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科学と愛は冒険の始まり  作者: トレア
第2章
37/72

2-22 空っぽの告白

 記憶を失うことと失われることはどちらがより苦しいのだろうか。両者にはそれぞれ別の苦しみがあるのが確かであり、別種の痛みを伴うものだろうと僕は思っている。

 また、記憶を失った者との距離が近かったものほどそれは大きくなる。家族や親友、恋人といった関係になってくると、その痛みはきっと僕の想像を超えたものとなるに違いない。


 「わーい!わーい!!!」

 「おきゃくさまだー!!あそびあいてだー!!!」


 ならば唯一僕が忘れてしまった女の子は、僕の記憶喪失を知った場合どのように感じるのだろうか。ただ漠然ときっと傷つくだろうなどと考えてはいたが、何せ今の僕には彼女のことは何一つわからないのだ。言ってしまえば、僕に全く何も知らない誰かの思考を予想しろと言われているようなもので、それをしたところでそれがあっていると言い切れる根拠も何もない。


 「あーそーぼー!!!あーそーぼーーー!!!」

 「ワハハハハ!!!ワハハハハ!!!」


 それでよく、きっと姫様は悲しむだろうからこのことは明かさないでおこうなんて言えたものだ。こんな考え、今の僕にとっては自惚れ以外の何物でもない。あの子のことは何も知らないが、とりあえず僕が彼女のことを忘れたら彼女は傷ついてくれる。よくもまあこんな論理を自分で信じられるな。


 思えば、僕の記憶が無くなってから色々な人に姫様の情報を聞いてみたが、未だに僕たちの関係はハッキリとはしていない。魔王さんは婚約者なんて言うし、その発言を彼女の父親である王様が聞いてもそれほど動揺している様子もなかった。ただ、師匠やお嬢、シャミノさんに会ってもそんな関係であるということは一言も言われなかった。ただ一つ言えるのは、仮に僕が姫様の婚約者であることが知れ渡っている場合、未来の王族になる身分である僕にあんな口を利くジジイや、何のためらいもなく僕の身体を酷使させたお嬢はどうかと思う。という観点から考えると、やはり婚約の話はデマか本当に一部の人しか知らない極秘の話という線が高い。


 「マイヤねーちゃん!!マイヤねーちゃん!!!」

 「おねーちゃん、いっしょにあーそーぼー!!!」


 「はいはい、後でねー。今お姉ちゃんはこのお兄ちゃんを治してあげるのに忙しいから、ごめんね?」


 何が真実で何が噂どまりなのか。この自分の脳みその中に答えは眠っているはずなのに。なんでわからないんだ!思い出せ!考えろ!!!記憶の引き出しのカギを開けるんだ天梨樹!!!


 「えー!!!ろくにひとりでうごけないイソーローニゴーなんてほっとこーよー!!!」

 「そうだそうだー!!!ニゴーはやくたたずだー!!!」


 「ああもう、うるせえなあ!!!人が真剣に考え事してるんだから向こうに行ってろ!!!」


 ・・・はあ、蠅のように僕らの周りに群がる子ザル2匹のせいで、もう冷静に考え事をする気も失せてしまった。


 「勇者様、子供相手に怒鳴り散らすのは少々大人げないかと・・・。」


 「そ、そうですよね!僕としたことがちょっぴり情けなかったかな・・・。はは、ははは・・・。」


 しかし、そんな騒ぎになる原因は他でもない僕たちアウトサイダーズが作り出しているのだから文句は言えない。今この空間に置いて異分子であるのは僕たちの方なのだ。


 そう、ここはナユリア家のリビングルーム。あれから気を失った僕は、どうやらこのリビングにあるソファで一夜を明かしたらしい。身体の疲れもあって泥のように眠っていた僕は、突然僕の周りに発生した騒音によって目を覚ますことになった。


 そんな事態に動揺していた僕にさらに追い打ちをかけるように起きたのが、


 「お疲れで気が立っているのはわかりますが、ここは大人の貫禄を見せつけないといけませんよ勇者様?」


 僕の悩みの種の一つである美女、マイヤ・クランジア姫の突然の来訪イベントだ。これで大人の雰囲気を出せだの言われても落ち着いていられるかっての。


 「確かに昨日は色々なことがありましたが、こうしてみんな無事に元の生活に戻ることができたのです。今は素直にそのことを喜びましょう?」


 心を揺さぶる天使のような笑顔を見せつけてくるが、それを素直に享受して「なにこの子、超絶可愛いんですけど。」なんて言っていられる心の余裕は、今の僕には存在しない。


 何せ元の生活に戻れなかった人間が僕を含めて2人いるからである。もっと言うと、その2人にとっての元の生活というのは、この世界にいる限り永遠に取り戻すことができないものである。とは言っても、僕じゃない方の一人はなぜか自主的に元の生活を手放してこちらの世界にやってきちゃったという供述をしていたのだが。


 とりあえず、何とかそんな思いが顔に出ないように、最大限の作り笑顔でやりすごすことにしようそうしよう。


 「え、ええ。とりあえずは平和にすべてが収まって一安心と言ったところですかね。あとはこの身体が自由に動くようになればいいんですけど。」


 思いっきり作った笑顔で愛想笑いを浮かべた僕の顔を見て、姫様もまた眩いほどに輝いていたその笑顔をひと際強く照らした。


 でも、その姫様の笑顔に安堵できたのもその刹那だけだった。


 「ですが、勇者様のお身体をそのような状態にしてしまったのも、もとはといえば私のせいです。・・・あの時私がいらぬことを言ってしまったばかりに、勇者様にはとんでもない心労をおかけしてしまいました。申し訳ありませんでした。本当に・・・。本当に・・・。」


 それは、僕の至らない発言が姫様の自責の念を再び呼び覚ましてしまったからである。さっきまであれだけ周りを照らしていた端正な顔立ちが一転、場の空気を重くする憂い顔へと早変わりだ。


 「こらー!!!マイヤねーちゃんをこまらせたらダメだぞーーー!!!」

 「そーだそーだ!!!ニゴーはわるいやつだーーー!!!」


 「うっ、そんなつもりで言ったわけじゃ・・・。」


 この喜から哀への秒での変更にたじろいでしまったせいで、子ザルの奏でる騒音すら心に刺さる。

 

 しかし、その子ザルたちのエスカレートしていく騒ぎ声はとうとう眠れる獅子の尾を踏みつけることとなった。


 「あら、あなたたちのそういう態度もまた、坊やを困らせているのがわからないのかしら?困らせたらダメだというのなら、そういう発言をしたあなたたちも悪い奴らということでいいわよね???」


