるほどゆっくりに感じられていた。


 『これが走馬灯ってやつか』


 心の中でそう呟くフウランは、その天からの慈悲に感謝するように、まずは自分が助けたはずの妹分の存在を目視。相当強い衝撃が襲ったのだろう、サラは何もできず森に向かって落下している最中のようだ。風魔術を極めている彼女のことだ、きっと落下の衝撃はいくらか軽減されるのだろうから死にはしないだろうが、それなりのダメージを負うことにはなるだろう。


 そんなことを考えていた時にあることに気づいた。サラの安否を確認する自分の目と、落ちていくサラの目が合っているのだ。よくよく見ると、こちらを見て何か叫んでいるようにも見えるが、残念ながら間近に迫る轟音のせいで、何一つ聞き取ることはできそうにない。それでも大方何を言っているのかは想像がつくのだが。  


 彼女の無事を確認できたところで目を瞑る。こういう時は目を瞑れば、今までの思い出が映し出されるという言い伝えがあったのを思い出したのだ。

 なるほど、確かにその言い伝えは正しいかもしれない。目を閉じれば普通暗黒が待っているはずなのに、なぜか今だけは愛する兄妹たちの顔が浮かぶのだ。あの3人と共に過ごした笑顔の日々が蘇ってくるのだ。


 まるで、これが今生の別れだと言わんばかりだった。いや、正真正銘今生の別れになる。誰に対しても、別れの挨拶を済ませていないが、今更会う機会を与えられたところで、かける言葉はきっと何もない。

 

 『ごめん』『さよなら』「ありがとう』


 心の中でさえも、あまり気の利いたことが言えないこの自分の適当っぷりが今となっては少し歯がゆい。


 もっと言っておかないといけなかったことがたくさんあった気がする。もっと一緒にやりたいことがたくさんあった気がする。


 でもまあ、仕方がない。こればっかりは、自分から飛び込んでいったんだから文句は言えない。


 せめて、自分のことを覚えていてくれる人たちには、笑顔の自分の姿が記憶に残っていてくれると嬉しい。幸い、自分は笑っているときの方が多かったと思うから、その点に関してはあまり心配はしていない。そう思うと、少し気が楽になったような感じがする。


 少なくとも自分は自分の信条を曲げずに、不条理なことばかりだったこの人生を生き抜いた。後悔をすることなんてない。だから最後もその信条を曲げずにいこう。


 目を開けたらもう引き返せない。終わりが自分を迎えに来るだろう。それでもやってやろう。


 『どんな時も笑顔で。どんな理不尽にも笑顔で。笑顔こそ人を豊かにする。』


 最後まで自分が仕える主には伝わらなかったその信条を持って、フウランは笑顔で目を開ける。



 「奥義、天翔風蘭!!!!!」


 我ながらバカみたいな名前だ。即席でつけたその技名に1人で笑いながら、フウランは果敢に光線に向かって突撃した。



 双刀が描く十字の斬撃と光線が膠着したのはほんの数秒。炎の竜巻と風の結界という二つの障壁に真っ向勝負を挑んでいた破壊光線は、当初の威力と比較すると随分落ちてはいたが、それでもまだ斬撃を押し返して目の前の青年を呑み込む力は残っているようだった。


 「くっ・・・。うぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおお!!!!!」


 フウランの全身が焼けつくような痛みを主張し始める。斬撃ごと光線に呑まれそうになるのをかろうじて耐えているが、このままでは時間の問題だった。


 ここで自分ごと貫かれてしまっては、背後に控える2人が巻き込まれてしまう。


 死の淵に瀕していながらもなお、後のことを気にかけることをやめないフウランは気勢を上げて必死にこらえる。


 あと一押し。この光線の力を弱めてくれるもう一押しがあれば。この身体に残る全ての力を解放して光線を打ち消すことができるのに。


 己の非力さを嘆きながら、痛みで吹き飛びそうになる意識を何とかつなぎとめるフウラン。だがそれももう限界を迎えようとしていた。

 

