3-1 予兆
床から伝わるひんやりと冷たい石の感触。それは床だけが例外ではなく、自分という存在を囲むこの空間全てが同質だ。ただ、鉄格子を備え付けられた一面を除けば、の話である。
変わり映えのしない景色。それは全てが灰色に染められたこのフロア全体に対する評価だ。やはりどの世界においても牢屋というものへの認識というのは同じなのだな、などと評価していた最初の頃とは違い、今となってはもはやその程度の感想しか出てこない。認識の話から続けると、僕が元居た世界での刑務所は、入っても決してこの狭い空間で一日を過ごすというようなシステムではなかったと思う。やたらと口調が厳しい看守が時には無理やり囚人を連れ出して外で何かしらの作業をさせるというようなイメージがあったのだが。まあ、もちろん僕は元の世界で刑務所暮らしをしたことはないから何とも言えない。
ここまで言えば今の生活がどのようなものなのかは言うまでもないだろう。おかげで僕の眼はすでにこの灰色の空間の中でしかろくに働くことができないようになっているだろうと推測される。
囚人服なんていう文化がないからか、この世界に来た時の服装のままでいるのだが、全身が暗めのコーディネートとなっているせいで、いまいち汚れている感が目立たない。強いて言うなら、白のストライプが入ってたいたはずの僕のポロシャツが、今ではくすんだ黒色へと変貌を遂げていることだろうか。
こんな生活を続けてもうどれほどの時間が経ったことだろうか。もはや自分がここに入れられた理由も、そもそもどうして自分がこんな訳の分からない世界に来たのかということさえも思い出せない。心の中にあるのは、諦観と虚無感の二つのみだった。
他の囚人もおらず、自分一人だけしかいないこの収容施設。この世界の人々があまりに善良なのか?とかもしかしたらこういった牢屋に入るような罪を犯せないように人々がプログラミングされている世界なのか?とか色々考えていたのだが、そんな疑問をかき消すようなある出来事が起きた。
いつものように虚ろな目でぼんやりと何も変わり映えのしない檻の外の世界を眺める自分の視界に、すでに見飽きた看守の顔と、生気を失った茶短髪の超絶イケメンが飛び込んできたのだ。
* * *
急に外が騒がしくなっているのを感じた。防音設備が嫌というほどに徹底されているこの収容所で、ここまで外界の音が響いてくるのは異常だと言わざるを得ない。
床に敷かれたわずかな布一枚の上で横になるしかすることのない僕にとって、床越しに伝わってくるこの爆発音のようなものを拾うのはお手の物だった。
「おい、小僧。お前にも聞こえるな!?」
「はい。でもこんな音今まで一度も聞いたことがないのですが、一体何が起こっているのでしょうか?」
すっかりこうして普通に言葉を交わしあう仲になったお隣さんからの確認に、僕も問いかけを投げかけることで応じる。今までまるで魂が抜けたように語気がなかったお隣さんからの力強い一声は、繰り返される毎日に心を失っていた僕の虚ろな気力にわずかながらの熱を与える。
「わからねえ・・・。でもこの牢屋にまで響いてくる衝動だ、これはよっぽどのことが起きてんじゃねえのか?」
「どうなんでしょうかねえ。もしかしたら自称王様のあなたの身を案じて助けが来たのかもしれませんよ?」
「はっ、ほざけ!誰も俺なんかを助けに来る奴なんざいねえよ。・・・そもそも誰も俺なんかを覚えてなんかもいねえ。」
姿は見えなくても、牢屋の端の方で小さくなって拗ねた様子なのだろうということが、音の伝わり方の変化から想像がつく。
すでに自称王様の彼が隣に引っ越してきてから長い時間が経っているのだが、その彼が抱える事情というのはかなり複雑なようで、どうも軽々しく踏み込んでいい領域の話ではなさそうだということは、さすがの僕にでも察しがついた。
「でもちゃんと看守の中にもいたじゃないですか。私はあなたに憧れていたって言っていた人が。」
「憧れていた、だろ?今はもう見る影もない糞野郎ってこった。自分自身そう思うさ。どうせ俺には誰も護ることなんてできねえんだ・・・。ってなんだ!?」
