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カシオペア

作者: 折紙

 松岡が教室を覗いてみると、そこには誰もいなかった。何があったかといえば、静かに夕日が机と椅子を照らしていただけだった。


先日、松岡の下駄箱にラブレターが入っていた。名前は書いていなかった。普段は「色恋になんて興味がない」とツンケンしていた松岡だったが、そのときは人並みに心弾んだ。つまるところ、モテないのである。

 

 松岡という人間は、人間不信の塊のようなやつで、数字と数学をこよなく愛す変人である。顔は不細工ではないが、愛嬌がなく、前髪が妙に長くて不気味だ。その不気味さのせいか、女というものにまったく縁がない。共学なのにも関わらず、教室や廊下で女が騒がしくしているのを見ただけで「女という生き物はよくわからん」などと語り始める。性格がひん曲がっているのである。そんな松岡に対して、女生徒の間では「松岡は絶対に童貞」と笑われていた。


松岡は教室の扉に凭れかかった。



騙された!



 きっと誰かの嫌がらせだろう。松岡は心当たりなら山ほどあった。


 成績万年二位の田中だろうか、同じクラスの女生徒だろうか、はたまた友人たちのからかいだろうか。


 松岡は、学ランのポケットから可愛らしい水色の手紙を取り出した。名前こそ書いていないが、書道でも習っていたかのような美しい字で『放課後、貴方の教室で待っています。』と書いていた。こんなにも綺麗な字を書く知り合いは思い浮かばなかった。弾んでいた心はしょげてしまい、またもやひん曲がってしまう。



「おや、松岡じゃないか。どうしてここの教室に?」


「やぁ、川島。こんな時間に、こんな場所で、……どうかしたのか」


「なんだ、含みのある言い方をするなぁ。まるで告白もしていないのに振られたみたいだ」



 的を射ている。川島という男は弓道部の元主将で、全国大会で準優勝をした有名人である。厳つい雰囲気を持っている男だが女生徒にはそれが「凛々しい!」とかえって好評だ。それに加えて、私立大学からのスポーツ推薦を蹴って、国立大学を目指しているらしい。まるで絵にかいたような理想の男だ。


 こんな二人がなぜ知り合ったのかというと、合同体育のときに、となりのクラスであった川島と松岡がたまたま卓球という同じ種目を選び、それは松岡が唯一得意とするもので、たまたま競い合い、お互いに認め合った。という経緯である。


 そんな青春ドラマの出会いのように仲良くなった二人だが、元来、松岡は人間不信の塊だ。いくら川島が厳格な男だとしても、松岡は疑心暗鬼なままである。



「それで? 一体どうした」


「さっき、部活のほうに久々に顔を出していた。俺がいると気が引き締まるからと、鮎川先生に引き止められていたのだ」



 たしかに、川島からは制汗剤のせっけんの匂いがしていた。松岡は匂いに疎いが、女生徒が川島を凛々しいと騒ぐ気持ちがなんとなくわかる気がした。



「川島、私が聞いているのはそういうことではない。この教室に一体何の用事があるのか聞いている」


「松岡、お前は人を急ぎすぎる。もう少し余裕を持ったらどうだ」


「悪いが私は答えを急ぐ性質でね。会話を楽しむという趣味はない」


「ふむ、そうか。俺はただ教室にノートを忘れてしまってね。それを取りに来ただけだ」


「あぁ、そうか。悪かった」



 松岡は口先ではそう言ったが、川島の事を疑う気持ちは持ったままである。松岡という人間はなんとも嫌なやつだ。



「それじゃあな」



 川島はニヒルに笑って帰って行った。


 ふむ、と松岡は腕を組む。考え事をする時の癖である。


 川島が松岡をだましたとしても、メリットはないだろう。あるとすれば、それは川島がサディストである場合だ。人間不信の松岡はまだ疑っているだが、川島という人間はそんなやつではない。字の上手い女生徒の仕業だろうか。嫌がらせにしても随分と手が込んでいるように思える。



やはり女という生き物はよくわからん。



 松岡はひとりで勝手に完結させ、ため息をついた。……幸せが逃げてしまった気がする。

遠くで微かに足音が聞こえた。


 松岡は教室の扉をピシャリと閉める。振り返ると、学校はもう眠ってしまったように静かだった。カッパ、カッパと音がする。鮎川先生だ。どうやら、スリッパをはいているようだった。



「こんにちは、松岡くん」


「こんにちは、鮎川先生」



 彼女は弓道部顧問の鮎川先生。道着を着たままの姿で、額に汗をかいている。今年で三十路を迎えるらしいが、それが気にならないほどの可愛らしい人だ。川島以外の部員からは「あゆちゃん」という愛称で慕われている。



「ここの教室にいたのね」


「少々、呼び出されていまして」


「あら、告白かしら?」



弓道部の人間というのは、どうやら勘が鋭いらしい。松岡はデジャブだ、と小さく呟いた。



「いいえ、嫌がらせだったようです」


「あらあら、かわいそうに。もう暗いからはやく帰るのよ」



 鮎川先生は二、三歩歩きだしたところで振り返る。可愛らしい顔で、川島とは違いふわりと微笑んでこう言った。



「ところで、松岡くん。そこは貴方のクラスの教室じゃなくて川島くんのクラスの教室なのだけれど、大丈夫かしら」



 教室にはもう夕日は差し込んでおらず、三日月がニヒルに笑っていた。




深夜のテンションって怖い。

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