 目の前が暗くかすみ始める。ここまでやったのに、結局最後に兄と交わした約束すら果たせずに散ってしまうのか。


 これでは死んでも死にきれない。


 そんな無念の言葉が次々と頭に羅列されていく。そんな時だった。




 小さな頃から何度も目にしてきた強く猛々しい炎の輝きが、目の前に黒白く展開された地獄を打ち破るように赤く照らしたのだ。



 「・・・気が利きすぎだよ、兄さん。」


 前方を照らす赤い炎に阻まれ闇の息吹がその勢いを衰えさせたのを、フウランは涙ながらに感じ取った。


 「はあああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」


 すかさず双刀を握りなおし、大の字を刻む赤い炎に向かって最後の力を振り絞る。


 徐々に闇に浸食されて、赤色の輝きを黒と白に変色させていった大の字の中心に、フウランは迷いなく突っ込んでいった。




 その数秒の後。


 黒白い光線と大文字の消滅と共に、彼の姿もまた空の彼方へと消え去った。 


            *     *     *


 深緑の輝きを放つ双曲刀を持って空を駆けていく弟。どう考えても邪魔だろうと常々思っていたのに、結局最後まであのぶかぶかの袴から卒業しなかった弟。何をしていてもだいたいへらへらとしていて笑みを絶やさなかった弟。それでいて天才肌だった弟。あんななりでも、兄妹の中で一番洞察力もあり、頭が一番切れた弟。


 今すぐにでもこの大剣を全力で振れば、彼の飛行を邪魔することだってできる。でもその一瞬の遅延行為が、きっと空中で悲壮な覚悟を決めている彼女の命を奪ってしまうだろう。それこそ、自分が彼女を殺すようなものだ。

 とはいえ、このまま黙って経過を見守ることは、最愛の弟を見殺しにする行為に他ならない。それは果たして、自分が殺していないといえるのだろうか?


 信じることなんてできない。だってあの弟が本当に勝算があって突撃していったとは思えないからだ。


 たしかに、今までの行動傾向から考えると、あの男は勝ち目の薄い戦を仕掛けていくような人間ではない。その一点だけを考慮するならば、生還を信じられる。


 だが、それ以上に彼は人に対する思いやりが深い。深すぎる。特に、かつて同じ師を仰ぎ、自分の背中を必死に追ってきていた妹分に対しては、もはや本物の兄妹とも遜色ない情の深さを持っているだろう。


 そして決定的となったのは、最後の一言を言い放つ際に行った顔を触るという行為。あれは、彼が嘘をついているか、何かを隠しているときに決まって行う、彼の無意識の癖だった。


 

 疑念はすでに確信へと変わっていた。もう二度とあの笑いを絶やさない弟の顔を見ることはできない。


 「・・・なんて非力な。俺は・・・なんて非力・・・!」



 5歳の頃、世界で誰よりも敬愛していた母親が胸に抱いていた小さな赤ん坊を見て、エンガはまた一つ誓いを新たにした。


 『家族を護る』


 生まれた時から、すでに村を護る戦士としての未来が定められていたエンガは、人一倍『護る』という信念を強く持っていた。主を、父母を、この村を。いつかは自分が護っていかないといけない。


 そしてその信念は、自分より後に生まれてきた弟妹たちの姿を見るたびにより強く心に刻まれていった。長兄として、手本となり頼られる存在であらねばならない。

 それを重圧に思ったことはなかった。それが自分に課せられた使命であり、また生きがいであると心の底から感じていたからだ。


 

 それが今、自分の目の前でその生きがいが失われようとしている。22年前に誓った約束が果たされずに儚く散ろうとしている。


 もっと自分に力があれば。この剣に、あの黒い光すらも一刀両断できるほどの力があれば。


 片手に強く握られている赤い大剣と、先刻突如現れて最愛の弟を奪い去ろうとしている忌々しい龍を交互に見やる。溢れ出るのは、ただただ非力な自分への恨み。



 今にも柄を握りつぶしてしまいそうなほどに力を込めるエンガ。その力に呼応するように、赤い大剣は徐々に赤い輝きを強くしている。だがその赤色の魔力が完全に満ちる前に、空に煌めいていた黒い光が、とうとう口もとから大きな光線を発射させてしまった。