 「あ、おかーさん・・・?べ、べつにいまはわるいことをしていたわけでは・・・。」

 「そ、そうだよ・・・?ぼくたちふたりであそんでいただけだからね・・・?ほんとだよ?」


 背後から迫るただならぬ冷気に、振り返ることもなくその正体を悟った双子は一目散に家の外へと飛び出していったのだった。自分は救われた立場だというのに、その視線で射抜いたものを凍てつかせそうな冷たい目と、その感情の殺された声に、震えることすらままならない自分の身体が内側で震え上がる。


 「あら坊や、どうしてあなたまでそんな怪物を見るような目で私を見るのかしら?助けてもらった恩人に対してその反応はなくってよ?」


 「い、いやあ。シャミノさんのその謎の凄みにまだ慣れないと言いますか・・・。あはは・・・。」


 果たして今日はあと何回愛想笑いをすることになるのだろうか。先が思いやられるぞこれは。


 「仕方ないですよ勇者様。私でも未だに身体がすくみますから。」


 「あらあら、マイヤちゃんにまでそんなこと言われたらいよいよ凹むわよ?」


 と言いながら笑みを浮かべるシャミノさんに、いよいよ恐怖という名の感情が芽生えてきそうになるのだった。


            *     *     *


 「お身体の具合はどうですかタツキさん?少しは動くようになりました?」


 姫様の懸命な治療がひと段落を迎えたところで、お嬢が起きてから未だに何も口にしていなかった僕のために朝食を運んできてくれた。姫様といい、お嬢といい、シャミノさんといい、昨日のあの騒ぎで相当疲れているだろうに、わざわざ僕のためにここまで尽くしてくれるのが申し訳なさすぎる。


 「いつか必ずこの恩には報いるんでどうか許してください・・・。」


 「もう、またそうやって自分を責める!こういう時は素直に感謝してくださいよ!その方がこっちも気分がいいんだから!」


 でもやっぱりこの快活娘だけは、僕のこういった心の弱さを許してくれない。まったく、どこまでお節介焼きなんだよこの人たちは。


 「ふふ、私の場合はむしろ私が勇者様にご恩をお返しているんですけどね。」


 「ご、ご冗談を!僕が姫様にしてあげられたことなんて何もない・・・はずですよね?」


 姫様からのまさかの発言にノータイムで否定しにかかってはみたものの、姫様との記憶がない現状で下手なことは言えなくてまさかの質問形。


 「何を言ってるんですか。さきほども申し上げた通り、私は勇者様に魔王様の魔の手から護っていただいたのですから。」

  

 あれ、僕が攫われたのってそんなにかっこいい理由だったっけ?そもそも魔王さんの狙いは最初から僕だったって言ってた気がしたんだけど。


 「たとえ、魔王様の狙いが最初から勇者様だったとしても、もしあの場に勇者様がいなかったら、私が攫われていました。こんな言い方はしたくありませんが、勇者様がいてくれたから私は怖い目に遭わずに済んだのです。ですからこれは私があなたから受けた恩ですよ?」


 僕が姫様に与えた恩とやらを丁寧に説明してくれたが、僕からすると、ただ部外者が争いに巻き込まれずに済んだだけなんだよなあ。

   

 でもそんなツッコミはもはや無粋でしかない。そう思わせるくらいには、姫様が僕に向けてくれる眼差しは暖かくて慈愛に満ち溢れたものなのだ。理由なんてどうでもいいから、とりあえずこの目の前の女性に感謝されたことが素直に嬉しいと思ってしまった。ああ、この笑顔は反則だろうよ。


 はたしてこの笑顔を過去の自分は何回見たのだろうか。そんなことすら忘れてしまったた自分の脳みそが今はただただ憎い。


 「今日は修業もやりませんから、一日中私が傍で看病します。異論は認めませんからね?」


 「・・・異論はございません。」


 記憶喪失という問題を抱えている以上、その対処法が定まっていない今は姫様からは一度距離を置いたほうがいいはずなのに、僕の口はなぜか勝手にその言葉に肯定の意を示していた。


 「あらあら、あんな顔してあんなこと言われたら私だって落ちるわよ。ねえサラ?」


 「・・・姫様のあんな顔は初めて見ました。あんなの、まるで恋する乙女の顔じゃないですか。」


 僕らのやり取りを離れたところで見ているナユリア家の女性陣が何かニヤニヤとした顔でぶつぶつ言っているのが見える。大方僕の赤くなった耳でも見てからかっているのだろう。まったく、人の気も知らないで。


 「はい、ということでまずは朝食からですね。ほら、お口を開けてください勇者様。」


 「いやいやいやいや何の羞恥プレイなんですかこれええええええ!?!?」


 姫様の後ろの方でキャッキャッ言いながら両目に手をやる二人組の存在にメンタルが死にそうになりながら、僕は普段とは少し遅い時間の朝食を摂る。


 時刻は57界。昨日の僕は果たしてこの時間に何をやっていたのだろうか。親愛の情を向けてくる姫様の顔が、心に温もりと痛みを与える。この痛みの本当の意味を知るのは、まだもう少し後のことだった。


            *     *     *

  

 「おい、お嬢。作戦は一体どこへ行ったんだよ!?」

 

 「いやあ、面目ないですタツキさん。ソージが帰ってこない時点で私の作戦は破綻してしまったんですよね、てへ☆」


 頭をかきながら可愛く舌を出してウインクを決めるお嬢。その絵だけでも相当な破壊力があるのだが、そのしぐさに心をときめかせられるほど、僕の胸中は穏やかではない。


 「だからといって、なんの対策も講じないままいきなり姫様と2人きりにするとか何考えてんだよ!これで変なボロが出たらどうするつもりだったんだ!?」


 「あらあら、こんなすぐにボロが出るくらいだったらこの先記憶喪失を隠し通すなんて到底無理じゃないかしら坊や?」


 そしてささくれ立った僕の心に正論を叩きつけてくるその母親。この2人を敵に回して勝てるビジョンが全く見えない。


 「記憶の件はバレる前にさっさと取り戻すっていうのが共通認識だったじゃないかお嬢!これだとまるで、このまま一生記憶が戻らないと言っているように聞こえるんだが!?」



 僕らが昨日の夜に立てた作戦は大まかに言うとこうだ。


 まず、僕がナユリア家で一晩を明かす。次の日の朝に僕が目を覚ましたところで、その家に戻ってきているはずの宗次と話し合って和解する。そして和解したうえで、改めて玲那と対話の機会を設けて玲那とも和解する。そしてこの一連の流れの中で何らかのきっかけで姫様との記憶が戻ればよし。戻らなくても、その間に何とか魔王さんと王様に解決策を見つけ出してもらう。といった流れだったんだが。


 確かに記憶の件に関しては、若干確実性に欠ける要素があったのは否めないが、それでもいきなり前準備もなしに姫様と会わせるのは違うでしょうよ!?