諦めと自嘲を乗せた自責の言葉は、突然この暗闇の地に差し込んだ一筋の光によって中断される。その光が差し込まれたと同時に、収容所一体に看守の怒号と爆発音が響き渡る。
地面伝いから感じ取れた衝撃音が資格からの情報としても伝わってきて、いよいよこれはただ事ではない状況だと僕の全身が感じ取り始めていた。
「が、ガルディン様!!!急いで・・・。急いでお逃げを!!!」
完全に憔悴しきった様子で牢屋の鍵を握りしめて階段を下ってきたのは、ガルディンを憧れの人と称したあの看守だった。ただその息が上がりきった様子が、明らかに今までの邂逅とは違う雰囲気を感じさせる。
「おい!外で何があった!?気をしっかり保て!おいっ!しっかりしろっ!!!」
顔の半分は血だらけで、鍵を持っているその手からも血が滴り落ちているのがわかる。元々黒色の看守服に身を包んでいるからわかりづらいが、きっとその腕も血でどす黒く変色しているのだろう。
明らかに外界で、人命にかかわる大事件が今まさに起きているのだろうということが看守一人の様子だけで推測することができるくらいに、この看守の命は風前の灯火だった。こうして鍵を持ってお隣さんの牢屋の前まで辿り付けたのは、まさに奇跡だと言えるだろう。
「は、早く・・・。あなたならまだ魔獣を・・・。この・・・国・・・を・・・。」
「・・・おい、意識を!意識をしっかり保て!まだだ!お前は・・・。お前は、こんなところで終わるような奴じゃねえだろうが!!!」
必死の叫び声も、鉄格子にもたれかかったまま四肢を地面に投げ出した彼の耳にはもう届いていないだろうということは、誰の眼から見ても明らかだった。
「・・・すまねえ。」
強い後悔の念を込めたお隣さんの謝罪は、鼓膜にはひどく小さく、だけど心には強く重く響いた。
別に疑ってかかっていたわけではなかった。でも今の一言だけで反射的に理解できた。隣にいる男は確かに人の上に立つ器を持った人間なのだということを。
「・・・おい、小僧。」
「行くんですよね、王様。」
「け、何が王様だ。・・・お前はどうする?」
その主語のない問いかけは、今後の僕の人生を大きく左右する類のものであることは容易に想像できた。
正直ついていったところで何ができるでもない。それでも本能が、この人に付いていくほかに道はないということを強く訴えかけてきている。
「行きますよ僕も。同じ釜の飯を食った仲じゃないですか。」
「はっ!てめえも根性あるじゃねえか!ここにいる方がまだマシかもしれねえってのによ。」
「いやいや、置いていかれたらいずれ餓死するでしょうよ。ならまだあなたについていった方が生きられるかもしれないでしょ?」
「生への執着か、はっはっはっはっは!!!なら勝手にすりゃあいいさ。止めねえよ俺は。」
感情のこもらない高笑いを耳にするのと同時に、命を賭してここまで来たあの若い看守の致命的なミスに僕は気づいてしまった。
「あ、あのっ!このままじゃ鍵が遠くて手が届かないのでは!?」
王様の牢屋の前にたどり着いた安心感からか、持っていた鍵を床に投げ捨ててしまっているという救いのないミス。最後の最後で取り返しのつかない展開になってしまった彼になんと言葉をかけてやればいいのか。
「は?こいつの仕事は俺に助けを求めに来たってだけで充分果たされてんだよ。」
「?・・・何を言ってんです―――」
といいかけた瞬間、隣の牢屋から凄まじい破壊音が響き渡った。その衝撃と共に大きな土埃が舞ったと思えば、目の前に頬のこけた茶短髪のイケメンがそこに立っている。
「ガルディン・クランジア。この国の王様やってんだ。」
一瞬何が起きたのか頭の理解が追いつかなかったが、それは名乗りと共に突きつけた拳が僕の牢屋の鉄格子を粉砕されるのを目撃することで理解・・・できるわけないだろ。
「い、いったい何を・・・!?」
「細けえことはどうでもいいだろ。お前も名乗れや。そういう流れだったろうが。」
「あ、天梨樹です・・・。」
「ちぇっ、なんだよ。今まで俺を楽しませてくれてたのがどんな奴かと思えば、とんだヒョロヒョロ野郎かよ。」
「出会って早々ひどい言い草!あんたも人のこと言えないでしょうよ!」