 予想をはるかに上回る速度と威力を乗せた黒白い息吹が、炎の竜巻を穿ち、少女が籠る風の結界へ・・・。


 というところで、結界から追い出されたサラの姿がようやくエンガの目に入った。


 一瞬の混乱と共に結界の方を見ると、いつの間にかそこにはつい先ほどまで自分の目の前を飛んで行ったはずの弟の姿があった。


 そこで、確信はより強固なものとなってエンガの心を強く揺さぶった。


 いや、それ以上の嫌な予感をもたらした。


 「あれでは時間稼ぎにしかならん!結界を破られたら、そのまま森に被害が出る!」


 滅多に焦りを見せないエンガが大声を上げるが、その希少な一場面を見れたものはこの空間には1人もいなかった。


 かつてないほどに心臓の鼓動を強く早く鳴らすエンガ。その間に息吹は結界に衝突し、その勢いで結界を浸食しようとかかる。


 早く、早く力が満ちてくれ。


 結界と息吹の衝突があたり一面に余波を与えていく中、わずかな後ずさりだけでその衝撃をいなしたエンガは、心の中で何度もそう唱える。


 予想以上に結界が長持ちしているが、それでも闇の浸食がすでに全方位を覆いつつある。


 弟はどんな気持ちであの攻撃を耐え忍んでいるのだろうか。常に余裕そうに見せていたあの表情が恐怖で塗りつぶされてはいないだろうか。自分で進み出た結果とはいえ、後悔はしていないだろうか。


 「・・・俺は今、後悔でいっぱいだというのに。」


 力ない呟きが、無人の空間に響く。


 様々な葛藤とせめぎ合いを経て、ようやく大剣から力が満ち溢れた合図が出された。しかし、時を同じくして、結界があの魔光線に破られてしまった。


 なおも動じず、双刀を握りしめている弟。ついにその弟に魔光線が直接浴びせかけられる。


 その直前だった。


 距離を考えたら決して明瞭に見えるはずのないフウランの顔が、なぜかこの瞬間だけはっきりとエンガの目には映し出されたのだ。


 「・・・どこまでも、あいつは・・・。」




 笑っていた。迫りくる死を前にして、弟はいつも通りの笑みを浮かべていた。



 胸にこみ上げてくるものを必死に抑えながら、大剣を両手で構える。いつもは眉間の皺が特徴的なエンガの顔だが、今は顔全体に皺を作っていた。



 黒い破壊光線とフウランの描いた十字の斬撃は空中で拮抗していた。だがそれもほんの数秒で破られるだろう。このまま成す術なく破られては、フウランの背後で必死に逃げているだろう2人の女性の命まで奪われてしまう。


 それでは弟の犠牲が無駄になってしまう。弟の、みんなを護る、護りたいという意志ごと粉々に砕かれてしまう。そんなこと許してなるものか。


 自分にできなかったことを成し遂げようと必死になる弟を支えずして何が兄か。

  

 弟の努力を、決意を、命を。弟が生きたこの22年間を。



 「無駄にして、たまるかああああああああああああ!!!!!!!!!」



 赤い光を纏った大剣に渾身の力と想いを込めて、エンガは空に向けて大きく縦に斬撃を描いた。


 届け。間に合え。少しでも力を削いでくれ。あわよくば弟の命を・・・。


 万感の思いを乗せた斬撃は、ちょうどフウランの描いた十字の斬撃の正面に割り込むように炸裂した。


 剣技、烈火大火炎。接触と同時に炎を纏った斬撃を大の字に展開させるその大技は、闇の息吹としのぎを削った結果、空中に大きな『大』の焔を刻んだ。



 大剣を振り抜いたまま微動だにしないエンガ。しばらくは動かないかに思われたが、空に大文字を刻む音が耳に届いたと同時に身体をわずかに震わせた。




 「・・・安らかに眠れ、フウラン。」



 誰もいない静かな空間に、涙声の呟きが響く。




 全てを破壊する黒白い光線は、空中に漂う風の結界と2人の男に阻まれ、空中で霧散した。


 「お前の遺志だけは必ず俺が受け継ぐ・・・!」


 大の字が消えると同時に、近くに1人の少女が落ちていったのを見たエンガは、すぐにその方角へ向かって走り出した。


 新たな決意を胸に刻むエンガ。先ほどまでの涙に濡れた顔は、そこにはもう見当たらなかった。

 

            *     *     *


 「そ・・・んな・・・・。」


 「・・・・・・。」


 濁りきった空に再び黒く妖しい光が現れる。その光の発生源からほんの少し離れた森の中では、先ほどまで安堵と喜びを爆発させていた女性陣2人が、見る影もない状態で地面に座り込んでいる。


 その前には、今までの一部始終を語り終え、かつて誰にも見せたことのないような不器用な呼吸を続ける赤橙の男の姿がある。その様子は、まさに肩で息をするという慣用句がぴたりと当てはまり、今にもその思いの強さが爆発しそうな危うさを秘めた顔つきをしていた。


