太郎君、淨龍お兄様
「燦龍と基龍か」
御館様はそう言いながら、それを少しも疑っていない様子で上座に腰を下ろした。
大層な『御館様』などという呼称のわりに、俺達のじいさん、あのオヤジにそっくりだ。顔の造形のことではない。その目がそっくりなのだ。目力最強、そのくせどこかワクワクしている子供の目みたいで、それがあっという間に、人の心ん中を見透かしているような目に変わる。
(チッ、忌々しい)
などと心に思っても口には出さない。でも、腹芸もできない俺のことだ、表情には出まくっているだろうことは自覚している。
「初めまして、燦龍です」
「基龍です」
二人して軽く頭を下げる。
「初めましてか……まぁ、まだ赤ん坊だったからな」
えっ? 何、俺は赤ん坊の頃にここに来たことあるの? 早速、今晩のお袋への質問&苦情メモに留めおく。
それより、俺は聞きたいことが山ほどある! お袋に聞いても暖簾に手押し、豆腐に釘等の反応だった諸々。
「あの、俺達が呼ばれたのは、どうしてでしょうか?」
最初に質問としては、無難だろう。そう思って『赤ん坊だった』云々(うんぬん)はスルーする。
「そういえば、淳と颯はどこだ?」
が、流石にオヤジのオヤジである。スルーにはスルーで返された。俺の第一印象は完璧だったことが立証された。本当に忌々(いまいま)しい!
「檜山さんが連れて行きました」
「何? うぬぅ〜」
淳と颯にデレデレなのも、クソオヤジにそっくりだ。スルーするなら、連呼してやる!
「ところで、俺達が呼ばれたのは、どうしてでしょうか?」
クソオヤジのオヤジは、腕を組んで眼を閉じた。早く、次の台詞を言え! スルーするなら、同じに質問を畳み掛けてやる。それもそっちの台詞に重ねてやる。
俺の心境は、初めて会った……初めてじゃなかったっけ。まともに言葉を交わすのが初めてなのに、印象が最悪なのは、クソオヤジのせいだからな! と心の中で言い訳をしていた。
「お前達は、ここが何処で、どう言った場所なのか聞いているか?」
「オヤジ……父の実家としか聞いていません」
素直に話しをしようと言うセリフに、少し拍子抜けする。
「お前達は、南の入口から入ったか?」
「はい、淳と颯は別の場所から入ったようですが」
「入口の椿には気がついたか?」
はて、椿?
「ああ、あの変なものがいた木ですか?」
「そうか、見えたか。して、どう見えた」
「どうって……赤い着物で黄色の帯をした日本人形みたいな、性根の悪そうなモンです」
俺がそう答えると、何やらニコニコしだした。そして、基へと視線を変える。
「僕には、赤いぼやけた丸いものにしか見えませんでした」
「そうかそうか」
じいちゃん、大満足! みたいな表情が、かなり嫌な予感をさせる。
「あれは、栃姫と呼ばれている。どのくらい昔から居て、いつからそう呼ばれているのか儂にもわからん」
「はぁ……」
だから? と続きそうな俺の気の抜けた台詞に、じいちゃんは、これまたとーとつに話題を変える。
「お前の上には、4人の兄弟がいるのは聞いたか?」
「はい、俺は五男になると聞きました」
「儂とバカ息子……ごほん、現在は、お前達の父親がこの家の当主となっている」
いや、咳払いで誤摩化さなくても、俺の中でもクソオヤジだから。
「お前達の父親の次の当主は、次男の灼龍となっておる」
そうか、次期当主なんてもんもいるんだ。そりゃそうだ、高校生の俺の上に四人も子供がいたら、長男あたりは当然、成人になっているはずだ。ちょろっと頭をよぎった悪い予感『その1、俺が次期当主』なんてわけではなかった。よかった!