実際そう言われても仕方がないだろう。何せここにいた時間はあまりにも長すぎたのだから。
「王国一のイケメンに向かって随分な言い草じゃねえかこの野郎。全て片付いたらしばき倒してやるから覚悟しろや!」
「鉄格子の二の舞だけは勘弁ですからね!?」
互いの叫び声を牢屋に響かせて、僕たちは一筋の光が差し込む階段の先へと足を進める。一段一段に看守のものと思われる血の跡があるのがひどく生々しい。今まで目にしたことのない人の死体というものを目にした衝撃が、牢獄暮らしが長かった僕の心にようやく降りかかってくる。
「・・・目の前で生を失ったもんへの義理立てだ。生に縋る男と生を諦めた男で、いっちょそいつの期待に応えてやろうじゃねえか。」
王様からの強い覚悟を感じて、僕の内側のむかむかした得体の知れない気持ち悪さがすぅーっと鳴りを潜めた。心を強く持て。そう言われたような気がして僕も改めて前を向く。
ようやく階段を上がりきり、王様がわずかに開かれていた扉の取っ手に手をかけた。手をかけたところで僕の顔を一瞥したのは、彼なりの僕への気遣いだったのだろう。
「行くぞ。」
「はい。」
意識しないでいた外からの爆音が再び耳に強く主張してくる。それでももう覚悟は決めた。行かなくてはならない。
王様が扉を押し開く。長い間光を浴びていなかった僕らは、飛び込んでくるその光源の強さに思わず目を閉じてしまう。
眩しい。
目を開けられない。
否、開けたくない。もう少しこのままでいたい。
声が聞こえる。僕を呼ぶ声が聞こえる。
まだだ。まだ目を開けたくない。光を感じたくない。
声がだんだん近づいてくる。気配を感じる。僕の右隣から生き物の気配を感じる。
触られている。いや、掴まれている。右腕を優しく掴まれている。
声がとても近い。とても心地よい。心が溶かされていきそうな熱を感じる。
こそばゆい。耳元に息を感じる。僕の名前が聞こえる。もうだめだ。耐え切れない。
「・・きさま。」
「ん・・・。」
身体の全てを優しく抱き包むような心地よさにつられて、とうとう僕は重く閉じられていた瞼を開ける。僕の右腕に添えられていた綺麗な両手が目に留まり、息遣いを感じる右側へと顔を向ける。
「あ、おはようございますタツキ様。今日もいい一日になりそうですよ。」
そこには、僕の二の腕に両手を優しく添えながら、寝ている僕と同じ位置に顔が来るように屈んだ姿勢で、綺麗な長い赤髪を揺らしながらクスッと笑みを浮かべている絶世の美女の姿があった。
* * *
僕は比較的、夢をよく見る体質だと自負している。とは言っても、それはただ単に深い睡眠をとることができないと言っているようなものなんじゃないかという気がしなくもないのだが。それでも中学時代とかは、自分の見ていたアニメの世界に入りこむ夢を見たり、玲那と2人で遊んでいる夢を見たりと、それなりにこの体質のことを好ましく思っていたものだった。逆に、高校以降はあまり見たくないものばかり見せられたことの方が多かったから、寝るという行為そのものが嫌になった時期もあった。その嫌だと思う気持ちもまた、タイムマシンを作る一つのモチベーションになっていたはずなのに、今となってはどうしてこうなったのか自分でも自分がよくわからない。
考えたかったことはそんなことではなかった。そう、今朝見たあの夢について考えようと思っていたんだった。
別に今までいろんな夢を見てきたんだから、今更どんな内容の夢を見ようがあまり驚かないんだけど、今日の夢はやたらと創造力が働いていたなあと思った。でもなんであんな夢を見たのか、なんとなーくだが見当はついている。
「・・・・・」
「・・・・・」
それはつい最近から始まった、この魔術鍛錬前の瞑想の時間にあると僕は考えている。
姫様曰く、『魔力をコントロールするには、自分のメンタルの強さも大事です。自分自身と向き合うことで、奥底に秘められている力をさらに解き放つことだってできるんですよ!』だそうで、こうして数界の間、座禅を組んでひたすら自分の全身の末端まで神経を行き渡らせるという訓練をしているのだ。