 「・・・ありがとう、エンガ。あなたたちのおかげで娘が救われたのね。」


 誰もが言葉を失っていたその場に新たにかけられた言葉は、残りの2人の想像の範疇を超える発言だった。


 「・・・何を。何を血迷ったことを。」


 「それだけじゃないわ。同時に私たちまであなたに救われた。今の私たち3人がこうしていられるのはあなたたちのおかげよ。」


 なおも続けられたのは感謝の言葉。わずかに涙ぐみながらも、シャミノは感謝を述べる。


 「・・・やめろ。やめてくれ。俺はそんなことをしてほしいわけじゃない!」


 だがそれ以上にエンガとマイヤの心に衝撃を与えたのは、その姿勢だった。


 シャミノはエンガの前まで歩み出て、感謝の第一声と共に、両足を折り額を床にこすりつけ始めたのだ。


 「ありがとう・・・ありがとう・・・本当に・・・。」


 「・・・いいから顔を上げてくれ。そんなこと望んじゃいない。」


 先に涙を零したのは、このやり取りをただ見ていただけのマイヤだった。その涙に秘められた想いは何だったのか。それを語るには、言語という手段ではあまりにも不十分だと思わせるほどに、複雑なものが込められていた。 


 「いいえ、私にはこうするしかできない!こうでもしていないと、平気であなたの前でのうのうと生きていることすら恥ずかしく思えるの!」


 目の前を焦げ付いた土に覆われながらも叫ぶシャミノ。


 「私たちの命を救ってもらっておいて!代わりにあなたの大事な弟の命を犠牲にしておいて!その上で何も知らずにはしゃいでいた愚かな私にはもう・・・!!!」


 まだ何か物を申そうとエンガが口を開こうとするが、そのあまりにも綺麗な土下座とその悲痛な叫びがエンガの脳内に浮かんでいた言葉たちを消滅させていった。そんな彼にできる残された行動はもう、歯ぎしりをして目の前でうずくまる女性から目を逸らすことしかなかった。


 しかしその逸らした目の先には、横たわる青緑髪の女性とその隣に座り込んでぽろぽろと涙を流す赤髪の姫がおり、ますますエンガの心の内に広がっていた怨嗟の炎は、その勢いを弱めていくことになった。



 炎の竜巻も巨大龍と共に現れた魔獣たちも消滅し、ようやく森を見上げると空の色が臨めるようになったが、映し出されるのは淀んだ灰色に近い青色の上からさらに黒白い色が重ねられた空。まるであの3人の心境を表しているかのようだと言って終えるにはもったいないほどの、あまりにも重要な情報を含んでいるこの空の色。


 

 「・・・もういい。まだ戦いは終わっておらん。それにここで死んだらあいつの魂にも面目が立たん。」


 「・・・魂。」


 威圧しすぎたという気持ちは一切持っていないが、このまま委縮されたままでは弟の死が無駄になってしまう恐れがある。何とか弱まった怒りの炎を消火し終えたエンガが、数界前まで行われていた戦会議を続けようと声を上げる。


 その言葉を聞き、恐る恐る顔を上げたシャミノは、エンガのその変わらぬ険しい顔を見てもう一度深く頭を下げると、今度こそ顔を上げてゆっくりと立ち上がった。


 そこで何か言葉にしようと口を開こうとしたシャミノ。だったがそれは、先ほどまで何も言わずただ涙していただけのマイヤの唐突な発言により妨げられた。 


 「魂・・・。そうですよ、魂!!!!!」


 先のエンガの発言に何か引っかかりを感じていたマイヤは、ついにその正体を得たりとばかりに、急に立ち上がり言い放った。


 「まだチャンスはあります!1日以内にフウランさんのご遺体を発見して教会に連れていけば、助かるじゃないですか!!!」


            *     *     *


 絶望の中に輝く希望。暗闇の中に差し込んだ一筋の光。


 起死回生の一手をこの極限状態の中で思いついたことに自分自身で驚きながら、マイヤは声高らかに進言した。


 そう、かつて父は言った。たとえ戦闘や突然の襲撃で無念の死を遂げても、その魂が朽ちる前に教会からの祈りを得ることができれば、再びその魂に身体が宿ると。


 そのようなことがあるものかと最初は疑った。だが、その証拠だと言わんばかりに、父の友人でありマイヤの幼少期の良い思い出の象徴であるレージベルは、街の壊滅という死罪級の大罪を犯したにも拘わらず、国外追放という刑だけで済んだのだという。