 そんなナユリアウーメンの身勝手な行動に憤慨していると、シャミノさんが顔色を曇らせこちらの顔を見つめてきた。


 「私たちから言えることは二つあるわ。まず一つ目は、坊やのその身体よ。ソージ君が予想外の行動をとったせいで、ソージ君とこの家で対談することはできなくなった。そして君のその何もできない身体では、ソージ君を探すこともできない。というか、本当に何一つ行動に移せないのよ。だからまずはその身体を治すことから始めないといけないの。そのためには、どうしてもマイヤちゃんの力が必要だった。」


 いや、こんな身体にされた原因はあなたの娘にあるんだよ、とツッコミを入れたかったがそもそもお嬢がいてくれなかったら命すらあったか怪しいわけだし、むしろ僕のことを思っての行動だったわけだから文句は言えない。

 実際こんな身体にはなってしまったものの、気持ちはあの暗闇の中でぼやいていたあの時と比べて格段とマシになっているわけだし。


 「そして二つ目だけど、こればっかりは私たちにもどうしようもなかったのよ。」


 「どうしようもないってどういうことです?」


 「マイヤ様が朝早くからこちらにいらしたんですよ。それもタツキさんを探しにね。」


 シャミノさんへの疑問の返答は、『あはは』と苦笑いするお嬢によってもたらされた。


 「だいぶ焦ってたんですよマイヤ様。タツキさんがあの夜村から走り去った時、本当はすぐにでも後を追っていきたかったそうなんです。だけど村の警護をないがしろにするわけにはいかなくて追うことができなかったと悔やんでました。タツキさんを王都に送り出した後にマイヤ様にお会いできた時にはもう、居ても立っても居られない状態だったんですから。無事にナユリア家で保護しているって言ってようやく落ち着いたんですよ?」


 「それで落ち着いたと思っていたら、騒動の後始末をしてすでに日が昇っていたっていうのに、その足でこの家に直行して君の無事を確認しに来たの。献身的なんて言葉じゃ足りないくらいよ。」


 お嬢とシャミノさんの当時の出来事を語るその様子から、姫様が実際にどれほどその当時動揺していたかが容易に想像できた。そしてそれを聞いて僕は色々と気付かされてしまった。



 今僕らがリビングで大っぴらにこんな話をできているのは、僕が朝食を摂り終えた後に姫様が膝から崩れ落ちてそのまま眠りに落ちてしまったからなのだ。その様子を見て、よほど前夜に行われていた魔獣騒ぎが身に応えたのだろうと勝手に推測していたのだが、それは大きな誤りだったようだ。


 彼女が急にぶっ倒れてしまったのは、他でもないこの僕に原因があったのだ。


 聞けば、姫様は僕が攫われてから魔王さんと一戦交えていたはずで、その後もお嬢と2人でずっと僕の身柄を取り戻すために動いていたらしい。そんな中、魔獣騒動が発生したせいで村の防衛にあたることになり、ようやく僕と再会できて一安心したと思ったら、また危険な場所へ一人で走り去っていってしまったことでまた精神を圧迫してしまった。

 それでも彼女は自分の任務を放り投げず、魔獣騒動を無事に鎮圧したうえで僕の安心を確かめにここまで来て、散々酷使したはずの身体に鞭打って僕の治療をしてくれていた。この間一切の休みをとらずに、だ。


 「なんでそこまでして・・・。いったい僕のどこにそこまでする価値があるって言うんだよ・・・。」


 僕は浅はかだった。あれだけ散々記憶喪失がバレたら姫様が悲しむなんて言っておいて、姫様がどれほど僕のことを気にかけてくれていたのかを全く知らずにいたのだから。わかった気になっていただけで、実際姫様がこのことを知ったらどれだけの衝撃を受けるのかを完全に甘く考えていた。

 何も知らない人だなんて評価をした自分がとことんクソ野郎だなと痛感してしまった。


 「・・・私はあなたたちが一緒にいるところをあまり見ていないからあまり深いことは言えないかもしれないけど、少なくともあなたたちの関係というのはそんなに軽いものではなかったはずよ。坊やにとってもマイヤちゃんにとっても、お互い大切な存在だったんじゃないかしら?」


 「そうですよ!私は何度もお2人の仲睦まじい姿を見てきたからわかります!マイヤ様にとってあなたは特別な存在だったんです。あんなにボロボロになってまで気にかけてらしたんですよ?それなのに、自分が自分のことを卑下してどうするんですか!それはマイヤ様を侮辱するのと同じですからね!?」


 自分の考えが間違っていることを諭すように母が、糾弾するように娘が、それぞれの姿勢で僕の発言に異を唱える。

 僕としては、記憶もないのにあまり自惚れたことは言いたくないという気持ちの現れだったのだが、どうやらその謙遜はかえって二人の心に波風を立ててしまったようだ。


 言い訳がましいようだが、姫様との記憶というのは昨晩の村での邂逅とさっきまでのあのやり取りしかないため、ついあのような発言をしてしまいたくなるのだ。

 

 ・・・わかっている。姫様が僕に向けてくれている好意くらいはわかる。だって、たった2度しか会っていないのにその2度とも、姫様は僕にこれ以上ないくらいの優しさと慈しみを与えてくれたから。

 

 ・・・だからこそ余計にわからない。僕は姫様にあんなに尽くされるほどのことを記憶喪失以前にしたのだろうか。どれほど彼女にかっこいいところを見せたら、あそこまでの慈しみが与えられるのだろうか。