僕の白魔術の習得状況はとんでもなく順調で、実は修業を始めて早2か月が経った今、使える白魔術の種類だけで比較したら姫様とそんなに変わりないくらいには修めているのだ。元々、姫様自身もそう白魔術への適性が高いわけでもないようなので、使える種類も多くないそうなのだが、まさか2か月でここまで進むとは思っていなかったらしく、少しだけ面目を気にしているらしい(お嬢からのタレコミ)。
とは言っても、扱える魔力の量は一般家庭の浴槽と琵琶湖くらいの差がありそうなので、現在はこうして魔力量を上げるトレーニングメニューが中心になっているというわけだ。
この一歩も動けないという束縛感というか閉塞感みたいなものが牢屋を彷彿とさせたんじゃないかなーなんて個人的に思っているんだが、いかがだろうか。
「はい、今日はここまでです。どうぞ楽になってくださいタツキ様。」
などという、瞑想本来の意義とは程遠いような自分との向き合い方をしている間に今日の瞑想タイムの終了を告げる声が隣から聞こえた。
「今日はどこか気が散っているように感じましたけど、何か考え事でもしていました?」
あー終わった終わったーなんていう解放感に浸っている最中に、突然姫様から普段との様子の違いを指摘されて、思わずギクリと身体が固まる。
「あ、あはははは・・・。そ、それなりに集中はしていましたよ?」
「本当ですか?今日はなぜか異常に上半身が揺れていましたよ?」
「嘘やん!?」
無意識のうちに落ち着きのなさが溢れ出ていたという事実を暴露されて、頬に少し熱を帯び始めた。
たまに悪ふざけとかをすると、姫様は軽く可愛くお説教をする。だから今回もいつものように『もう、真面目にやらないとダメなんですからね!』とか言われるかなーって思ってたんだけど、今日の姫様はどこかそういった様子でもない。
いつもの透き通った青色の瞳には影が差しており、笑うとそれだけで満開の花を咲かせそうな顔には一抹の不安のようなものを感じる。
まさか瞑想を真面目にやらないといつもよりきつめの説教が入るのか!?なんて身構えていると、姫様は足をだらーんと伸ばして地面に座り込んでいる僕の隣へと腰を下ろし、心配そうな顔でこちらを見上げてきた。
「お父様から何か聞かされていますか?」
その具体性のない予想外の質問に一呼吸分、頭の回転が遅れる。その意図がつかめないが、少なくともここ最近は王様とはあまり大した会話は交わしていない。
「そうですねえ。一番最近言われて心に残っているのは、『もうそろそろお前らの関係が始まってから2か月経つな。どうだ、2か月経っても彼女におんぶにだっこの男の気分ってやつは!はっはっはっはっは!!!!!』ってやつですかね。」
「な!?べ、別にそんなこと気にしなくていいですからね!?まだほんの2か月ですもの、そんな簡単に立場が変わるわけないじゃないですか、ね?」
必死に両手を使って、「あなたは何も悪くないよ!」って励ましを入れようとしてくれてるんだろうけど、相変わらず絶望的にフォローが下手くそすぎる・・・。誰か男のプライドの尊重の仕方を今度教えてあげてくれ頼むから。
「いや別に今に始まったことじゃないんで気にしてないです。―――で、きっと姫様が気にしてたこととは別のことだったと思うんですけど、姫様は何を気にしてたんですか?」
自分でその話題を振っておいて、いざ自分が答える番になると途端に「え!?」って慌てふためく姫様。徐々に隣に座っていたはずなのに、僕から距離をとっていくのを寂しく見送りながらも、無言で答えを促す姿勢だけは崩さない。
「・・・いえ、お父様が言っていないのなら私から言うことでもないと思いますし。何も聞かされていないのでしたら、タツキ様が気にする必要はないと判断されたまでのこと。このことは忘れてください。」
顔をふいっと背けて立ち上がり、早口でそう告げた姫様は「さ、魔術の練習に入りますよ!」と言って、奥の鍛錬室の別室へと向かって歩き出す。
でも、その様子は妙に僕の焦燥感を駆り立てた。このまま何もなかったことにしてはいけないんじゃないかって気がして、急いでその背を追いかける。
「ちょっと姫様!このままだと気持ち悪いんですけど。」