 だから今はその幼い頃に父から聞いたその出来事に縋るしかない。勢いのまま立ち上がり、失意の色を強くしている目の前の強面の大男にそう話しかける。


 が、


 「・・・あまり滅多なことは口にしない方がいい。たとえあなたと言えど掴みかかってしまいそうになる。」


 全く気持ちの切り替えがきかない心を無理やり押し殺して前に進む決意をしたエンガにとっては、マイヤのその根も葉もない夢物語はまさに劇薬だった。


 「マイヤちゃん、あなたいったい何を?」


 深い悔恨が心に未だ強く根ざすシャミノもまた、突如聞かされた突拍子もない話に怪訝な顔を示す。


 思いのほか反応が悪かったことに少し不安を覚えるが、それでもこの世界の一般常識だと言わんばかりにマイヤは言葉を続ける。


 「ですから、病以外での死因で亡くなられた方なら、一日が経過するまでに教会の祈りを捧げればその肉体が蘇るじゃないですか!」


 そうマイヤが言い切った瞬間、今度こそエンガの両目に怒りが血走った。


 「くだらない妄想なら、1人王宮の中でやっていただけないか?」


 ゆっくりと立ち上がったマイヤの方へと歩みを進め、彼女の目の前で足を止める。平時から寄っている眉間の皺をより深く刻んだその鬼の形相を、身長差により上から見下ろす形でマイヤに浴びせかけた。


 「な、くだらない妄想なんかじゃ・・・。」


 何か反論らしい反論をしようと口を動かすが、前方から放たれるあまりの凄みにマイヤの全身がすくみ上ってしまった。


 そのやり取りを後ろから見ていたシャミノが、助け舟を出そうと口を開く。


 「それは一体どこで、誰から聞いたの?」


 「昔、お父様が私に話してくれました。王家の血を引くもの以外ならば、教会で蘇生ができると。」


 目の前の鬼を恐れながらもマイヤはそう話す。


 だがその発言を聞いたシャミノは、何かを思い出したかのように動きを止めた。何かを言おうと必死に口を動かしているが、まるでそれを口にするのを躊躇っているかのようで、言葉となってマイヤの耳に届こうとはしない。


 そこでようやくマイヤも、何か空気がおかしいことを察知した。


 あの時の父の発言は、まるでそれがこの世界の当然の理であるかのような口ぶりだったと記憶している。だから最初のエンガの怒りやシャミノの戸惑いは、単純にこの世界が平和すぎて戦闘による死者などここ十数年はいなかったおかげで、その知識が記憶から抜け落ちていただけだと思った。

 でもこれは違う。これは明らかに、その知識が初耳であるという雰囲気だ。


 そして18年間生きてきた中で、自分だけが知っている知識というものが、実際に存在する知識であったためしがない。


 ということは・・・だ。




 その可能性にたどり着いたマイヤの視界が一瞬、鬼の形相をしたエンガと共に黒い煌めきに包まれた。


 どうやらほかの2人もその一瞬の輝きに気づいたようで、エンガの怒りの炎を宿した瞳が急速に消火されていく。



 「ま、まさか・・・。」



 その光の正体を3人は数界前にすでに把握済みだ。だからだろう。マイヤの身体が小刻みに震えだしてしまったのは。



 「あれがもう1発来るっていうの・・・?」



 震える声でシャミノがギガントドレーギアがいるであろう方向を見る。



 そこには、先ほどまでとはいかないまでも、人3人をまとめて消し飛ばすには十分すぎるほどに圧縮された魔力を溜めこんだ巨大龍が、今にもそれを発射せんとこちらへ照準を合わせていた。


 「今すぐここから逃げないと!」


 「・・・この軌道ではもはや逃げようがない!」


 「何も動きがなかったのは、すぐに次の攻撃の準備に入っていたからだと言うの!?」


 慌てふためく3人をよそに、輝きは強さを増していく。


 迎え撃つ魔力はもはや残されていない。そもそもシャミノとマイヤの魔術では食い止めることすらできない。一発目を何とか空中で防ぎ切った剣技も、人ひとりの犠牲からなるものであったし、そもそもそれを放てる時間の猶予はない。




 万事休す。



 どうすることもできず森の中で立ち尽くす3人と、意識がなく床に横たわる1人。



 そして、




 

 無慈悲にも何の対策も用意できなかった4人をあざ笑うかのように、ゴオッっという轟音を鳴り響かせ、黒白い光線が迫った。

大文字の炎と言えば、某有名育成RPGの命中は微妙だけど威力の高いというあの炎技が浮かぶ人もいると思います。

ですが、本来の大文字は死者の魂をあの世へ送り届けるという、送り火の役目を果たすそうです。


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