 その答えを一日前の天梨樹は知っていたのだろうか。今の天梨樹には見当もつかない。


 「シャミノさん、お嬢。一つ頼みができました。聞いてくれますか?」


 だから今の天梨樹は動かないといけない。知らないままで済ますわけにはいかない。いつか戻ってくることを信じて、何もせずにただ待っているというわけにはいかない。


 それが、ここまで尽くしてくれた彼女と、


 「・・・あら、たまにはいい顔するじゃない。」

 「はい、遠慮なんかしないでなんでも言っちゃってください!」


 ここまで尽くしてくれる彼女たちへの最低限の礼儀だと思うから。


            *     *     *


 姫様が眠りについてからすでに9時間(135界と言った方がこの世界ではいいのだろうか)ほど経っている。 朝日が射しこんでいたナユリア邸の窓からは、すでに夕日が沈むさまが観測できるほど時間が移ろった。それでも一向にこの眠り姫は目を覚ます気配がない。昨日のあれほどの疲れが、たった9時間の睡眠で採算がとれるなんて思えるはずもないのだが。


 一方の僕は姫様の治療の効果が出てきたようで、誰かの肩を借りれば何とか歩くことができるくらいには回復した。この世界の魔術というのは本当に現実離れしているなあと改めて身体で感じることとなったわけだ。


 そして、僕自身も姫様からそのいわゆる白魔術と呼ばれるものを教わっていたようだ。そういえば、お嬢曰く、僕もその癒す魔術とやらを習得しているはずだと言っていたな。でもこの身体の状態では魔力なんて回復してないだろうから使えないとも言われた。ヒーラー自身が傷ついたらどうしようもないってことか。いい教訓になった。


 なんてことを考える時間があるほど、僕は暇を持て余している。そんな時間なんてあるわけないのだが、完治していない僕のこの身体では外に出て何か行動するということができないのだから仕方ないだろう。

 一日安静にするというのは辛いものだと思っていたが、こうも考えないといけないことだらけの僕にとっては全く退屈することがない。暇していないというだけで、傷ついていないというわけではないんだけどね。

 


 ナユリア家の客室で、僕と寝ている姫様が2人きりの状態でいるのには理由があった。


 それは、姫様と2人きりで話さないといけないことがあったからなのだが、その肝心の姫様があまりにも心地よさそうに寝ていたので、自分から起きるのを待っていようとなったわけだ。待て、これだといかにも正当な理由を並べ立てて、美女の寝顔を堪能しようとしているだけのリアルガチな変態だと思われかねないな。とはいえこれ以上の理由がないから、素直にその疑いをかけられないことを祈るばかりだ。


 だからこうして部屋にあった椅子に何とか座らせてもらって、姫様の目覚めを待っているわけだ。一応、部屋に寝ている女と2人きりという状態は危険だと判断したのか、ナユリアウーメンは椅子とベッドの間に距離を設けていった。今の僕にはこの離された距離を一人で埋める手段はないから、この状態なら2人きりでも姫様の安全は守られると考えたのだろう。僕はそこまでのケダモノではないのだが、これであらぬ疑いをかけられることもないのならいいだろう。


 

 眠る姫様と同じ環境にいることすでに1時間ほど。今の彼女を見て思い出すのは、あの自然に囲まれた村の中で泣きそうな顔をしているあの姿だ。あの時は事態が事態だったからあまり話せなかったなあとしか僕からの感想はないのだが、姫様はどのような想いで僕の目覚めを待っていたのだろうか。立場が逆になった今でも、その気持ちを計り知ることは欠片もできない。


 「ん・・・。あ、あれ・・・?ここは一体・・・?あ、勇者様。これはどういった状況なのでしょうか?」


 思考の渦に捉われていたせいで、目の前の女性が動きだしていたことに気づかなくて思わず驚いてしまう。


 「あ、姫様!起きたんですね。」


 「はい、いつの間にか寝てしまっていたみたいで。・・・あ!現在の時刻はいくつですか???」


 「もうそろそろ日が暮れますよ。なんせ、もう180界を回ってますからね。」


 僕はただ時間を教えただけなのに、姫様は「えっ!?」と大声を上げた。突然寝てしまって、気づいたときにはすでに夕日が沈む時間にまで時が進んでいたのだったらそりゃあ驚きもするか。


 「な、なんてこと・・・。昨日の続きをしようと思っていたのに、もう一日が終わろうとしているなんて・・・。」


 ベッドから飛び起きた姫様は、その残酷な現実を前に顔を曇らせていた。

 昨日の続きって、まだ国のために働こうとしていたのかこの人は。この国にも一応兵士はいるんだし、魔獣騒ぎの後始末くらいは任せればいいのに。


 「申し訳ありません勇者様。このままでは、あの時の返事も先延ばしになってしまいます。何とかして近いうちに時間を設けますからご容赦ください・・・。」


 するとなぜか次は僕の方に向き直って謝罪の言葉を口にした。時間を設けるだのあの時の返事だの、記憶のない僕には一体何のことを言っているのかがさっぱりなのだが。


 「あ、あー。大丈夫ですよ。僕もそんなに急いでいない・・・はずなのでそんなに焦らなくても。」


 いくら記憶がないからといって、『はず』とか言うのはさすがに不自然か・・・?


 「・・・勇者様。一つお尋ねしたいことがあるのですが。」


 「え!?な、なんですか聞きたいことって?」


 姫様は、ベッドの上で姿勢を正し、さっきまでの焦りの色を一瞬でかき消し、低い声で僕に言葉を投げる。


 まさか、僕の様子がおかしいことに気づいたのか・・・?昨日の朝までの僕を演じ切れていなかったというのか・・・!?


 「・・・タツキ様。昨日あのようなことがあってもなお、あなたの心に変化はないですか?」


 心配そうに口にするのは、僕の不自然さを指摘するような鋭いものではなく、ただただ心に抱いていた一抹の不安のようなものだった。無論、その問いかけは真剣なものであったため、僕の緊張感が消えることはなかったが、自分の想定していた最悪の内容ではなかったことに少しほっとしてしまった。


 だが、この問いかけにほっとできる要素なんて実は全くないことにすぐに気づいてしまった。だって、昨日までの自分の心が何のことを言っているのかわからないからだ。

 かといって、この質問に適当に答えられる度胸も当たり障りなくやり過ごす知恵も持ち合わせていない。ここは素直に聞きなおすのが最善の一手だと思うしかない。


 「それはいったいどういう意味ですか姫様?」


 「こんなことを聞くのはどうなのかと自分でも思います。・・・ですが、昨日レナさんと話すことを拒んで走って行ったタツキ様を見ると、私はレナさんへの想いがまだ強く残っているのではと思ってしまったのです。」

 

 姫様は僕の玲那への気持ちを聞きたがっているのか?そこに姫様のどんな思惑が秘められているんだ?この問いに対するベストアンサーはなんだ???


