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科学と愛は冒険の始まり  作者: トレア
第3章
45/72

3-5 決別

 僕の右腕から今までかつて味わったことのないような猛烈な痛みが伝わる。その痛みの大きさに思わず目の前の男の姿がチカチカと赤く点滅しているかのような錯覚に襲われるほどだ。思わず言葉にならないような叫び声をあげて倒れこむ僕に、真っ赤に染まったように見える宗次は心配する素振りも勝ち誇った笑顔を見せることもなく、顔を背けることしかしなかった。


 「ちょっと蒔田君!!!あなたなんてことを!?」


 「別に大したことしてないだろ。それに今のは正当防衛だ、俺に落ち度はなんもねえ。」


 一通り出せるだけの悲鳴を上げ終えて精神状態がほんの少しマシになったところで、痛みの発生箇所を改めて目視する。

 すると右手は見事に、中指を中心にひしゃげた形へと変貌を遂げていた。見るのも痛々しいそれは、その見た目通りの痛みを訴えかけていて、今でも痛みのあまり口から涎のようなものがとめどなく流れ出ている。


 これが23年間生きてきて初めて味わう『骨折』というものだろう。今までも学校などで同級生がスポーツか何かでけがをして、緑色のギプスをつけたり松葉杖を使って登校している姿は見たことがあるが、まさか自分も同じ思いをすることになるなんて予想だにしていなかった。


 ただ、けがをしていた同級生たちと僕との間にはある決定的な違いがある。その骨折に至るまでの経緯とかももちろんそうだが、そんなことすら些細なことと言っていいほどの決定的なものだ。


 「い、癒せ。・・・治癒!」


 けがをしていない左手からキラキラと輝く白い光のようなものを作り出すと、それを見るも無残な右手に充てる。すると青く腫れ上がっていた部分が、ゆっくりではあるが徐々に赤みがかった色へ。形もこれまたゆっくりではあるが、おかしな方向に曲がっていた箇所が、わずかな痒みを伴いながら元の位置へと移動を開始した。


 そう、これがこの2か月間ひたすら姫様の元で修練を積んでいた白魔術。傷を癒すという能力をはじめとする、支援型のものばかりのこの魔術をものすごい速さで習得していった成果だ。まさか、修行終わりで悲鳴を上げる身体を癒すこと以外での初めての用途が、誰かの顔面を殴った後に大怪我を負った右手の修復になるとは思わなかったが、覚えておいてよかった白魔術。


 「・・・それに、あいつならもうこれくらいのことはやってのけるって思ってたからな。」


 その様子を見ていた宗次が、僕がこういった行動をとると確信を持っていたかのような顔で、同情のかけらもない眼差しで再び僕を見る。


 「た、樹君?今何を・・・?」


 一方の玲那は、目の前で起きたことが信じられないといった様子で、半分恐れのようなものを感じる眼差しを僕に向ける。


 倒れこむ僕に上から視線を浴びせかける宗次と玲那。ただでさえ、誰かから見下ろされる感覚というのは気分がいいものではないというのに、それがこの2人から向けられているとなると、ますます惨めさが増してくる。まるで僕とこの2人の間にできてしまった壁のようなものがこの一枚絵で全て表されているような気がして、知らず知らずのうちに劣等感が湧き上がってくる。


 ずっと前までは、2人とも僕にとってはかけがえのない存在だったはずなのに。なのに、上から視線を降り注がれているというこの状況一つだけで、僕らの関係性の変化がはっきりとしているみたいですごく心がささくれ立つ。


 「・・・魔術だよ。僕は今、白魔術の勉強をしているんだ。」


 いまだに残る右手の違和感よりもこの位置関係の方がひどく癇に障るので、その違和感を無視して強引に再び身体を起き上がらせる。そうして再び前方には、玲那と宗次、魔獣ヴァーグとあたり一面に広がる広大な草原。


 「本当に樹君も魔法を・・・。それも聞いていた通り白魔術・・・。」


 あれほどの大きな闇の波を間近で見ておいて、今更僕のあんなインパクトの薄い魔法を見た程度でそこまで驚くのもどうかと思うのだが。いや、今まで見知った顔の人間が急に人間離れした技を駆使したらこういう反応にもなるのか。