「が……」
「が?」
おいおい、そこで急に否定を入れてくるなよ。
「その灼龍が姿を消した」
「姿を消したって……」
「知人の手助けで、とある神社に行ったことまでは解っているが、そこにたどり着いたか、それともその途中だったのか、灼龍との連絡が途絶えた」
なんと、お家の一大事とは、次期当主の失踪だったのだ。思った程、奇怪でも一大事でもなかったことにほっとする。何やってんだよ、俺よりいくつかは知らないけど、良い年して反抗期ですか? 失踪って、家族が心配するでしょうが!
「失踪って、何か事件にでも巻き込まれたとか?」
基がそう言い出す。あっ、そうか、そんな可能性もあるのか、と、俺は教えられる。
「間違いなくそうじゃろう」
えっ、そうなん? 警察沙汰?
おいおい、灼龍って人は、どんだけ腕白小僧なんだよ。
「で、警察には?」
俺は、一般人なら言うであろうことを言ってみた。が、部屋に変な空気が漂う。
俺はそれに気がついたが、何故にそんな変な空気になったのか、とんと解らず戸惑い、基が見ると、『何を言っているの兄さん』って顔だ。
いやいや、何って、俺は普通のこと言ったんだよ? という顔をしてみる。すると、深い溜め息をつかれてしまった。
「ぷっ」
俺達の後ろで誰かが吹いた。後ろを振り返ると、開いたままの襖の外に人間を確認した。
最初に目に入ったのは、着物だった。そして、可笑しそうな表情をした、もの凄い美人さんだと気づく。
その美人さんは、美しく流れる所作で、部屋の中へ入ってくると、食卓を下座から廻り込み、俺の正面に座った。
今、謎の言葉『嫋やか』というものが、どんなものか解った。俺の人生で初めて見た大和撫子になった……はずだった。
「初めまして、私は当家長男の淨龍と申します」
正座をした足に手を置いて、軽く頭を下げる。
勿体ない! 男にしとくには、本当に勿体ない程の美人だ。どれほど勿体ないかと言うと、「鯨の髭が欲しくて、鯨を殺したけど、髭以外が捨てちゃう」くらいに勿体ない!
俺、ちょっと泣きそうだ。
「僕は基龍と申します。こちらは兄の燦龍です」
頭の中がグルグル回っているであろう俺を察し、基はついでに俺まで紹介してくれる。
基よ、兄さんはお前が弟で本当によかった。
「お爺さま、二人には私から説明いたします。もう、出立のお時間ですよ」
「おぉ、そうか。では、詳しくは淨龍から聞いてくれ。儂はこれから、例の禰宜に会うて来る」
「はい、よろしくお願いします」
えっ、問題を丸投げでじいさん退場ですか? やっぱクソオヤジと同じ匂いがするぞ。
「さて、この後の説明は私がするので、もっとリラックスして聞いて」
じいさんが退場すると、少し砕けた口調で俺達に向かう長男・淨龍お兄様。ついでに、足を崩せともおっしゃってくださった。道場で正座は鍛えられているから、別に嫌じゃないけどさ。まぁ、俺は遠慮なく胡座に変更させていただく。
「あっちゃんの話だったよね」
「あっちゃん?」
「あぁ、そうだったね。灼龍のことは、あっちゃんって呼んでいるんだよ。だから、燦龍のことはよっちゃんかな?」
『よっちゃん』とは……ガキの頃の渾名だ。懐かしいが、美人さんの口から聞かされるのには、何やら複雑な心境だ。
「基龍は、基くんって呼ぶね。あぁ、『くん』と『ちゃん』の使い分けにはちゃんと意味があるからね、差別じゃないよ、区別だからね」
「はぁ……」
「ごめんね、これからもの凄い情報量の処理をしてもらうことになるけど、しばらく私の話を聞いてね」
「はぁ……」
俺は、淨龍兄様の忠告を甘く見ていた。にっこりと麗しげな微笑みとは裏腹に、まさに機関銃のごとく、理解しがたいこの家についての情報という弾丸をねじ込んできたのだった。対応できたのは、基だけでした。
「まず、最初に。曾禰という家は、神主の家です。はじまりは五三十年です。詳しい歴史は、今は省きますが、ずっと神主の家として昔から続いてます」