 「玲那とは中学3年・・・15の頃から会っていませんでしたからつい、ギクシャクしてしまいました。僕がこの世界に来た理由となった人と、突然ここで出会うとは思ってなくてかなり動揺しました。」


 ・・・ん?よく考えたらこの質問ってなんか違和感があるぞ。


 「動揺しただけですか・・・?」 


 だって、『想いがまだ強く残っている』っていう聞き方だとまるで・・・。

  

 「レナさんのことが気になっているのなら、私に遠慮しないで言っていただいて構いません。・・・昨日のこともなかったことにしていただいて構いません。あなたが昔から好きだったのは私ではなく、レナさんだったのでしょう?」


 無理をして笑顔でいようとする姫様の顔と今の発言から、おのずと察しがついてしまった。



 姫様が眠っている間にあの2人から、彼女らが知りうる限りの情報を聞き出していなかったら、おそらく他人の感情への理解力に乏しい僕にはこの質問の意味なんてわからなかっただろう。


 お嬢から、僕が姫様の護衛になるまでの過程を教えてもらっていなかったら。

 王様が姫様と結婚するように言っていた話を聞いていなかったら。

 宗次と会ってから、姫様との結婚について大喧嘩したという話を聞いていなかったら。

 紆余曲折あって、姫様との結婚はしないとこの家で宣言したことを聞いていなかったら。



 そう宣言した後に僕がシャミノさんに、玲那ではなく姫様を好きになっているということを暴露したという話を聞いていなかったら、きっと今の問いかけの真意に気づくことはできなかった。  


 

 「いいえ、姫様。僕が今好きなのは目の前にいるあなたなんです。昨日あれだけのことがありましたけど、その気持ちだけは変わっていません。」

 

 だから、僕はこの場で言うべき言葉を間違えない。姫様が求めているだろう言葉を発することをためらわない。


 「・・・私はずっとこの気持ちがわからないでいました。ですが昨日、面と向かってあなたから好きだと言われてようやくわかりました。」


 姫様と会話を交わすうちに、なんとなくそんなことがあったのだろうと予想はできていた。というよりは、さっきの発言で察しをつけていたというべきか。

 それでも、改めて姫様がその推論を裏付ける発言をしたことで、僕の心にわずかな衝撃が走った。


 幼稚園からずっと思い焦がれていた少女には10年以上告白なんてできなかったのに、よく出会ってまだそう長くない彼女に告白できたなと。

 まるで今まで、今の自分ではない別の人格の自分が姫様の前にはいたのではないかという思いがよぎるほどだ。


 「お父様が突然結婚しろと言った時に、自分のことではなく私のことを心配して悩んでくれたこと。親友思いであること。一人の女性を強く思い続けられる純粋な心を持っていること。私を楽しませようと色んな話をしてくれること。私のことを思って怒ってくれたこと。・・・この世界のことなんて何もわからないのに、出会って間もなかった私のことを気にかけて、勇者になって護ってくれると誓ってくれたこと。」


 姫様が頬を赤らめながら感慨深げに懐かしそうに語るのは、僕の頭の中にあるはずでない思い出の数々。


 「タツキ様にとっては些細なこと、当たり前のことだったのかもしれないですが、私にとってはそのどれもがとても眩しくて尊かった。心が動かされました。おかげであなたと顔を合わせるのが、日に日にとても楽しみになっていました。」


 向けられているのは今ここにいる自分ではなく、昨日まで姫様の隣にいたはずの自分へのメッセージだ。恥ずかしそうに一言一言、万感の思いを込めて言葉にする姫様は僕の目を見て話すことができないようで視線が下にそれている。


 それが今の僕にとっては幸運であった。・・・だって、今の僕の顔を姫様が見たらきっと勘違いをすると共に、ひどく困惑するだろうから。



 この苦しみと悲しみに塗りつぶされた僕の悲痛な顔を。



 「私は今までこんな感情を誰にも抱くことはなかった。ナユリア家のみんなに会う時も楽しみにはしていましたが、この何とも言い表しがたいこの心が躍る感覚というものはタツキ様を見かけたときにしか味わえませんでした。

 今思うと、お父様の部屋でタツキ様の衝撃の告白を聞いたときに動揺してしまった時点で、この気持ちがどういったものなのか気づいていたのかもしれませんね、ふふ。」

 

 その衝撃の告白が何だったのかすらも、今の僕には何もわからない。だから姫様に訪れた感情の変化の動向を予想することなんてできはしない。


 だから、照れくさそうに笑う姫様に笑い返すことなんて今の僕にはできない。その資格がない。


 「ですから、昨日デートした後でちゃんと私も今の気持ちを正直に言おうと思っていたのですが、それは色々あって叶いませんでした。でも・・・。今のタツキ様の言葉で、ここで私もあなたに気持ちを伝える勇気が湧きました。本当は、今日タツキ様とデートの埋め合わせをするつもりでいたのですが、バカな私がこんな時間になるまで寝てしまったので、こんな趣のない状況になってしまいました。どうかお許しください。」


 ここにきてデートの予定があったことを暴露されたが、そんなことはもはやどうでもよかった。あんなことを口走っておきながら、とにかく今はこの場から逃げ出したくてしょうがなかった。

 この姫様の言葉を聞いて、今の僕にはこの先の言葉を聞く資格なんてないと思ってしまった。あなたが想いを告げるべき相手は目の前にいるこの男ではない。何度も何度もそんな台詞が頭の中で浮かんでは消えるが、それを伝える勇気すらこの臆病な人間には存在しない。この幸せの絶頂にいる彼女が満足するまで、僕はこの場で受け止めるしかない。


 あんな空っぽな告白をしてしまった自分を、今はただただ恨むしかない。何の覚悟も持たずにあんなことを言った数分前の自分に文句を言うしかない。

 

 姫様の顔を見つめる。苦しみが走る。恥じらいが走る。切なさが走る。悲しみが走る。苦しみが、悲しみが、交互に押し寄せる。

 全てを忘れてしまった自分への憎しみが、視界をだんだん滲ませていく。


 「私は・・・。私は・・・。あなたに恋をしてしまいました。私もあなたのことが・・・す、好きです。好きなんです!」


 ベッドの上で姿勢を正し、とうとう顔を真っ赤にして、嬉し涙を流しながら思いの丈をぶつけてきた目の前の女性は、自分にできる精一杯の笑顔を見せて、ついに僕の顔をまっすぐに見据える。