「思わせぶりな言い方をしたのはとても悪く思っています。ですが、これはタツキ様にはあまりお聞かせできるような話ではないのです。お父様が話されていないということは、きっとそういうことなのかと。」
足を止めて僕の方を向き直ってくれたまでは良かったけど、険しい表情を崩さないで僕の眼を意識的に見ないようにして話すその態度が、僕のイラつきを無性に増幅させていく。
「きっとそういうことなのかと、じゃないんですよ!話の中身は知りませんけど、僕に言う言わないで迷っているってことは、僕絡みの話じゃないんですか?」
「い、いえ。そういうわけでは・・・。」
「じゃあ言ったっていいじゃないですか。なんなんですか、教えてくださいよ。」
「そ、それは・・・。」
「怪しい、そうまで隠したがるのがどうもおかしい。そうまでして頑なに拒むのがどうも気に入らない。」
「私は、あくまでタツキ様のことを思って・・・。」
この『あくまで僕のために』みたいな主張でこの場を乗り切ろうとする姫様の態度に、頭の中でヒートアップしている何かが、沸点への到達の秒読みを開始する。
「僕のことを思ってくれた結果がこれです!今の僕の顔、気遣われて嬉しそうな顔に見えます?」
視線を一切合わそうとしてくれない姫様に痺れを切らして、両肩に手を伸ばして無理やり彼女の視界に僕を認識させる。
そうして互いに平常じゃない状態で顔を見合わすのは初めての体験だった。いや、初めてのはずと言った方がいいのか。
そしてこの初めての体験で思い知った。
自分の言葉に傷つけられている彼女の顔を見るのが、どれだけ自分の心を傷つけるのかということを。
弱弱しく困惑した瞳の姫様に射抜かれるのが、どれほど心を締め付けられるのかということを。
「・・・すいません。ちょっと熱くなりすぎました。」
伸ばした両手を外して、ばつが悪くなっていく感覚に苛まれていく。この場に二人しかいないのに、まるで全方位から今の自分の行いへの非難を浴びせられているような気分へと追い込まれる。
逃げたい、逃げ出してしまいたい。見ていられない。見ていたくない。姫様の悲しむ顔がどんな有毒物質よりも今の僕には毒物だ。
「おっはようございまーーーーす、お2人さん!今日もいい感じでs・・・・・ってあれ?」
そんな八方塞がりの状態の僕と姫様、互いにとっての起死回生の切り札が、言葉の通り風に乗ってやってきた。
* * *
王様に言われるがままに修業を始めてすでに約2か月経過した。魔術の方はすでに姫様に並んだと言っても過言ではないくらいの白魔術を身につけた。使える回数や効率、効力を比較されると天と地の差があるが、そればかりはこの世界でまだ2か月しか生活していない人間と18年生きてきた人間を比較しているのだから許してほしいところ。
なお、ここから先の領域に踏み込むには、書物から知識を得ていく必要があるらしい。その書物を読破するのはかなりの高難度らしく、適性がない人間が読んでも激しい頭痛に見舞われて読むどころじゃなくなるのだとか。僕だったら時間をかければ読めるだろうとお墨付きはもらっているが、その書物に記載されている魔術を行使するだけの力がそもそも宿っていないとのことで、魔力強化に専念していたというわけだ。
剣術の方はあまり変わり映えのしない状態が2か月間続いている。見た感じこそ変わりはしないが、トレーニングメニュー一つ一つの負担はそれなりに軽くなったとは思う。大の大人が涙ながらに素振り1000回やっていたのが、今となっては懐かしいと感じるくらいには軽くなった。でもそれは単純に素振り1000回に慣れたからという理由だけじゃない。例の魔獣襲来事件があってから、僕の素振りの回数がなぜか3000回に増やされたからである。
それだけじゃない。筋力アップのために行っていたトレーニングは全てあの日以来、回数が2倍に増やされた。そのせいというべきかおかげというべきかはわからないが、師匠との一対一の打ち合いの時間が無くなった。その理由を直接師匠に尋ねても、『お前が気に入らんからじゃ!』となぜか一喝されるだけ。全く、僕がいったい何をしたってんだ?よっぽど僕が魔王に捕まったのが気に入らなかったのか?