 「俺がいない間もさぼらずに修行だけはしてたみたいだな、樹。」


 そんな玲那の反応に気を取られていると、やはり玲那の少し後ろの方からなぜか少しだけ敵対心をちらつかせるように宗次が腕を組んでこちらを見ている。


 あまりの痛みに思わずすべての感情を置き去ってしまっていたが、あの顔を見て怒りの炎が再燃しそうになる。さっきの現象が頭にフラッシュバックしているため、下手な動きをするとまたあの激痛にみまわれるというストッパーがかかっていて何とか動きを制しているが。


 「もういい、もういいから蒔田君!もうこれ以上、あなたたちが争うのはやめて!!!」


 自分の行動を律しようと努めている間に、玲那の方から宗次に注意が入った。その注意を受けて宗次は、納得のいっていない顔をしながらも、


 「お前に言われたら止めるしかねえじゃねえかよ・・・。」


 と呟き黙り込んだ。自分は絶対に入っていけないような2人だけの関係みたいなものが知らない間に築きあげられていることに、僕はとても言葉にできないような、言葉にしてはいけないような激情の狭間に立たされる。


 「なんだ、僕がいない間にやけに仲が良くなったんだな?」


 「なんだ、嫉妬か?」


 「蒔田君!」


 「ちっ・・・。」


 せめてもの意趣返しにと、からかい3割嫌味7割くらいのニュアンスで軽口を叩いてみたが、それも長年互いを知っているようなやり取りで返されて、負の感情が余計に強くなってしまった。


 「君がいない間に色々とあったの。何も知らないこの世界で魔王さんと蒔田君と3人で力を合わせて何とか今日まで生きて来たんだから。本当に必死に、がむしゃらにね。」


 そんな今までの生活の過酷さをアピールされても、魔王さんのところにいるって言ったのはほかでもない玲那自身だったんだから、いまいち同情する気がわかない。おまけに宗次だって勝手に自分からついて行ったって聞いてるし。


 「そんながむしゃらになるくらいなら王都に来ればいいじゃないか。わざわざそんな魔獣に囲まれた過酷な環境で男たちと暮らす生活を選ぶ必要なんかなかっただろ?王様に誘拐されたときにそのまま僕や宗次と一緒に王都に戻ればよかっ―――」


 と言い切る寸前に玲那の顔を見て僕の口は完全に動きを止めた。


 まるでそんな選択肢なんて最初から用意されていなかった。それを選ぶのは許されなかった。とでも言いたそうな顔。今の自分の言葉のせいで玲那の心に傷を刻んでしまったかのような感覚。なんだよ、なんでそんな苦しそうな顔をするんだよ。なんでそんな痛みを堪えているような顔で僕の方を見るんだよ。


 「・・・今の私にはここにいなければいけない理由がある。私にしかできないことがここにはあるの。」


 「いや待て、意味が分からない。玲那にしかできないことってなんだよ。それこそまだこの世界に来たばっかりの状態だった君がなんでそんなもの背負ってんだよ。」


 「多分君と同じだと思うよ?・・・成り行きっていうやつ。」


 「いやどんな成り行きだよ!君がそんな過酷な環境で必死に生きないといけなくなるほどの成り行きって一体なんだよ!」


 あまり信じたくはないけど、魔王さんに何かそそのかされているんじゃないだろうか。一緒にいた時間は長くはないけど、決してあの人も魔王とか呼ばれている割には悪い人ではなかったという印象があるだけに、そんなことを疑いたくはない。でも、玲那に執心だった一面も垣間見えていただけに、そういった問題が起きている可能性も否定できないんだよな。


 「それは言えないかな。・・・私も完全に信じ切れているわけじゃないけど、あの熱い想いだけは裏切るわけにはいかないもの。」


 僕の追及を何とも曖昧な表現ではぐらかしていく玲那。

 その後も色々根掘り葉掘り聞き出そうと試みたが、どれも要領を得ないちぐはぐな返答ばかりで、僕もだんだんと苛立ちを隠しきれなくなってきた。


 その僕のイライラを見抜いたのかそれとも一目瞭然だったのか、痺れを切らしたように玲那は意を決したような顔で僕を見つめてきた。


 「どうして君がそんなにイライラしているのかわからない。」


 「別にイラついてなんかない。ただいきなり僕の研究所に乗り込んでこんな世界に来たと思ったら、訳の分からないことを言い出すんだから混乱してるんだよ!」


 「別にあの研究所があなたの私有地ってわけでもないでしょう?それに私が何をしようとあなたには関係のない話。勝手にこの世界に来たのは私。だからこの世界で私が何をしようが私の勝手。あなたにいちいち行動を報告する義務はないよね?」