「神主というと、神社ですか?」
「世間で言うところの神社とはかなり違います。普通の神社は宗教法人ですが、うちは違うし、神社本庁にも属しません。個人的と言うか、一族が信仰しているというだけです」
「だから、この敷地は結界があるんですね」
基の言葉に、微笑む。
「この敷地の北側に、お社がありますよ」
「後で拝見してもいいですか?」
「ええ、もちろん」
基よ、何故、そう前のめりに興味を示しているのか、俺にはまったく理解できないぞ。
それからしばらく、淨龍兄様は、その血縁者信仰とか、歴史とかいろいろ説明をしてくれた。俺の頭は、白い湯気が出ているのではないか? いや、まさにもう少しでぷしゅーと音をたてて、ギブアップ間近ではないのか? と思っていたら、やっと、次男の『あっちゃん』なる人物の話に入った。
「曾禰の本家当主は、一族の代表として、禰宜もかねています。ですから、氏子は曾禰の血を受けついだ子孫全般です。神事などには、多くの分家がここに集まってきますよ。当主は私たちの父親ですが、あの人はあんなんですからね、実質はあっちゃんが仕切っているんです」
困った顔して、父親を非難している。淨龍兄様の中では、やっぱりクソオヤジ扱いなのだと共感する。
「あの子は、小学校前から神事を一手に引き受けています。神事はそれほど多くはありませんが、毎朝の拝礼とお供えと掃除を欠かしたことは、学校の行事がある時だけです。本当に可哀想な位、責任感が強くて真面目な子なのです」
そうか、だから自分から失踪はありえない訳ね。
「よっちゃんたちは、玄関の椿のことを聞かれた?」
「あぁ、栃姫とか、じいさ……おじい様が言ってました」
「よっちゃんはあれが、どんな姿なのか見えるんだよね?」
「えぇ、まぁ……」
「ほら、本家の人間はみんな『見える人達』だけどね、あれが見えるのは、ごく一部なんだよ」
「僕には赤い丸い、もやっとしたものでした」
「私もそんな感じにしか見えないんだよね」
おぉ、今さらりと凄いことを言ったぞ。聞き流しそうになったが、『みんな見える人達』って言ったか? 何、この屋敷にいるのは、霊能力者の集団なの? 見える人が複数集まると、霊が寄って来やすいのに、なんと暢気な。と、思ったが、ここは結界が張ってあることを思い出した。いやいや、結界って、強いものは、入って来るんだよな。
俺、一つの怖い霊よりも、百の普通の霊の方を選ぶ。
何度か、恐ろしく強い嫌なものを見たことがある。見た瞬間に、『やばい!』と思ったし、人生最大級の危機と思った。他の人は知らないけど、人の霊は人間の姿をしているし、動物の霊も生前と同じ姿だ。俗に言う妖は、その人が理解しやすい姿を選ぶ。犬に似た何かは、犬の姿になる。が、この『やばい霊』は、三角だったり菱形だったりする。俺にはそう見える。
「ヤバいモノ、入ってきませんか?」
今はどこまで話が進んでいるのかなんて、俺には気を使うというか、気づくはずも無く、淨龍兄様と基を驚かせることになった。
「え〜っと、この敷地のことかな?」
「そうですよ、霊能者集団がいたら、入ってくるでしょ? 結界って言っても、何でも弾くことなんて出来ないでしょう?」
「あぁ、そう言う意味か。凄いねよっちゃんは、神社の結界の効力が解るんだね」
「俺達、京都市内のど真ん中育ちですよ? 神社なんて公園扱いです」
「ふふふ、公園の割には、危険な遊具が多そうだけどね」
麗しい微笑みと、ちょっとしたとした毒。でも、淨龍兄様のおっしゃる通り、神社はあくまでも崇拝の対象だ。それゆえに、不敬を働いたらヤバい事になる。俺も同意の証しとして、『うんうん』と頷いてみる。
「心配には及ばないよ、悪いモノも入ってこられないように、別の仕掛けがあるからね」
『仕掛け』と言う言葉に、危険な匂いがしないでもないが、入ってこないことは重要だ。ほっと安堵する俺を他所に、二人は再び話しだした。