 「私の・・・。私の恋人になってくださいますか?」


 その稀代の美女からの涙ながらの愛の告白は、滲んでいた視界をさらにおぼろげなものへと変えていく。


 罪に溺れた世界の中で、僕はそこに一言「はい」と、罪を重ねるのだった。


            *     *     *


 「お、目覚めましたかマイヤ様・・・って、なんで2人揃って目が赤いんですか!?」


 「な、何でもないのよ?ちょっと怖い夢を見て涙を流してだけなんだから。ね、勇者様?」


 「いやその言い訳はさすがに苦しすぎませんか姫様!?」


 共通の夢を見ている設定の時点で無理がありすぎるわ。

 

 他人の家の一室で愛の告白を終え、僕たちは目を腫らした状態で一階のリビングへと並んで向かった。未だに満足に一人で歩けない僕に肩を貸してくれる姫様は、まるでこの世の全ての幸福を手に入れたような顔をしていた。

 そんな僕らを待ち受けていたのはナユリアウーメンの一人、サラお嬢だ。交際をスタートしてわずか数分という新しい僕らの関係を、従者であるお嬢には明かすのだろうかと、内心その行動に注目していたのだが、まさかのバレバレの嘘をつくという行動に打って出た。さすがにこの展開は予想外すぎて笑うしかない。


 「まさか、変なことはされていませんよね!?寝ている姫様に這いよって狼藉を働かれたりしていませんよね!?」


 「するかよそんなこと!そんな恐れ多いことしたら即刻処刑だろうよ!?」


 「・・・これからはそういうこともあるのかもしれませんけど。」


 「いや聞こえましたからね。ボリュームを落としても、この距離ではしっかりと僕には聞こえましたからね!?」

 

 顔を赤くしながらなんてことを言いだすんだこの人は。っておいおい、言った本人が耳まで真っ赤にしてるし!って頭から湯気まで出てるじゃん!


 「あらあら、その様子だと見事に結ばれたようねあなたたち。まずはおめでとう、かしら?」


 遅れてキッチンから登場したのは、全てを悟ったように薄っすらとした笑みを浮かべたナユリアウーメンの残りの一人、シャミノさんだ。


 「しゃ、シャミノ様!どうしてそれを!?」


 「そんなの、見れば一発でわかるわよ。そんな幸せそうに顔を紅潮させる乙女の顔を見せられたらねえ?」


 「はい、一目瞭然です!それにあんな見え透いた嘘をつかれたら、ますます疑いの余地はなくなりますよー。」


 「え、そんなにわかりやすかった!?」


 ナユリアウーメンにからかわれて困りながらも笑う姫様を、僕は横からただ眺めていた。



 本当にこれでよかったのだろうか。言わば偽物のようなものである僕が、代わりにあの告白に返事をしてよかったのだろうか。あの笑顔をこれから先、どのような気持ちで受け止めればよいのだろうか。

 本気で姫様のことが好きだと胸を張って言えない今の僕に、どうしてあの告白を承諾することができたのだろうか。

 まるで嘘をついているような気分だ。いや、これは嘘なのだろう。目の前の女性を悲しませまいと思ってついてしまった嘘なのだろう。


 あと何度、僕は姫様に嘘をつくことになるのだろうか。記憶が戻るまで?もしこのまま一生記憶が戻らなかったら僕は一生この罪悪感と共に生きていくのか?姫様を好きになった本当の理由もわからなければ、姫様が僕を好きになった理由を本当の意味で理解することも一生できないのか?

 


 こんな、こんなに空しい幸せならば、僕は。僕は・・・。


 「坊や?」


 そんな負の螺旋階段を延々と下る僕を呼び止める声がかけられる。慌てて現実世界に目を向ければ、そこには、愛しみ、疑問、憂慮をそれぞれ浮かべてこちらを見る3人の美女がいた。


 「・・・マイヤちゃん、その幸せ全開オーラを使って庭で遊んでいるあの子たちの世話をしてあげてくれる?ずっと寝てたんだし、少しは身体を動かさないとこの後の夕飯が喉を通らないわよ?」


 「わかりました!では、アイナとレイトの様子を見てきますね!勇者様はもう少し休養していてくださいね?」

 

 そう言うと姫様は、僕をしっかりソファまでエスコートしてから、窓から見える夕日にも負けないくらいの輝いた笑顔を振りまいて玄関の方へと向かっていった。


 姫様が開けたドアが閉まるのを確認したシャミノさんは、僕の隣に空いているスペースにそっと腰かけた。


 そして、そのまま左側に座る僕の頭をそっと優しく撫で始めるのだった。


 「シャミノ・・・さん?」


 「何も言わなくてもいいわ。気持ちがわかるとは言わないけれど、あなたが今苦しんでいることくらい私にもわかるもの。」


 身体だけではなく心にまで寄り添ってくれるその優しさが、僕の心にすぅーっと沁み込んでいくのを感じる。ああ、ダメだ。この感覚は・・・。この胸の奥から熱いものが込み上げてくるこの感じは・・・。


 「・・・僕は姫様を傷つけたくないという理由で、もっと姫様を傷つけるようなことをしてしまったのかもしれません。」


 「でも結果的に今のあの子は救われているわ。それで今は充分じゃないの。」


 「でも今の僕は、姫様が好きになってくれたあの僕ではないんです。僕だって・・・。姫様に告白したときの僕とは別人なんです。」


 離れたところで「えっ!?」という叫び声が上がったのが聞こえた。それでも隣でただ優しく頭を撫でてくれる女性は動揺の色一つ見せずに、穏やかに言葉を紡ぐ。


 「それでも、マイヤちゃんがあなたを好きになった理由はそういう心遣いができるところだったんじゃないかしら?大丈夫よ、あなたの本質は何も変わっていないわ。だからあの子もあれだけ幸せそうな顔ができるのよ。」


 「だけどっ!!!今の僕に・・・。すべて忘れてしまった僕に姫様を幸せにする資格なんてあるのでしょうか!?嘘がバレないようになんていう不純な理由で、話の辻褄を合わせないといけないからなんていうクソみたいな理由で、簡単に「好き」という言葉を使ってしまった自分に!」


 ああ、ダメだ。やっぱり込み上げてくる嗚咽だけはどうやっても堪えきれない。


 「心の底から好きだと思えていたはずなのに!今はただ・・・。目の前の女性を悲しませたくなかっただけなんていう理由で・・・。あの人の一世一代の告白を受けてしまったんだ・・・。僕は・・・。僕は、最低だ・・・。」