 ついに玲那の方もイライラを前面に出してくる。ここまでまくし立ててくる玲那は、中学時代に再会して間もない頃に見たあの一度以来かもしれない。仮にあの時と同じ感情が再現されているとしたら、今の玲那は結構きてるのかもしれない。

 

 これは少し僕も度が過ぎてしまったのかもしれない。何とか玲那の過熱した頭を冷まさないといけない。


 「そりゃないけど、それでも僕は君がしんぱ―――」


 「心配なんていらないよ。もう何年も会っていなかった人のことなんて今更でしょ?」


 「そんな訳あるか!この何年、どれだけ君のことを―――」


 「思っていたか、とでも言うの?さすがにそのセリフは信じられないよ。」


 ・・・信じられないだと?いくらヒートアップしているからって、さすがにそこを疑うなんて愚の骨頂だぞ!?それこそ、この数か月間一緒にいたそこの憎たらしい野郎から聞いていないのか?君が乗ってきたあの機械こそが、僕のこの数年間における思いの結晶なんだぞ!?


 いやでも待て。・・・まさか。


 「―――なんだよお前、まさか玲那にでたらめ吹き込んだんじゃねえだろうな!?」


 「はあ、被害妄想も大概にしろ。しっかり俺は伊理夜に全部説明したぜ?高校から今までずっと歴史を変えるためにタイムマシンを開発してたって。樹はずっと伊理夜のことを考えてたってよ。」


 「うん、ちゃんとその一部始終を私も聞いたよ。」


 そのまさかの想像はどうやら早とちりだったようだけど、これで迷宮入りだ。あれだけのことをしたというのに何も玲那に伝わっていないというのは、さすがにちょっと怒るというより悲しみが強いな。

 だからこそ、追究しなければならない。なぜ伝わっていない?あれほどの年月をかけて思い続けたっていうのにどうしてあんなことが言える!?

 

 「あれだけ君のために時間を費やした!一日たりとも君を忘れたことなんてなかった!それなのになんで!!!なんでわかってくれない!!!!!」




 「―――だってそれ、今目の前にいる私のことは何も見ていないじゃない。」




 ・・・え?



 「あなたが見ているのはあの日の私でしょ?あの日以降の私のことなんて一切考えていないじゃない。」



 言っている意味がよく分からない。



 「あの日の事を悔いているって言ってたくせに、一度でも私に反省の言葉を口にした?やり直したいって言ってたくせに、謝罪の一つでもしてくれた?」



 謝罪・・・。確かに謝罪はしていないが・・・。でもそれは・・・。



 「タイムマシン開発なんて、単純に自分の過ちをなかったことにしようとしてただけだよね?自分のしたことを認めたくなくて、私があの時受けた傷の痛みを想像したくなくて逃げただけだよね?」


 「ち、違う・・・。そんなこと僕は・・・。」


 「過去に戻れば何も知らないあの頃の私が待っている。だからそこに逃げたい。今の私にはとても顔を合わせられない。自分の醜い部分を思い出してしまうから会えない。直接拒絶されたくないから会いたくない。


 ―――それのどこが私を思っているっていうの?そんなの、自分のことが大切なだけじゃない!!!」



 2か月前に聞いたあの悲痛な声とはまた違う、あの時以上に身を斬られるような痛みを乗せた叫びが突き刺さる。

 そのあまりの鋭さに思わず、そのまま膝からガツンという衝動とともに草原に崩れ落ちてしまった。



 「あなたからの表面上の心配なんていらないの。だから私のことは放っておいて。君は君のするべきことをしていればいい。」


 僕を見る玲那の顔が、今まで出会ってきたどんな人たちよりも僕の心に恐怖を刻みこんでいく。今までの楽しかった思い出が、玲那と笑いあった時間が、彼女に捧げたあの日々が、全てあの蔑みの表情とともに、暗黒に染まっていく。 