でもその甲斐あって、体つきもどこか丈夫になってきたように感じるし、腕の肉付きもかなり良くなってきた。ちょっとやそっとじゃ音を上げないようになったし、どこか剣を振る動きにも無駄が無くなってきたように思える。それでも修業終わりの風呂の時間には、全身がバッキバキになるところは未だに変わらない悩みの一つだ。特に損傷がひどいところは、自分で治癒魔法をかけて治せるようになったのがまだ救いと言えるか。
それで、晩飯が終わって王様と軽口を叩きあって、本格的な姫様による治療タイムを経て一日が終了するという流れを延々とこの2か月行ってきた。10日に一回の休日では姫様と一緒に城下町探検をして過ごしていた。名付けて、『もっとこの国のいいところを知っていきましょう大作戦!』だそうだ。今のところ西から南、東へと順番に巡回している。順当に行けば次は北東らへんなのだが、姫様は北方面はあまり行きたくなさそうな様子なのよね。深くは聞いていないけど。
と、いつも通りに今日もまたこんな感じで終わっていくのだと僕はてっきり思っていたんだけど、人生に変化はつきものですね。今日という日は色々と予想外なことばかりだ。
朝飯を食べるまではいつもと一緒だったはずなのに、あろうことか姫様と一緒の時間でまさかのアクシデントが発生するなんて夢にも思ってなかった。まさかあの姫様と喧嘩のようなものをする日が来るなんて。まあ、記憶をなくす前にしていた可能性はあるっちゃあるが。
それでせっかくこの空気を変えてくれると思ったサラお嬢様の登場は、まさかの両者揃って正座をさせられてお嬢に説教をされるという異例の事態に陥るっていうね。姫様には、言われてばかりなのはよくないだとか、付き合いたてのカップルのあり方は、だとかを懇々と言い聞かせていた。そこまではまだ、言うなれば助言のようなものだったのだけど、僕抜きで話したいことがあると言って2人で離れたところへ行った時には、結構ガチで姫様が説教されている様子だったのがすごく気になるところ。主従逆転しているんだがというツッコミはあの2人には野暮なのだろう。
一方の僕に対しては終始、説教説教の説教祭りだった。どんな理由があろうとも女の子にあんな顔をさせることは許されないだとか、自分のことしか考えていない身勝手野郎だとか、容赦のない罵声を浴びせられたので、メンタルはだいぶやられました。
だが問題はこれだけでは終わらなかった。お嬢の説教があったせいで、昼飯は食いそびれるし、修業はできないし、挙句の果てにはタイムオーバーして、師匠との修業の時間に遅刻するしで踏んだり蹴ったりだ。それで少し遅刻して行ったら、『時間も護れないような奴に教えることなど何もない』と怒りをあらわにした置手紙が修業場のど真ん中に置かれているという状態。言うこと聞かないからって言って授業放棄して職員室に行く教師かよ!とか思いながら、一人で黙々といつも通りのタスクをこなしていたわけだ。・・・ガミガミうるさい人がいなくて実はやりやすいなあなんて思ったり。
なんて今日あったハイライトを脳内再生しながら、何とか今日一日のメニューを終えたっていうのが今の状態だ。少し遅刻しただけだったからいつもと終了時間はさほど変わらないし、師匠といつも繰り広げている会話とは言い難い一方的なコミュニケーションがない分、むしろいつもより早かった。身体は相変わらず痛いけど。
使い終わった木刀の手入れをしっかりと行って、いつもの倉庫へと片付ける。そのまま倉庫に鍵をかけたところで、倉庫の鍵を師匠に返しに行かないといけないことを思いだして、ちょっぴり気持ちがダウン。鍵一つ返すだけでどれだけの嫌味を言われるのか、想像するだけで眉間に皺が寄る。なんで魔術がある世界なのに、鍵式とかいう意味の分からないシステム採用してんだよ。魔術でロックしろよ。