 ずっと心の奥で抑えていた罪悪感と共に、抑えていた涙が十数分ぶりに再び爆発した。姫様のあの幸せそうな笑顔を見るたびに負っていた数多の傷跡が、ようやくその機を得たかのように血を流している。

 

 そしてその傷跡は頭に触れている優しいの手のひらの感触によってゆっくりと癒されている。隣に座るシャミノさんはただ無言でゆっくりと、泣きわめく20代中頃の男の情けない姿に嘆息するでもなく、ただ優しくゆっくりと頭を撫でるのだった。


 その様子を見るもうひとりの緑髪の女性もまた、僕の前で膝をつき、その端麗な顔を悲痛の色に染めていた。


            *     *     *


 ソファーが家の窓から見える位置になくて心底よかったと思う。こんな泣きじゃくった姿を姫様に見られていたらとんでもないからな。


 「・・・気は済んだかしら坊や?」


 「・・・はい。なんか少しだけすっきりした気がします。」


 このとことん泣くだけ泣いたら少しスッキリする感覚というものを、なぜかつい最近味わったような気がするのはなぜだろうか。決して僕は昔から人前でピーピー泣くような性格ではなかったはずなのだが。


 そんな奇妙な感覚に陥りながらも、ようやく僕の頭にまともな思考回路が戻ってきたようだ。その様子を見届けたシャミノさんは、僕の頭を撫でる動作を停止した。手が離れた後にも未だに残るこの撫でられていた感触が、急激に僕の頭を恥ずかしさという感情で埋め尽くそうとしてくる。


 「な、なんかすいません!!!」


 「あらあら、何を謝ることがあるのかしら。何か辛いことを抱えている人にはいつもこうして頭を撫でてあげるのよ?そうしたらいつもその人は、重荷を下ろしたように楽そうな顔をするの。」


 「本当、母さんのこれには敵わないよ。私も全戦全敗だから別に恥じることないですよタツキさん。」


 性別と年齢が違うから何とも言えないんだよなあ。


 とはいえ、本人の言う通り本当にどこか肩の力が抜けたような楽な気持ちになっている自分がいる。何一つ解決していないというのに。


 「じゃあ、落ち着いたところでお説教の時間といこうかしらね、坊や?」


 「・・・お説教?な、なんで!?」


 「私からも言いたいことはありますからねタツキさん!母さんの後で追加攻撃させてもらいますから!さ、母さん。始めていいわよ!」


 え、ちょちょ待って!?なんで説教!?え、シャミノさん、さっきまでの聖母のようなオーラは一体いずこへ・・・?


 「まず、どれだけ坊やは自己嫌悪すれば自分のことを許せるようになるのかしらね。昨日あれだけサラにその癖を治すようにって言われ、何にもできないような体になるまでたっぷりと教え込まれたというのに、また次の日には『僕は最低だ』ですってよ。今度は一週間くらい寝込ませないといけないかしらね!」


 「いやだって今回は・・・。」


 「確かに事情は複雑だし、あなたの言いたいことはわかる。私は記憶喪失になったことはないからあなたの苦しみはさっきも言った通りわからない。」


 「いやだったら・・・。」


 「でも!!!いくらあなたにその記憶がなくても、マイヤちゃんにあんな笑顔をさせられるまでに絆を深めたのは他でもない坊やよ。たとえ記憶がなくてもその事実は変わらないわ。だからあれだけの親愛を向けられる権利をあなたは持っているのよ。」


 「いやだからそれが・・・。」


 「記憶がなくてもあなたはあなたでしょう?まるっきり違う人間が出てきて過去のあなたの実績を根こそぎ奪い取っていったのなら、その人に文句の一つでも言わせてもらうけど、今そこにいるのは本質は変わらないタツキ君でしょう?」


 「あ・・・。」


 「あの僕だの、今の僕だの、私たちにとってはどっちも同じよ。坊やは坊や。どっちのあなたもくそもこうもないの。どっちかにしかない権利なんてない。マイヤちゃんを幸せにする権利なんて、今はこの世にあなた一人しか持ち合わせてないの。わかる?」


 「わか・・・。」


 「らないとは言わせないわ。そもそも何よ。これから一緒にやっていくのが心配なの?あれだけマイヤちゃんが寝ている間に今までの話してあげたんだから、ある程度は記憶の話も何とかなるでしょ!?おまけに突然、すでに昨日のうちにマイヤちゃんに告白していたなんていう、私たちも知らないびっくり発言までしちゃって!それで何が記憶喪失よ!」


 「いや、あのー・・・。僕にも」


 「一番腹立たしいのが、そのやたらと記憶にこだわり続けるところよ。何よ、そんなに記憶が大事!?過去を思い出せないのなら、これから過去を思い出す必要がないくらい楽しい未来を創ろうとか言えないわけ!?いや、そんな台詞を言おうものなら痛すぎて止めるけどね!?それでもそれくらいの気概が欲しいと言ってるの!」


 「もしもーs」


 「おまけに戻らないなんて一体誰が言ったのよ!そんなの私が!ガルディンが!知恵の塔にでも登ってあなたの記憶を取り戻す方法の一つくらい調べてきてあげるわよ!そんな弱気になっている暇があったら、あなたはどうやったらあのマイヤちゃんのとびきり可愛いあの笑顔をいつまでも見られるのかでも考えることね!わかった!?ほら、返事は!!!」


 「え、ここで僕のターンですか!?」


 マシンガンのように降り注がれた言葉の弾丸に何もできずにいると、急に会話のバトンを渡されてしまった。その何とも横暴なやり口に、思わずその言葉の数々を噛みしめる前に現状への文句が口に出てしまった。


 なお、早口で散々まくしたててきたシャミノさんも休憩といった感じで深呼吸をして気持ちを落ち着かせている。

 それを見守っていた娘の方は「うわー・・・。」と同情の眼差しで一言。それから僕の方に歩み寄って口を開き始めた。


 「ですが、母さんの言うことに百の理がありますよタツキさん。自分のした行いに一切目を向けないのも問題ですが、向けすぎるのもよくないです。

 タツキさんがそこまでマイヤ様を傷つけたくないって考えるのは、今のあなたにもマイヤ様を想う心があるからだと考えるべきですよ。そのマイヤ様のことを想う中身は変わっていないんですから、マイヤ様から愛される資格は十分にあると私は思いますよ?」