 「―――さようなら、天梨樹君。もし万が一過去の私に会えるようなことがあるなら、今度はちゃんと大事にしてあげてほしいな。」


 長髪を揺らして僕に背を向ける。その怒涛のラッシュに、あれほど勢いがあった宗次の方の思考も止まっていたようで、接近してくる玲那に狼狽えていた。


 そんな2人の様子をよそに、膝をついて生い茂る草の方を呆然と見つめることしかできない僕は、さっきの玲那の言葉が何度も何度も反響して離れない空白の頭で、ただ生きる屍のようにしていることしかできなかった。



 「すとんっ」


 そんな僕の後ろからぶわっと感じる風圧。


 「だ、大丈夫ですかタツキ様?」


 振り返る必要もない。それが誰なのか悩む必要もない。

 まさか、こんな都合のいいことがあるものなのだろうか。いや、逆に今最も会いたくない人かもしれない。


 草原に倒れこむ僕の隣に寄り添うように現れたのは、赤く煌めいた長髪を風に揺らす美女、マイヤ・クランジアだった。

  

            *     *     * 


 「あらあら、ソージ。今の今までいったいどこで何をしていたのか説明してもらおうかな?」


 「げ、サラ嬢・・・。」


 どうやら先に村に行っていたと思っていた姫様は先にナユリア家に行っていたみたいで、ようやくこのタイミングでお嬢と一緒にご到着ということらしい。


 突然正面に現れたお嬢に驚いて思わず足を止める玲那。そして背後から聞こえてきた耳馴染みのない声に気づき、慌てて背を向けていた僕の方へと再びその端麗な顔立ちを見せる。

 一瞬僕の方を見たが、やはり玲那の注目は僕の隣で僕の肩を抱いている姫様の方へと向いた。

 

 「あなたは確かこの国のお姫様・・・でしたよね?」


 「はい、この国を治めるガルディン・クランジアの娘、マイヤ・クランジアと申します。本来ならば2ヶ月前に済ませておくべき挨拶でしたね、レナ様。」


 「どうやら私の方の自己紹介はする必要がなさそうですね。・・・樹君から色々と聞いてることでしょうし。」


 座り込む僕に視線を合わすように片膝を床につけて両肩をそっと支えてくれている姫様と、物音に気付いて背を向けた身体を再びこちらに戻す玲那が視線を交わす。両者の間にはなぜか、謎のひりついた緊張感のようなものが充満していて、空っぽの頭で呆然としていた僕も思わず、その空気によって現実に引き戻される。


 「今のやり取り、失礼ながら聞かせていただいてました。その上でレナ様、一つお話しが。」


 「一国のお姫様に対してこのようなことを言うのも失礼かもしれないけど、あまり盗み聞きなんていい趣味とは言えないですね。」


 おいおい、なんだこの謎の修羅場みたいなノリは・・・。まるで浮気現場に乗り込んできた奥様みたいな雰囲気出してるけど、なんか目が怖いって姫様!


