綾花
生命保険勧誘員の仕事をしている吉見恵子は駅前の噴水の脇に座ってため息をついた。
二ヶ月間追い掛けて来た会社の入札で他社に負けた。自分の持つ商品品目が他社の担当者よりも少なかったのが敗因だとわかった。
通常、勧誘員は扱い商品は資格に寄ってその扱える商品が有る事から 明らかにこの敗因は個人能力差と言える。
「あ〜ぁ、何してたんだろう・・・私、・・・これで今月もパァーか〜」
右手の手の平を見ながら呟いた。
この数ヶ月と言うもの販売成績が伸び悩んでいた。とは言っても同期の中では一位を維持しているのだが、自分自身、最近はテンションが全く上がらず、仕事が終わると自宅近くのバーに寄ってグラスに付いた水滴が落ちるのを眺めてはグラスを空けて帰宅する日々が続いていた。
「向いて無いのかな〜、やっぱり」
と呟きながら俯いていた顔を正面に上げると鼻先五センチの所にお婆さんの顔があった。
「えっ」
驚いて反射的に頭を後に引き、お婆さんの全体を見ようとするとお婆さんの首から下が無かった。
「隙間、見つけた〜、ひっ、ひっ、ひっ、」
と声が聞こえた直後、黒い霧に視界が包まれ恵子は意識を手放した。
近くに座って居た若いカップルが雰囲気の異常に気付き恵子の座って居た方を向く。
「きゃー」カップルの女が悲鳴を上げカップルは立ちあがった。
恵子の身体が黒い粉状になって風に舞いながら消える所だった。
後には服と靴、其れに鞄だけが其処に残されていた。
女の悲鳴を聞いた数人が振り返り、噴水を囲む様にカップルと遺留品を輪になって取り巻いた。
誰かが通報したので有ろう警官二名がその輪の中に走り込んで来て状況を確保すると十分程経って数台のパトカーの鳴らすサイレンの音が近づいて来た。
二台のパトカーとパトライトを載せた乗用車二台が噴水近くに止まり中から警察官四名と刑事四名が噴水のある現場へ走り込んで来た。
走りながら一人の刑事が先に現場確保に来ている警官に声を掛ける。
「目撃者を此方へ」
先に来ていた警官二名がカップルの男女二名を声を掛けた刑事の元へ連れて来て敬礼する。
車から走って来た警官四名が野次馬を遠ざける為にポールを立て其のポール同士をテープで繋いで行く。
「これで十五件目か、無駄だと思うが鑑識を呼んでおこう」
「呼ばないと怒られちゃいますからね」
一人の刑事がテープを張っている警官一人に鑑識を呼ぶ様に声を掛けた。
目撃者を呼んだ刑事はカップルに近付くと
「見たのか」と問う。
カップルの男女は恐怖で顔を白っぽくしながら何度も繰り返し頷いた。
「怖かったろう」
カップルに声を掛けると傍に立って居る警官に自分達が乗って来た車に乗せる様に指示を出し、警官二名が男女を車へと誘導して行った。
鑑識が到着し、刑事達が報告を聞く為に遺留品へと近ずくとリーダーと思われる鑑識の一人が
「守津さん、やはり跡形も無く身体だけが無くなっていますね」
守津と呼ばれた刑事は、
「そう」と言いながら やっぱりね、一連の事件と同じ・・・だけど今度は人混みの中の犯行、段々、大胆に成って来てる・・・嫌な予感が益々大きくなって来るわね、と呟くと
「潤、本庁に戻るわよ」
「は、はい、もう良いんですか」
守津の横でメモを取ろうとしていた刑事が答える。
「何も出てきやしないわよ、後はあの二人の刑事さんに任せとく。行くよ」
と言い放つと踵を返してさっさと車へ歩いて行く。
潤と呼ばれた刑事も慌てて手帳とペンを仕舞いながら小走りに後を追った。
残った刑事二名と鑑識四名はその後姿を目で追いながら刑事の一人が鑑識の一人に