 「愛される資格・・・。」


 姫様が僕を好きでいてくれる理由、それは僕にはわからない。だけど、少なくともその姫様が好きだった僕と今の僕に違和感を抱いていないのなら、もしかしたら僕は僕でいられているのかもしれない。だとしたら、そうだとしたら。今の僕にできるのは・・・。


 「・・・こんな状態の僕でも必要としてくれているのなら、それに応えないといけない・・・か。」


 「そうですよ。マイヤ様のあんな顔を引き出したのは、他でもない今のタツキさんなんですから!姫様のために記憶喪失を隠し通したおかげで得られたのが、あの幸せそうな笑顔なんですから。これからは一番近くで支えてあげてくださいよ。」


 思わずふっと零れた笑みに、お嬢はいたずらっぽい笑顔で返してくれた。冷静になって考えるととんでもなく恥ずかしいことに気が付いて、頬のあたりがものすごい熱を持ちはじめた。


 そんな真っ赤な顔をしているであろう状態で改めてシャミノさんの方へと向き直ると、さっきまでの鬼の形相とまではいかなかったが、それでもまだ頭に若干の血が上っているのを感じる表情でこちらに視線を合わせてきた。

 

 「記憶が無くなっていようがこれだけは約束してもらうわよ?


 ―――マイヤちゃんを幸せにしなさい。いいこと?」


 さっきまでの感情任せの口撃ではなく、そこには今までこの人から感じたことのないような真剣なオーラを感じる。さっきまでのあの泣き言や弱音をこれ以上吐くことは許さない、そんな強い意志を感じる。


 今、僕は覚悟を問われているのだ。もう再び迷わない覚悟を。生半可な気持ちでこの先を歩まない覚悟を。


 この国の姫を幸せにするという重大なミッションへの、確固たる強い覚悟を。


 聞くところによると、姫様とこの2人は一つの家族のような関係らしい。姫様とお嬢は生まれたての頃からの付き合いらしいし、その世話を見てきたのはシャミノさんということらしい。

 だから言ってしまえば、彼女たちがこれだけ僕の背中を押してくれるということは、それだけ僕を信頼してくれている証とも言える。


 そんな2人の覚悟を受けて、今更僕がここで弱音を吐くわけにはいかない。歩いてきた道を眺めてピーピーと嘆くことなんてもはや許されないのだ。



 だから、今ここでこの2人に誓おう。


 「はい、必ず姫様を幸せにします。」


 「マイヤ様の泣いてる声が聞こえたら飛んでいきますからね?」

 「破ったら、水責めの刑ね。」


 「いや、カッコつけたんだから少しは信頼してよ2人とも!?」


 家族同然の姫様を僕なんかに預けることを許してくれたこの2人の気持ちを踏みにじらないためにも、僕は前に進まないと。


            *     *     *


 「ちゃんと歩けますか勇者様?」


 「まだ少し足が震えるけど、何とか行けそうです姫様。」


 夕飯までしっかりとお世話になってから、僕と姫様はナユリア家を後にした。あのイベント盛りだくさんだった昨日と比べると、日が落ちるのをとてつもなく早く感じてしまうから不思議だ。


 「無理しないでいいんですからね?危なくなったらいつでも私の肩を使ってください。」


 「いや、頑張って自分の力で歩きますよ。・・・カッコ悪いところは見せたくないんでね。」


 「私は別にカッコ悪くても構いませんよ?むしろこの前みたいに感情を爆発させて私の前で泣いてくれた時の方が、気を許してもらっているみたいで気は楽です。」


 「・・・!?な、泣いた・・・だと!?」


 な、何をしていたんだ過去の天梨樹よ・・・!?とてつもない恥を意中の相手にさらしてんじゃねえかどういうことだよおい!!!このちょっとしたプライドを守る行為がかえって小物感出してるように思えてくるじゃねえかおい!!!


 「あ、すいません!もしかして記憶から消し去ってましたか・・・?」


 いや本当に記憶にはなかったけどさ!?確かにこの記憶ばっかりは無くてよかったわ!


 「でも、そういうところも含めて勇者様なんです。どうか、気張らずにこれからも自然体でいてください。」


 ニコッと笑う姫様は、足取りがおぼつかない僕の方へと寄り添い、僕の右腕を自分の右肩へと回した。


 「どんな勇者様であろうと、私はここにいますからね?」


 顔をほんのりと赤らめながら上目遣いで僕を見る姫様は、この世のものとは思えないほど可愛い。


 「・・・姫様。」


 「はい、なんでしょうか?」


 「その顔、僕の心臓に悪すぎるんでやめてください。」


 「えーなんか傷つきますその言い方!」


 男が女に寄りかかるという、立場逆転な状態で歩く夜の王都。

 肌を刺すような冷たい風が吹いているにも関わらず、僕の身体は熱くて熱くて仕方がなかった。


 

 失われた記憶がどれほど大きな意味を持っているのか。それはやっぱり今の僕にはまだわからない。それでも、今隣にはこれだけの親愛の情を向けてくれる姫様がいる。あの2人が言った通り、今はそれだけで十分な気がした。


 「姫様。」


 「ふふ、今度は何ですか?」


 「また今度、デートに行きましょうか。次の休日の時にでも。」


 でもいつか必ず、またこの人に告白をしようとは思っている。もちろん、今度はちゃんと自分の本心からの言葉で伝えられるようになった時に。

 あの空っぽだった告白の中身の中身が満たされた時に、必ず。


 「・・・はい!今からその日を心待ちにしますね!」


 いつになるかはわからないけど、隣を歩くこの子を見ていると、それは近い将来の話になりそうだなと僕は思うんだ。

   


これにて第2章完結でございます。

何とか1年と1か月という長い月日をかけてここまで来ましたが、予定よりも大幅に長引いたなと正直自分で自分に呆れています。

というか本当は1章と2章を合併させても全然問題はなかったんですけどね。

とにかくこれでようやく前座は終了です。自分がたどり着きたいところはもうしばらくかかるかなーといったところですが、必ず完結はさせるつもりでいるので、お時間ある方は今後ともぜひお付き合いのほどをよろしくお願いいたします。

だんだん、ストーリーもシリアスにはなっていくと思うので少しは面白くなる・・・かも?



ちなみに3章に行く前に、その後のようなものを一つと、キャラ紹介ページ改を一個予定しています。

プライベートが忙しいせいで、更新頻度がだいぶ遅れていますが、何とか年内には・・・。

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