 「タツキ様がどれほどあなたのことを今まで想ってこられたか、他人から聞いた情報とこのわずかな時間だけで判断されるのは、少々酷であるかと。」


 「酷も何も、さっき言ったことが全て真実だと思いますけど。その証拠に、倒れこむだけで樹君は何一つ言い返してくれなかった。私はもう諦められた存在なんですよ。」


 「あれだけ想いを寄せていた相手からこんなことを言われたら、誰だってこのように心を折られます!ちゃんと向き合ってお互いの思いをぶつけ合うべきです!」


 さっきまでの僕を庇うように、玲那の言葉に熱く言い返す姫様。だが、玲那の心はすでに冷め切っているようで、相手にするつもりが最初からなさそうだ。


 「・・・あなたにそのようなことを言われる筋合いはないわ。樹君を連れて王宮の方へ戻られてはいかがですか?」


 奥歯で何か色々なものをかみしめるようにそう言葉を絞り出した玲那は、向き直した身体を元に戻して魔獣ヴァーグの背へと向かおうとする。


 が、そこで宗次とお嬢が2人で何やら言い合っている様子が目に入り、動かそうとしていた足にブレーキをかける。


 「あなたが蒔田君がよく話題にあげていたサラさんね?」


 「・・・ええ。この2ヵ月ほどソージがお世話になっていたみたいで。」


 「お世話になっていたのは私の方です。ですがお迎えが来たのならもう甘えてもいられないね、蒔田君。」


 「で、でも伊理夜!そんな状態のお前を独りぼっちになんかできるかよ!」


 「ううん、もう十分だよ。これでもう全部おしまいでしょう?」


 「おしまいってこんなんで・・・。こんなんでお前は本当にいいのかっ!!!」


 前の方で玲那と宗次が何やら言い合いをしているように見える。あの宗次が珍しく声を荒げているようで、玲那に向かってまくし立てているように見えるが、とうとうあの2人も仲間割れか?


 「これもまた運命よ。これで私の中でも完全に区切りがついたから。蒔田君は蒔田君の日常に戻って?」


 「・・・できるかよっ!!!こんなの、こんなのあんまりすぎるだろうがっ!!!!!」


 ん・・・?遠くでよくわからないけど、なんかやたらと宗次の顔が赤いな。それにどこか頬が太陽に照らされた少し光っているようにも見えるけど、まさかあの宗次が泣くなんてありえないよな。


 「・・・君が泣くところなんて初めて見たよ。それだけでなんか心が救われたように気になるからどこか不思議。」


 「ンなこと言って全部終わった気になってんじゃねえよっ!まだ―――」


 「ありがと、蒔田君。でももう覚悟固めちゃったもの。もう君がなんて言おうと揺らぐことはないわ。」


 それでもまだ何か言おうと口を開く宗次。でもその先の言葉を紡げずに、思いっきり歯を食いしばる。まるで自分の無力さを呪うように、地団駄を踏む。


 そのやり取りの一部始終を口を挟まずに見届けたお嬢もまた、かつての居候の傷心状態に言葉を失っているようで呆然とその場に立ち尽くしている。


 「変なところを見せてごめんなさい。それと、勝手に蒔田君を借りていってごめんなさい。」


 「え、い、いやそんな・・・。」


 「お願いだから彼を責めないであげてください。悪いのは彼じゃないの。」


 「・・・あまり首を突っ込みたくないんだけど、ソージを必要としていてそれをソージが承諾しているのなら、それを止める理由は私にはないよ?」


 「いえ、これは私が前に進むために必要なことです。蒔田君がいたらまた色々考えてしまいそうだし。」


 「せめて私に何かできることがあればって言っても、無駄なんでしょ?」


 「・・・そうですね。蒔田君と樹君のことをお願いしますってことくらいです。」


 ふと玲那が僕の方をちらりと一度見た気がする。会話の内容が分からないだけに、恨み言でも言われているのじゃないかという気にもなるが、あんな憂い顔をしているんだ。とてもそんな風には思えない。


 「わかった。・・・あなたのこともできるだけ気にかけることにする。何かあったら大声で助けを呼んで。必ず向かうから。」


 「・・・ふふ、その気持ちだけ受け取ることにします。」



 クスリと笑った玲那は、前に立つ宗次とお嬢の傍を通り過ぎていく。慣れた手つきでヴァーグの顔を撫でて屈ませると、颯爽と胴体に足をかけて背中に腰を下ろした。



 「待てよ伊理夜っ!」


 「今までありがとね、蒔田君。―――全てが終わったらまた会いましょう。」


 きらりと光る雫を零して、玲那は見事な手綱さばきで魔獣を村の上空へと羽ばたかせていった。その様子をただ宗次は、今までに見せたことのない不安そうな顔で見送っていた。

 

 ああ、もう二度とあのニコッと微笑んだくれるあの日の少女に出会うことはできないんだ。飛び去って行くあの子を見て、改めてそんなことを考えてしまった。その思考そのものをついさっきその本人に悪だと指摘されたばかりだというのに。