「佐藤さん、今の女が噂に高い守津綾花警視ですよね」
「そうだ。女性警視なんて何人も居てたまるか、あの振舞い、相変わらずだな」
「佐藤さんは警視の事、良く知ってるって伺ったんですが」
「良くは知らないが、彼女が入庁してからの腐れ縁程度だな、あの目を見た事があるか?あの目で見られると・・・んな事はどうでも良い、サッサと終わらせて俺達も引き上げるぞ」
「はい」と返事が上がり四人の鑑識は遺留品のあった辺りの土もブラシや綿棒で集め始めた。
守津綾花と横山潤子は、目撃者のカップルを連れて本庁に入ると刑事課の取り調べ室では無く、休憩室へ連れて行くとカップ式の自動販売機からコーヒーを出すとカップルの男女に其々、一つづつ手渡した。
刑事達や警官達は、休憩室に入ろうとして綾花の姿を見ると敬礼をして退室して行った。
「えーい、うっとうしいな、此処は」
一々、敬礼される事にウンザリしながら綾花は、言った。
「一寸、待ってろ」
潤子とカップルの三人に声を掛けると休憩室を出て刑事部屋に入って行った。
綾花が刑事室に入った瞬間、刑事室の喧騒がピタリと止んだ。
「休憩室で事件番号595の目撃者を落ち付かせている。こっちに暫く来るな」
綾花の透き通る様な声が刑事部屋はもちろん、階全体に聞こえる様な大声で聞こえた。
刑事部屋のドアを乱暴に開閉するとヒールの音が休憩室に戻って来た。
「警視、コーヒーを」潤子は綾花にカップを手渡した。
「あぁ、ありがと」と言いながらカップを受け取ると上着のポケットからメンソールタバコを取り出して火を点けて男女の顔を見る。
「少しは、落ち着いて来たようだな。潤子、聞いておけ」
綾花が潤子に言う。
潤子は頷くと座って両手でカップを持っている男女の前に屈みこんで
「見た時の状況、教えて」優しく問いかける。
男は隣に居る女の顔を一旦、見て頷いてから潤子の方へ向き直り噴水の横に二人が座っていた事、自分達かた少し離れた、人が三人位、座れるぐらい離れた所に座っていた被害者が居た事、背中に何か違和感を感じて振り返った時、被害者が黒い影に成っていて風に舞う様に消えて無くなった事、女が悲鳴を上げて人が集まった事を言った。
「違和感って? どんな感じの?」
潤子が問い質す。
綾花は、休憩室の締められた窓に向かって煙を吐き出すと其のまま窓に向かい、カップルに背中を向けたままの状態で聞いていた。
「生暖かい風と言うか粘つく様な空気みたいな」目撃者の女が言った。
「うん、何か、気持ちの悪い感じ」続けて目撃者の男が言った。
潤子はメモを書き終えると二人の顔を交互に見てから
「ありがとう。多分、同じ話を刑事さんにもしてあげてね。自宅まで送らせる様に言っておくから一寸、待っててね」と言った。
「よし、帰るぞ」綾花が潤子に声を掛け、吸い殻を紙カップに落として火を消すとそれを其のままゴミ箱に投げ入れ、休憩室を出て刑事部屋に入る。
「目撃者は、今、ようやく落ち着いている。目撃情報を聞いておけ。一応、臨床心理士の先生にも見て貰っておいてくれ、全てが終わったら後で自宅まで責任を持って送り届ける様に」
先ほどと変わらぬ声量で言うと刑事部屋を出た。
刑事部屋では、刑事部長が立ち上がる。刑事部長が立ち上がったのを横目で見た刑事課長が
「目撃情報を誰か行って聞いて来い、えーっと、其れに」
「臨床何とかです」
「そうだ、臨床心理士の先生を直ぐに呼べ。総務部に行けば連絡出来る。早くだ、大至急だ、急げ」
蜂の巣を突いた様な騒ぎになり、慌てて右往左往している。
其れを後目にして綾花達は、建物を後にした。