そんな気も心も体も重い状態で修行場を後にする。修行場は一階の隅っこに大きく備え付けられているんだけど、風呂場が逆の端にあってそれなりに遠いのがイライラポイントだなあと最近の不満要素の一つ。せめてシャワールーム的なものを修業場内に設けてくれれば、そのままシャワー浴びてすぐに食事の間に行けるのにと何度思ったことか。
そんなことを考えていたそんな時だった。
いつもはガミガミとうるさい師匠がいたり、自分自身が周りの音に気を遣えるほど余裕がないこともあって王宮内の物音を気にすることはないんだけど、今日は1人だったということもあって、王宮内に漂ういつもとは違う雰囲気を察知することができた。王宮内専属の召使いもやたらとソワソワしているし、この時間帯なら匂ってくるいつもの晩飯の美味しそうな香りも今日はなぜかしない。
何かがいつもと違う。そんなことをぼんやりと思いながら2階へと続く階段辺りに差し掛かったところで、
「・・・は言い・・・りです!・・・付ける証・・・いじゃ・・・すか!!!」
という、全文は聞き取れないながらも何か叫んでいる姫様の声が聞こえてきた。あまり聞かない姫様のその叫び声に、思わず僕もビクッ!と肩を震わせてしまう。
その後に続くように、お嬢の声のようなものもぼんやりとだが聞こえてくる。
この音の聞こえ方から察するに、おそらく2人は2階の応接間で言い争っているのだろう。と冷静な分析をしていたのだが、ここで今日の魔術訓練の時に繰り広げられていた、あのお嬢が姫様に説教していたシーンが急にフラッシュバックして妙な胸騒ぎがした。
まさか、僕の知らないところで第2ラウンドが始まっているのか!?そんなことが脳裏によぎってしまったから、急いで僕の足は2階の応接間に向けて動き出していた。この騒動がもし、僕に秘密にしているあの内容に原因があるのだとしたら、それはきっと僕とも無関係じゃない。そう思うとこのまま知らないふりをするわけにもいかないという謎の強い感情が芽生えてしまったからだ。
筋トレ後の重い足取りで階段を駆け上がる。いつもより何秒か遅い速度で2階へとなんとかくらいつく。そのまま勢いを殺さずに応接間へと駆けようとしたが、さすがにそこまでの急ピッチな運動に耐えきれるほどスタミナに余りがなく、へとへとの状態での移動となってしまう。
案の定、応接間の両開きの扉が開いており、そこから僕の予想通り、言い争っている声が聞こえる。
「あなたたちが大変なのはよくわかります。その原因究明のために、今ザイロン様が必死に調査をしてくれているじゃないですか!」
「その調査結果があまり思わしくないからこうしてここまでやってきているのです。村は一刻を争う事態なのです。打てる手は打たねばなりません。」
「でも、だからってタツキさんがその原因だと決めつけるのはおかしいじゃない!」
「ですが、彼をはじめとする異邦者の出現と共に異常事態が起きました。これでもまだ彼らと無関係だというのは無理があるのでは?」
聞きなれた2人の声がする。でも、もう一人全く馴染みのない声も聞こえる。が、その声の主が誰なのかももうわかる。応接間はもう目の前にあるのだから。ようやく応接間へとたどり着いたのだ。
「姫様!!!」
「え!?」
「タツキさん!?」
「何者ですか?」
「・・・おいおい。」
全身を上下に揺らしながら部屋を確認すると、そこには椅子から立ち上がっている姫様とお嬢。その反対側に座る、和装のようなものに身を包んだ、見知らぬクリーム色の長髪を揺らす女性。そしてその3人のやり取りを腕組んで見守る金髪のイケメンがいた。
皆様明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
ってもう2月やないかーい。
というわけで3章スタートです。