 「タツキ様、大丈夫ですか?」


 ずっと声をかけるのを躊躇っていた様子の姫様が、ようやく倒れこむ僕に一声かけてきた。


 「姫様、大丈夫っていうのはどういう状態を指す言葉なんでしょうね?」


 「え・・・?」


 僕からの突然の質問に豆鉄砲でもくらったような顔で反応を返す姫様。


 「僕は大丈夫なんですかね?」


 「そ、それは・・・。」


 「僕が生涯を賭して挑んだこの8年間。それを捧げた相手からその全てを拒絶される。はは・・・。ははは・・・。ははは・・・。」


 「タツキ様・・・?」


 「ははは、ははははは。はははははははははははははははは・・・・・・・・。」


 とっくに失われていたと思っていた、玲那の僕に対する思い。それが今、本当に目の前で消えていったんだ。まだ残っているんじゃないかと惨めたらしく淡い希望を抱いていた僕の甘さが完膚なきまでに叩き潰されたんだ。


 無意識に零れ落ちる大量の涙の粒。口から無意識に零れ出る乾いた笑い。姫様とこういう関係になった時から覚悟はしていたはずだったのに。それでもまだ昔みたいな友好的な関係でいられるという、あまりにも甘すぎる幻想を抱いた男の末路がこれだ。これが笑わずにいられるか。


 もう僕を支えてくれるのは隣にいるこの人しかいないんだ。そう思った瞬間、僕はまたもや無意識に姫様の胸の中に全身から飛び込んでいた。



 それからシャミノさんが姫様を呼びに来るまで、その柔らかな優しさに溺れていた。


            *     *     *


 村の人間が全員各々の家へと戻り、外に取り残されていたのは、地面に横たわる茶髪と橙色のマントが特徴的な男と、その男に馬乗りになって胸倉を掴んでいる全身黒ずくめの男。


 「てめえ、ガルディンじゃねえな?一体何者だ!?」


 「挙句の果てにバカげたこと言いやがって。こんな誰もが羨むイケメンフェイスがそう何人もいてたまるかっての。」


 いつもの調子で軽口を叩くガルディン。だがこの状況では火に油を注ぐ行為に等しいその言動は、その火の勢いをその慣用句通り増加させる結果を生む。


 「俺の知ってるガルディンって男はな!そんな簡単に他人の命を諦めるようなクズ野郎なんかじゃなかったって言ってんだよ!」


 「じゃあ残念だったな。それはただのお前の思い違いだったってこった。」


 「てんめえ・・・!」


 またもや閑散とした村に怒号と乾いた打撃音が響き渡る。般若の面をつけたかのようなレージの拳が、されるがままに殴打されるガルディンの両頬がそれぞれ腫れ上がり真紅に染め上がる。


 「なんでっ、なんでお得意の皮膚硬化をっ、使わねえんだよっ!!!」


 容赦のない一撃が次々と鈍い音とともにガルディンの痛覚を刺激していく。それでも、上にのしかかっているレージに報復を加えることもなく、黙って耐え続けている。


 「このままだとっ、そのご自慢の顔がっ、二度と誰にも見せられねえようなっ、顔になっちまうぞっ!!!」


 しかしその注意はすでに意味を成しておらず、唇は切れて流血しているし、頬骨を中心に全体が腫れ上がっているし、レージのコントロールが悪いせいで瞼の上の方にもその打撃の被害は及んでいて、視界も通常の半分ほどしか見えていないはずだ。


 それでも、ガルディンは一秒たりともレージから顔を背けることはしなかった。殴られた衝撃で左右に揺らされてもすぐに、表情一つ変えずにレージのその紅蓮の顔をまっすぐに捉える。


 「なあっ、ガルディン!お前はそんなっ、薄情なやつなんかじゃっ、なかったろうがっ!!!」


 何も痛みを伴うのは殴られる側だけじゃない。殴る側にだって相応の痛みが伴う。その証拠にレージの両拳も赤色を通り越して青白く変色しており、軽く痙攣をおこしていた。本人も自覚がないようだが、何度も何度もその行動を繰り返しているせいで、すでに最初の一発とは比べものにならないほどにその威力は落ちている。


 だからと言って、その威力が落ちていることを認識できるほどガルディンの痛覚が正常を保てているわけもない。故に、はるかにスピードが落ちているその一撃一撃にも顔面は痛みを強く主張し、自己防衛本能が反射的に拳が飛来する方向とは別の方面を向いて痛みを流そうとしている。


 「お前にはっ、何も敵わないと思ったからっ、ミアラを譲ったんだろうがっ!!!」


 いつしか般若の形相だったはずのレージの眼からは涙がこぼれ落ちていた。もちろん本人に自覚はない。


 「お前になら任せると思ったからっ、はあっ、あいつをっ、はあっ、託したんだろうがっ!!!」


 ついに体力が底をつきたのか、当初より痙攣が激しくなった両腕に引っ張られるように上半身がガルディンの身体から離れて、そのまま横に倒れこんでいった。


 忠告も空しく、見るも無残なほどに腫れ上がったガルディンの顔がようやく、レージの殴打と涙から解放される。しかし、そこから声が発されることはなく、ただ映し出される青空を眺めながら太陽の光にさらされるだけとなる。


 「思えばっ、はあっ、あの頃からっ、はあっ、お前はっ、どっか変だったなあっ、はあっ。」


 震える腕と疲労がレージの言語能力を奪い去る。それでも何とか声を振り絞って、なおもガルディンの断罪を続ける。


 「一体何をっ、抱えているんだっ、はあっ、はあっ、はあっ、ふー・・・。」


 乱れる呼吸を整えるように一つ長い溜息をついて、ついにレージからも声が発されることがなくなる。


 そうして村の入り口で2人の男が青空の下、全身を投げ出して倒れこんでいるという状態が完成する。


 

 「全く、いつになってもあなたたちは変わらないんだから。」


 倒れこむ2人の背後にわずかな歪みが生じる。そしてその歪みから1人の女性が現れる。村にスーッと通る気持ちのいい風にその紺色の髪を揺らしながら、どこか懐かしそうに草原に身体を投げ出して倒れている2人を眺めている。


 「・・・本当2人ともバカなんだから。」


 そう非難の言葉を口にする彼女の両頬にもまた、薄っすらと涙の跡が残っていた。



 意識を失った2人が目を覚ますのを隣で見守るシャミノ。そんな若かりし日々を彷彿とさせる3人の空間を邪魔するように、大きな羽音を響かせる魔獣とそれを操る1人の女性が現れたのだった。


            *     *     * 


 巨大な魔獣が村を離れて元の居場所へと帰っていく。手綱を握る女性は、手から白い光を出して懸命に残りの1人の治療に専念する赤髪の美女を見て一礼すると、後ろに乗せた黒ずくめの男を落とさないようにスピードを緩めながら、今度こそ本当に元の居場所へと飛び去って行った。


 「あらあら、久しぶりに顔を見たと思ったら珍しい表情をしているじゃないの。」


 「放っておいてください。」


 「つれないわねー。あなたには聞かないといけないことがたっくさんあるっていうのに。それに、随分と心配をかけてくれたのだからそんな態度をとられると、ちょーっと痛い目にあわせたくなっちゃうわね?」


 まるで背後からゴゴゴゴッっと効果音でもなっているかのようなその威圧感に、敵対心むき出しだった宗次の背筋がゾクッとするような嫌な感触を覚える。 


 「母さん、今はそっとしておいてあげた方がいいかも。こっちはこっちで色々とあったからさ。」


 「それはソージ君の様子もそうだけど、坊やの様子からも見て取れるわね。」


 ナユリア家の親子が揃って憐れむように見つめるのは、ただの魂の抜け殻となって草原に座り込んでいる天梨樹だ。目から光は奪われ、うわ言のように『はは、はは、』と笑いながら身体を震わせている。

 まるで見るに堪えないとでも言うように、2人はそっと視線を外した。


 「・・・完全に自業自得だ。あんなもん、同情の余地もない。」


 と口では辛辣な言葉を吐き捨てているものの、どうも非情に徹しきれないようで、宗次は樹のことが気が気でない様子だ。樹の顔を見るたびに唇を強く噛みしめてしまっているせいで、いつの間にか宗次の口からはそれなりの量の出血が見られる。


 「そんなことよりも、どうしてガルディン様があんな状態で倒れているの!?まさか村の人たちにやられたなんてことは―――」


 「ないわよそんなこと。そんなことが起きようものなら、この村自体が先に跡形もなく吹っ飛んでるわ。」


 平然ととんでもないことを口にするなと思う反面、ついさっきあの終焉を告げる黒波を一撃で粉砕したのを間近で目撃してしまっている以上、安易に否定もできずにいる宗次。なお、樹のあの状態を『そんなこと』という一言で片づけたサラには別の意味で恐怖を感じている。


 「じゃあ一体何が!?」


 「この人がこんな深手を負う理由なんて一つしかないでしょう?―――手を抜いたのよ。いえ、あえてやられたって言った方が正しいかしらね。」


 えっ!?と声を上げるサラを一瞥しながら、宗次は予想の範疇だとでも言うような冷静さを見せる。それ以外に可能性はないだろうと勝手に決めつけていただけなのだが。

 しかしそれでも腑に落ちないようなリアクションをとっているのは、単純にやられるという行為そのものに必要性を見いだせないからだ。


 「どうしてそんなことに!?」


 当然その疑問にたどり着くよなと内心で呟く。とは言っても、質問内容自体には文句をつけることはないが、少しは自分の頭で考えてから質問しろよとでも言うようにサラを鋭い目つきで見つめる。


 「さあね、そこまではわからないわ。」


 「いや、わからないんかい!?」


 思わず声を出してしまう宗次。自分でも『しまった!』と思ったのももう時すでに遅し。そのたった一言で、会話の渦の中に巻き込まれてしまった。


 「だってそうでしょう?レージが何に怒っていて、ガルディンがどうしてそれに反論しなかったのか。会話の中身がわからない以上、推測しかできないわ。だから、後はあなたがどこまで聞いていたかってところになるんだけど、どこまで聞いてた?」


 「会話の内容が分かってたらそもそも質問なんてしてないよ。こっちはタツキさんとレナさんの話を聞くのに全神経を使ってたもん。」


 さらりと盗み聞きされていたという事実を暴露される宗次。正確にはマイヤが玲那にその事実を一足早く伝えていたのだが、宗次は突然目の前にサラが現れたせいで完全に後ろの会話は耳に入っていなかったようだ。


 「全部聞いてたのか!?」


 「え、今更な発言だね?もし聞いていなかったとしたら、どうしてタツキさんがあんな風になっているのかわからないはずじゃん?」


 ここでようやく宗次は、樹のあの状態を見ても『そんなこと』と切って捨てられた理由にたどり着いた。なるほど、たしかにああなった理由をすでに知っているのであれば今は気にかける必要はないかもしれないと一人で納得。 


 「あまり気分のいいもんじゃねえな。」


 「そこはごめんって。でも途中で出て行って会話の邪魔をするのもよくない気がして。」


 「・・・今となっては、出てきてもらってた方がまだ救いがあったかもしれないと思うけどな。」


 それが誰に対してのどんな救いのことを指しているのか。宗次は明言しなかった。


 「そちらの話はあとでじっくりと聞くとするわ。それよりも終わったみたいよ。私の方の疑問は直接本人に聞くとしましょう。」


 そう言うシャミノの目線の先には、さっきまで白魔術による淡い光を駆使して必死に父親の顔を治療していたマイヤが、ほっと胸をなでおろしている様子が見えた。


 こちらの視線に気づいたようで、マイヤは深く頷き、治療が終了したことを伝えた。


 「まったく、いつの間にかもうこんな時間じゃない。」


 空を見上げてシャミノはそう言った。既に太陽の高さは頂点に達しており、朝と呼べる時間帯はとうの昔に過ぎていた。


 

 しかし彼女たちは時間が経つということが、今のこの村にとってどれほど重大なことであるかを完全に失念していた。



 「うるるるるるるらあああああああああ!!!!!!!」


 「な、なんだ!?」

 「この声っ!?」

 「魔獣っ!?」

 「嘘っ!?今朝まで魔獣と戦っていたはずでしょう!?」



 村の外から、黒い煙とともに大量の魔獣たちが姿を現す。翼の生えた蜥蜴のようなものや、飛龍のようなもの、そしてその奥では、


 「・・・ギリアンテ様、敵襲です。」

 「いよいよこの村も終わりかもしれんな・・・。」

 「あれは・・・、ギガントドレーギア!?」

 「あ、あんなの伝説の中の生き物だよー?」


 この村一つ分はありそうな巨大な2本足の龍が王都にも響き渡るほどの咆哮を放っていた。

  


 こうして樹たちは、この世界に来てからすでに2度目となる魔獣との戦争に巻き込まれていくのだった。

今カノの前で昔好きだった人にフラれて、それを慰めてもらうってどんな現場なのよ・・・。

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